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ハンナの人生

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「綺麗な顔。本当に美しいわ」

 鏡を見て見惚れているオフィーリアの姿をハンナはドアの隙間から覗いていた。鍵を渡して手紙を読んでから、怪しまれないように監視を伯爵夫妻から任せられた。

 ――オフィーリアの中身は全くの別人だ。前世を思い出したと都合の良い事を出すだろう。

 身体が娘でも、心が完全に違う人間を伯爵夫妻は受け入れる事が出来なかった。この事は手紙を受け取った両親とハンナしか知らない。

 何も知らない振りをして、オフィーリアのように使用人たちは接する。

「お嬢様、何だか品がなくなったと思わない?」
「用事が出来ると手のひらで追い出す仕草をするのよ。感じが悪いわよね」
「ハンナ、何か知ってる?」

 使用人たちの部屋でメイドたちは違和感を吐露する。ハンナだけは真実を知っているため、適当に流した。以前と変わらず仕事をこなすが、ハンナの心はオフィーリアに寄り添わなくなった。

 手紙に残されていたハンナの一度目の人生を想像する。何故、自分はオフィーリアの専属メイドとしてついていったのだろうか。元々打算的なところがある自分がついていくはずもない。
 評判が悪くなり、押し付けられ結婚をしたオフィーリア。想像だが、伯爵夫妻に頼み込まれたのだろう。

 仕送りをしなければならない下の子達がいる。父親が亡くなり、家計は圧迫していた。恋人を作る暇もなく、好きな物を買う余裕すらない。今の状況を二度も体験するのかと思うと、一度目の人生の記憶がないのにウンザリする。

 もしも、自分がオフィーリアになったら。
 ハンナは何度も想像をしていた。髪に櫛を通すたびに、自分が彼女だったらと。

 そして最後はこう思う。絶対に上手くいかない。
 オフィーリアの美しさも賢さも全て持て余してしまうだろう。

 薄汚れている洗面台にある鏡を見て、ハンナは表情を作る。顔にそばかすがある慣れ親しんだ顔がある。赤髪の髪の毛も全部自分が好きな色だ。

 誰かと入れ替わってまで手放そうと思わない。自分の人生があの子みたいならと想像はするが、実際になったらと思うと怖くなってしまう。

 何処かにいるオフィーリアの幸せを願って、ハンナは眠りについた。

 以前と比べてオフィーリアは買い物を沢山するようになった。必要なもの以上のものを買いたいと強請り、伯爵夫人は諫めていた。誘われたお茶会で、歯に衣着せぬものの言い方をし不愉快な気分にさせる。優秀だった成績もあっという間に下がり、手紙を見ていた人達はやっぱりそうかと落胆させる。
 令嬢から評判が悪くなったが、以前オフィーリアに庇われた令嬢は彼女を批判する事はなかった。口の端を上げ陰で笑っている。自分よりも不出来な格下の人間が出来た事が嬉しいのだろう。

 手紙を受け取ってから暫くして伯爵夫人は娘に問いかけた。ハンナは壁際に立ち存在感を消す。

「貴方は誰? オフィーリアじゃないわね」
「……お母様?」
「長年一緒にいると分かるの。貴方の事を娘と思えないのよ。ねえ、娘じゃなくてもいいからまともになりなさい。このままだと籍を抜きますよ」
「そんな」
「今まで見過ごしていたのは、前の性格が良かったからです。今の貴方は評価するに値しません」

 ジッと鋭くみつめて、これ以上話が進まないと席を立つ。この日以降、伯爵夫人とオフィーリアは溝が出来てしまった。

「こんなことも出来ないのですか? 成績が元に戻るまで外出は許しません」
「そんなお母様」
「触らないで! 早く、昔のオフィーリアに戻りなさい。このままではお見合いすらさせられないわ」

 オフィーリアの手紙を読んでから、こういう場面に出くわすことが多くなった。メイド達と目を見合わせ、仕事をしているふりをして遠くに離れる。優秀な娘が突然違う人間になった事で、伯爵夫人は元通りの娘にするために教育をした。

 見た目だけはいいのだから、そこそこの男は捕まえられるはず。

 どれだけ手を尽くしてもオフィーリアは良くならなかった。そして時間とお金をかけ、伯爵夫妻は娘への投資を諦めてしまった。嫡男の子供が生まれ、オフィーリアの分を含めた愛を注ぐ。

 その一方で伯爵家は貿易や土地の売買で財産を築いていた。残された手紙の利用価値は高く、一歩先の未来を知っている事から金融王と噂されるようになっていた。
 一度目の人生で迷惑をかけたディルクも手紙を受け取り、最初は怪しんでいたが、少しだけお金を使い投資をすると上手くいき財産を増やしていった。

 ハンナは共同事業の話をするためにやってきたディルクを見て、一目で恋に落ちた。男爵位のディルクは見目麗しく体躯もいい。少し無口なところがあるが、ハンナは気にしなかった。

 ハンナは22歳になっても専属メイドを辞めなかった。手紙には財産を築ける貴族や商人が書かれていたが、持参金を用意出来ないハンナは近づく事すらできない。その代わりに、仲の良いメイドに儲ける前の男性たちを教えて、結婚に結び付ける行動をした。

 多分、一生結婚に縁はないだろう。
 オフィーリアは魔道具をつけられ、行動が制限され部屋に閉じ込められている。婚約者にいる令息にちょっかいと粉をかけていたからだ。こんな姿のオフィーリアを見ても、心が全く痛まない事にハンナは鼻で笑う。

「ハンナ。話があるんだ」
「はい」

 伯爵自らお茶を注ぎ、使用人のハンナに手渡した。いつもと違う行動からハンナは頭が混乱する。

「私達の養子にならないか」
「……何故でしょうか。私が養子になっても利益はありません」
「元のオフィーリアが望んでいた事なのよ」
「オフィーリア様が」

 一枚の紙を渡されるとハンナは読み始めた。多分、こうなる事が分かっていたから書かれていた手紙から、彼女の真心が伝わってきた。

【ハンナへ 

 二度目の人生も私に付き合ってくれてありがとう。一度目の人生をどうして30歳になるまで、専属メイドなのか考えてみたの。多分、憶測だけれどディルク様に好意があったんだと思う。あずさという人間が、黙ってディルク様と結婚するなんてありえないでしょう?貴方が好きだったから横取りするために当てつけで結婚したんだと思うの。普通ならそんな専属メイドとして連れて行くなんて、なんて有り得ない。貴方はお金のために自分の心は捨てられない人だから。平民と貴族の結婚は難しい事は分かっているわ。お父様に頼んで、養子にして貰おうと思うのよ。

 今、これを読んでいて貴方は結婚していないでしょう。手紙に書かれた貴族や商人たちは身分を気にしない人よ。ハンナは幸せになって欲しい】

「結婚相手はディルク様よ。彼も貴方を気に入っているのよ」
「どうしてですか」
「だって、自分よりもいい男たちを知っているのに全然興味がないのよ。貴方の視線に気がつかないわけないじゃない。ハンナの事は信頼しているわ。もう貴方の母親に話は通しているわ。安心して嫁ぎなさい」

 自分が幸せになれるのは嬉しい。しかし、ハンナはオフィーリアの事を考えた。

「あの子は娘が言った通り肉体と魂を結び付ける魔道具を着けようと思うわ」
「大切な娘だが、兄と姉もいる迷惑はかけられない」

 ハンナは花嫁道具を既に用意されていて、ディルクの元にすぐに嫁いだ。
 ディルクは愛情不足のせいで、少しの時間でもついてきて離れない。愛情の確認をしているようで、ハンナは目一杯可愛がる。末の子供に妹が出来た時と同じ反応だ。

 一度目の人生と違い、令嬢を監禁したことがないディルクは悪いうわさが一つもない。
 財産に余裕があり、ディルクとハンナは子沢山の家族として有名になった。

 養子になってから不思議とオフィーリアの話を聞かなくなった。いつまでも彼女の事を引きずることは出来ない。今は子育てに忙しく、考える暇すらない。

 しばらくすると伯爵夫妻から、オフィーリアから最後の手紙を受け取った。どうして今頃渡すのか気になって受け取ってすぐに読み始めた。

 最後まで読み終えると、温かい気持ちで満たされていた。

 彼女がもうこちらの世界に戻ることは無いと知ったからだ。
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