ジュケンセイ

黒い白クマ

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トキハカネナリ

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六月も半ばになり、暑さは否応なしにきつくなってきた。ポロシャツの許可が下りたとはいえ、やはり制服は暑い。夏用のスカートは風を通すが、紺色はじわりと熱を集めていくからたまったものではなかった。早く冷房に会いたい。足が駅前のカフェを通り過ぎて行くのも、もはや日課となった。

「いらっしゃい。」
「こんにちは。」

軽く挨拶をしてからいつものようにカウンター席に座り込む。

「マスター、カフェモカ下さい。」

何を飲んでも外れがないので、一杯目は甘いものを飲むようになった。部活が無くなり降下した運動量に反比例して、ストレスと体重はのさばっていくが、こうも疲れていると糖分をぶち込まないとやっていられない。

「そのあとブレンドですか?」

無言で頷けば、マスターはいつも浮かべている笑みを深める。

「今日はいつもより元気がありませんね。」

カフェモカを用意しながら呟かれた声に、ちょっと驚いて顔を上げた。

「あー分かります?昨日一昨日と、ちょっと風邪ひいちゃったんですよね。」
「おや。」
「思ったように時間が使えなくてちょっとへこんでいたところでして。」

放課後にここで勉強するようになってから三週間ばかり経つが、時折こうやってマスターと話すこともある。何しろ人がいない上、彼は決まって私の集中が切れているかイライラしているかの時にしか話しかけてこない。まぁ、良い気分転換にもなるのだ。

「どうしてお金で人の時間は買えるし、自分の時間で自分のお金は買えるのに、自分のお金で自分の時間を買うことは出来ないんですかねぇ?」

半ば愚痴のように訴えて、リュックから英語の教材を引っ張り出した私に、マスターは相変わらず笑顔のまま質問を投げる。

「というと?」
「ほら、私がお金を払ってこうやってマスターからカフェモカを買った時。」

差し出されたカフェモカを目の前に持ち上げてみせる

「私はマスターがカフェモカを作った時間、をマスターから買ったわけですよね。言い換えれば、マスターは四二〇円分の時間を私のために割いた。ま、材料費はもちろんあるんですけど。」
「なるほど、面白い理論ですね。」
「そして私がどこかでバイトをすれば、費やした時間は給料として返ってくる。」

言葉を切って、持ち上げていたカフェモカを口元へ運んだ。うん、相変わらず美味しい。

「そして、お金を出しても時間は返ってこない。そういう事ですね。」
「そうです。時間からお金へは不可逆変化。だからお金を無駄にするよりも時間を無駄にする方が恐ろしい気がするんですよねぇ。」

深いため息を落としてからカフェモカを飲み進める。まだ、教材を開く気にはならない。手元のカップの中身をただくるくるとかき混ぜていたら、笑い声が降ってきた。

「貴方、もしかして受験生ですか?」
「そうですよ、高校三年生。」

大方時間への執着だとか、教材の山だとかで気がついたのだろう。そうとも、確かに去年は数日風邪を引いたとしてもこんなにポエミーなことは言い出さなかったに違いない。私は至って一般的且つ「真面目な」生徒だった。宿題と定期テスト対策以外に何をすることもなかったのだ。

「じゃあ今が大変な時期なのですね。」
「マスターまで学校の先生のようなことを言わないでください。」

聞き飽きた言葉だ。ここを乗り切れば、とかなんとかとセットで、何度も。乗り切るも何も、あと半年と幾ばくか残っている。いや、最後まで入れれば、あと何か月。長い。そして、いやに短い。分かってはいるのだ。息を吸って吐いているだけで、時間は過ぎる。六月も折り返した。

「時間、売りましょうか。」

ぼんやりと回っていた意味の無い思考の渦へ、ひょいと投げ込まれた台詞に一瞬固まった。

「はい?」
「少し値が張りますよ。」

少しの間。何とか開いた口から飛び出したのは、ほとんど肯定に近い返事。

「いくらですか。」

時間は売れないだろうとか、質の悪い冗談はよしてくださいとか、まぁ言うべき言葉はたくさんあった、が。正直、嘘でも欲しい。一時間に二千は出せる。

「一時間九百円。」

……いいところついてくる。微妙に安い。

「本当に買えるんですか。」
「もちろん。このお店の中でなら。」
「じゃあ……三時間。」

ちらりと見た時計は午後四時を指していた。六限の授業が終わってから直接来た、いつも通りの時間。

「はい、二千七百円。後で飲み物と一緒にお会計で。」

マスターはカフェモカのカップを持ち上げ、代わりにコーヒーを私の目の前に置いた。

「では、折角ですから無駄にせずに。」

示された問題集を、慌てて開く。今思えば少々妙である。集中していたとはいえ、時計を見ることも、窓の外を見ることも思いつかなかった。

かなりの時間が経ったあと―机の上には数頁ずつ解いては横へ除けた問題集が五冊ほど広がったころ。

「三時間、ご利用ありがとうございました。」

はっと顔を上げたとき時計は、午後四時、を指していた。五杯目のコーヒーを差し出しながら、マスターは相変わらず穏やかな笑顔を浮かべている。

「なんか、すごく妙な気分になるので、もう買わなくて済むようにしますね。」

神妙な面で呟けば、彼は珍しく声を上げて笑った。一杯のカフェモカと八杯のコーヒー、重いリュックに詰まっている六時間分埋まったテキストと、それから妙な気持ち。抱えて店を出た七時の道は、いつも通り多くの人が足早に行き交っている。

それ以降、時間の買い物はしていない。
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