要らないものは捨ててくれよ

黒い白クマ

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一兎も追わなかった者の話

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「うっわぁ……」

電気をつけるなり飛び込んできた景色に、自分の口から零れた言葉が耳に入る。人はうわぁって思った時本当にうわぁって言うんだな、人生二十数年目にして初めて知った。そんな微妙にズレたことを考えたのは、多分一種の現実逃避。

さて今、私が半ば担いでいる……というか引き摺っている……というかの、この浅木という人物。これがここの家主である、はずだ。

この家主の第一印象は、端的に言えば面白い奴、だった。

人間っていうのは、一瞬で人の見た目からプラスまたはマイナスのイメージを付与するらしい。しかも、それを覆すのが相当難しいのだという。あ、これはいつかの教授の授業の受け売り。

つまり最初にコイツに対してプラスのイメージを持ってしまった私は、その後何を見ようがもう手遅れだったってわけだ、多分。じゃなきゃ説明がつかん。

そう、つかんのだ。この、馬鹿汚ぇ、鍵すらかけてない1Kのアパートの部屋を見て、「うわぁ」って言いながら上がっちゃった説明が、つかん。

普通ここで浅木をそっとゴミ山において、そのまま回れ右をするほうが平和に決まってるのだ。無難に決まってる。いつもはそうやって行動する。だって何も起こらないことに越したことはない、ので。

決まっているが、浅木をファーストインプレッションから良い奴とジャッジした脳みそは「中に入る」のコマンドを選択した。無礼ながら靴を履いたまま上がって、肩に担いでいた浅木の腕を引っ張る。

「おい、浅木、なぁ。お前ここに住んでんのか、ホントに。」
「うーん?うん、ここ住んでるよぉ。」

ふにゃふにゃの酔っぱらいは躊躇なくゴミの山に突っ込んで寝てしまった。信じられない。ゴミの上に?コートのまま?この体勢で寝るのか?服装はしっかりしていたから、てっきり綺麗な、いや綺麗って言うか生活可能な部屋に住んでいるのかと思っていたんだが。

「おい、お前、布団は?」
「ないよぉそんなもの。」

半分寝言だ。どうしてくれよう、と腕を組んで考え込む。帰るか。どうせ居酒屋で相席しただけの、初対面の相手。このまま帰ってしまえば、二度とこいつと関わることもあるまい。確かにそう考えたのに、何故か私は空いていた床の隙間に自分の荷物を置いた。スマホだけとって、ドアを開ける。

人間っていうのは一瞬で人の見た目からプラスがマイナスのイメージを付与するらしくて、しかも、それを覆すのが相当難しいらしい。つまり最初にコイツに対してプラスのイメージを持ってしまった私は、その後何を見ようがもう手遅れだったのだ。繰り返しになるが。

だから外に出てコンビニに入ってゴミ袋を買ったのも、部屋に戻ったのも、ゴミ袋を開封してせっせと掃除し始めてしまったのも、きっと仕方がないのだ。

あぁマスクしててよかったなマジで。埃やばい、と目につくプラごみを片っ端から袋にぶち込みながらぼやく。一体何をしてるんだ私は。やっぱり慣れないことをするもんじゃないんだ。こんな妙なことになってるのも、外飲みなんて珍しいことをしちまったからに違いない。

私の従事しているホテル業務の仕事は勤務時間が日によってかなりバラバラで、休みも週によってバラバラだ。別に楽しくもない仕事だが、平日に動ける日があるのは唯一の美点である。

夕方から翌日丸一日にかけて休みが生まれたから、昨日は飲んでしまえと滅多に入らない駅近くの居酒屋に入った、のだが。平日だからと舐めていた。想像以上に混んでいて、この店は諦めるかと思った時。

「空いてますけど、気にしないならここ座ります?」

入口近くにいた浅木――この時はもちろん名前なんて知らなかった――がテーブルをタシタシと叩きながら声をかけてきた。

正直この時点でもう「面白い奴」という印象は確定していた気がする。普通見たことも無い人間に、たとえ私が人畜無害な面をしているからといえ、声をかけないだろ。しかも、動きが完全にガキのそれなのにぶりっ子感も痛々しさも違和感も一切ないのがまた笑う。いやまぁ、まだガキか?高校生くらいに見えた。

さて面白いなと思えど、このご時世。知らん奴と相席はアウトではと一瞬戸惑ったが、ぎゅうぐる、なんて腹が奇天烈な音を立てた時点で私は頷いた。ほぼ即答だった。

空腹と他の店を探すダルさが完全勝利を収めた。パーテーションあるからセーフだセーフ。どうせ話さないだろうし。

そのままストンと彼女の前に座ったのを傍から見れば、待ち合わせていた奴があとから来たようにしか見えなかっただろう。その実初対面である。

「ありがとうございます。」
「いーえー、一人で食べるよりなんか面白いかなって思ったので。外寒いし。」

パーテーションの隙間から滑らされたメニューを受け取る。

「何食うんすか。」

ほとんど反射で尋ねた。人と飯を食う時いつも何となく聞く質問だが、冷静になれば他人に聞く意味が全くない。

「んとね、その左上のとあと飲み物二番目のやつ。」
「え少な……くないすか。」

気にしない様子で答えた彼女に、再びロクに考えずに尋ねる。てか成人かよ。アルコールの注文に一瞬ビビる。

「ご飯に使うお金は一日千円って決めてるから、夕食に使えるの580円しかないんすねぇ~」

寧ろよく420円で二食賄えたな、と思いながら頷く。細身だし、あんま食べない人なのかもしれない。そう思って何気なく顔を見て、いやこれやつれてないか、と目を開く。

貧乏高校生前に一人だけ豪勢に食うのも気が引ける。いや高校生じゃなかったんだが見てくれ的に。でも今私はめちゃくちゃ豪勢に食い散らかしたい気分。うーん、長時間勤務明けの脳みそが段々思考を放り出し始めている。

「……この食べ放題奢りますよ。」
「え、なんで?」
「食べ放題系は席で取らないと取れないんで。」
「えっ、えぇ、そっか、」
「やマジで気にしないでください、席助かったんで。注文するやつ食べ放題に入ってるからいいっすねこれで。」

うにゃうにゃ言ってる浅木を流してタブレットに二人分の注文を入れて、そのまま知らん顔で彼女の当初の注文を入れた。浅木がおそるおそる尋ねてくる。

「お幾つか聞いてもいい?」
「二十四っす。」
「誕生日過ぎた?」
「はい。」
「あ、じゃあ一個下か。すみません見ず知らずの年下に奢らして。」
「や、言い出したの私だし。」

年上かよ。自分の注文も入れて、彼女にタブレットを差し出した。

「お姉さんは他なんか食いたいもんあります?」
「浅木!お姉さんはなんか嫌だ。」
「浅木さん。」
「浅木。」
「……浅木。ほら、好きなの入れてください。」
「ども。こういうの久々だな。沢山食べちゃお。」
「食べるほうなんすか?てっきり少食なのかと。」
「んふふ。」

是とも否とも言わずに、彼女はポコポコと画面をタップしていく。

当たり障りのないことを話しているうちに、彼女の目の前には次々に料理とグラスが並んだ。彼女は並んだ料理をするすると腹に収めていく。別に早食いな訳じゃない。一定の速度でかなりの量を処理しながら、時々タブレット次の料理をタップする。

あの後、詳しく何を話したかそう覚えている訳では無い。浅木の家という衝撃映像で酔いはぶっ飛んだが、それまで私も立派な酔っぱらいだったのだから仕方なかろう。つられていつもよりも食べたな、位の記憶だ。ただ店を出てから足取りが危なくなった彼女に、私が飲み放題奢ったのが悪かったかなと思って手を貸したことは覚えている。

「家、近いから平気。あとね、十分くらい。」
「じゃあ着いてくぞ。ほら肩使っていいから、浅木の家まで案内して。」

店にいた二時間弱で気がつけば随分崩れた言葉は、友達のそれと変わらなくなっていた。彼女の案内のままにこのアパートにたどり着き、そして今に至る。

こんなにやべぇ部屋はちょっと初めてだな、と目の前の惨状に意識を戻して色々通り越して思わず笑う。

ゴミ山の中から発掘された服を同じく発掘されたトートバッグにぶち込んで、彼女が身につけていたカバンも強奪してそれもぶち込んだ。コートをひっぺがして、本人はとりあえず床に転がす。上に剥いだコートをかけておく。

物の見事に寝床になるものがないってどういうことだ?まぁさっきこいつがダイブしたゴミ山もお世辞にも柔らかいとは言えないプラスチック素材だからフローリングと大差がなかろう。

とりあえずとプラごみを持ってドアを蹴り開けた。集合住宅で良かった、ごみ捨て場が見えるし一応曜日に関わらずゴミを出していいことになっている。ゴミを抱えて階段を降りながら、マジでなんでこうなってんだ、と何度目かの自問自答をぼやいた。

一体日頃どんな生活をしているのだろう。偶然がなきゃ出会わなかったような相手である。凄く普通に生きてきた自分と、話が面白いゴミ屋敷住まいの一つ上。いや待て、普通ってなんだ。

まぁ人間は元来自分にない能力や性格を持った者に惹かれがちなので、私が彼女のことを気に入ったのは心理的には理にかなった行為である、はずだ。自分の普通、と違う相手を。その結果行われた掃除まで理にかなっていると主張する気は毛頭ないが。これはきっと深夜テンションが引き起こした謎の掃除欲なのだ。

ごみ捨て場と部屋を往復して床が見え始めた所で、何かが光った。

「嘘だろ。」

人間は嘘だろって思った時も嘘だろって声が出るらしい。床に落ちたストラップも何もついていない鍵を拾い上げて、それをしげしげと眺める。

前言撤回。こいつ、私の普通からどころか都会に住む世間の普通からもかけ離れてやがる。鍵をかけないどころか鍵をゴミに埋めてやがった。確かに貴重品らしいものも盗まれそうなものも何ひとつとして出てこなかったが、それはそれ、これはこれでは。通帳とか全部スマホにあるタイプの人としてもさ。鍵はかけようぜ。

なんとなく、それを自分のポケットに突っ込む。またゴミに埋もれても困る。鍵は「鍵だぞ大切にしろ」って手渡すことにしよう。

最後のゴミ袋を出してから、私はほとんど空と言って差し支えない部屋を見回した。

……全部ちゃんと明らかなゴミ、だったよな?

もちろん個人の感性ってものがあるから一概には言えないが、洗われていない空き缶や山ほど出てくるコンビニおにぎりの包装は多分ゴミだろう。これでコンビニおにぎり包装愛好家だったら謝るしかない。何かの形見でも多分ない、し、大事なものにしては保存状態が劣悪すぎる。ゴミだよな。ペットボトルも潰されていたし、丸まったティッシュを取っておきたい人はいないと思いたいし。レシートはご丁寧に全部グチャっていたし。

でその明らかなゴミ、を抹消したらなぁんにもなくなってしまった。

このトートバッグ以外、残るはシンクの横にコップがひとつと開き切った歯ブラシがあるだけだ。いやこれもゴミだろこの歯ブラシ。一応他人の家なので捨てたい衝動を抑える。自炊はしていないらしく家電が一個もないし、コンロにヤカンが乗っているだけだ。そんなことある?ってくらい何も無くなってしまった。

気がつけば、うっすいカーテンから朝日が透けて部屋に差し込んでいる。夜通し他人の家の掃除をしてしまった。タダで。勝手に。ありえない。

もう一度家主に目を向ける。床の上ですぺすぺとアホ面で寝ているこいつ、どうしたものか。

まぁ、今更どうこう言ってもしゃーない。起きたらなにか捨てちゃまずいもんがなかったか聞いて、あれば新しいものを買って、それで……まぁ、それで帰ればいいだろう。

さすがに眠くなって、電気を消して壁に背を預けて座り込んだ。自分の荷物と残ったトートバッグを横に置いて、そのまま目をつぶる。さすがにガッツリは寝れないだろ、と思ったことを最後に、記憶が途切れた。

ハッとして顔を上げた時には、部屋は無人だった。
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