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第一章 やる気の無い喫茶店のオーナー
1 やる気の無い喫茶店
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大阪のオフィス街に不思議な喫茶店がある。古びた趣のある石造りのビルの1階にあるのだが、よく見ないと喫茶店とはわからない。磨き込まれたマホガニーの扉の上部は曇りガラスになっていて、そこに『green garden』と細く金文字で彫られている。
中は『グリーン ガーデン』の名前に相応しく、観葉植物がセンス良く配置されている。床は贅沢な寄せ木細工だし、喫茶店というより豪華な応接間に相応しい4人掛けのテーブル席が6席あるだけだ。
狭い喫茶店なら、その程度の席数でも可笑しくないが、小さいとはいえビルの1階をほぼ占めているのだ。贅沢なスペースと言えば聞こえが良いが、マスターがやる気が無いとも言える。
その贅沢な空間に置かれた、座り心地の良さそうなソファーに、黒ぶちの眼鏡を掛けた若い青年が座ってミステリー小説を読んでいる。今朝のBGMは、読んでいる名探偵にちなんだイギリスの作曲家の交響曲だ。
この痩せぎすな青年が、この変わった喫茶店とビルのオーナーなのだ。
「政宗様、そろそろ看板を出しましょう」
キリリと黒のパンツと白いシャツを着こなした白皙の美青年が声を掛けるが、マスターである政宗は、気乗りがしない様子だ。
「銀さん、看板なんて出さなくても良いんじゃない? 大叔父さんの遺言は、喫茶店を続けることだけだったよ」
銀さん? それは自分を指した名前なのかと、天狐は不満そうな顔をする。
「政宗様、私の名前は銀さんではありません。天狐大将軍 九尾銀狐とお呼び下さい」
この古びた石造りのビルは片道二車線の道路に面して建っているのだが、前には大きな楠の大木があり、喫茶店はその木陰になっている。誰が見ても、二車線の道路の一車線のど真ん中に楠があるのは不思議だと感じる。それが訳ありなのは、朱塗りの鳥井と楠にしめ縄が飾ってあるので明らかだ。
この目が涼しげな白皙の美青年は、この楠に住む妖怪なのだ。天狐と自称しているが、真偽は明らかではない。しかし、政宗の大叔父が住処の楠を護ってくれたのに恩義を感じて、尽くしてきたのだ。
「だって、銀狐さんなんて呼べないよ。変に思われるよ」
大学を卒業したが、就活に失敗して困っていた政宗に、大叔父の遺産が転がり込んだのだ。政宗は、棚からぼた餅! と喜んだが、そうそう旨い話はない。
「ビルの家賃収入で食べていけるのに、何故、喫茶店を続けないといけないのですか?」
大叔父の弁護士に、遺産相続の条件を聞かされて、政宗は首を傾げた。ビルの2階、3階、4階は貸しオフィスになっていて、5階は大叔父の住まいになっていた。かなり良い場所にあるし、相続したら家賃収入で暮らしていけると考えていたのだ。
「貴方の大叔父である輝正様は、喫茶店を大事に考えておられたのでしょう。喫茶店を営業されないなら、相続はできません」
政宗は、喫茶店を渋々開くことにした。客が来なければ、大好きなミステリー小説でも読んでいたら良いと考えたのだ。しかし、グリーンガーデンには天狐と称する従業員がいた。
「看板を出しますね!」
天狐のくせに生真面目な奴だ! と政宗は渋々ソファーからカウンターの定位置に移る。銀弧は、政宗が選んだ小さな金の『open』と刻んである看板というよりドアノブ飾りを表に掛ける。
「今日も一日宜しく頼みます」
楠の前で二礼二拍一礼をすると、全くあてにできないマスターがいる喫茶店へと帰る。
「ねぇ! モーニング食べたいな」
この怠け者が、尊敬していた輝正様の後継者とは情けないと、銀狐は溜め息をついた。しかし、政宗は料理をいっさいしないので、朝から何も食べていないのは明らかだ。
カウンターの中に入るとお湯を沸騰させて、ポットで紅茶をいれてやる。手早く焼いたパンにバターをたっぷりと塗り、目玉焼きとカリカリのベーコンをお皿に乗せ、サラダと一緒にカウンターに出す。
「よく紅茶が飲みたいとわかったね」
満足そうに紅茶を飲む政宗に、無言で頷く。この一月で、政宗の読むミステリーの本と音楽で、紅茶なのか、コーヒーが飲みたいのかはわかるようになった。だんだんと、自分が政宗のペースに填まっているような気がして焦る銀狐だ。
扉には銀製の鈴が付いていて、チリン! チリン! と来客を告げる。
「いらっしゃいませ」
身のこなしも軽く銀狐が、客を二人テーブルに案内するのを、政宗はパンを食べながらチラリと見てホッとする。
『良かった! 普通の客だ』
なるべく客が来なければ良いと政宗が思っているには訳がある。このグリーンガーデンには、ややこしい問題を抱えた客が時々遣ってくるのだ。
政宗が本の続きを読みながら、香りの良い紅茶を飲んでいると、また鈴がなった。チリン! チリン! チリン!
『厄介な客が来たな!』
この銀鈴は一人に一度なる機能がついているのだが、二人しか客はいない。政宗は本をカウンターに置くと、黒縁の眼鏡を外した。眼鏡を外した顔は意外と整っている。オフィス街には不似合いな上品そうな婦人と娘が銀狐に案内されたソファーに座っている。
『あの女の子は……このままでは死ぬぞ!』
女子大生風の娘の背中に、黒い影が張りついている。やれやれ、朝から厄介な客が来たと政宗は溜め息をついた。
中は『グリーン ガーデン』の名前に相応しく、観葉植物がセンス良く配置されている。床は贅沢な寄せ木細工だし、喫茶店というより豪華な応接間に相応しい4人掛けのテーブル席が6席あるだけだ。
狭い喫茶店なら、その程度の席数でも可笑しくないが、小さいとはいえビルの1階をほぼ占めているのだ。贅沢なスペースと言えば聞こえが良いが、マスターがやる気が無いとも言える。
その贅沢な空間に置かれた、座り心地の良さそうなソファーに、黒ぶちの眼鏡を掛けた若い青年が座ってミステリー小説を読んでいる。今朝のBGMは、読んでいる名探偵にちなんだイギリスの作曲家の交響曲だ。
この痩せぎすな青年が、この変わった喫茶店とビルのオーナーなのだ。
「政宗様、そろそろ看板を出しましょう」
キリリと黒のパンツと白いシャツを着こなした白皙の美青年が声を掛けるが、マスターである政宗は、気乗りがしない様子だ。
「銀さん、看板なんて出さなくても良いんじゃない? 大叔父さんの遺言は、喫茶店を続けることだけだったよ」
銀さん? それは自分を指した名前なのかと、天狐は不満そうな顔をする。
「政宗様、私の名前は銀さんではありません。天狐大将軍 九尾銀狐とお呼び下さい」
この古びた石造りのビルは片道二車線の道路に面して建っているのだが、前には大きな楠の大木があり、喫茶店はその木陰になっている。誰が見ても、二車線の道路の一車線のど真ん中に楠があるのは不思議だと感じる。それが訳ありなのは、朱塗りの鳥井と楠にしめ縄が飾ってあるので明らかだ。
この目が涼しげな白皙の美青年は、この楠に住む妖怪なのだ。天狐と自称しているが、真偽は明らかではない。しかし、政宗の大叔父が住処の楠を護ってくれたのに恩義を感じて、尽くしてきたのだ。
「だって、銀狐さんなんて呼べないよ。変に思われるよ」
大学を卒業したが、就活に失敗して困っていた政宗に、大叔父の遺産が転がり込んだのだ。政宗は、棚からぼた餅! と喜んだが、そうそう旨い話はない。
「ビルの家賃収入で食べていけるのに、何故、喫茶店を続けないといけないのですか?」
大叔父の弁護士に、遺産相続の条件を聞かされて、政宗は首を傾げた。ビルの2階、3階、4階は貸しオフィスになっていて、5階は大叔父の住まいになっていた。かなり良い場所にあるし、相続したら家賃収入で暮らしていけると考えていたのだ。
「貴方の大叔父である輝正様は、喫茶店を大事に考えておられたのでしょう。喫茶店を営業されないなら、相続はできません」
政宗は、喫茶店を渋々開くことにした。客が来なければ、大好きなミステリー小説でも読んでいたら良いと考えたのだ。しかし、グリーンガーデンには天狐と称する従業員がいた。
「看板を出しますね!」
天狐のくせに生真面目な奴だ! と政宗は渋々ソファーからカウンターの定位置に移る。銀弧は、政宗が選んだ小さな金の『open』と刻んである看板というよりドアノブ飾りを表に掛ける。
「今日も一日宜しく頼みます」
楠の前で二礼二拍一礼をすると、全くあてにできないマスターがいる喫茶店へと帰る。
「ねぇ! モーニング食べたいな」
この怠け者が、尊敬していた輝正様の後継者とは情けないと、銀狐は溜め息をついた。しかし、政宗は料理をいっさいしないので、朝から何も食べていないのは明らかだ。
カウンターの中に入るとお湯を沸騰させて、ポットで紅茶をいれてやる。手早く焼いたパンにバターをたっぷりと塗り、目玉焼きとカリカリのベーコンをお皿に乗せ、サラダと一緒にカウンターに出す。
「よく紅茶が飲みたいとわかったね」
満足そうに紅茶を飲む政宗に、無言で頷く。この一月で、政宗の読むミステリーの本と音楽で、紅茶なのか、コーヒーが飲みたいのかはわかるようになった。だんだんと、自分が政宗のペースに填まっているような気がして焦る銀狐だ。
扉には銀製の鈴が付いていて、チリン! チリン! と来客を告げる。
「いらっしゃいませ」
身のこなしも軽く銀狐が、客を二人テーブルに案内するのを、政宗はパンを食べながらチラリと見てホッとする。
『良かった! 普通の客だ』
なるべく客が来なければ良いと政宗が思っているには訳がある。このグリーンガーデンには、ややこしい問題を抱えた客が時々遣ってくるのだ。
政宗が本の続きを読みながら、香りの良い紅茶を飲んでいると、また鈴がなった。チリン! チリン! チリン!
『厄介な客が来たな!』
この銀鈴は一人に一度なる機能がついているのだが、二人しか客はいない。政宗は本をカウンターに置くと、黒縁の眼鏡を外した。眼鏡を外した顔は意外と整っている。オフィス街には不似合いな上品そうな婦人と娘が銀狐に案内されたソファーに座っている。
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