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第一章 やる気の無い喫茶店のオーナー

7  探偵になろうかな?

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 案の定、銀狐はソバ粉のガレットを焼いてくれと言われて嫌な顔をした。とはいえ政宗が出掛けてから、可愛いバイト目当ての客が次々と来てランチの仕込みができてなかったので、今日は簡単なので済ませようと承諾した。

「ほら、瑠美ちゃん。ソバ粉のガレットよ」

 母親がガレットを一口大に切って、瑠美の口元に近づけると、パクリと食べる。

「やっぱり、美味しいわ!」

 心配していた両親は喜ぶが、政宗は黒ぶちの眼鏡を外して瑠美の頭の上で小さくなって震えている黒い影を見つめる。本当は政宗は眼鏡を掛けなくてはいけない程は視力が悪くない。日頃は、変な物を見ないようにわざと眼鏡を掛けているのだ。

「未だ憑いているのね?」

 ガレットを食べきった瑠美は、政宗の視線が自分の頭の上に向いているのに気づいて、大きな溜め息をついた。

「未だ何も解決していないからね。やはり、1ヶ月前の君の行動の何かが原因なのだと思う。何か変わった事は無かったか?」

 瑠美はトートバッグの中からスケジュール張を出して、1ヶ月前を思い出す。

「1ヶ月前……ゴールデンウィークには、ママとパリへ行ったのよ。このバックもパリで買ったわ」

 贅沢者め! と政宗は、内心で毒づくが、それが原因では無さそうだ。美夜も同じような環境で育ったのだから。

「ゴールデンウィークあけの大学は……とってもつまらなく感じたわ。早く夏休みにならないかしら? と友だちと愚痴っていたの。まさか、それに都伯母さんは腹を立てたのかしら?」

 真面目に受験勉強をしていたという都が、不真面目な瑠美に怒って憑いたのか? そんな馬鹿な理由だとは思えないが、霊というものは不可解な事をすることもある。

「ええっと、瑠美さんが大学に真面目に通わないから腹を立てたのですか?」

 小さくなった黒い影は、微妙に揺れる。

「あっ、少しは腹が立ったみたいですが、これが原因では無さそうですよ」

「当たり前だ! 娘が不真面目な態度なのに怒るのは私の方だ。お姉さんは、あの馬鹿高い入学金や寄付金や学費を払っていないのだから。瑠美、前々からもっと真面目に勉強をするべきだと思っていた。静江、お前が甘やかすから、瑠美がこんな風になったのだ」

「まぁ、あなたこそ、仕事だ、仕事だと言って、子育ては私に任せっきりじゃあありませんか?」

「止めて下さい! 夫婦喧嘩をしている場合じゃないです。瑠美さんのテンションが下がると、黒い影が大きくなります。折角、ソバ粉のガレットで事情が話せるようになったのですよ」

 生意気な若僧にみっともない所を見せて、両親は恥じ入るが、瑠美は自分が黒い影に乗っ取られるのを心配するというより、事情が聞けなくなる方を気にしているみたいだと膨れる。

「他には何か有りませんでしたか?」

「別に……普段通りの生活をしていたと思うけど……ここら辺から空白って事は、この前に何かあったのかしら? サークルの合コンや友だちとランチぐらいしか書いてないわ」

「サークルの合コン! お前は女子大なのに合コン? 何処の学生と合コンなんぞしたのだ」

 政宗は、一々口を挟む父親に苛ついたが、これが意外な切り口になった。

「女子大だから、合コンしないとボーイフレンドもできないじゃない。心配しないで、ちゃんとした大学としか合コンなんてしないわよ。この時は神戸大のテニスサークルとの……えっ、まさか!」

 瑠美は黒い影に乗っ取られていても、若い女の子なので恋バナには興味を持っていて、伯母さんの初恋相手が神戸大の学生だったと聞いていた。

「そのテニスサークルに村山という人はいませんでしたか?」

 黒い影は激しく揺れる。これが瑠美に憑いた原因のようだ。

「あっ、そう言えば……ちょっと待ってね!」

 トートバッグからスマホを取り出すと、合コンでゲットしたアドレスを調べる。

「あっ、そうだ! 村山君って、ちょっと良い感じの男の子だったのよ」

「瑠美さん、気をつけて! 美夜さんが嫉妬していますよ!」

 黒い影は、ぐおおおお~と大きくなっている。しかし、現実の十八歳には敵わない。

「都伯母さんが村山君のお父さんに恋心を抱いていたとしても、今はおじちゃんよ。私が村山君と付き合うかどうかはわからないけど、それにいちゃもんをつけて欲しくないわ!」

『キツい!』と、政宗と父親は眉を顰めたが、母親は「その通りよ!」と同意する。そして、黒い影も何となく納得したのか小さくなる。

「女心はわかりませんが、村山君に会いたかったのですか? だから、瑠美さんに憑いたのですか?」

 小さくなった黒い影は恥ずかしそうに、消えたり現れたりする。

「どうですか? 村山君にお墓参りでもして貰ったら、気がすみますか? えっ、一応、お父さんの方にも参って欲しい?」

 両親は、瑠美のスマホで連絡先はわかるのだから、無駄かもしれないが村山親子に都伯母さんの墓参りを頼むことにした。



「どうやら、美夜さんも満足したみたいだね。やれやれ、これで落ち着いて本が読めるよ」

 銀狐は、本ばかり読んでいないで、少しはマスターらしく紅茶やコーヒーの入れ方ぐらい覚えて欲しいと溜め息をつく。ランチやサンドイッチなどは初めから期待もしていない。

「でも、探偵ごっこは楽しかったなぁ。そうだ! 探偵になろうかな?」

「こんな怠け者の探偵に誰が依頼などするものですか? それより、よく見ていて下さい。紅茶の入れ方を教えますから」

 銀狐の入れた紅茶は香り高く、苦味も無くてスッキリと清みきった味がするので政宗も好きなのだが、あれこれ講釈を聞くのは面倒だ。

「政宗様! ちゃんと見て下さい! ティーカップと、ティーポットを予め温めておくのですよ」

 初歩から教えようとしていた銀狐は、チリンと音を立てた銀鈴でお客様だと顔を上げ、眉を顰める。天敵の瑠美が、夏らしい白いサマードレスを着てにこやかに微笑んでいる。

「こんにちは! 今日から夏休みだから、バイトに来てあげたわよ」

 銀狐は、ギロリと政宗を睨み付ける。

「えっ、誰がバイトを募集していると言いましたか? バイトなんか募集していませんよ」

「あら? 私がいると喫茶店も繁盛するでしょ! ママとヨーロッパに行くのを止めて、こちらでバイトすることにしたのよ。あら? 紅茶を入れるの? 銀さんの紅茶は美味しいから、淹れ方を教えて欲しいわ」

「ヨーロッパでも何処でも行ったら良いじゃ無いですか! 部外者はカウンター内には入ってはいけません」

 この積極性を政宗に見習って欲しいと銀狐は溜め息をつく。二人が揉めているので、政宗も大好きなミステリーに集中できない。

「うるさい! 本が読めないじゃないか!」

 速攻で、銀狐と瑠美から「マスターらしくしてください!」と叱られた。


 大阪のオフィス街にある雰囲気のある小さなビルの一階には、やる気の無いオーナーと天狐と称する銀狐の従業員がいるグリーンガーデンという喫茶店がある。近頃は、時々いる可愛いバイト目当てに、若いサラリーマンの客が増えている。

「チリン、チリン、チリン」

 カウンターでミステリー小説を読んでいた政宗は、瑠美と身なりの良い中年の男が入って来たのに、銀鈴が三回鳴ったので、また、瑠美に美夜が憑いたのかと黒ぶちの眼鏡を上げる。

「瑠美さんに憑いているのでは無いな……」

 少しホッとするが、無邪気そうに瑠美は厄介事を持ち込んだ。

「政宗さん、探偵のお客様を連れて来てあげたわよ。喫茶店のバイト兼探偵の助手としては、お客を探さなきゃね!」

「いつ、私が貴女に探偵の助手をして欲しいと言いましたか?」

 二人の言い合いを中年の男はぼんやりと聞いている。銀狐は、その男を観葉植物で他の席から区切ったソファーへと案内する。ぎゃんぎゃん言い争っている政宗と瑠美に、喫茶店のカウンターで言い争うのは止めなさいと叱る。

「政宗様、探偵の方のお客様ですよ」

「そうよ! パパの知り合いのおじ様なの。超お金持ちだから、きっと探偵料も弾んでくれるわ」

「探偵料なんていらないよ。君が連れて来るのは、こんな依頼者ばかりじゃないか! 普通の事件を解決したいから、探偵になったのに……ああ、これまた酷い悪霊にとり憑かれているな」

「だって、政宗さんは怠け者だもの。普通の事件だったら、真っ当な探偵に依頼するでしょ。ほら、お仕事、お仕事!」

 瑠美に急かされて、政宗は渋々カウンターの椅子から立ち上がる。

 黒ぶちの眼鏡を取って、ぼんやりとソファーに座っている身なりの良い中年の男を見る。このままでは、ヤバイのは確かだ。自分の思惑通りの客では無いが、命の危険があるとわかっているのに放置もできない。

「始めに言っておきますが、除霊はいたしません! 先ずは話し合いましょう!」

 政宗が近づくと黒い影は警戒してぐおおおお~と天井まで大きくなったが、除霊はしないと聞いて、少し落ち着いた。

「えっ、除霊してくれると喜多様に聞いて、ここへ来たのですが……」

「兎に角、除霊は禁句です。それに、私は探偵であって、怪しい霊能力者ではありません。そこを理解して下さい」

 顔色の悪い男に、除霊は禁句だと教えて、何時からこんな事になったのか? 事情を聞いていく。

 銀狐は、悪霊を除霊しないのではなく、除霊できないのだと、不出来な二代目オーナーに溜め息をつく。

「ねぇ、アールグレイが飲みたいわ!」

 銀狐は、目の前の小娘を鈍い殺したくなったが、尊敬する輝正様ならお客を大切にしただろうと、香り高いアールグレイをいれてやる。
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