海の見える家で……

梨香

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十七 智章の父親

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 台所では里芋が炊き上がり、筍は下茹でされていた。

「なんだ……もう作り始めていたのか? でも、筍はまだ味付けしてないんやな」

 母と翔平が八年も暮らせているのは、女王様とM男だったからなんだと、智章は目から鱗だったので、客人だけど好きにさせることした。

「ねぇ、翔平さん? お母さんが大阪に帰ったのは何曜日でした?」

「薔子さんが帰って来たのは木曜の夕方やった。まさか、疑われとるんか?」

 包丁を持ったまま振り向く翔平に「違う! 危ないから落ち着いて」と注意する。

「智章兄さんが料理した方がええんと違う?」などと蓮が意地悪を言うので「お前は誰やねん!」と一触即発な雰囲気になるが、座敷から「翔平さん、お茶!」と女王様の一声が掛かる。

「はい!」尻尾があったら振り切りそうな勢いで、お茶を座敷に運んでいく翔平の後ろ姿を二人は見て脱力する。

「なぁ、蓮……なんだか翔平さんが可哀想だから虐めないでやってくれ」

「まぁ、俺もSじゃないから……」

 蓮もM男なのかと、驚きの目で見る。

「違うで! ほんまに智章兄さんは考えが顔に全部出るなぁ。それで社会人は厳しいやろ?」

 三歳年下の蓮に言われるとズシンと落ち込む智章だった。

「しまった! ごめん」

 などと失業中なのに無神経やったと謝れると、地の底まで穴を掘ってしまいそうになるが、お茶を運んだ翔平がすぐに追い出されて台所に帰って来た。

「此奴は誰や?」

 翔平は薔子の周りに男がいるのが気に入らない。息子の智章はどうにか我慢しているが、若い蓮にも嫉妬を露わにする。

 智章はその癖を思い出して、慌てて紹介する。

「あっ、紹介が未だだったけど、こちらは小松原蓮くんです。で、こちらが上野翔平さんです」

 お互いに、前の旦那の息子か? 今の同棲相手か? と睨みあっていたが、智章の「何を話していたの?」という質問でとけた。

「何って……すぐに追い出されたから、あまり聞こえんかったけど、智章のお父さんがどうのこうのって感じだったな。あっ、筍ご飯も炊こうかな? ご飯は仕掛けているんだな?」

 翔平にとって警察との話より、女王様に食べさせる食事の方が重要なようだ。炊飯器の蓋を開けて、筍の刻んだのやら、調味料を加えていく。

「俺のお父さん?」

 翔平に台所を譲った智章は、うだうだと悩む。

「智章兄さんのお父さんって……誰だっけ?」

「俺もこの前知ったんだけど、竹内一慶という坊さんらしい」

「この前って……それまでは知らなかったのか?」

「まぁ、俺の父親の件はタブーだったから。一度目の結婚相手なんだけど、男と逃げて離婚されてから産まれたんだ。だから、どうやら認知拒否されたみたいだな」

「酷い話だったなぁ」

 蓮も親が離婚して父親に引き取られるという普通ではない育ち方をしているが、それよりも複雑な智章に同情をしてしまう。

「いや、母もお寺と縁を切りたかったみたいで、好都合だったんじゃないかな……ちょっと翔平さん、落ち着いて!」

 翔平が包丁を持ったままわなわなと怒りに震えている。

「何だって! そんな酷い事をした男なんか、俺が殺してやる! 何処にいるんや」

 包丁を振り回して怒る翔平から、二人は逃げ回る。

「落ち着いてよ!」

「どうにかしろや!」

「俺には無理! お母さん、助けて!」

 何処の何奴だと智章を追いかけ回す翔平を止める事が出来るのは、女王様しかいない。

「翔平! うるさい!」

 警察との話は終わったのか、うるさくて話ができなかったのか、それとも息子の助けを求める声に応えたのか、薔子が台所へ来て躾けなおす。

 智章は母が大の男を呼び捨てにするのに驚くが、翔平は厳しくされるほど嬉しいようだ。それに、さっきまで怒っていたのも忘れたのか、女王様に食事を作れと命じられたのを思い出しのか、筍の調理に戻る。

「智章、刑事さんがあんたとも話したいみたい。この二人を台所に一緒に置いてても良いものかしら? 翔平、ちゃんと仲良くできるわよね」

 恐ろしいほど凄みのある綺麗な笑顔の薔子に翔平は「もちろん!」と張り切って答える。

「俺は話を聞きたいんやけど……」

 父親が何故鞆に来たのか知りたいだろうと、智章は一緒でも良いと思った。

 しかし、薔子は「後でちゃんと話してあげるから」と蓮を台所に置いて、智章を促して座敷に向かう。



 座敷では安田刑事が目を瞑って考え込んでいたが、薔子と智章がやって来るとゆっくりと目を開けた。

「智章を連れてきましたよ」

 何故、連れてこられたのかもわからないが、座敷机を挟んで座る。

「智章さんは小松原さんが何故鞆に来たのかご存じでしたか?」

 前にも答えた質問なので、うんざりする。

「いえ、小松原さんが何故鞆に来たのか知りません」

 安田刑事は手帳を開いて何か確認する。

「殺人現場で小松原さんだと証言して下さった時にも質問したのですが、ちょっと引っかかっていましてね。何故、大阪で住んでいる小松原さんが常夜灯の前で亡くなっていると思われたのでしょう」

 死体を見たわけでも無いのに、知り合いかもしれないと名乗りでたのだ。ちょっとどころではなく引っかかるだろう。

「ああ、それは野次馬が派手な服を着ていると話していたので、何故かピンと来たのです。前の日に青海波でランチを食べた時にロビーで母と小松原さんらしき後ろ姿を見たような気がしていたから……でも、何故小松原さんが鞆に来たのかは知りません」

 母親を庇って青海波で見かけたのを黙っていたのかと安田刑事の目が光る。

「前にはそんなことは言っていませんでしたね」

「さぁ、遺体を見て動揺していたから……それで、小松原さんは殺されたのですね? 殺害時刻とか分かっているのですか?」

 シラを切って、逆に質問してくる智章に安田刑事は『まだ何か隠している』と感じる。 

「捜査の途中なので……」と質問には応えなかったが、安田刑事の心の中ではもやもやが消えない。

 この目の前の青年は何か怪しいのだが、その怪しさは犯人とも違う気がしてならないのだ。しかし、今のところ小松原の関係者でアリバイがはっきりしていないのは智章だけだ。

 元妻の薔子が前日の夕方には大阪に帰っているのはチケットを買った時のクレジット領収書という証拠もある。勿論、確認する必要もあるが、薔子の同居人は美容院で働いてから帰宅後は一緒に過ごしている。

「小松原さんは君の父親の件で鞆に来られたのだ。その件は知っているかね?」

「いえ、父の名前もつい最近まで知らなかったぐらいですから……相談していたのは父親の件なのか?」

 薔子は煙草に火をつけて頷く。

「今更、お前を認知したいとか言い出したから、法律的にどうなのか小松原さんに相談していたのよ。本当に身勝手な一族なんだから。お寺の跡取りが欲しいみたいよ」

「冗談じゃない! 坊主なんてごめんだ!」

 薔子は煙草の煙を吐き出しながら「そうよねぇ」と笑う。

 智章は特殊な体質のせいで医者にもなれなかったが、坊主なんて絶対になりたくないと首を横に激しく振る。

「もうお前も成人しているし、自分の意思で養子縁組みでもしない限り大丈夫だそうよ。あのお寺は結構大きいから跡取りになればお金に不自由はしなさそうだけど……」

 無理だとわかっているくせに揶揄う母を智章は睨みつける。

「では、小松原さんは俺の父親に会ったのか? もしかして……」

 父親が犯人なのかと、智章は口ごもる。

「それは警察が調べることよ。でも、一慶さんはそんな根性なんか無いから安心しなさい。あんたとよく似た常識が大好きな小市民だから」

 智章は自分でも小心者だと自覚していたが、そこを母に酷く扱き下ろされてガックリする。しかし、父親が犯人では無さそうだと感じてホッと胸を撫で下ろす。

 しかし、警察は薔子の言う小市民が時々なにを思ったのか殺人を犯すのを何度も目にしている。竹内一慶を調べる必要があるのだ。

 安田刑事は智章が未だ何かを隠していると確信していたが、竹内一慶に話を聞きに行くことにする。長年の刑事の勘が怪しいけど犯人ではないと告げていたからだ。

 警察が帰る気配で、蓮は玄関へと出た。

「あのう、それで犯人の目星はついたのでしょうか?」

「まだですが、全力で調査しております。現場付近でも何人もの警察官が不審者を見かけなかったか尋ねて回っています」

 被害者の家族である蓮にも捜査情報は教えない。

「そうですか……それで、父の遺体はいつになったら返して下さるのですか? あんな暗い所に置いていたくないんやけど……」

「もう少し待って下さい。色々と調べる必要があるのですが、終わり次第お返し致します」

 蓮は大きな溜息をついて「葬式はいつになるかわからんなぁ」とぼやいた。


 警察が帰ってから、薔子は約束通り小松原に相談していた内容などを包み隠さず蓮に教えた。

「その男、図々しい奴やなぁ! お寺の跡取りがいないから、智章兄さんをよこせと今更言って来たんか。アホちゃうか」

 薔子も馬鹿らしいと肩を竦める。

「まあ、一慶さんが言い出した訳でも無さそうなのよね。あの糞爺が跡取りが死んでしまったから、騒ぎだしたんでしょう」

「跡取りが死んだ!」と智章は驚く。

「私と離婚した後、今度は親の気に入る相手と再婚したみたいよ。そこで一男一女に恵まれて、めでたしめでたしだったのだけど……昨年、不運なことに跡取りの男の子が車の事故で亡くなってしまったの。そこでお前を思い出したんでしょうね。興信所かなんかで調べたんでしょうが、本当に一慶さんにそっくりなんだから、自分の孫だと認めたのでしょう」

 自分の知らない間に弟や妹が生まれ、なおかつ弟は会いもしないうちに死んだのかと智章は衝撃を受けた。その瞬間、あの女子高校生が誰なのか、智章は悟った。

「もしかして、俺の妹はミカエル女子高に通っているのか?」

「さぁ、子どもの年なんか知らないけど……まさか、あんたが言っていた女子高生は一慶さんの娘なの?」

 葬儀の時に智章がぐだぐだ言っていたのを思いだして、薔子は驚く。

「見た時に何か親近感を覚えたんだ。それに鞆のミカエル女子高生は全員違ったし……もしかして、俺のことでおばあちゃんに会いに来て、言い争いになったのか?」

 薔子は鞆のミカエル女子高生を全員調べたのかと爆笑する。

「あんたも好きやなぁ!」

「違う! 百合叔母さんはおばあちゃんをもっと面倒みるべきやったと責められている気がすると言うから、あんまり言わなかったけど……おばあちゃんの霊柩車も見送っていたし。絶対に何かあると思ったんだ……でも妹だったのか」

「まだ妹かどうかはわからないわよ。お前の遅い初恋なのかもよ。運命の恋に落ちたとか……」

 揶揄う母に腹を立てて、智章は台所へと逃げ込む。

 座敷では薔子と蓮が、小松原の葬儀について話し合っていた。

「遺体を返してくれるのがいつになるかわからんけど、俺は鞆で葬式をあげてから大阪に連れて帰りたいと考えているんや……大阪には知り合いも多いけど、親戚とかは付き合いもないし、お別れ会ぐらいでええと思っている」

 離婚はしたが、今回の事件の原因の一つぐらいにはなっていると感じている薔子は珍しく大人として相談にのる。

「蓮くんの考えた通りでええと思うわ。小松原さんは死んだ後の事なんか気にしてないと思うし」

 確かにそんな感じの生き方だったと、蓮と薔子は笑う。

「小松原さんに相談なんかしなかったら、まだ生きていたのかもしれないわね。ごめんなさいね」

 頭を下げる薔子に蓮は首を横に振る。

「いや、別にそれが原因なのかもわかっていないし……それに、他の弁護士に相談したりしたら、親父は悔しさのあまり自分のへそ噛んで死んでしまうわ」

「ほんまやなぁ」と薔子は余りの愛情が重荷になって逃げ出した元夫を思い出して笑う。

「うちの親父は薔子さんのことがほんまに好きやったから、鞆で死んだのは後悔してないやろ。まぁ、それと犯人は別問題やけどな。一発殴ってやらな、気がすめへんわ!」

「やめとき! 手が痛いだけやで……それにしてもご飯遅いなぁ。翔平さん、何をしてるんやろ?」

 翔平が台所であれこれ作っていた姿を思い出し、それに自分の父親の姿も重なって、蓮は静かに涙を零した。

 薔子は悲しむ時間を蓮に与えることにして、台所で大ご馳走を作っている翔平を止めに行く。

「何人分の食事をつくるつもりなの? 張り切り過ぎたら駄目よ」

 しかし、この夜の酒井家には千客万来になり、多く作り過ぎたご飯も役に立つのだった。
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