毒炎の侍女、後宮に戻り見えざる敵と戦う ~泣き虫れおなの絶叫昂国日誌・第三部~

西川 旭

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第十五章 躍進

百二十六話 昇龍

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「そろそろ私は後宮に戻るから、みんなへの連絡よろしくね、想雲(そううん)くん」

 束の間の個別学習指導を区切り、中書堂の毒蚕(どくさん)は部屋付き侍女の仕事に立ち返る。

「はいッ。しっかり相談して、早急に有効な手立てを講じたいと思います」

 私から得た情報を椿珠(ちんじゅ)さんや司午家(しごけ)が抱える情報員たちと共有し、怪しい部分を洗い出し、敵の素性を炙り出す。
 軽螢(けいけい)とヤギには、まあ、のんびり遊んで羽を伸ばしてもらうとして。
 私の方でも、今回の作戦監督である姜(きょう)さんに手紙くらい書こうかな。
 
「こんなときに都合良く、間者の乙(おつ)さんがふらりと現れてくれれば楽なのに」
「なんか言ったかい。あんた、独り言が大きいね。あたしの名前を白昼堂々と口にしないでちょうだいよ」

 歩きながら漏らした私に、いつの間にか近くにいた女官らしき人が返事をした。

「うわあびっくりしたー! 乙さん、今日は女官に扮装中ですか。お似合いですね」

 噂をしたら本当に来たよ、この姉ちゃん。
 しかも真面目ぶった顔で、女官の服を見事に着こなしている。
 椿珠さんとは別ジャンルで、変装の達人だな。

「央那(おうな)ちゃんが馬鹿やってないかを窺うついでに、あたしもちょっとお城で調べもの。で、なにか目ぼしいことはわかったのかい?」
「ええっとですね」

 怪しまれない立ち話を装い、私は先ほど想雲くんに話したこととほぼ同じ内容を、乙さんに繰り返して聞かせた。

「正妃さまの体調は、もうずいぶん良くなったって話だよ」

 報告を受けて、乙さんが私の知らない最新情報を提供してくれる。

「ただの風邪だったんですかね」
「さあ? 月のお客さんかもしれないし、なんとも」

 月経生理が来ると言うことは、正妃さまは懐妊なされていないということでもある。
 翠(すい)さまに皇子を産むことの、先を越されるかもというような焦りとかは、ないのだろうか。
 人間、心配やストレスはもろに体調に降りかかるからね。

「あと、乙さんは漣(れん)さまについて、なにか詳しいことを姜(きょう)さんから知らされてたりしますか?」
「なんだい、物識りの央那ちゃんが、自分がお仕えしているご主人さまのことを、あたしなんかに聞くってかい。答えるのも畏れ多いねえ」

 いちいち言葉の中に皮肉や意地悪を挟まないと、死んでしまう病気なのか、乙さんは!?

「お恥ずかしながら。ご教授いただけると幸いです」

 ぐぬぬと歯噛みして、頭を下げる私。

「ま、いいさ。みんなが意識して口をつぐんでいるような話題は、新参ものの央那ちゃんにはわかりにくいだろうし。大まかなことだけは教えてあげるよ」
「ありがとうございます。意識して避けるような良くない話題が、漣さまの周りにはあるってことですか?」

 天衣無縫でこだわりのない漣さま。
 周りが噂話にするのも憚られるような、キナ臭い問題があるようには、私には思えない。

「十年ちょっと前、尾州(びしゅう)で除葛氏(じょかつし)の旧王族一派とそれに従う郎党が、反乱を起こしたのは知ってるよね」

 若き軍師、幾千もの同胞の首を刈りて大いに塚を築く。
 その伝説が生まれた内乱だ。

「はい。同氏同族の姜さんがそれを鎮圧して、朝廷では賛否両論が巻き起こったとか」
「その通り。で、あのモヤシ軍師が処刑した人間の中に、漣美人の許嫁(いいなずけ)とその家族がいたのさ。もっとも、親同士が飲みの席で勝手に言ってただけの、他愛のない関係らしいけどね」
「え」

 漣さまの年齢を考えれば、事件当時はほんの子どもだ。
 さすがの乙さんも同情を禁じ得ないという表情で、続きを話す。

「純粋だった漣美人は、許嫁が死んだのだから、自分も後を追って死のうとした。十(とお)になるかならないかの女の子が、躊躇なく毒の杯を呷ったそうだよ。あの世で結ばれると思ったのかねえ」
「そ、そんな、そんなことって」

 だったら、漣さまにとって。
 姜さんは、婚約者の仇ではないか!
 よく遠縁とは言え、親戚付き合いができるな!?
 私の動揺に優しい眼差しを向けて、乙さんは語る。

「でも死にきれなかった漣美人は、死んで行った反乱者たちの魂を慰撫するために、毎日欠かさず祈るようになった。すると不思議なことに、漣美人の周囲では不慮の事故や争いでの人死にが減ったと言うのだから驚きだね。その霊験が今上の皇帝サマに見初められ、後宮に召された、って話だよ」

 わけが、わからねーよ。
 幼き漣さまから約束の相手を奪ったのが、朝廷から派遣された姜さんなのに。
 そんな漣さまを、朝廷の中の後宮に呼ぶなんて。
 呼ばれて大人しく来てしまう漣さまも、だ。
 私だったら「そんなところに行くわけねーだろ!」と、使者の前で舌を噛んで死んで見せるかもしれない。
 いや、舌を噛んだくらいじゃ、人間中々、死ねないものだけれどね。
 混乱している私の心境を悟ったのか、弁護するように乙さんは言った。

「モヤシの姜は、乱の後も生き残った尾州の氏族の面倒事は、自分が背負わなきゃならないって自覚してるはずさ。だから漣美人が後宮で不自由しないように陰ながら取り計らっているし、そのお陰もあって皇帝のご寵愛が篤いだろ?」
「結果だけ見れば、そうかもしれませんけど」

 漣さまが邪気のない人だから、上手く行ってるだけじゃねーか!
 それこそ私みたいな厄介勢が同じ立場だったら、何度でも後宮を燃やして毒の煙を撒き散らしてやるくらいのことをしかねないぞ!?

「あたしが知っているのはその程度だし、なによりあたしゃ関係者じゃないからね。腹を空かせた犬みたいにここでガルガルされても困るよ」
「ですよね、ごめんなさい」

 ここで私の煩悶を乙さんにぶつけても、意味などないのだ。
 あのモヤシ軍師め、先に教えておけや、まったく。
 しかし、乙さんからこの話を聞いて。

「ますます、漣さまがわからない」

 私は匙を投げるしかなかった。
 どうして、なんで。
 過酷に過ぎる経緯で後宮に来たのに、漣さまはいつも緩やかに楽しげでいられるのだろう。

「ん、でもひょっとすると」

 尾州では再び反乱の芽が育ちつつあり、そのために姜さんは対処に追われて、ひとときも州都を離れることができないと噂にある。
 漣さまが尾州にいないからこそ、不穏な動きが再発したのではないだろうか。

「祈りの力、とんでもねーな。国を動かしてるじゃん」

 理解できない世界を前にして、思考が迷路に陥っていることを私は強く感じるのだった。

「さ、今日も張り切って行こー」

 部屋に戻ると、漣さまがちょうど、お祈りを始める時間だった。
 危ない危ない、遅れるところだったな。

「よろしくお願いします。天神の加護が遍く八州に満ちますように」

 塀(へい)貴妃も先日から引き続き、参加いただいている。
 失礼な話ではあるけれど、普通で分かりやすい塀貴妃の存在は、私の心を安堵させた。

「ぁあー、うー、あうあー、ぇおー」

 沈む日に祈り、呼びかける漣さまの姿に、いつもと変わりはない。
 拝跪が終了した後、部屋にまだ留まった塀貴妃が、漣さまに話す。

「龍神さまの祭祀のことなのですけれど」

 話を向けられた漣さまは、ぼんやり中空を眺めて、なんの気なしに返答した。

「まだ早いやろー」
「いえ、話だけでも詰めておくに越したことはないかと」

 どうやら春になってから、大きな季節の儀式があるらしい。
 龍は淡水の神なので、田植えの前あたりに祈念する行事か。
 田んぼに水を張り、畑に用水を引き、その上で川や水路が氾濫しないように、龍の神に祈るわけだね。
 龍は、治水を司る神なのだ。
 突然、塀貴妃は私に質問を投げた。

「麗。北方、戌族(じゅつぞく)の地は、雪が多かったのでしょうか?」
「え、ええと」

 急な問いだったので、私は頭の整理がついていない。
 冷静になって思い出し、考えを巡らせる。
 確か青牙部(せいがぶ)の領域で、突発的な豪雪が発生したはずだ。
 そのせいで私たちは雪崩に巻き込まれ、白髪部(はくはつぶ)の斗羅畏(とらい)さんが雪に埋まった道の救難に駆けずり回ったのだ。

「東側では例年より雪が多いと、話している人がいました」
「そうですか。なら川が暴れないように、神さまを鎮めてもらうのが良いでしょうね」

 頷きながら塀貴妃が言った。
 北の地方で雪が多く降れば、春の雪解け水が増えることに繋がる。
 それは河川の氾濫を引き起こす原因となる。
 水乞いするよりは、水の流れが収まることを願った方が良い、と言うことだな。
 なるほど、ただ祈ると言っても、状況に合わせることが大事なのね。

「そっかあ、もう龍の神さんを迎える季節かあ」

 ぽやーんとあらぬ方向を見て、漣さまが呟く。
 この人は、将来添い遂げる人を失ってから、毎年毎日、神に祈ってたのだ。
 すべてを超越するという四神の一柱、龍神を招く祭祀の折に、一体なにを想っていたのだろう。

「麗は元々、外(と)つ国から来たそうですね。あなたの故郷でも龍を祀るのですか?」

 塀貴妃が柔らかい世間話のていで、私に聞いた。

「とても偉大な存在というくらいしか、よくわかりません。強くて神聖で、人知の及ばない力を持っている、と伝わってはいます」
「八州とあまり変わりはないのですね」

 そう言えば、と思い出した話を私は塀貴妃に教えた。

「鯉が川や瀧を昇って龍になる、という言い伝えがありました。瀧や大きな河川の近くには、たいてい龍を祀るお社があったと思います」
「鯉って、池や沼にいる、あの鯉が? ふふ、面白い話。ねえ、漣もそう思わない?」

 水を向けられた漣さまは、至極どうでもいいように答える。

「鯉なんか、今まで飽きるほど食べたわ。そないなつまらん魚が龍神さんになるわけないやろ」

 漣さまは窓の外の曇天を見やって。
 いつもと変わらぬ、緩く平坦な口調でこうも言った。

「神さんを食べたから、うちも神さんになれるんやろか。それとも神さんに呪われて、五体が裂けて腐るんやろか」

 私も、塀貴妃も、部屋に控える他の侍女たちも。
 それに答えを返すことは、できなかった。
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