バイト先は後宮、胸に秘める目的は復讐 ~泣き虫れおなの絶叫昂国日誌・第一部~

西川 旭

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第五章 そして繭になる

三十三話 悪意の介在しないすれ違い

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 私のおかしな自己紹介を受けて。
 環(かん)貴人は、無垢な少女のような表情を浮かべ、首をかしげる。

「先ほどお話していた、後宮が燃えるとか、女装した皇子が潜り込んでいる、とか。本当のことなのかしら?」

 あー!
 うーがー!
 独り言を聞かれていただけならともかく、そのキモ恥かしい内容にいちいち反応しないでほしい!
 頭を抱えて中庭をごろごろ転げまわりたい気分だ。 
 もちろん全裸で。

「いえェ、それはわたくしの妄想と言いますかァ、読んだ本の話でしてェ」

 私は裏声を駆使しながら、羞恥の海に溺れて弁解をする。
 ああ、と環貴人は柔らかな微笑みを浮かべて、納得してくれたように頷く。

「巌力(がんりき)から伺っています。とても博識で、勉強家なのだそうですね」
「そそそそれほどでもォ。読書はただの趣味ですゥ」

 滝のような冷や汗を流しながら、私は一刻も早くこの場から逃げ出したい。
 環貴人がおいくつなのかは知らないけど、少女のあどけなさと大人の色香を同居させた、とんでもない美貌の持ち主だ。
 身体の周囲に光の粉が舞っているようなオーラを前にして、私は上手く呼吸ができない。
 間違いなく、私の人生で直接に会った人間の中で、一番、美しい。
 それも石の美術彫刻のような、冷たい美しさではない。
 赤ちゃんの手足を思わせる、柔らかさと温かさをたっぷり含んだ佇まいからは、いわば「生命の色気」というものを感じる。
 雰囲気も、表情も、声色も、立ち居振る舞いなどのしぐさをとって見ても。
 どこにも、一つとして、角(かど)や棘(とげ)がないのだ。
 印象派の画家さんが描く、麗かな陽を浴びた草原や、蓮の葉が浮かぶ池の絵のようですらある。

「麗女史は、足しげく中書堂に通われているとのこと。奴才(ぬさい)もそれに触発され、泰学(たいがく)を改めて読み直しておる次第です」

 巌力さんが要らないフォローを重ねる。
 私は! 
 早くこの会話を終わらせて! 
 翠さまのお部屋に戻りたいのに!
 雑談を広げるな!
 しかし、私の懊悩を知らず、環貴人は実にイイ顔で話を続ける。
 写真に撮って部屋に飾りたい、むしろ写真集を作って売りさばきたいくらいに、香気に満ちた素敵な表情をなさるのだ。

「二人とも立派だわ。いいご本があれば、ぜひ私にも読み聞かせてちょうだいね。なんて、会ったばかりのあなたに言うのは、馴れ馴れしいかしら」 
「すす翠貴妃のお許しさえ頂ければァ、わたくしめはいつでもォ」

 まったく本意ではない発言が、環貴人のオーラのせいで口から勝手に出てしまう。
 この人に関わりたくないと心が思っていても、体が、反応してしまうのだ。
 これは、一種の魔法だ、と思った。
 あまりに度を越した美しさは、それだけで目の前にいる相手を、完全に屈服させてしまう。
 私のように性根からの小市民が相手ならば、なおさら効果は抜群だ!
 しかもその本人は目が見えず、自分の美しさを視覚的、自覚的に把握していないというのが、なお恐ろしかった。
 私の心身の混乱をよそに、山のように泰然とした巌力さんが、冷静に話す。

「環貴人は、司午(しご)貴人が後宮西苑の秩序を守るため大層心を砕かれておられることに、深く感激なさっておいでです。そのために司午貴人との一層のご友誼を結ばんと望んでおられます。どうか、麗女史からもその旨、お伝えいただけるとありがたい」
「もちろんですゥ、ありがたいお話でございますゥ」

 仲良くなられたら、困るんだわ!
 私はこれからも、翠さまのストレスが溜まるごとに、身代わり作戦を実行しなければいけない立場なのだ。
 せっかくバッチリと、翠さまと同じ顔になるようにお化粧して口に綿を詰めても、環貴人が「あら、麗侍女ではありませんか」と悪気なく挨拶した時点で、すべてご破算になるんだわ!
 説明も釈明もしようがないこの事情を、一体どうしたらいいんだ。
 詰んだ、これは詰んだ。
 身代わり、影武者が務まらないとしたら。
 私、クビになるかもなー。
 もともとは私が翠さまの替え玉になりそうだという理由で、玄霧(げんむ)さんが後宮に送り込んだだけの存在だ。
 これ以上会話していると、なんだかいろいろ、環貴人の魅力に引っ張られて、魂まで持って行かれそうになる私だったけど。
 ちょうど都合よく、巌力さんがささやくように。

「秋の日は早く傾きまする」

 と環貴人に言った。
 助かった、心臓が止まりそうな雑談は、ここで終わるのだ。
 別れ際に環貴人は言った。

「私、足が萎えないように何日かに一度、後宮全体をぐるりと散歩しているのです。またいずれ西苑に足を運びますから、そのときは司午(しご)貴妃のお部屋にも、お邪魔させていただきますね」
「そそそうしていただければァ、翠さまも喜びますゥ」

 うう、逃げられない。
 私という個人を環貴人に認識され、ロックオンされてしまった。
 さらに巌力さんが悪気なく、余計なことを言った。

「先日に伺った際は、麗女史も席を外しておられましたな。司午貴人もお加減がよろしくありませんでした。改めてご挨拶する機会を、早く設けたいと思っておりましたので、丁度よい」

 私が翠さまの身代わりしてたときのことだな。
 巌力さんはその居住まいの通り、実直で義理堅い、信頼できる人なんだろうけどなー。
 今はその美点が、私や翠さまにとって、不都合なんだわ。
 悪気のない、邪気も裏表もないあなたたちだからこそ、私と翠さまの小賢しい身代わり作戦においては、障壁にしかならないのだ。

「仲良くしたくないわけじゃ、ないんだけどなあ」

 二人が去る姿を見送り、私は溜息と共に哀しい感想を口にする。
 うう、立場が、状況さえ違えばと、煩悶することしきりだ。
 環貴人も巌力さんも、お友達になるには、きっと最高の相手に違いない。
 あんなに邪気のない人たちは、世の中を見渡してもそうそういないことだろう。
 誰も悪くないのに、その誰かを遠ざけなければならない。
 悲痛な現状に、私は歯噛みするしかないのだった。
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