翠の蝶と毒の蚕、万里の風に乗る ~泣き虫れおなの絶叫昂国日誌・第四部~

西川 旭

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第十九章 翠の翅を得た毒蚕

百六十六話 すっかり見知った異邦人

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 愛する祖父、阿突羅(あつら)さんが、不慮の事故で亡くなってしまった。
 斗羅畏(とらい)さんに感情移入しすぎてしまう自分の心を、私は意図的に冷たく保つ。
 我がことに置き換えて考えちゃうと、どうしても泣きべそに濡れまくって、前に進めなくなってしまうから。
 秩父のおじいちゃん、いつまでも元気でいてね、マジで。
 なんとか動じないように努めながら、東へ、東へと向かう私たちだけれど。

「チイィィッ! 邪魔だあぁッ!!」

 怒号と共に翔霏(しょうひ)が伸縮棍を振るい、名も知らぬ敵を一撃のもとに屠る。

「おぐぅっヴぇ!」

 どこの誰がけしかけたのかわからない殺し屋が、馬から身を落として地面に転がる。
 打ち所がよほど悪くなければ、死にはしないでしょう。
 翔霏がこの程度の雑魚にやられるわけはないと信じているけれど。

「あいつら、俺たちの邪魔をしたいだけだぞ。いちいち相手にしない方がいいんじゃないか?」

 駆る馬を横に着けて、椿珠(ちんじゅ)さんが言った。
 そう、まるで私たちの進みを滞らせるためだけに、後先考えぬ捨て身の突貫を追跡者たちは仕掛けて来ているのだ。
 ご丁寧に来るやつ来るやつ、みんな悪いクスリが決まっていて話なんて通じないし、命も惜しくないらしい。
 苦々しい顔で翔霏が反論する。

「馬と騎乗術だけなら相手側の方が上だ。一旦は逃げたつもりでも追い付かれるだろう。そうなってから囲まれてしまっては面倒臭い」
「どうしても一人一人、片付けて進むしかねえのか……」

 うんざりしながらも椿珠さんは納得した。
 私たちの中に飛び道具の使い手はいないので、敵の接近を感知した瞬間に遠い間合いから一発で仕留めるというのは無理である。
 さすがの翔霏も馬を操りながら必中の投擲を行うことは難しいようだし、なにより確実に相手を仕留めるなら接近戦に持ち込むしかない。
 翔霏が石や刃物を投げるのは、あくまでも威嚇や牽制だったり目くらましでしかないのだ。
 私も余裕を見つけて、弓矢とか投石スリングでも練習しようかなあ。

「俺とヤギ公が囮になろっか?」

 珍しく勇ましいことを言った軽螢(けいけい)だけれど。

「馬鹿を言え。ヤギに乗った小僧が囮になったところで、誰がわざわざそっちを狙ってくれるんだ。お前たちが気ままに楽しく散歩してる間、私たちばかり追われるに決まってる」

 実も蓋もない翔霏の評価に一蹴された。

「メェァ~……」
「涙拭けよ、相棒……」

 デコイとしてすら役に立たない事実を突きつけられて、軽螢もヤギも、凄く哀しそうだった。
 だ、大丈夫、きみたちにだって輝ける瞬間は、きっとあるはずだよ!
 若者の可能性の芽を、大人の現実主義で摘み取ってはいけないのです。

「ところでこれから会う斗羅畏だが」

 なにか心配があるのか、椿珠さんが重々しく言う。

「心の支えにしていた相手がいなくなるってのは、そりゃあキツイもんだ。どん底まで塞ぎ込むか、破れかぶれに暴れるか、その両極端に走る可能性が高いぞ。お前さんたちはどっちの斗羅畏も相手にできる算段があるのか?」

 大切な人を喪う衝撃と悲しみ。
 私たちも十分に身に覚えのある話だ。
 翔霏はしたり顔でそれに答える。

「暴れてくれるなら、叩きのめして大人しくさせればいいだけだから簡単だ。その逆が厄介だな」
「そうだねえ。旧青牙部(きゅうせいがぶ)の土地もまだ斗羅畏さんの体制になってから日が浅くて落ち着いてないし、斗羅畏さんが意気消沈して凹みっぱなしだと、よその悪いやつらに付け込まれちゃう」

 ただでさえ斗羅畏さんの領内は、さらに北の奥地に跋扈する黒腹部(こくふくぶ)という連中に、恒常的にちょっかいをかけられている。
 阿突羅(あつら)さんの死に際して斗羅畏さんはそれなりの期間を喪に服して過ごすと思うけれど、そこで消極的になりすぎると、周辺地域のパワーバランスが大きく変動する要因になりかねない。
 斗羅畏さんたちは勢力として、弱小と言って良い規模だ。
 けれど気の強い首領が踏ん張ってくれているおかげで、東北域での存在感を保っている。
 覇聖鳳(はせお)の代から続くその気迫が、意地の踏ん張りがもしもなくなってしまったら。

「強きを弱めるは易(やす)し、しかし弱きを強めるは難(かた)し、か……」

 泰学(たいがく)の一節を、翔霏が呟く。
 強い人をボコして物理的に弱めるのは簡単だけれど、弱い人を強くすることは長い時間と地道な蓄積が必要だという訓戒である。
 偉大な祖父を失って、斗羅畏さんが弱ってしまうことが、私たちにとって最大の懸念だった。
 しかし。

「……また貴様らか。今度はなんの用だ? 国境市場の話なら角州公(かくしゅうこう)から詳しく聞いている。貴様らが口を挟む余地はない。頼むから余計な騒ぎを起こす前に帰ってくれないか」

 境界の邑。
 到着した私たちは、偶然にも所用でここを訪れていた斗羅畏さんにいきなり会うことができた。
 しかも、まだ阿突羅さんが亡くなったニュースを知らない状態で、だ。
 連絡はこの邑まで届いていないらしい。
 なんか、ずいぶんな挨拶でものすごく嫌がられてますけれど、麗央那は強い子なので、泣かない。

「どうすんだこれ。話した方がいいんかな」

 小声で軽螢が私に耳打ちした。
 難問!
 これは有名私立高校受験でも滅多にお目にかかることがない、非常に難しい問題です!
 どうせ知られてしまうことなら、早いうちに私たちが言ってしまった方がいいようにも思うけれど。
 私たちの口から知らされる、ということ自体に、斗羅畏さんが感情を乱される可能性も高いのよね~。
 斗羅畏さんの感情に寄り添って、こんな辛い事実を伝えるという手段や機微。
 それを私たちは持ち合わせていないことに、今さら気付いてしまうのだった。

「私が言おうか?」

 無言のサインで翔霏が私に示したけれど、ひとまず制止した。
 私たちが来たと言うことは、なにかしらの厄介ごとを持ちこんだのだと、斗羅畏さんも勘付いているはず。
 こんなときに限って、癒し系で話の分かるあの老将さんはいないのだな。
 私は意を決して、斗羅畏さんの前で腰をかがめ、手を合わせ立拝する。

「な、なんだ……?」

 礼を持って正式に他者へ応対する振る舞いである。
 その改まった態度に斗羅畏さんが若干の怪訝な顔を見せ、緊張したのが空気からも伝わった。
 礼というのはバカにできたものではなく、それ自体が力を持つのである。
 これでも後宮でバイトしておりましたので、多少の礼儀作法は身に付いておりますのよ。
 私は努めて感情を殺し、平淡な声で言った。
 
「先代に白髪部の大統を務められておりました勇者、阿突羅さまは、先ごろ不慮の事故で身罷られました。お孫の斗羅畏さまには、謹んでお悔やみを申し上げます」
「お、親爺(おやじ)が……なんだって? お、おい、貴様ら、阿呆なことを抜かすとただでは……」

 私たちが誰も笑っていないので、冗談ではないと斗羅畏さんもすぐに気付いた。
 そして、震わせた手で私の肩を揺すり。

「そ、そんなことが有り得るものか。この天の下、二足で歩く生を受けたものの中でなによりも誰よりも強い、あの親爺が、親爺が」
「あがががが、どだいざんおぢづいで」

 ガクガクと私の身体をシェイクする斗羅畏さんを、翔霏の手が止めた。

「病ではなく、酔って馬から落ちたそうだ。おそらくは苦しまなかったのだろう。親爺どのは病に負けたわけでも、人に負けたわけでもない。最強のまま命を完結したことを、誇りに思ってやれはしないか」

 きっと翔霏なりに慰めているのだろう。
 私たちが話しているまさにその最中、白髪部の伝令らしき武人さんが一騎、境界の邑に駆けて来た。
 タッチの差だったな、邪魔者が多少はいたけれど急いだ甲斐があったよ。

「通してくれ! 御曹司に大事な話があるのだ! 親爺さまのことでどうしても伝えなければならないことが!」
 
 警備兵と押し問答している伝令さんの、真剣な顔色を見て、切なすぎる声色を聞いて。

「お、親爺……」

 斗羅畏さんは真実を理解し、つうっと一筋の涙を流した。

「親爺いぃぃぃぃぃ~~~~~~~~~~~~~~~~~ッッ!!」

 狼の孫が遠く彼方に慟哭し、悲痛な声が山林にこだました。
 そのとき、急に強い雨が降り始めた。
 鉛色の空までが、英雄の死に泣いているようだった。

「言うまでもないが、葬儀に行けば命の保証はないぞ」

 伝令さんから詳しい話を聞いて、憔悴している斗羅畏さん。
 路傍の岩に腰かけてうなだれている彼に、翔霏が淡々と言った。

「だからなんだ。ひとさまの家のことによそものの小娘が口を出すな」

 弱弱しくも、言い返すだけの元気が斗羅畏さんにはあるようだ。
 椿珠(ちんじゅ)さんが腰に提げていたお酒のひょうたんを勧めながら、翔霏の言葉を繋ぐ。

「頭領どのには不本意だろうが、事態は阿突羅一族の範囲を超えたところで推移しちまってる。頭領どのが倒れれば角州公も、いやそのさらに前から誼(よしみ)を通じようとした皇太后陛下だって悲しむことになるだろう。まだまだ自分たちの立場が定まらず、不安に思っている領内の女やガキも多いはずだ。今はどうか冷静になってくれないか」

 さすが椿珠さん、斗羅畏さんを説得するのに「個人的な情義」を採用したのだな。
 情の篤い斗羅畏さんには、哀しむ誰かの顔を想像させることが有効な手だと判断したわけだ。
 への字口で椿珠さんからお酒を受け取った斗羅畏さんは、それをぐびりと一口、二口と飲んでカラカラになった喉を潤し。

「貴様ら、どうも俺を考えナシの阿呆だと思っているらしいな」

 皮肉たっぷりの目つきで、そう言った。

「い、いえ、そんなことは決して」

 慌てて否定する私。
 ちょっと、いえかなり直情径行の殿方とは思っておりますけれど。
 私はそんなあなたを素敵だと思っておりますよ?
 オロオロして目を泳がせる私に、斗羅畏さんはため息交じりで説明した。

「親爺の葬儀には行く。しかしなにもそれは、近親の情だけの話ではない。育ての親の葬列に参加しないような俺を、領民はどう信用すればいい? 親を見捨てる男は、子も見捨てるとしか思われんだろう。俺はそういう考えではないと、広く知らしめる必要がある」

 斗羅畏さんの言うことも一理あると、翔霏が感心する。

「……なるほど、お前なりに考えているんだな」

 そうだった。
 義に篤い斗羅畏さんだからこそ、覇聖鳳は後事を託したのだし、引き継がれた部下や民たちも彼を信用して期待しているのだ。
 斗羅畏さんにその美点がなくなってしまったら、信義と情愛を領民に示せなくなってしまったら、斗羅畏さんは頭領である資格を失ってしまう。

「のこのこと顔を出せば命が危ないだと? その程度で潰える命なら、俺の天運もそこまでだ。義に殉じて親爺は送る。その上で五体満足で帰って来る。両方できてはじめて俺は、東北の真の頭領たりえるのだ」

 斗羅畏さんは、領土のこと、民のことを真剣に考えていた。
 その上で、果ての地の王者たらんとする自分を信じているんだな。

「怯えて閉じこもってる場合か。俺は今こそ、天に自分の命運を問わねばならん」

 考え抜いた上で、ここは堂々と葬儀の場に赴くしかないと判断しているのだ。
 ならば部外者の私たちに、これ以上言えることはない。

「俺、孫ちゃんのそう言うところ、好きだぜ」
「メェ、メエ」

 軽螢に告白されても、斗羅畏さんはフンとそっぽを向いてお酒の残りを飲み干した。

「美味いな、この酒」
「後で大量に取り寄せて、こっちに贈らせてもらうよ。環家(かんけ)の三弟(さんてい)を覚えておいてくれ」

 カラのひょうたんを斗羅畏さんから受け取り、ちゃっかり自分を売り込む椿珠さんであった。
 前に会ったときはお腹を怪我してたから、ゆっくり商売の話もできなかったもんね。

「なら私は、慣れない考え事をしながら走るお前が転ばないように、せいぜい後ろから見守ってやるとするか」
「抜かせ。ノロマなら置いて行くだけだ」

 翔霏と斗羅畏さんが憎まれ口を叩き合う。
 こうして私たちは、斗羅畏さんを全力で護衛しつつ、阿突羅さんの葬儀が行われる白髪部の大都へ行くことになったのであった。
 もともと私たちは翠(すい)さまの命で、白髪部、特に突骨無(とごん)さんに司午家(しごけ)として深く友誼を結びたいと遣いに出された立場だ。
 上手くことを運べば、問題点のうちいくつかが、同時に改善されるかもしれない!

「満月はもう終わったか……」

 分厚い雲の向こう側を見て斗羅畏さんが呟いた。
 どういう意味があるのかを、私は知らない。
 翠さまが目覚めてから、もう半月が過ぎたのか。
 暑くも涼しくもない重い雨が、春の終わりを告げていた。
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