17 / 32
第十九章 翠の翅を得た毒蚕
百六十七話 降雨と龍鳳
しおりを挟む
雨はまだ、降り続いている。
「まだ山に入れば雪は残っている。殯(もがり)はそれなりに期間を取るだろう」
白髪部(はくはつぶ)の大都への出発準備の中で、斗羅畏(とらい)さんが言った。
もがりと言うのは正式なお葬式をして遺体や遺骨をお墓に入れる前の、猶予期間、遺体安置期間を指す。
死体の腐敗を遅らせるために、残雪や氷などをお棺の底や周囲に敷き詰めるんだな。
その間に外からの来賓が、故人と最後のお別れをするわけだ。
私の常識だとお通夜的な前葬から本葬儀とその後の埋葬まで、長くてもせいぜい数日の間で一通り終わる。
後宮で人が亡くなったときも、そうしていたからね。
「戌(じゅつ)の地は昂国(こうこく)より冷涼だから、もがりの期間を長く取る習慣が残ってるんだ。人によっては墓にも埋葬せず、野の獣たちに遺体を晒す送り方もある」
椿珠(ちんじゅ)さんが教えてくれた。
なるほど、土地が違えば気候条件が違い、気候が違えば習慣や生活様式も異なるのだなあ。
風葬や鳥葬がまだ残っているとは驚きだ。
そして、今回亡くなられた阿突羅(あつら)さんはユルく沸教(ふっきょう)を信仰していた。
「葬儀も沸の坊主を呼ぶし、遺体は火葬されるだろう」
と椿珠さんの言うところだけれど。
「ってそれ、お葬式を仕切るの、あの星荷(せいか)さんになっちゃうじゃん」
うげっと言いたい気分で生臭坊主のことを思い出す。
椿珠さんもその名前を知っていたのか、補足説明をくれた。
「だろうな。なにせ今の大統、喪主である突骨無(とごん)の母方の伯父だ。阿突羅にとっては義兄に当たる。葬儀の監督までするかどうかは知らんが、重要な来賓として必ず出席するだろう」
「赤目部(せきもくぶ)出身の、あの怪しい僧侶か……」
私たちの話を聞き、翔霏(しょうひ)が難しい顔を示す。
あの人結局、敵か味方かわからないんだよねえ。
覇聖鳳(はせお)を倒すために北方を旅する、そのことには手を貸してくれた形になるけれど、決して積極的ではなかったし。
今、白髪部と赤目部がおそらく共同で各地にヤク中ガンギマリの刺客を放っている状況に、星荷さんが果たしてどれだけ関わっているのかも謎だ。
誰が味方で誰が敵なんて、そうそう簡単に割り切れることじゃないのはわかるけれどね。
私たちの悩みを愚かなこととでも言いたい顔で、斗羅畏さんがすっぱりと断言した。
「赤目の大伯父貴は、状況がどう転んでも突骨無(とごん)の肩を持つだろう。それだけ考えれば別にややこしいことはあるまい」
難しい問題を考えているときこそ、自分の思考はシンプルに、頭脳と視界はクリアに。
この場合「赤目部シンパの白髪部、そして白髪部シンパの赤目部たちは、突骨無さんを中心とした一つのユニットとして考えていい」ということだ。
その外側、グラデーションのようにぼんやりとした未分の境界がありつつ、突骨無さんの思うようになかなか動かない各派閥が存在する。
各地を飛んでいる暗殺者たちの仕掛け人は、諸派閥中の超過激派かもしれないな。
「葬式、阿突羅さまがお墓に入るまで見て行くんか?」
今回の移動で最も大事なこと、斗羅畏さんの滞在期間を軽螢(けいけい)が質問した。
長く白髪部の領域に居座るほど、私たちが攻撃を受ける可能性が高くなる。
まったく不本意と言うように渋面を作って、斗羅畏さんはそれに答えた。
「本葬がいつ終わるか今の段階ではわからん。俺もまだまだこっちですることが山積みだからな、それほど長居はせんつもりだ」
「でもそれだと遺産の話とか、詳しくできないじゃん。戌族(じゅつぞく)は長子だけが貰うんじゃなくて、みんなで分けるんだろ?」
あ、直系の孫である斗羅畏さんは、遺産相続の権利があるのか。
はぐれものの私には全く縁のない話だから、意識の中になかったよ。
くだらない、と頭(かぶり)を振って斗羅畏さんは言い捨てた。
「どうせ親爺の財産は突骨無に封印されているだろう。あいつの口八丁に付き合って悠長に形見分けの話なんてしていては、こっちがジジイになって死んでしまう。俺は親爺の身の周りの品をいくつか貰って帰るつもりだ」
「ぶはは、ひでえ言われようだな」
「メェッ」
軽螢とヤギは愉快に笑っているけれど、私は斗羅畏さんの瞳の奥に憎しみとも嫌悪とも形容しがたい、鈍い色の光が宿っているように思った。
口の上手い突骨無さんに煮え湯を飲まされた思い出が、一度や二度ではないのだろうな。
ならば会話にそもそも応じないというのは、お喋りクソ野郎に対応するときの最も効果的な戦術である。
「……ところでそのヤギ、言葉がわかるのか?」
斗羅畏さんが、触れてはいけない問題に手を伸ばしてしまった。
「ンなわけねえじゃん。ヤギだぜ?」
「畜生が人語を解するなど、バカなことを。いざと言うときの非常食で連れているだけだ」
「メメェッ!?」
軽螢と翔霏が無情に答え、ヤギが悲痛な声で啼いた。
出発してからも、斗羅畏さんはちらちらとヤギを見て、不思議そうに首を傾げるのだった。
「ところで頭領どの」
「斗羅畏でいい。なんだ」
椿珠さんが話を持ちかけて、タメ口で構わないと応じる斗羅畏さん。
「なら遠慮なく具申しよう。この先、途中で経過する邑を訪れるたび、俺と軽螢が先に邑の様子を調べて、安全を確保できたら斗羅畏たちにも入って欲しいんだが、どうだい?」
「手間のかかるやり方だな」
斗羅畏さんは賛成も反対も半々、と言った顔で少し考える。
殯(もがり)の期間がある程度は長いと予想されるので、極端に急ぐ旅ではない。
けれど斗羅畏さんも用事の多い身だ。
サッと行ってサッと帰って来られるならそれがベストであり、余計な足踏みは受け入れがたいだろう。
ここでチンケな本読みである、私の助言が光る!
「昔、大きな戦争で二人の将軍が、どちらが早く目的の都(みやこ)を落とせるかという競争をしまして」
「どうせ遠回りをした方が勝ったんだろう。急ぐならことさら準備しろ、とでも言いたげだが、それくらい俺にもわかっている。バカにしているのか」
秒で結末を先回りされ、歴史物語を開陳する機会は、哀れにも失われた。
うう、泣かないもんね。
消沈している私に構わず、椿珠さんが朗々と述べる。
「これは俺たちの世話人である角州(かくしゅう)の、司午(しご)翠蝶(すいちょう)貴妃殿下からのお達しなんだがな。俺たちはきな臭いことに対する準備と情報収集のために、白髪部の邑々を丁寧に挨拶して回れと言われてるんだ」
「ふん、東へ西へと風見鶏よろしく忙しいことだ」
「つっけんどんにならんでくれよ。これは突骨無(とごん)のやり方に疑問を持っていて、むしろ斗羅畏に同情的な勢力、地域を探る絶好の機会だと思わないか? そもそもの話だが、白髪の次の大統はお前さんが就くはずだったんだろう? なし崩し的な突骨無のやり口に不満のある旧臣たちは多いはずだぜ」
「ふむ……」
誰が協力的か、敵対的かと言う情報は、人をまとめる立場ならどうしたって、喉から手が出るほど欲しい。
しかし斗羅畏さんは自領の経済で忙しいことと、おそらくは純粋に予算が少ないことが重なり、情報戦略にまで多くのリソースを注ぐことができないでいるはずだ。
それを。
他人の金で!
他家の使用人が、全部セットでやってくれるとしたら!?
これがやさぐれ商人、環(かん)椿珠(ちんじゅ)の奥義「俺も良し、スポンサーも良し、顧客も良し」の、三方ウィンウィンウィンの術!
私が今、勝手に名付けました。
「幸いにも俺たちは、貴妃から結構な金をこの道中で使っていいと言われている。もちろん亡くなった阿突羅大人のご遺族たちにもしっかりご機嫌伺いをすることになるな。そのとき俺たちの近くに斗羅畏、あんたがいれば」
「わかった。みなまで言うな。白々しい話だが、お前の案に乗らん理由もない。その方向で話を進めてくれ」
「承知した。挨拶回りなら得意分野だ。安心して後ろから来てくれ」
こうして椿珠さんと軽螢は、斗羅畏さんの側近武士を何名か連れて、先回りの露払いに動いた。
「孫ちゃんの印象をバッチリ良くして待ってっから、期待しろよ!」
「メェ~」
根拠のない自信を高らかに告げる軽螢。
「印象もなにも、元は俺の住んでいた土地なのだが。わかっているのかあの小僧」
「細かいことを気にするな。禿げるぞ」
「俺は禿げない。絶対にだ」
翔霏の軽口をかなり食い気味に否定した斗羅畏さんだった。
男性にとっては重要な問題なのですね。
「ところで斗羅畏さん、本当に『都をどっちが先に落とせるかの競争をした二人の将軍』の話は、興味ありませんか? 二人の生きざまの物語、私、大好きなんですけど」
「どうしても話したいなら勝手に話せ……片方の耳で聞いていてやる」
道すがら、雑談をする余裕も生まれた。
私は歴史物語の中でも特に愛好している話を翔霏と斗羅畏さん、そして同行している斗羅畏さんのお仲間さんに聞いてもらった。
「まず最初に、その土地は沢山の王国に分裂していたんですけれど、それを一つにまとめ上げた偉大な帝王がいまして」
「肝心の二人とその帝王に関係があるのか? どうでもいい前置きは飛ばせ」
せっかちな視聴者、斗羅畏さんであった。
映画を倍速で観るタイプか?
「順を追って話しますから、ちょっと黙って聞いててくださいよ。これでもその前の時代に起きた二十万人戦死に加えて二十万人を生き埋めとかは省略するんで」
「なんだそれは、二十万とさらに二十万? 生き埋め? どこの地獄の話だ? 適当なホラを吹くと許さんぞ」
「まあそういう戦いがざーっとあったりしましてえ。その各地をバチボコにした帝王が、やっと統治した領域を巡幸したときにですね、出会うわけですよ、問題の二人に」
「待て、その都合四十万人以上死んでいる滅茶苦茶な話の方をまず片付けろ。気になって続きが頭に入って来ん」
そうして私は数人の武人に囲まれて、言葉で物語を紡ぐ。
強大な帝国の中に綺羅星のごとく生まれ、その後の歴史を変えた反乱者たちの壮大な生きざま、そして死にざまを語るのだった。
「よんじゅうまん、というのはどれくらい多いんだ?」
大きい数が苦手な翔霏は、その無惨な死体の山を想像できないらしい。
「河旭(かきょく)の街の人が全員、死んじゃうくらいかなあ。昔の話だから正確な数字は怪しいんだけど。あとで登場する帝王ってのはその四十万人が殺された国に人質として暮らしていたこともあって、その出生の血筋も実は怪しくて」
オタクなのでところどころ、ちょっと早口になり過ぎちゃったかも。
ちなみに魔人呼ばわりされている姜(きょう)さんでも、処刑した人数は一万人に届かない。
「この邑は大丈夫みたいだぞー」
おしゃべりしながら進む中。
仕事をちゃんと果たしてくれていた軽螢が、先導していた道から引き返して私たちに知らせる。
「孫ちゃんが来るって知らせたら、ぜひ寄って行ってくれってデカい家の主人が言ってたよ。メシをご馳走になろうぜ」
「わかった。助かる」
軽螢の報告を受け、安心して邑に入る私たち。
「ところで帝国の都を反乱軍の将たちが落とす話は、まだ始まらんのか」
「そこはもう少し、二人の青春時代の逸話とか、苦い敗戦の顛末を重ねないと盛り上がりに欠けますので」
すっかり斗羅畏さんは、項羽と劉邦のエピソードに夢中になってしまっていた。
沼に同志を引きずり込むの、楽しいでござる、コポォ。
おじいさまを亡くしてしまった悲しみが、こんな雑談でも少しは癒えればいい。
長雨はいつしか止んでいる。
雲の隙間から地上に散乱する光の筋は、まるで龍や鳳凰といった、天空を飛び回る神々の競演のようであった。
「まだ山に入れば雪は残っている。殯(もがり)はそれなりに期間を取るだろう」
白髪部(はくはつぶ)の大都への出発準備の中で、斗羅畏(とらい)さんが言った。
もがりと言うのは正式なお葬式をして遺体や遺骨をお墓に入れる前の、猶予期間、遺体安置期間を指す。
死体の腐敗を遅らせるために、残雪や氷などをお棺の底や周囲に敷き詰めるんだな。
その間に外からの来賓が、故人と最後のお別れをするわけだ。
私の常識だとお通夜的な前葬から本葬儀とその後の埋葬まで、長くてもせいぜい数日の間で一通り終わる。
後宮で人が亡くなったときも、そうしていたからね。
「戌(じゅつ)の地は昂国(こうこく)より冷涼だから、もがりの期間を長く取る習慣が残ってるんだ。人によっては墓にも埋葬せず、野の獣たちに遺体を晒す送り方もある」
椿珠(ちんじゅ)さんが教えてくれた。
なるほど、土地が違えば気候条件が違い、気候が違えば習慣や生活様式も異なるのだなあ。
風葬や鳥葬がまだ残っているとは驚きだ。
そして、今回亡くなられた阿突羅(あつら)さんはユルく沸教(ふっきょう)を信仰していた。
「葬儀も沸の坊主を呼ぶし、遺体は火葬されるだろう」
と椿珠さんの言うところだけれど。
「ってそれ、お葬式を仕切るの、あの星荷(せいか)さんになっちゃうじゃん」
うげっと言いたい気分で生臭坊主のことを思い出す。
椿珠さんもその名前を知っていたのか、補足説明をくれた。
「だろうな。なにせ今の大統、喪主である突骨無(とごん)の母方の伯父だ。阿突羅にとっては義兄に当たる。葬儀の監督までするかどうかは知らんが、重要な来賓として必ず出席するだろう」
「赤目部(せきもくぶ)出身の、あの怪しい僧侶か……」
私たちの話を聞き、翔霏(しょうひ)が難しい顔を示す。
あの人結局、敵か味方かわからないんだよねえ。
覇聖鳳(はせお)を倒すために北方を旅する、そのことには手を貸してくれた形になるけれど、決して積極的ではなかったし。
今、白髪部と赤目部がおそらく共同で各地にヤク中ガンギマリの刺客を放っている状況に、星荷さんが果たしてどれだけ関わっているのかも謎だ。
誰が味方で誰が敵なんて、そうそう簡単に割り切れることじゃないのはわかるけれどね。
私たちの悩みを愚かなこととでも言いたい顔で、斗羅畏さんがすっぱりと断言した。
「赤目の大伯父貴は、状況がどう転んでも突骨無(とごん)の肩を持つだろう。それだけ考えれば別にややこしいことはあるまい」
難しい問題を考えているときこそ、自分の思考はシンプルに、頭脳と視界はクリアに。
この場合「赤目部シンパの白髪部、そして白髪部シンパの赤目部たちは、突骨無さんを中心とした一つのユニットとして考えていい」ということだ。
その外側、グラデーションのようにぼんやりとした未分の境界がありつつ、突骨無さんの思うようになかなか動かない各派閥が存在する。
各地を飛んでいる暗殺者たちの仕掛け人は、諸派閥中の超過激派かもしれないな。
「葬式、阿突羅さまがお墓に入るまで見て行くんか?」
今回の移動で最も大事なこと、斗羅畏さんの滞在期間を軽螢(けいけい)が質問した。
長く白髪部の領域に居座るほど、私たちが攻撃を受ける可能性が高くなる。
まったく不本意と言うように渋面を作って、斗羅畏さんはそれに答えた。
「本葬がいつ終わるか今の段階ではわからん。俺もまだまだこっちですることが山積みだからな、それほど長居はせんつもりだ」
「でもそれだと遺産の話とか、詳しくできないじゃん。戌族(じゅつぞく)は長子だけが貰うんじゃなくて、みんなで分けるんだろ?」
あ、直系の孫である斗羅畏さんは、遺産相続の権利があるのか。
はぐれものの私には全く縁のない話だから、意識の中になかったよ。
くだらない、と頭(かぶり)を振って斗羅畏さんは言い捨てた。
「どうせ親爺の財産は突骨無に封印されているだろう。あいつの口八丁に付き合って悠長に形見分けの話なんてしていては、こっちがジジイになって死んでしまう。俺は親爺の身の周りの品をいくつか貰って帰るつもりだ」
「ぶはは、ひでえ言われようだな」
「メェッ」
軽螢とヤギは愉快に笑っているけれど、私は斗羅畏さんの瞳の奥に憎しみとも嫌悪とも形容しがたい、鈍い色の光が宿っているように思った。
口の上手い突骨無さんに煮え湯を飲まされた思い出が、一度や二度ではないのだろうな。
ならば会話にそもそも応じないというのは、お喋りクソ野郎に対応するときの最も効果的な戦術である。
「……ところでそのヤギ、言葉がわかるのか?」
斗羅畏さんが、触れてはいけない問題に手を伸ばしてしまった。
「ンなわけねえじゃん。ヤギだぜ?」
「畜生が人語を解するなど、バカなことを。いざと言うときの非常食で連れているだけだ」
「メメェッ!?」
軽螢と翔霏が無情に答え、ヤギが悲痛な声で啼いた。
出発してからも、斗羅畏さんはちらちらとヤギを見て、不思議そうに首を傾げるのだった。
「ところで頭領どの」
「斗羅畏でいい。なんだ」
椿珠さんが話を持ちかけて、タメ口で構わないと応じる斗羅畏さん。
「なら遠慮なく具申しよう。この先、途中で経過する邑を訪れるたび、俺と軽螢が先に邑の様子を調べて、安全を確保できたら斗羅畏たちにも入って欲しいんだが、どうだい?」
「手間のかかるやり方だな」
斗羅畏さんは賛成も反対も半々、と言った顔で少し考える。
殯(もがり)の期間がある程度は長いと予想されるので、極端に急ぐ旅ではない。
けれど斗羅畏さんも用事の多い身だ。
サッと行ってサッと帰って来られるならそれがベストであり、余計な足踏みは受け入れがたいだろう。
ここでチンケな本読みである、私の助言が光る!
「昔、大きな戦争で二人の将軍が、どちらが早く目的の都(みやこ)を落とせるかという競争をしまして」
「どうせ遠回りをした方が勝ったんだろう。急ぐならことさら準備しろ、とでも言いたげだが、それくらい俺にもわかっている。バカにしているのか」
秒で結末を先回りされ、歴史物語を開陳する機会は、哀れにも失われた。
うう、泣かないもんね。
消沈している私に構わず、椿珠さんが朗々と述べる。
「これは俺たちの世話人である角州(かくしゅう)の、司午(しご)翠蝶(すいちょう)貴妃殿下からのお達しなんだがな。俺たちはきな臭いことに対する準備と情報収集のために、白髪部の邑々を丁寧に挨拶して回れと言われてるんだ」
「ふん、東へ西へと風見鶏よろしく忙しいことだ」
「つっけんどんにならんでくれよ。これは突骨無(とごん)のやり方に疑問を持っていて、むしろ斗羅畏に同情的な勢力、地域を探る絶好の機会だと思わないか? そもそもの話だが、白髪の次の大統はお前さんが就くはずだったんだろう? なし崩し的な突骨無のやり口に不満のある旧臣たちは多いはずだぜ」
「ふむ……」
誰が協力的か、敵対的かと言う情報は、人をまとめる立場ならどうしたって、喉から手が出るほど欲しい。
しかし斗羅畏さんは自領の経済で忙しいことと、おそらくは純粋に予算が少ないことが重なり、情報戦略にまで多くのリソースを注ぐことができないでいるはずだ。
それを。
他人の金で!
他家の使用人が、全部セットでやってくれるとしたら!?
これがやさぐれ商人、環(かん)椿珠(ちんじゅ)の奥義「俺も良し、スポンサーも良し、顧客も良し」の、三方ウィンウィンウィンの術!
私が今、勝手に名付けました。
「幸いにも俺たちは、貴妃から結構な金をこの道中で使っていいと言われている。もちろん亡くなった阿突羅大人のご遺族たちにもしっかりご機嫌伺いをすることになるな。そのとき俺たちの近くに斗羅畏、あんたがいれば」
「わかった。みなまで言うな。白々しい話だが、お前の案に乗らん理由もない。その方向で話を進めてくれ」
「承知した。挨拶回りなら得意分野だ。安心して後ろから来てくれ」
こうして椿珠さんと軽螢は、斗羅畏さんの側近武士を何名か連れて、先回りの露払いに動いた。
「孫ちゃんの印象をバッチリ良くして待ってっから、期待しろよ!」
「メェ~」
根拠のない自信を高らかに告げる軽螢。
「印象もなにも、元は俺の住んでいた土地なのだが。わかっているのかあの小僧」
「細かいことを気にするな。禿げるぞ」
「俺は禿げない。絶対にだ」
翔霏の軽口をかなり食い気味に否定した斗羅畏さんだった。
男性にとっては重要な問題なのですね。
「ところで斗羅畏さん、本当に『都をどっちが先に落とせるかの競争をした二人の将軍』の話は、興味ありませんか? 二人の生きざまの物語、私、大好きなんですけど」
「どうしても話したいなら勝手に話せ……片方の耳で聞いていてやる」
道すがら、雑談をする余裕も生まれた。
私は歴史物語の中でも特に愛好している話を翔霏と斗羅畏さん、そして同行している斗羅畏さんのお仲間さんに聞いてもらった。
「まず最初に、その土地は沢山の王国に分裂していたんですけれど、それを一つにまとめ上げた偉大な帝王がいまして」
「肝心の二人とその帝王に関係があるのか? どうでもいい前置きは飛ばせ」
せっかちな視聴者、斗羅畏さんであった。
映画を倍速で観るタイプか?
「順を追って話しますから、ちょっと黙って聞いててくださいよ。これでもその前の時代に起きた二十万人戦死に加えて二十万人を生き埋めとかは省略するんで」
「なんだそれは、二十万とさらに二十万? 生き埋め? どこの地獄の話だ? 適当なホラを吹くと許さんぞ」
「まあそういう戦いがざーっとあったりしましてえ。その各地をバチボコにした帝王が、やっと統治した領域を巡幸したときにですね、出会うわけですよ、問題の二人に」
「待て、その都合四十万人以上死んでいる滅茶苦茶な話の方をまず片付けろ。気になって続きが頭に入って来ん」
そうして私は数人の武人に囲まれて、言葉で物語を紡ぐ。
強大な帝国の中に綺羅星のごとく生まれ、その後の歴史を変えた反乱者たちの壮大な生きざま、そして死にざまを語るのだった。
「よんじゅうまん、というのはどれくらい多いんだ?」
大きい数が苦手な翔霏は、その無惨な死体の山を想像できないらしい。
「河旭(かきょく)の街の人が全員、死んじゃうくらいかなあ。昔の話だから正確な数字は怪しいんだけど。あとで登場する帝王ってのはその四十万人が殺された国に人質として暮らしていたこともあって、その出生の血筋も実は怪しくて」
オタクなのでところどころ、ちょっと早口になり過ぎちゃったかも。
ちなみに魔人呼ばわりされている姜(きょう)さんでも、処刑した人数は一万人に届かない。
「この邑は大丈夫みたいだぞー」
おしゃべりしながら進む中。
仕事をちゃんと果たしてくれていた軽螢が、先導していた道から引き返して私たちに知らせる。
「孫ちゃんが来るって知らせたら、ぜひ寄って行ってくれってデカい家の主人が言ってたよ。メシをご馳走になろうぜ」
「わかった。助かる」
軽螢の報告を受け、安心して邑に入る私たち。
「ところで帝国の都を反乱軍の将たちが落とす話は、まだ始まらんのか」
「そこはもう少し、二人の青春時代の逸話とか、苦い敗戦の顛末を重ねないと盛り上がりに欠けますので」
すっかり斗羅畏さんは、項羽と劉邦のエピソードに夢中になってしまっていた。
沼に同志を引きずり込むの、楽しいでござる、コポォ。
おじいさまを亡くしてしまった悲しみが、こんな雑談でも少しは癒えればいい。
長雨はいつしか止んでいる。
雲の隙間から地上に散乱する光の筋は、まるで龍や鳳凰といった、天空を飛び回る神々の競演のようであった。
0
あなたにおすすめの小説
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
JKメイドはご主人様のオモチャ 命令ひとつで脱がされて、触られて、好きにされて――
のぞみ
恋愛
「今日から、お前は俺のメイドだ。ベッドの上でもな」
高校二年生の蒼井ひなたは、借金に追われた家族の代わりに、ある大富豪の家で住み込みメイドとして働くことに。
そこは、まるでおとぎ話に出てきそうな大きな洋館。
でも、そこで待っていたのは、同じ高校に通うちょっと有名な男の子――完璧だけど性格が超ドSな御曹司、天城 蓮だった。
昼間は生徒会長、夜は…ご主人様?
しかも、彼の命令はちょっと普通じゃない。
「掃除だけじゃダメだろ? ご主人様の癒しも、メイドの大事な仕事だろ?」
手を握られるたび、耳元で囁かれるたび、心臓がバクバクする。
なのに、ひなたの体はどんどん反応してしまって…。
怒ったり照れたりしながらも、次第に蓮に惹かれていくひなた。
だけど、彼にはまだ知られていない秘密があって――
「…ほんとは、ずっと前から、私…」
ただのメイドなんかじゃ終わりたくない。
恋と欲望が交差する、ちょっぴり危険な主従ラブストーリー。
拾われ子のスイ
蒼居 夜燈
ファンタジー
【第18回ファンタジー小説大賞 奨励賞】
記憶にあるのは、自分を見下ろす紅い眼の男と、母親の「出ていきなさい」という怒声。
幼いスイは故郷から遠く離れた西大陸の果てに、ドラゴンと共に墜落した。
老夫婦に拾われたスイは墜落から七年後、二人の逝去をきっかけに養祖父と同じハンターとして生きていく為に旅に出る。
――紅い眼の男は誰なのか、母は自分を本当に捨てたのか。
スイは、故郷を探す事を決める。真実を知る為に。
出会いと別れを繰り返し、命懸けの戦いを繰り返し、喜びと悲しみを繰り返す。
清濁が混在する世界に、スイは何を見て何を思い、何を選ぶのか。
これは、ひとりの少女が世界と己を知りながら成長していく物語。
※週2回(木・日)更新。
※誤字脱字報告に関しては感想とは異なる為、修正が済み次第削除致します。ご容赦ください。
※カクヨム様にて先行公開(登場人物紹介はアルファポリス様でのみ掲載)
※表紙画像、その他キャラクターのイメージ画像はAIイラストアプリで作成したものです。再現不足で色彩の一部が作中描写とは異なります。
※この物語はフィクションです。登場する人物・団体・名称等は架空であり、実在のものとは関係ありません。
『異世界庭付き一戸建て』を相続した仲良し兄妹は今までの不幸にサヨナラしてスローライフを満喫できる、はず?
釈 余白(しやく)
ファンタジー
毒親の父が不慮の事故で死亡したことで最後の肉親を失い、残された高校生の小村雷人(こむら らいと)と小学生の真琴(まこと)の兄妹が聞かされたのは、父が家を担保に金を借りていたという絶望の事実だった。慣れ親しんだ自宅から早々の退去が必要となった二人は家の中で金目の物を探す。
その結果見つかったのは、僅かな現金に空の預金通帳といくつかの宝飾品、そして家の権利書と見知らぬ文字で書かれた書類くらいだった。謎の書類には祖父のサインが記されていたが内容は読めず、頼みの綱は挟まれていた弁護士の名刺だけだ。
最後の希望とも言える名刺の電話番号へ連絡した二人は、やってきた弁護士から契約書の内容を聞かされ唖然とする。それは祖父が遺産として残した『異世界トラス』にある土地と建物を孫へ渡すというものだった。もちろん現地へ行かなければ遺産は受け取れないが。兄妹には他に頼れるものがなく、思い切って異世界へと赴き新生活をスタートさせるのだった。
連載時、HOT 1位ありがとうございました!
その他、多数投稿しています。
こちらもよろしくお願いします!
https://www.alphapolis.co.jp/author/detail/398438394
【魔女ローゼマリー伝説】~5歳で存在を忘れられた元王女の私だけど、自称美少女天才魔女として世界を救うために冒険したいと思います!~
ハムえっぐ
ファンタジー
かつて魔族が降臨し、7人の英雄によって平和がもたらされた大陸。その一国、ベルガー王国で物語は始まる。
王国の第一王女ローゼマリーは、5歳の誕生日の夜、幸せな時間のさなかに王宮を襲撃され、目の前で両親である国王夫妻を「漆黒の剣を持つ謎の黒髪の女」に殺害される。母が最後の力で放った転移魔法と「魔女ディルを頼れ」という遺言によりローゼマリーは辛くも死地を脱した。
15歳になったローゼは師ディルと別れ、両親の仇である黒髪の女を探し出すため、そして悪政により荒廃しつつある祖国の現状を確かめるため旅立つ。
国境の街ビオレールで冒険者として活動を始めたローゼは、運命的な出会いを果たす。因縁の仇と同じ黒髪と漆黒の剣を持つ少年傭兵リョウ。自由奔放で可愛いが、何か秘密を抱えていそうなエルフの美少女ベレニス。クセの強い仲間たちと共にローゼの新たな人生が動き出す。
これは王女の身分を失った最強天才魔女ローゼが、復讐の誓いを胸に仲間たちとの絆を育みながら、王国の闇や自らの運命に立ち向かう物語。友情、復讐、恋愛、魔法、剣戟、謀略が織りなす、ダークファンタジー英雄譚が、今、幕を開ける。
幼女はリペア(修復魔法)で無双……しない
しろこねこ
ファンタジー
田舎の小さな村・セデル村に生まれた貧乏貴族のリナ5歳はある日魔法にめざめる。それは貧乏村にとって最強の魔法、リペア、修復の魔法だった。ちょっと説明がつかないでたらめチートな魔法でリナは覇王を目指……さない。だって平凡が1番だもん。騙され上手な父ヘンリーと脳筋な兄カイル、スーパー執事のゴフじいさんと乙女なおかんマール婆さんとの平和で凹凸な日々の話。
人質5歳の生存戦略! ―悪役王子はなんとか死ぬ気で生き延びたい!冤罪処刑はほんとムリぃ!―
ほしみ
ファンタジー
「え! ぼく、死ぬの!?」
前世、15歳で人生を終えたぼく。
目が覚めたら異世界の、5歳の王子様!
けど、人質として大国に送られた危ない身分。
そして、夢で思い出してしまった最悪な事実。
「ぼく、このお話知ってる!!」
生まれ変わった先は、小説の中の悪役王子様!?
このままだと、10年後に無実の罪であっさり処刑されちゃう!!
「むりむりむりむり、ぜったいにムリ!!」
生き延びるには、なんとか好感度を稼ぐしかない。
とにかく周りに気を使いまくって!
王子様たちは全力尊重!
侍女さんたちには迷惑かけない!
ひたすら頑張れ、ぼく!
――猶予は後10年。
原作のお話は知ってる――でも、5歳の頭と体じゃうまくいかない!
お菓子に惑わされて、勘違いで空回りして、毎回ドタバタのアタフタのアワアワ。
それでも、ぼくは諦めない。
だって、絶対の絶対に死にたくないからっ!
原作とはちょっと違う王子様たち、なんかびっくりな王様。
健気に奮闘する(ポンコツ)王子と、見守る人たち。
どうにか生き延びたい5才の、ほのぼのコミカル可愛いふわふわ物語。
(全年齢/ほのぼの/男性キャラ中心/嫌なキャラなし/1エピソード完結型/ほぼ毎日更新中)
家ごと異世界転移〜異世界来ちゃったけど快適に暮らします〜
奥野細道
ファンタジー
都内の2LDKマンションで暮らす30代独身の会社員、田中健太はある夜突然家ごと広大な森と異世界の空が広がるファンタジー世界へと転移してしまう。
パニックに陥りながらも、彼は自身の平凡なマンションが異世界においてとんでもないチート能力を発揮することを発見する。冷蔵庫は地球上のあらゆる食材を無限に生成し、最高の鮮度を保つ「無限の食料庫」となり、リビングのテレビは異世界の情報をリアルタイムで受信・翻訳する「異世界情報端末」として機能。さらに、お風呂の湯はどんな傷も癒す「万能治癒の湯」となり、ベランダは瞬時に植物を成長させる「魔力活性化菜園」に。
健太はこれらの能力を駆使して、食料や情報を確保し、異世界の人たちを助けながら安全な拠点を築いていく。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる