翠の蝶と毒の蚕、万里の風に乗る ~泣き虫れおなの絶叫昂国日誌・第四部~

西川 旭

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第二十章 こんにちは、新しい私

百七十八話 私はこの場を任せた。

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「たんこぶ痛い~」

 貴賓側の控え室であるちょっと立派な包屋(ほうおく)。
 ここを使って良いと言われたので、私たちは遠慮なくまったりと休んでいた。
 派手にヘッドバッドをした箇所が、今さらズキズキと痛み出してきたよ。
 外の状況は落ち着き、葬儀の続きが行われている。
 今は阿突羅(あつら)さんの遺体を焼いて送るためのかまどを、土や煉瓦で設営している時間だ。
 参列者おのおの休憩をしたり、挨拶をしたり、どうしても用事がある人は帰ったり、逆に都合がついたので新しく来た人などがいる。

「やっと時間が取れそうだ。麗さんたち、俺の包屋まで来てもらっていいか」

 傷に包帯を巻いた突骨無(とごん)さんが顔を出して、そう言った。
 私たち四人、頷いて外に出る。
 これから、翠(すい)さまの書いた挨拶文を、突骨無さんに渡す。
 司午家(しごけ)と白髪部の間で行われる、商売や文化交流などの話を詰めていくのだ。

「最終確認だが、本当にさっき話した通りでいいんだな?」

 椿珠さんが、珍しく緊張した面持ちで私たちに訊いた。
 さすがに一万金の使い道を任されただけあって、普段よりも真剣だ。
 こちら側からの提案は、包屋の中ですでに話し合いを終えていた。

「私にはどうせカネのことは分からん」

 興味なさそうに、平常運転で翔霏(しょうひ)が言った。

「司午のヒメさんも、椿珠兄ちゃんなら大丈夫だって思って送り出したんだろ。自信持てよ」

 こちらもいつも通りに、大らかな軽螢(けいけい)からのお墨付き。

「メェ~」

 そんなことより腹が減ったな、とでも言いたげなヤギ。
 自分だけが気負っているのもバカバカしいと思ったのか、普段と同じように片頬をわずかに吊り上げて椿珠さんは笑った。

「ま、なんとかなるか」
「案ずるより産むが易しですよ」
「なんだそりゃ、お前さんの故郷の箴言(しんげん)か? どっちにしろ俺に赤ん坊を産む心配や苦労は分からんぞ。女の仕事だろう」

 私のアドバイスは伝わらなかったし、どうやら椿珠さんは結婚したらダメ亭主になりそうな未来しか見えなかった。
 どんな人と結婚するのか知らないけどね、ちゃんと思いやってあげないとダメよ!
 なんて考えながら、私は突骨無さんが控えている包屋に入る。
 人払いをしてくれていたようで、突骨無さんの他には最低限の護衛武者がいるだけだった。

「まずこちら、私のご主人である翠蝶(すいちょう)貴妃殿下からの親書になります。どうか大統どのには快くお受けいただきますよう」

 きちんと儀礼を踏んだ拝し方で、私はお手紙を渡した。
 改まった態度に少し面喰らいながらも、突骨無さんは背筋を正し威厳を保って、それを丁重に受け取ってくれた。

「貴妃殿下のお心遣いに、深く感謝いたします」

 再礼し、慎重に突骨無さんは書の封印を解く。
 翠さまが本文をどのように書いたのか、最終決定稿を実は私たちは知らない。
 お手伝いしたりアドバイスしたりは外野もするけれど、肝心の内容は手紙を書いた翠さまと、今それを読んでいる突骨無さんしか知ることはないのだ。
 関係ない人が大事な手紙を読んでしまったら、それだけ言葉の力が弱くなってしまうと、昂国(こうこく)では信じられている。
 本当の意味で「親書」であり、この辺のしきたりやある種の言霊思想に、翠さまはなにげに結構うるさい。
 どっちにしろ、私たちに話しても大丈夫そうな内容であれば、突骨無さんがちゃんと言うだろうからね。

「なんだって……これは……」

 親書を読み進めている突骨無さんが、明確に驚いた表情で私を見た。
 え、なんだろう、翠さまってば私のこともなにか、良いように書いてくれたのかしらん。
 うふ、私たち、深くわかり合ってる主従ですからね。
 けれど特に個別の細かい話は出さず、突骨無さんはお手紙を最後まで黙読し終える。
 そしてかしこまって言った。

「互いの土地や氏族の長い繁栄のため、友誼が必要であるというお気持ちとお教え、この突骨無、深く理解いたしました。貴妃殿下の慈悲と英明にただただ頭が下がる思いです」

 なにやらジーンと感動した面持ちで、突骨無さんは読み上げた親書を更に上に掲げて再拝した。
 気になるなあ、どんなことを書いていたんだろう。
 時間が経てばおいおい、翠さまが教えてくれるかしらね。

「であれば早速、両者の親交について、ある程度の話を進めたいと思いますが」

 椿珠さんがよそ行きの顔で、正式な使者として話を向ける。
 この会談のためだけに、ちょっと行儀の良い礼服に着替えたほどである。
 なにせ司午家が北方戌族と交易を許されている限度額いっぱい、一万金の使い道を椿珠さんの判断で差配していいとまで言われているのだ。
 いちいち角州(かくしゅう)にいる翠さまにお伺いを立てなくてもいいということは、事実上の全権委任大使である。
 司午家は国や州の代表者ではないけれど、その気になれば司午家と翠さまだけで小国程度の規模は、お金や人員を動かせちゃうからね。
 突骨無さんもいたって真面目腐った顔で、椿珠さんに応じた。

「俺たちとしては、そちら様にあれこれ注文を付けられる身分でないことはわかっている。春夏秋冬、季節に応じて必要な物資を取引させていただけるだけで、十分に有り難い話なのだが」

 要するに、日常の消耗品を、定期便で売り買いしたいということだな。
 角州は海で採れる塩や、それを加工した海産物の塩漬け、塩辛や魚醤と言った保存食が名産だ。
 海から離れた白髪部の人にとっては、それらが安定供給されるだけでも大きなメリットとなるだろう。
 良く言えば堅実で、悪く言えばつまらないその提案。
 椿珠さんは咳払いを一つして、言葉を選びながら反論した。

「大統のお気持ちは、こちらも十分に理解しております。しかし我らが主人、司午翠蝶殿下は、此度(こたび)の大統どのの就任を、ことのほか寿(ことほ)いでおられます。身重でなければ、必ずご自身で足を運ばれたことでしょう」
「身に余る光栄だ。そこまで買っていただいて、感謝の言葉もない」
「なればこそ、当たり前の通交の他に、その貴妃殿下のお気持ちを記念し、永代まで残る事業を成すことこそが、真に両者の友好を内外に示すことに繋がりましょう」

 日々の当たり前の商売の他に、目に見える分かりやすい大事業を、司午家と白髪部の連名で行うべし、ということだね。
 椿珠さんの話すスケールがいきなり大きくなりすぎて、突骨無さんは眉を顰め、首をわずかに傾けた。

「そう思っていただけるのはなによりだが、大きな事業と言っても角州と白髪部は離れた地にある。手に手を取って共になにかをすると言っても、選択肢は限られているだろう」
「あるではありませんか。今、我らの目の前に」

 椿珠さんがそう言って、包屋の出入り口を見た。
 突骨無さんは、わずかに考えたのち。

「親父の、墓か!」

 外で行われている葬送の儀に思い至り、大声でそう答えた。
 お、阿突羅(あつら)一党の中でも特に冴えてると評判の突骨無くん、その聡明さが戻って来ているね?
 椿珠さんはその回答に満足げに頷き、説明した。

「大統どのがこれから大きな政(まつりごと)を為そうとするならば、お父上の阿突羅さまは太祖と呼ばれ、子々孫々まで長きにわたり一族の崇敬を浴びましょう。我らには阿突羅さまにふさわしい荘厳な霊廟を、この地に造る用意がございます。人も、資材も、人足が寝起きする宿舎も、食いものも、余暇に飲む酒も、それらすべてを賄う金銭も、なにもかもをこの椿珠が用意して御覧に入れましょう」

 そう、私たちは話し合った結果として。
 翠さまが今回の北方行脚で、一万金のすべてを遣ってしまっても構わない、と言った通りに。
 阿突羅さんのお墓を建設する事業に、予算を全ツッパすることに決めたのだ。
 もちろんそれは突骨無さんたちが当初に予定していた建設費に、上乗せする形になるだろう。
 そのインパクトを想像し、目を輝かせて突骨無さんが呟く。 

「そんな墓は、北方のどこにもありはしない。どこにもないものを造る、それこそ親父の墓にふさわしい。しかも昂の貴族と手を合わせて、か……」

 椿珠さんが、止めとばかりに口説き文句を放つ。

「一族が続く限り、陵墓は永遠に残り続けます。それを協力して造った司午家の名前も、この北の地に永く久しく語られることでしょう。しかもそれは、奴隷を無理に働かせて作るものではない。両の国の職人や若者たちが、誇りと技術と力を結集して造り上げるのです」
「一時的にではあるが、食い詰めている連中の日銭にもなる。さすが豪商の子、環家(かんけ)の三弟(さんてい)、考えたな……!」

 無駄ではない公共事業、というやつだ。
 急死してしまった阿突羅さんのお墓は、当然まだ建設に着手すらしていない。
 火葬が終わった阿突羅さんの遺骨はしばらく静かなところに留め置かれ、立派なお墓を作ってからその中に納める段取りだっただろう。
 視点を変えればひどい話だけれど、私たちはその状況に乗っからせてもらった。
 そして正直、この手は突骨無さんだから使えるものとも言える。
 これがもし斗羅畏(とらい)さんだったら。
 葬儀も墓も、自分たちでできる限りのことをするだけだと意地になって、受けてくれないだろうからね。
 あの人本当にストイックと言うか、無駄なものを周りに置かないタイプなので。

「阿突羅さまのお墓を造るなら、俺も手伝いに来たいなぁ……」

 ぽつりと軽螢が漏らした。
 彼は意識してないけれど、おそらくこの一言が、突骨無さんの意志を決定づける最後の一押しになっただろう。

「ああ、ぜひとも頼む! たくさんの、国の内外の人に送ってもらえて、きっと親父も喜ぶさ! こんな親孝行が最後にできるなんて、夢にも思わなかった……!!」

 突骨無さんが涙混じりの顔で、軽螢の手をぎゅうっと握った。
 断られなくて良かったー。
 そう思いながら、私もちょっと泣いた。
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