翠の蝶と毒の蚕、万里の風に乗る ~泣き虫れおなの絶叫昂国日誌・第四部~

西川 旭

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第二十章 こんにちは、新しい私

百七十九話 私は引き上げた。

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 突骨無(とごん)さんとの会談が終わり、私たちは外に組まれたかまどの前にいる。

「本当に身体の方はなんともないのか」

 火葬に使うかまどの設営を手伝って、土まみれ泥まみれになった斗羅畏(とらい)さんが、私を気遣ってくれた。
 泥んこになって頑張る男子、素敵。

「痛みもありませんしむしろ今までより体調は良いくらいです。ご心配をおかけしました」
「おかしな、いや不思議なやつだ……」

 言い直しても、意味が変わってねーよ。
 翔霏(しょうひ)が斗羅畏さんに聞く。

「火葬が終わったら帰るのか?」
「そうだな。少し時間を使いすぎた。年寄り連中に領のことを任せっぱなしにするのも可哀想だ。そろそろ休ませてやらないと」

 斗羅畏さんが葬儀に来ている間、白髪左部(はくはつさぶ)の取り仕切りを行っているのは、私たちも良く知るあの老将さんたちである。
 本当は自分たちも葬儀に参列したかっただろうに、責任を持って快く斗羅畏さんを送り出してくれたのだ。
 なるほどと納得し、翔霏が言う。

「そうか。うちの男ども二人はまだ白髪部に残って、墓を作る話し合いを続けるそうだ。私と麗央那は先に帰ることになるから、途中まで一緒に行ってやる。行きがけの駄賃だから礼なんていらないぞ」
「別に頼んでない……」

 偉そうに言ってのける翔霏に、斗羅畏さん、閉口。
 帰りの段取りを話している私たちのところへ突骨無さんの部下が来た。
 なにか頼みごとがあるらしい。

「先代の棺をかまどまで運ぶのに、みなさまのお手を借りたいと、若殿が」
「いいんですか?」

 棺を運ぶなんて、葬儀の中でも最も重要な〆の式事である。
 孫である斗羅畏さんはともかく、私たちまでお邪魔するのは、と心配したけれど。

「若殿のたっての希望です。どうかお受けいただきたい。この通りでございます」

 なぜか涙混じりに深々と頭を下げる武官の肩を、斗羅畏さんが優しく叩く。

「ご厚意に甘えさせてもらおう。気を遣わせて済まない」
「ううっ、斗羅畏さま、俺は、俺たちは……」
「言うな。離れていても俺たちはみな、親爺の子だ。これからも末叔父を頼むぞ」

 ああ、この武官さんはきっと、突骨無さんの下にいるものの、斗羅畏さんと縁が深い人なのだろうな。
 こうして私たちは様々な形の悲しみと別れの寂しさを見つめながら、阿突羅(あつら)さんの棺をみんなで力を合わせ、肩に担いで運んだ。
 念言を詠むはずだった僧侶はもう、物言わぬ骸と化してしまったけれど。
 おのおの一人ずつ、自分なりの言葉で阿突羅さんへの別れを心の中で告げ、涙に変えて流し続けた。
 一世の勇者を送るのにふさわしく。
 阿突羅さんの体を焼く炎は天高く、柱となって昇った。

「お、おい、見ろよ」

 誰かが空を見て、呟いた。
 立ち昇り、空に広がる煙の中。
 力強く、けれどどこか優しそうに笑う阿突羅さんの顔が浮かんだ気がした。

「つうわけで俺たちはまだ少しこっちに残るがよ、向こうに帰ったら貴妃殿下によろしくな」

 帰りの路銀を私にくれた椿珠さんが言う。

「立派な墓を造っから、ヒメさんもいつか見に来て欲しいぜ。きっと『よくやってくれたわね! あんたたちに任せて大正解だったわ!』って褒めてくれると思うんだ」
「メェッ!」

 軽螢(けいけい)がいつものように自信満々で胸を張る。
 この根拠のない自己肯定感は本当に羨ましいよ。

「失礼にならないようにしっかりやってね」

 私は男たちに無難なことを言い残し、翔霏と、斗羅畏さん一行とともに東へ。
 帰りの道すがら。
 斗羅畏さんが私たちに目を合せず、行き先を真っ直ぐに見据えたまま、ぽつりと言った。

「……今回はお前たちがいてくれて助かった。俺だけではどうにもならんことがいくつもあったが、おおむね上手く行ったように思う。そこは感謝している」

 いえいえそんな、と謙遜しても良かったけれど。
 ここは軽螢を見習って、誇りと喜びを胸に、敢えてこう言いましょうかね。

「でしょ?」

 私がこっちに来たかったと望んだことも、それを快く後押ししてくれた翠さまも。
 誰一人間違わず、完璧に仕上げました!
 阿突羅さんの不意の死去は、私たちにはどうしようもないことだけれど。
 今までたくさんの敗北を重ね、辛酸を舐め尽くした私としては、今回成し遂げられたことがとても、とても嬉しい。

「私は若干、心残りがあるんだがな」

 けれど翔霏としては、自己採点で満点を付けられないらしい。
 その理由をイマイチ理解できないという顔で、斗羅畏さんが言う。 

「なにが不満だ。褒美が足りないと言うのなら、領に戻ったときに俺が仲間と話して」
「そうじゃない。私が未だかつてお前たちに褒美だなんだと要求したことがあるか? もちろん食いものは良いものを十分に用意してもらいたいが」

 翔霏の未練は、食事を除けば物質的なことではなく。
 今来た道、白髪部の大都がある方向を振り返り、彼女なりのまとめを口にした。

「結果的に無事だったとは言え、麗央那が殺されかかったんだ。どさくさに紛れて私が突骨無を殺してやっても良かった。そうすれば今頃は斗羅畏、お前が北方の半分を治める大統、いや王になれたはずだ。私たちは新しい王の立役者になれたものを」

 キングメーカーとして歴史に名を残すチャンスを、不意にしてしまった。
 翔霏はそこに若干の後悔、反省があるらしい。

「お前は、阿呆か」

 物騒すぎるその意見を聞いて、斗羅畏さんは呆れたように口を半開きにした。

「否定するということは、そんなことはまかり間違ってもあって欲しくないと思っているようだな。邪魔者はすべて消えて、好き放題できるんだぞ」
「当たり前だ。そんな規模の話は俺の懐には大きすぎる。重すぎる荷は、それを負う馬を潰す。北方に伝わる訓話だ。俺もまだ潰れたくはない。まずは自分たちの足場を固めるので精一杯だ」

 実直で禁欲的な、斗羅畏さんらしい考えだった。
 そんな棚ボタのような形で天下の半分を貰っても、自分の力では御しきれないことを理解しているのだろう。
 宝くじに当選したけれど、結局は浪費したり、無理な商売や投資に手を出してしまい、さらに借金を背負って身を持ち崩す人の話を想起させるね。
 吾(われ)唯(ただ)足るを知るのは、大事なのだ。

「軽螢も椿珠さんもしばらくは戻らないもんねえ。私も神台邑(じんだいむら)の再建はひとまず保留して、しっかり翠さまのお側で仕えなきゃなあ」

 私の想定に、翔霏が納得して頷く。

「当座は角州(かくしゅう)の美味いものを、順に食って過ごすとするか。それもまた良しだ」

 今あるもので満足できる。
 そう思える私たちは、幸せなのである。
 ただ一つ、私の心に些細だけれど引っかかってることが。

「そう言えば乙さん、私が死にそうになってたときも助けに来てくれなかったけど、いつの間にか帰っちゃったのかな」

 葬儀場での混乱の中で、私たちはすっかりと尾州の間者女性、乙さんの痕跡を見失ってしまっていた。

「どうだろうな。あの間者の姐さんは気配を消すのが巧すぎるから、私にもわからん。もう遠くへ離脱したのだろう」

 翔霏とそう話していると、道の隣に広がる林の奥から、突拍子もなく女性の声が聞こえた。

「あのねえ、央那ちゃんを守ると言ったのは確かだけど、自分からわざわざ振り下ろされた剣に向かって行くなんて思わないじゃないのさ。あんなのいくらあたしでも止められないよ。なぜか生きてるみたいで安心したけどね」

 翔霏と斗羅畏さんが、仰天して顔を見合わせる。
 二人とも尾行がついているなんて、まったく気付いていなかったのだ。

「ど、どこにいる!? 姿を現せ!! なぜあの場で赤目(せきもく)の大伯父を殺した!?」

 斗羅畏さんが瞬時に弓に矢をつがえて、森の中に叫んで問う。
 翔霏は棍を構え周囲をじろじろと凝視して、人の面影を黙って探す。
 この二人が本気になって索敵しても、乙さんは服の端すら見せることはない。
 そうだよな、彼女の主人である姜(きょう)さんも、敵に気付かれずに忍び寄るのが大得意だった!
 乙さんは林の奥から、彼女らしい人を小馬鹿にした声だけで私たちに知らせる。

「あの星荷(せいか)って野郎はどの道、殺されるだけの理由がわんさかあったじゃないのさ。それはもう説明しただろう? あんたたちはなにも考えず、大人しく自分のおうちに帰りな。美味しいご飯にポカポカお風呂、あったかいお布団が待ってるよ」
「舐めやがって……!」

 怒りに顔を赤くした斗羅畏さんは、馬を山林に向けて山狩りを敢行しようとしたけれど。

「無理です。あの人が逃げの一手を打ったら誰も追いつけません」
「暗い林の中でわけもわからないうちに殺されたいなら、私はあえて止めないがな」

 私と翔霏が冷静に言う。
 地団太を踏む勢いで斗羅畏さんは頭の兜を脱ぎ外し。

「クソッタレが!」

 ガァン、と力いっぱい地面に叩きつけた。

「お前の主人の除葛(じょかつ)に言っておけ! これ以上、北の大地をその汚らわしい手で荒らすなら俺が相手になる! 首を狩られるだけで済むと思うな! 全身の皮を剥いで、指先から順に狗(いぬ)どもに食わせてやるぞ!!」

 斗羅畏さんの咆哮に答えるものは誰もおらず。
 森のしじまの中に、残響だけが哀しく鳴るのだった。
 やっぱり斗羅畏さんも、姜さんのやり口にストレスを溜め続けてたんだろうなあ。
 なんかもう、それなりの知り合い関係である私は、申し訳ない気持ちでいっぱい過ぎる。
 中書堂の関係者がホント、ご迷惑をおかけいたしまして、遺憾の極みにございます。

「まあなんだ、お前も色々と苦労するだろうが、頑張れ」

 角州の砦にも近い地点。
 私たちは斗羅畏さん一行との、別れ道の上に立っている。

「そうだな。ぼちぼちやって行く」

 翔霏がおざなりに励ますのを、同じく適当な顔つきで首肯を返す斗羅畏さん。

「また次の共同市場の件とか、いろいろお便りを出すと思います。それまでお元気で」

 私も斗羅畏さんに別れの挨拶を済ませ、近いうちの再会を胸に感じつつ帰路に就く。

「少し待て」

 呼び止められて、私たちはなんだろうと立ち止まる。
 斗羅畏さんは自分が身に着けていた黒テンのマフラーを私に、自分の馬に装着させていた銀ギツネのショールを翔霏に、差し出した。

「司午家(しごけ)にはあとで正式に礼状を出すが、これはお前たちへの駄賃だ。売ればそれなりの小遣いになるだろう」

 え、最後の最後にこんなお気遣いをしてくれるなんて。
 斗羅畏さん、そう言うことですか?
 期待して勘違いしちゃって、良いんですね?

「昂国(こうこく)はこれから夏になるというのに、毛が多すぎて暑いな」

 翔霏はまったく無礼な言い草で、せっかくのプレゼントをさっさと荷物袋に仕舞った。
 必要なものの価値しかわからない系女子ですので、怒らないであげてくださいね。

「ありがとうございます。大切にします」

 私が深々とお礼を言って頭を下げる。

「好きにしろ。じゃあな。死ぬなよ」

 斗羅畏さんは仲間たちに声を掛けながら、白髪左部(はくはつさぶ)に戻る。
 彼らの後ろ姿を見つめて手を振っていると、斗羅畏さんが急にこっちに振り向いて、叫んだ。

「領地の名を、あれからずっと考えていた! やはりお前らと話した『蒼心部(そうしんぶ)』に変えることにする! いつまでも左部なんて名乗っていては情けないからな!!」

 それだけ言って。
 恥ずかしかったのか、はいやーと馬をけしかけ、斗羅畏さんは凄い速さで走り去って行った。
 初夏も近い蒼天の下。
 逞しい馬と勇ましい男たちが駆けて行く、その姿は。

「これ以上に美しいものって、世の中にないだろうね」

 旅の最後に素晴らしいものが見れたと思った私の心も、頭上の空のように蒼く澄み渡り、晴れ晴れとしていた。
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