翠の蝶と毒の蚕、万里の風に乗る ~泣き虫れおなの絶叫昂国日誌・第四部~

西川 旭

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第二十章 こんにちは、新しい私

百八十話 私は帰って来た。

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 角州(かくしゅう)半島のちょうど中央部あたりに位置する、石造りの砦。
 私と翔霏(しょうひ)はそこで臨検と身元照会を済ませ、国境を越えて昂国(こうこく)へと戻った。

「……翠蝶(すいちょう)?」

 そのとき玄霧(げんむ)さんに会い、そんなことを言われたのである。
 ちょうど国境警備の業務で、砦に足を運んでいたタイミングだったようだ。

「いくら雰囲気が似てるからって実のお兄さんである玄霧さんが間違えないでくださいよ。そもそも身重の翠さまがこんな格好で国境まで来るわけが」

 私は途中まで言って。
 いや、その可能性はゼロではないな、と思い直した。

「う、うむ。俺も疲れているのかもしれん」

 眉間を指で揉みながら、玄霧さんが言った。
 左軍正使さまも大変ですね。
 翠さまなら、万が一そんなことをしでかしても不思議はないのだと、実の兄だからこそわかっているのかもしれない。
 翔霏が今回の旅の顛末について、軽く玄霧さんに報告する。

「先に出した手紙でおおまかなことは伝わっているでしょうが、多少の不測の事態はあったものの、私たちは全員が無事です。墓の工事の段取りに関しては、向こうに残った椿珠から追って連絡があるでしょう」
「ああ、よくやってくれた。今は長旅で疲れているだろう。部屋を用意してあるから、ここでしっかり休んで斜羅(しゃら)の屋敷に帰れ」

 相変わらず心配りと段取りの人、玄霧さんであった。
 ちなみに私が斬られて死にかけて、けれど不思議と一瞬で傷が塞がり復活したことは、報告の中に入れていない。
 私たちにとってもわけがわからないことなので、いたずらに司午家(しごけ)の人を混乱させたくないという意図によるものである。
 詳しく聞かれたところで、説明のしようもないからね。
 
「ってここ、牢屋じゃん」

 私たちがあてがわれた部屋。
 ふかふかの毛布をはじめとして、寝具はちゃんと整えられている。
 けれどどう見ても、簡易牢や留置所と呼ばれる類の無骨な石室である。
 まあ国境の砦に、女子が好むようなキラキラふんわりしたベッドルームがあるなんて思ってなかったけどさ。

「覇聖鳳(はせお)を倒して帰ったときのことを思い出すな。あのときはここの東隣の砦だったか」

 地図を見ながら翔霏が思い出にふける。
 ちなみにその周辺地図も、角州左軍の砦から拝借したものをそのまま使っている。
 うちの翔霏ちゃんは物持ちの良い子。

「大事なことが終わったときはいつも、玄霧さんが迎えてくれるんだよねえ。不思議な縁もあるもんだ」

 男は船、女は港、なんて歌があった気がするけれど、私と玄霧さんの場合はまるっと逆である。
 良きにしろ悪きにしろ。
 私の身になにか大きなことが起こったとき、必ず玄霧さんが近くにいて、ケアやフォローをしてくれているのだ。
 私という小さく頼りなく、どこへ行くかわからない厄介な船の帰る港は、いつも玄霧さんなのだった。
 いや、だからと言ってお嫁さんになりたいとか、まったく思っていませんけれどね?
 信頼できる、大いに尊敬している身元引受人、そんな感じ。
 小さい頃に亡くしてしまったお父さんの面影を、私は玄霧さんに見ているのかもしれない。

「ずいぶん暖かくなった。もうじき一年か……」

 寝苦しいのか、衣服をぽぽいと脱ぎ捨て、一番薄い毛布だけをかぶり直して翔霏が言った。
 翔霏は基礎体温が高いので、布団などの寝具が充実していると、中が熱くなりすぎて眠りにくいのである。
 冬は重宝するんだけれどね。
 一緒の布団に潜り込むと、ほっかほかのぬっくぬくなので。
 並んで横になった私は、翔霏の声に応えた。
 
「そうだね。あっと言う間だった気もするし、長かった気もするし。不思議な感じ」

 私が玄霧さんとはじめて会った日から。
 神台邑(じんだいむら)が覇聖鳳たちに焼かれてから、この初夏でまる一年が経とうとしている。
 あのとき、私は灰塵と化した邑の真ん中で、叫び、誓ったのだ。
 挫けず、怯えず、みっともなく泣きながらでも前に進むんだと決意してから、一年間。

「私は私が望む私に近付けてるのかな。邑のみんなの魂に恥ずかしくない、そんな私に少しでもなれてるのかな……」

 この一年の自分と向き合い、小さな石室で私は涙する。
 翔霏は余計な気休めやおためごかしを口にせず、私の横で仰向けのまま、私と同じように石の天井を黙って見つめている。
 きっと彼女も、この一年の自分を心の中で採点しているのだろう。
「自分」という、世界で最も難解な試験問題にマルやバツをつけられるのは、どうしたって自分以外にいやしないのだから。
 しばらく無言でお互い、考える。
 ふっ、と翔霏が少し楽しそうな吐息とともに、言った。

「土産話は、たくさん積み重なったな」
「そうだね」

 私も明るく笑う。
 いつか私たちも命を終え、魂の帰るべき果てに往く。
 先に待っているみんなに、少しでも楽しいお話を聞かせられるよう。
 これからも精一杯、頑張って進み続けようと思った。
 最期の一瞬が来るまで、一歩でも、進み続けなければ。
 それがきっと遺された私たちに課された、一番大きな役目なのだ。

「やっと着いたー。もうこんな時間かあ。やれやれ遅くなっちゃったぞいと」

 ゆっくり休んでから砦を出発し、角州の都、斜羅の街に。
 途中の小さな邑で怪魔退治を頼まれたりしたことで、計算が狂って夜中に到着してしまった。
 街に灯りは少なく、司午屋敷もひっそりと静まり返っている。

「お疲れさまでした。小官はここで失礼いたします」
「はい、道中ありがとうございました」

 念のためにと玄霧さんが付けてくれた、護衛の兵士さんとお別れする。
 彼の活躍の場をすべて翔霏が奪ってしまったことは、わざわざ説明するまでもないだろう。
 やりがいはなかったにしても、楽チンな案内だったに違いない。
 仕事を無事に終えた兵士さんが、私の顔をまじまじと見て言った。

「あのときの女の子が、まさかこんなに立派になられるとは。あなたの身を保護した隊長……いえ、正使はよほど人を見る目があるのだと、改めて思い知らされました」

 彼は私のことを、以前から知っていたと言うのだ。

「え、お兄さんひょっとして、神台邑が焼けたときに一緒にいたんです?」
「はい。互いに生きて再び会えて良かった。いえ実は後宮で覇聖鳳たち郎党と戦ったときも、小官はいたのですが」

 玄霧さんは自分が出世したり異動しても、子飼いの仲間たちを赴任先に連れて行くタイプだ。
 彼は翼州(よくしゅう)左軍時代に、私と一緒に神台邑の骸を土に埋葬した一人であった。

「ごめんなさい、人の顔を覚えるのがそれほど得意じゃなくて」

 申し訳なさからへこへこする私。

「私は気付いていたがな。後宮のときに玄霧どのの左後ろで剣を振るっていただろう。左利きだからそう配置されたのだな」

 翔霏、知ってたなら言ってよ。
 そして相変わらず、武芸や運動に関してはスゲー観察力と記憶力だこと。

「ははは、あまり細かいことを突かれるとさすがに気恥ずかしいですな。ではまたいずれ」

 爽やかな笑みを残し、兵士さんは元いた砦へと戻って行った。
 些細な縁も、深い縁も。
 たくさんの人や物事に、私たちは関わって、繋がって今があるんだと思った。

「少しは私、マシになれたのかな」

 その背中を見送り、貰った嬉しい言葉を反芻して私は呟いた。

「どんな麗央那でも、私にとってはたった一人の麗央那だよ」

 ぎゅっと私の肩を抱いて、翔霏が言ってくれた。
 哀しみではない、幸せな涙を溢れさせて。
 私は翠さまが待ってくれている、司午屋敷の通用門をくぐったのだった。

「遅い! もっと早く帰って来られたんじゃないのあんたたち!!」

 なぜかこんな夜更けまで、私たちの帰還を寝ずに待っていた翠さまの叫びが鳴り響いた。
 
「あんまり大声出すと、ご近所迷惑ですよう翠さま」
「うっさいわね! そんなことよりまず最初に言うべきことがあるでしょ!」

 旅に出る前よりも明らかに大くなったおなかを抱え、翠さまが怒る。
 私と翔霏はクックと苦笑いして、頭を下げて、言った。

「翔霏、ただ今戻りました」
「央那、同じくただ今、帰りました」

 ウン、と納得して翠さまは頷いて。

「お帰りなさい。良く頑張って無事で帰ったわねあんたたち」

 むぎゅううと、私と翔霏を両手に抱き締めてくれた。
 旅は良い。
 今までの自分を見つめ、これからの自分を見つけられるから。
 そして旅から帰って来た瞬間は。
 なににも増して、さらに良いのだった。
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