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番外編
1 氷の城の夢を見た
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「綺麗だな……こんなに青い海は、初めて見たかもしれない」
宮殿のバルコニーに立ち、傍らでそう呟くカノンの瞳は、太陽の光を反射する海のようにきらきらと輝いている。それはとても綺麗だ。綺麗、なのだが――。
「……あ、あの……カノン? その格好は、あまりにも……」
「似合わないか?」
「い、いえ! あなたに似合わない格好などこの世にあるはずもありません! ……ですが、その……」
私がそう口ごもっていると、察してくれたのか、カノンは少しだけ表情を曇らせてため息を吐いた。
「そうだな……実は私も少し思っていた」
「そ、そうですよね! でしたら、その、一刻も早く元の服装に――」
「こうも肌が白いと、南国らしくないな。せめてもう少し日に焼けていたら、健康的で良かったのだが……あいにく私は全く日焼けをしない体質のようでな。……もしや、日焼けも状態異常のうちに入るのだろうか」
「……は?」
斜め上の返答が返ってきて私は思わず聞き返してしまった。
私が言っているのは違う。私はずっと、カノンの格好があまりにも――直接的に言ってしまえば、扇情的であることを危惧しているのだ。
カノンが着ているのは、今私とカノンが来ている南国の、民族衣装だそうだ。といっても、素肌の上から申し訳程度に袖のない上着を羽織り、膝丈のズボンを履いているだけなのだが。
カノンの普段の服装と比べると、驚くほどに露出が多い。そのせいで、服を脱がせない限り決して見えない白い肌や綺麗な脚が、惜しげもなく晒されている。
破廉恥だ。非常に破廉恥である。カノンの姿を見た何者かがうっかり欲情してしまったらどうするのだろうか。そのことを考えるだけで酷い焦燥感に襲われる。
そんな私を見たカノンは「何だ、その顔は」と眉をひそめたが、はたと気づいたように口の端を持ち上げた。
「ああそうか。ヒューイ、お前……」
そしてカノンは私の片頰に手を沿わせ、「……私に欲情したのか」と耳元で囁いた。吐息交じりの色気を含んだ声だった。その声の響きにかっと体が熱くなる。
「なっ――ち、ちが、違います! いえ、違いませんが違います! そうではなくて、私はただ、あなたの――」
「誤魔化さずとも良い。お前ならばいつでも大歓迎だ。ほら、触るか……?」
カノンは私の手を取ると、それを自らの空いた胸元に持っていった。その体温と滑らかな感触を感じ、私の脳裏には昨晩の情事のことがよぎった。
私の表情を見たカノンはうっそりと微笑んだ。その微笑みには、情事の香りが残っているように感じた。
思わず唾を飲み込む。私は欲望に駆られるまま、彼と同じように頰に手を沿わせた。するとカノンは、おもむろに私へと顔を近づけてきた。なので私は、瞳を閉じてカノンへと寄り添うように――。
咳払いが聞こえた。ぴたりと動きを止め、恐る恐る音の出所を見ると、困り果てた顔をした人間の女が立っていた。確か、女宰相だったか。
「あの……そろそろ、お時間ですので……」
――この国は魔王国からほど近くにある、常夏の国である。この国は、今はもう亡きかの国と長年敵対していたことから、かねてより魔王国との仲は良好だった。敵の敵は味方、ということだろう。
かの国には積年の恨みがあったそうで、人間の国では珍しく、魔族が英雄のように扱われている。私たちが人間そのものを敵に回す前にカノンが目覚めて戦乱を治め、この常夏の国には何ら被害がなかったので尚更だ。
そのため、此度のカノンと私の旅行でも、いの一番に「是非わが国へ」と声を上げた国でもあった。
それどころか、歓迎の印としてわざわざ祭りを開くという。だが祭りの開催前に、是非宮殿のバルコニーにて、我が国民に挨拶をしてくれとも言われた。
私としては祭りそのものも余計なお世話でしかないが、祭りと聞いて表情を明るくしたカノンが非常に愛おしかったので、気にしないことにした。
けれど、その直前にカノンが「どうせならこの国の民族衣装を着るのはどうだ」と言い出した。私もこの国の人間も困惑しきりだったが、カノンが楽しげに見えたので、私が口を挟めるはずがなかった。
そして、先ほどの状況へ遡る。
「……残念だったな?」
カノンは悪戯っぽく笑うと、ひらりと身を翻した。私は邪魔をされた不満とこのような状況を見られた羞恥とで憮然としていたが、ふとそのまま向かおうとするカノンに気づいて慌てて声を上げた。
「カノ――魔王様! その格好で向かうのはおやめください!」
「何故?」
「何故、とは――」
「きちんと言わねば分からないだろう?」
不意に視界いっぱいに綺麗な顔が広がった。カノンがぐっと顔を寄せてきたのだ。あまりに近くて鼻先が触れてしまいそうだ。
私は思わず息を飲んでしまった。だいぶ慣れてきたとはいえ、不意打ちで彼の顔が近付くと気恥ずかしくなってしまう。
「お前も似合っていると言っていただろう。何がいけない?」
「で、ですから……ああもう、言わなくても分かるでしょう!」
「いいや、分からんな。言ってみろ」
「ですから、その……その格好はあまりにも露出が多く目の毒ですので、いつもの格好をしていただきたく……と、いうより、近……近いです……!」
「なるほど。つまり私の肌はお前以外に晒すなと」
直接的な言い方に少し顔が熱くなる。私の反応に気を良くしたのか、カノンは楽しげに笑いながら私から離れた。
「そうか。お前がそう言うのなら仕方がない。悪いが――」
言いながら、カノンはパチリと指を鳴らした。その瞬間、格好はいつもの漆黒の礼装とマントに戻り、今まで着ていた服は全て畳まれた状態でカノンの手に収まる。それをカノンは、魔法で浮かせて女宰相へと渡した。
「それは返すことにしよう。無理を言ったな」
「い、いえ! 滅相もありません! で、では、そろそろお時間ですので、一度中へとお戻りいただければ――」
「ああ、分かった。行こうか、ヒューイ」
言うが早いか、カノンは私の唇にキスをした。あまりに唐突で、私はほんの少しの間、固まってしまった。そうしたらカノンはまたからからと明るい笑い声を上げて、先を歩いた。
「……ご結婚、なさっているのですよね」
女宰相がそう私に問いかける。私は「ああ」と頷きながら、女宰相の顔を見た。
彼女は心なしか、カノンの後ろ姿に見惚れているようにも見える。いや、思い返せば彼女は最初から、私たちがこの国へ来た時から、カノンのことをしきりに気にしていた。
それも仕方がない。カノンの名声は大陸中に轟き渡っているし、会えば驚くほどに器が広く心優しいことに驚くだろう。その上、あの美貌である。
老若男女種族を問わず、カノンに惚れるのは自然の摂理であるともいえる。
未だに側室として嫁ぎたいという申し入れが途絶えないことも頷ける。それに、カノンがひとたび作りたいと思えばその相手に困ることはありえないだろうし、本来であればそうすべきなのも分かっている。だが、それでも――面白くない。
「決して魔王様が側室をお作りになることはない。くれぐれも、おかしな気は起こさぬように」
軽く釘を刺すつもりだったが、想像以上に自分の声は冷えていた。彼女は、ヒッ、と喉の奥で悲鳴を上げると、青い顔で黙り込んだ。
宮殿のバルコニーに立ち、傍らでそう呟くカノンの瞳は、太陽の光を反射する海のようにきらきらと輝いている。それはとても綺麗だ。綺麗、なのだが――。
「……あ、あの……カノン? その格好は、あまりにも……」
「似合わないか?」
「い、いえ! あなたに似合わない格好などこの世にあるはずもありません! ……ですが、その……」
私がそう口ごもっていると、察してくれたのか、カノンは少しだけ表情を曇らせてため息を吐いた。
「そうだな……実は私も少し思っていた」
「そ、そうですよね! でしたら、その、一刻も早く元の服装に――」
「こうも肌が白いと、南国らしくないな。せめてもう少し日に焼けていたら、健康的で良かったのだが……あいにく私は全く日焼けをしない体質のようでな。……もしや、日焼けも状態異常のうちに入るのだろうか」
「……は?」
斜め上の返答が返ってきて私は思わず聞き返してしまった。
私が言っているのは違う。私はずっと、カノンの格好があまりにも――直接的に言ってしまえば、扇情的であることを危惧しているのだ。
カノンが着ているのは、今私とカノンが来ている南国の、民族衣装だそうだ。といっても、素肌の上から申し訳程度に袖のない上着を羽織り、膝丈のズボンを履いているだけなのだが。
カノンの普段の服装と比べると、驚くほどに露出が多い。そのせいで、服を脱がせない限り決して見えない白い肌や綺麗な脚が、惜しげもなく晒されている。
破廉恥だ。非常に破廉恥である。カノンの姿を見た何者かがうっかり欲情してしまったらどうするのだろうか。そのことを考えるだけで酷い焦燥感に襲われる。
そんな私を見たカノンは「何だ、その顔は」と眉をひそめたが、はたと気づいたように口の端を持ち上げた。
「ああそうか。ヒューイ、お前……」
そしてカノンは私の片頰に手を沿わせ、「……私に欲情したのか」と耳元で囁いた。吐息交じりの色気を含んだ声だった。その声の響きにかっと体が熱くなる。
「なっ――ち、ちが、違います! いえ、違いませんが違います! そうではなくて、私はただ、あなたの――」
「誤魔化さずとも良い。お前ならばいつでも大歓迎だ。ほら、触るか……?」
カノンは私の手を取ると、それを自らの空いた胸元に持っていった。その体温と滑らかな感触を感じ、私の脳裏には昨晩の情事のことがよぎった。
私の表情を見たカノンはうっそりと微笑んだ。その微笑みには、情事の香りが残っているように感じた。
思わず唾を飲み込む。私は欲望に駆られるまま、彼と同じように頰に手を沿わせた。するとカノンは、おもむろに私へと顔を近づけてきた。なので私は、瞳を閉じてカノンへと寄り添うように――。
咳払いが聞こえた。ぴたりと動きを止め、恐る恐る音の出所を見ると、困り果てた顔をした人間の女が立っていた。確か、女宰相だったか。
「あの……そろそろ、お時間ですので……」
――この国は魔王国からほど近くにある、常夏の国である。この国は、今はもう亡きかの国と長年敵対していたことから、かねてより魔王国との仲は良好だった。敵の敵は味方、ということだろう。
かの国には積年の恨みがあったそうで、人間の国では珍しく、魔族が英雄のように扱われている。私たちが人間そのものを敵に回す前にカノンが目覚めて戦乱を治め、この常夏の国には何ら被害がなかったので尚更だ。
そのため、此度のカノンと私の旅行でも、いの一番に「是非わが国へ」と声を上げた国でもあった。
それどころか、歓迎の印としてわざわざ祭りを開くという。だが祭りの開催前に、是非宮殿のバルコニーにて、我が国民に挨拶をしてくれとも言われた。
私としては祭りそのものも余計なお世話でしかないが、祭りと聞いて表情を明るくしたカノンが非常に愛おしかったので、気にしないことにした。
けれど、その直前にカノンが「どうせならこの国の民族衣装を着るのはどうだ」と言い出した。私もこの国の人間も困惑しきりだったが、カノンが楽しげに見えたので、私が口を挟めるはずがなかった。
そして、先ほどの状況へ遡る。
「……残念だったな?」
カノンは悪戯っぽく笑うと、ひらりと身を翻した。私は邪魔をされた不満とこのような状況を見られた羞恥とで憮然としていたが、ふとそのまま向かおうとするカノンに気づいて慌てて声を上げた。
「カノ――魔王様! その格好で向かうのはおやめください!」
「何故?」
「何故、とは――」
「きちんと言わねば分からないだろう?」
不意に視界いっぱいに綺麗な顔が広がった。カノンがぐっと顔を寄せてきたのだ。あまりに近くて鼻先が触れてしまいそうだ。
私は思わず息を飲んでしまった。だいぶ慣れてきたとはいえ、不意打ちで彼の顔が近付くと気恥ずかしくなってしまう。
「お前も似合っていると言っていただろう。何がいけない?」
「で、ですから……ああもう、言わなくても分かるでしょう!」
「いいや、分からんな。言ってみろ」
「ですから、その……その格好はあまりにも露出が多く目の毒ですので、いつもの格好をしていただきたく……と、いうより、近……近いです……!」
「なるほど。つまり私の肌はお前以外に晒すなと」
直接的な言い方に少し顔が熱くなる。私の反応に気を良くしたのか、カノンは楽しげに笑いながら私から離れた。
「そうか。お前がそう言うのなら仕方がない。悪いが――」
言いながら、カノンはパチリと指を鳴らした。その瞬間、格好はいつもの漆黒の礼装とマントに戻り、今まで着ていた服は全て畳まれた状態でカノンの手に収まる。それをカノンは、魔法で浮かせて女宰相へと渡した。
「それは返すことにしよう。無理を言ったな」
「い、いえ! 滅相もありません! で、では、そろそろお時間ですので、一度中へとお戻りいただければ――」
「ああ、分かった。行こうか、ヒューイ」
言うが早いか、カノンは私の唇にキスをした。あまりに唐突で、私はほんの少しの間、固まってしまった。そうしたらカノンはまたからからと明るい笑い声を上げて、先を歩いた。
「……ご結婚、なさっているのですよね」
女宰相がそう私に問いかける。私は「ああ」と頷きながら、女宰相の顔を見た。
彼女は心なしか、カノンの後ろ姿に見惚れているようにも見える。いや、思い返せば彼女は最初から、私たちがこの国へ来た時から、カノンのことをしきりに気にしていた。
それも仕方がない。カノンの名声は大陸中に轟き渡っているし、会えば驚くほどに器が広く心優しいことに驚くだろう。その上、あの美貌である。
老若男女種族を問わず、カノンに惚れるのは自然の摂理であるともいえる。
未だに側室として嫁ぎたいという申し入れが途絶えないことも頷ける。それに、カノンがひとたび作りたいと思えばその相手に困ることはありえないだろうし、本来であればそうすべきなのも分かっている。だが、それでも――面白くない。
「決して魔王様が側室をお作りになることはない。くれぐれも、おかしな気は起こさぬように」
軽く釘を刺すつもりだったが、想像以上に自分の声は冷えていた。彼女は、ヒッ、と喉の奥で悲鳴を上げると、青い顔で黙り込んだ。
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