最凶聖女の地獄指導で覚醒した冴えない社畜、勇者パーティーに放り込まれダンジョン無双し魔王軍に挑む

ワスレナ

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本編

第14話 豊穣の聖女と試される者

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 青白い転移光が、グラコスタ帝国の農耕地帯の一角で静かにほどける。

 私は夜気の冷たさに肩をすくめ、辺りを見回した。
 果てしなく続く畑には月光が降り注ぎ、揺れる穂が波のように光を返している。

「これが、豊穣の国……グラコスタ帝国」

 そう言って小さく息を吐いた時だった。
 畑の奥から、衣擦れの音と共に、かすかな杖の音が聞こえた。

 月明かりに浮かぶ、白い外套と金の髪。
 立派な杖を抱えた女性が、穂を撫でながらゆっくりとこちらへ歩いてくる。

 あれが、聖女セリーヌ様……
 目が合った瞬間、彼女は立ち止まり、杖を胸に抱えて私を見つめた。

「……どなたですか? こんな時間に……」

 柔らかながらも、芯のある声だった。
 私はすぐに両手を上げ、慌てて頭を下げた。

「驚かせてすみません。私はタクト=ヒビヤといいます。聖女セリーヌ=アルグレイン様に……お会いするために来ました」

「ああ……エレノーラが言っていた……」

 セリーヌ様の目が少し輝く。
 私は書簡をインベントリから取り出した。

「……これを預かっています。エレノーラ様からの紹介状です」

 セリーヌ様はそっと私に近寄り、慎重に封筒を受け取った。
 月光の下、封を切ると書簡に目を走らせる。
 ふっと息をつき、私を見た。

「……なるほど、理解しました。なら、あなたは『あの方』なのですね」

 私は深くうなずいて、本心を語った。

「私は知りたいのです。聖女が何を想い、何を背負っているのか……」

 セリーヌ様の瞳にわずかに驚きが宿り、澄んだ笑みが浮かんだ。

「……では、少し畑を歩きましょうか。今夜は月も綺麗ですし……案内します」

 夜風が、柔らかに穂を揺らした。
 月光に照らされる穂波の中を、私とセリーヌ様はゆっくりと歩いた。
 彼女は時折、畑の土を手で触り、作物の状態を確かめながら語り始める。

「聖女というのは……ただ神に祈りを捧げるだけの存在ではないのです。私たちはこの土地を、民を、守り育てる責務がある」

 私はその言葉をじっと聞いていた。
 
「農耕民の家系に生まれ、幼い頃からこの土地の声を聞くすべを教わってきました。風の音、土の香り、作物の成長――それらが私の力の源であり、民の生活そのものなのです」

 セリーヌ様の瞳には、揺るぎない決意と温かい慈愛が宿っていた。

「でもね……」

 彼女は視線を少し落とし、ぽつりと続ける。

「豊かな収穫は喜びだけど、時には天災や疫病が襲い、民は苦しむ。そんな時、私がただ優しくあればよいというわけではない。……時に厳しく、時に怒りを持って立ち向かわなければならないのです」

 私は黙ってうなずきながら考え込む。

 エレノーラ様が天使に見せた、あの冷徹さ―― 
 それはこのセリーヌ様の言う“厳しさ”や“怒り”と根っこが同じなのかもしれない。

「それで、聖女たちは互いに巡り会い、話し合い、支え合っているのですか?」

 私が尋ねると、セリーヌ様は柔らかく微笑んだ。

「ええ。孤独では務まらない役目だから。私もレティシアやエレノーラとは何度も言葉を交わしています」

 その瞬間、私の心の奥で何かが静かに動いた。

 聖女たちにはそれぞれ役割と覚悟がある。
 だがそれは単に“善き存在”というだけではない……。

 穂波が夜風に揺れる音が、静かに二人を包んでいた。
 セリーヌ様は、ふと立ち止まると、手にしていた杖を静かに掲げた。

 その瞬間、風が生まれた。

 小麦の穂がざわりと揺れ、淡い緑の光が周囲に舞い始める。
 まるで風の精霊が畑に息吹を吹き込んでいるかのようだった。

「……これは?」

「神農の杖の加護と、私の“祈り”です。作物たちに眠りを届けるための、ひとときの祝福」

 彼女の声は優しく、それでいてどこかはかなかった。

「精霊たちは、願いに応えてくれます。ただし、無垢であればこそ。欲や怒りに染まれば、彼らは沈黙する」

 セリーヌ様は土に片膝をつき、ひと房の麦を手に取って微笑んだ。

「……でもね、タクト様。精霊も、神も、人の“悲しみ”にはとても敏感なのです」

「悲しみ……ですか?」

「はい。悲しみの祈りほど、澄んでいるものはない。だから……私は時折、恐れてしまうのです。皆が悲しみを通じてしか、神に祈れなくなったら――と」

 私はその言葉に、息を呑んだ。

 ――ああ、そうか。
 エレノーラ様も、この前のレティシア様も、そして今回のセリーヌ様も、聖女はみんな、人々の“悲しみ”と向き合い続けている。
 祈りを聞き、嘆きを背負い、絶えず応えようとしているのだ。

「それが……あなたの“不安”ですか?」

 問いかけると、セリーヌ様の指が、そっと麦の穂を撫でた。

「……ええ。エレノーラはあなたのことを“信じる”と言いました。ならば、私は“疑う”役を担わなければならない」

 彼女の目が、夜空の月光を受けて一瞬だけ厳しくなる。

「私はこの大地を預かる者。水脈も風向きも、今年の雨も、全てをこの肌で感じながら選ばなければならない」

「……」

「あなたがこの地を踏み、私と話すということは、ただの聖女巡礼ではありません。エレノーラの試練以上に――あなた自身が、この“土地”に試されているということ」

 私は彼女の言葉を理解した。

 この地に咲く命を、彼女は“育てている”のではない。
 “見極めている”のだ。

 そう――神ではなく、地上の民の代表として。

 セリーヌ様はしばらく沈黙し、夜空を見上げる。
 その目が少し柔らかくなった頃、彼女はそっと言った。

「けれど、タクト様。私はもうひとつの希望を抱いています。……それは、あなたが“聖女ではない”ということ」

「……え?」

 当たり前の話だと思うが、一体どうして?

「私たちは、祈りの器。個を捨て、民と神に仕える者です。でも……きっと、タクト様は違う。あなたの“祈り”は、きっと……誰かのためでありながら、自分の願いでもある」

 私は思わず、自分の胸に手を当てた。

 確かに、私はまだ迷っている。
 けれど――誰かを守りたいという願いだけは、何度折れても消えたことはなかった。

「それは、祈りの形として未完成かもしれません。でも私は――」

 セリーヌ様は一歩踏み出し、私の目を見てはっきりと告げた。

「私は、そういう祈りに、救われたことがあるのです」

 ……胸の奥が、ふわりと熱くなった。

 彼女は神に仕える聖女でありながら、人としての痛みと希望の間で祈り続けている。
 私は思わず膝をつき、土をすくった。

「……こんな冷たい土の中に、温かい命が眠っているんですね」

 私の言葉にセリーヌ様は小さく微笑み、膝をついて隣に座った。

「ええ。だから、忘れないでください。――命とは、厳しさと優しさが交わるところに芽吹くものなのです」

 風が吹いた。
 淡い風の精霊が、夜の畑を通り抜け、光の粉をきながら天へ昇っていく。
 私はその光景を目に焼き付けながら、胸の奥でひとつの想いを結んだ。

 私は“支える者”として、ただ力を貸すだけではなく、
 ――聖女たちが立つこの世界を、共に受け止めていこうと。

 やがて、セリーヌ様は立ち上がり、静かに言った。

「……そろそろ、風も眠る頃です。私も、日付が変わる前には、祈祷に戻らねばなりません」

「ありがとうございました。聖女セリーヌ=アルグレイン様」

「タクト様。また、いつか畑で語りましょう。……私たちの“祈り”が交わる場所で」

「はい。今日は貴重な時間とお言葉を頂き、ありがとうございました」

 その時、セリーヌ様は神農の杖の先端をそっと掲げた。
 すると、杖に絡むつたが淡く光を放ち、一羽の小さな白い鳥が生まれる。
 羽根は月光を透かし、淡い緑の粉を残しながら宙を舞い上がった。

「……風の精霊ですか?」

「ええ。私の代わりに、ある方へ便りを届けてくれる使いです」

 小鳥は夜空へと羽ばたき、やがて畑の向こうに消えた。
 残された風が、ほんのりと草の香りを運んでくる。

「この風……きっと覚えておきます」

 神農の杖が再び風を呼び、彼女は畑の奥へと歩き出す。
 見送る小柄な豊穣の聖女の背中は、どこまでも穏やかで、どこまでも力強かった。

「……今夜の出会いは、きっと、私の中で“根”になる」

 静かにそうつぶやいて、私はその場を後にした。


◇ ◇ ◇


 転移陣の光が消え、私は静かに深呼吸する。
 豊穣の聖女との対話を終えて戻った私は、エレノーラ様の部屋を訪ねる。

「おかえりなさい、タクト」

 深夜にもかかわらず、エレノーラ様が机に向かい、数枚の羊皮紙を手にしていた。
 その傍らには、小さな白い鳥が羽根を休めている。
 ……鳥? 
 いや、月光を透かして消えていく羽根は、風の精霊そのものだった。

「只今戻りました。師匠」

 私はそう言って一礼する。
 エレノーラ様は目線だけを向け、わずかに口元を緩めた。

「どうだったかしら? セリーヌは」

 私は少し考えてから、ゆっくりと答えた。

「そうですね……厳しく、そして優しい方でした。――まるで、大地そのもののように」

「ふふ、よく言い表しましたね。あの子は、神の声を聞くよりも先に、土の声を聞く子でしたから」

 エレノーラ様は椅子から立ち上がり、私の傍に歩み寄ると、目を細めて続ける。

「でもね、セリーヌは……人の悲しみを知りすぎている。だから、貴方がどう受け止めたか、それを私は知りたいのです」

 私は少し考え、心の内を言葉にする。

「セリーヌ様は私を“疑う”役を担わなければならないと仰いました。そして……彼女に“試された”と感じました。ですが、拒まれたのではなく――“見極められた”のだと、今は思います」

 エレノーラ様は静かにうなずいた。

「ええ。聖女であっても、誰かを“信じる”には覚悟が要る。あの子は貴方の中に“信じるだけの種”があるかを見ていたのでしょう……」

 私はエレノーラ様の傍にいる光景が気になって仕方なかった。

「ところで、その鳥は……」

「ああ、セリーヌからの便りです。貴方が畑を離れた瞬間、風の精霊がここへ運んできたのですよ」

 私は驚きと納得が入り混じった感覚になる。
 ――なるほど。だから、私より早く届いたのか。

「彼女は短くこう書いています。『土は受け入れました』と」

 その言葉に、胸の奥で何かが温かく広がった。
 試されていた――そう思っていたが、その試練を越えた証が、たった一行で告げられている。

「……受け入れられた、か」

 エレノーラ様は羊皮紙をそっと伏せ、こちらを見た。

「ええ。聖女の中でも、セリーヌの言葉は特に重い。それだけ、あの子は土と民の声を知っている」

 私は胸に手を当て、静かにうなずいた。
 土に根を張るような確かな感覚が、心に残っている。

「……でも、もう一言書いてありますよ」

 エレノーラ様の声色が少し変わる。

「『エレノーラ、あなたの信じる男はまだ半熟卵です。しっかりでなさい』と」

「……で……? あの、私は食材では……!」

 必死に手ぶりで否定する私を見て、エレノーラ様はわずかに肩を震わせた。
 ――この人が笑うのを、こんなに近くで見たのは初めてかもしれない。

「まあ、で方は私に任せなさい。……あなたが焦げない程度に」

「……はい。焦げない程度でお願いします」

 その時、小さな風が部屋を抜けた。
 精霊の残り香は、まるでセリーヌ様の笑みのように、温かく、そして少しだけ厳しかった。

 聖女に対する認識は、少し深まり、少し謎が増えた感じだ。

 大地に種がかれ、風がそれを撫でるように。
 この出逢いが、何かの“芽吹き”につながると、私は信じていた。

━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

【まめちしき】

【神農の杖】……豊穣の聖女セリーヌが代々受け継ぐ聖具。大地と風の精霊を呼び作物を育む力を持つ。土壌の状態や作物の病を見抜き、祈りと共に収穫を祝福することで土地全体を活性化させる。
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