18 / 46
本編
第14話 豊穣の聖女と試される者
しおりを挟む
青白い転移光が、グラコスタ帝国の農耕地帯の一角で静かにほどける。
私は夜気の冷たさに肩をすくめ、辺りを見回した。
果てしなく続く畑には月光が降り注ぎ、揺れる穂が波のように光を返している。
「これが、豊穣の国……グラコスタ帝国」
そう言って小さく息を吐いた時だった。
畑の奥から、衣擦れの音と共に、かすかな杖の音が聞こえた。
月明かりに浮かぶ、白い外套と金の髪。
立派な杖を抱えた女性が、穂を撫でながらゆっくりとこちらへ歩いてくる。
あれが、聖女セリーヌ様……
目が合った瞬間、彼女は立ち止まり、杖を胸に抱えて私を見つめた。
「……どなたですか? こんな時間に……」
柔らかながらも、芯のある声だった。
私はすぐに両手を上げ、慌てて頭を下げた。
「驚かせてすみません。私はタクト=ヒビヤといいます。聖女セリーヌ=アルグレイン様に……お会いするために来ました」
「ああ……エレノーラが言っていた……」
セリーヌ様の目が少し輝く。
私は書簡をインベントリから取り出した。
「……これを預かっています。エレノーラ様からの紹介状です」
セリーヌ様はそっと私に近寄り、慎重に封筒を受け取った。
月光の下、封を切ると書簡に目を走らせる。
ふっと息をつき、私を見た。
「……なるほど、理解しました。なら、あなたは『あの方』なのですね」
私は深く頷いて、本心を語った。
「私は知りたいのです。聖女が何を想い、何を背負っているのか……」
セリーヌ様の瞳にわずかに驚きが宿り、澄んだ笑みが浮かんだ。
「……では、少し畑を歩きましょうか。今夜は月も綺麗ですし……案内します」
夜風が、柔らかに穂を揺らした。
月光に照らされる穂波の中を、私とセリーヌ様はゆっくりと歩いた。
彼女は時折、畑の土を手で触り、作物の状態を確かめながら語り始める。
「聖女というのは……ただ神に祈りを捧げるだけの存在ではないのです。私たちはこの土地を、民を、守り育てる責務がある」
私はその言葉をじっと聞いていた。
「農耕民の家系に生まれ、幼い頃からこの土地の声を聞く術を教わってきました。風の音、土の香り、作物の成長――それらが私の力の源であり、民の生活そのものなのです」
セリーヌ様の瞳には、揺るぎない決意と温かい慈愛が宿っていた。
「でもね……」
彼女は視線を少し落とし、ぽつりと続ける。
「豊かな収穫は喜びだけど、時には天災や疫病が襲い、民は苦しむ。そんな時、私がただ優しくあればよいというわけではない。……時に厳しく、時に怒りを持って立ち向かわなければならないのです」
私は黙って頷きながら考え込む。
エレノーラ様が天使に見せた、あの冷徹さ――
それはこのセリーヌ様の言う“厳しさ”や“怒り”と根っこが同じなのかもしれない。
「それで、聖女たちは互いに巡り会い、話し合い、支え合っているのですか?」
私が尋ねると、セリーヌ様は柔らかく微笑んだ。
「ええ。孤独では務まらない役目だから。私もレティシアやエレノーラとは何度も言葉を交わしています」
その瞬間、私の心の奥で何かが静かに動いた。
聖女たちにはそれぞれ役割と覚悟がある。
だがそれは単に“善き存在”というだけではない……。
穂波が夜風に揺れる音が、静かに二人を包んでいた。
セリーヌ様は、ふと立ち止まると、手にしていた杖を静かに掲げた。
その瞬間、風が生まれた。
小麦の穂がざわりと揺れ、淡い緑の光が周囲に舞い始める。
まるで風の精霊が畑に息吹を吹き込んでいるかのようだった。
「……これは?」
「神農の杖の加護と、私の“祈り”です。作物たちに眠りを届けるための、ひとときの祝福」
彼女の声は優しく、それでいてどこか儚かった。
「精霊たちは、願いに応えてくれます。ただし、無垢であればこそ。欲や怒りに染まれば、彼らは沈黙する」
セリーヌ様は土に片膝をつき、ひと房の麦を手に取って微笑んだ。
「……でもね、タクト様。精霊も、神も、人の“悲しみ”にはとても敏感なのです」
「悲しみ……ですか?」
「はい。悲しみの祈りほど、澄んでいるものはない。だから……私は時折、恐れてしまうのです。皆が悲しみを通じてしか、神に祈れなくなったら――と」
私はその言葉に、息を呑んだ。
――ああ、そうか。
エレノーラ様も、この前のレティシア様も、そして今回のセリーヌ様も、聖女はみんな、人々の“悲しみ”と向き合い続けている。
祈りを聞き、嘆きを背負い、絶えず応えようとしているのだ。
「それが……あなたの“不安”ですか?」
問いかけると、セリーヌ様の指が、そっと麦の穂を撫でた。
「……ええ。エレノーラはあなたのことを“信じる”と言いました。ならば、私は“疑う”役を担わなければならない」
彼女の目が、夜空の月光を受けて一瞬だけ厳しくなる。
「私はこの大地を預かる者。水脈も風向きも、今年の雨も、全てをこの肌で感じながら選ばなければならない」
「……」
「あなたがこの地を踏み、私と話すということは、ただの聖女巡礼ではありません。エレノーラの試練以上に――あなた自身が、この“土地”に試されているということ」
私は彼女の言葉を理解した。
この地に咲く命を、彼女は“育てている”のではない。
“見極めている”のだ。
そう――神ではなく、地上の民の代表として。
セリーヌ様はしばらく沈黙し、夜空を見上げる。
その目が少し柔らかくなった頃、彼女はそっと言った。
「けれど、タクト様。私はもうひとつの希望を抱いています。……それは、あなたが“聖女ではない”ということ」
「……え?」
当たり前の話だと思うが、一体どうして?
「私たちは、祈りの器。個を捨て、民と神に仕える者です。でも……きっと、タクト様は違う。あなたの“祈り”は、きっと……誰かのためでありながら、自分の願いでもある」
私は思わず、自分の胸に手を当てた。
確かに、私はまだ迷っている。
けれど――誰かを守りたいという願いだけは、何度折れても消えたことはなかった。
「それは、祈りの形として未完成かもしれません。でも私は――」
セリーヌ様は一歩踏み出し、私の目を見てはっきりと告げた。
「私は、そういう祈りに、救われたことがあるのです」
……胸の奥が、ふわりと熱くなった。
彼女は神に仕える聖女でありながら、人としての痛みと希望の間で祈り続けている。
私は思わず膝をつき、土を掬った。
「……こんな冷たい土の中に、温かい命が眠っているんですね」
私の言葉にセリーヌ様は小さく微笑み、膝をついて隣に座った。
「ええ。だから、忘れないでください。――命とは、厳しさと優しさが交わるところに芽吹くものなのです」
風が吹いた。
淡い風の精霊が、夜の畑を通り抜け、光の粉を撒きながら天へ昇っていく。
私はその光景を目に焼き付けながら、胸の奥でひとつの想いを結んだ。
私は“支える者”として、ただ力を貸すだけではなく、
――聖女たちが立つこの世界を、共に受け止めていこうと。
やがて、セリーヌ様は立ち上がり、静かに言った。
「……そろそろ、風も眠る頃です。私も、日付が変わる前には、祈祷に戻らねばなりません」
「ありがとうございました。聖女セリーヌ=アルグレイン様」
「タクト様。また、いつか畑で語りましょう。……私たちの“祈り”が交わる場所で」
「はい。今日は貴重な時間とお言葉を頂き、ありがとうございました」
その時、セリーヌ様は神農の杖の先端をそっと掲げた。
すると、杖に絡む蔓が淡く光を放ち、一羽の小さな白い鳥が生まれる。
羽根は月光を透かし、淡い緑の粉を残しながら宙を舞い上がった。
「……風の精霊ですか?」
「ええ。私の代わりに、ある方へ便りを届けてくれる使いです」
小鳥は夜空へと羽ばたき、やがて畑の向こうに消えた。
残された風が、ほんのりと草の香りを運んでくる。
「この風……きっと覚えておきます」
神農の杖が再び風を呼び、彼女は畑の奥へと歩き出す。
見送る小柄な豊穣の聖女の背中は、どこまでも穏やかで、どこまでも力強かった。
「……今夜の出会いは、きっと、私の中で“根”になる」
静かにそう呟いて、私はその場を後にした。
◇ ◇ ◇
転移陣の光が消え、私は静かに深呼吸する。
豊穣の聖女との対話を終えて戻った私は、エレノーラ様の部屋を訪ねる。
「おかえりなさい、タクト」
深夜にもかかわらず、エレノーラ様が机に向かい、数枚の羊皮紙を手にしていた。
その傍らには、小さな白い鳥が羽根を休めている。
……鳥?
いや、月光を透かして消えていく羽根は、風の精霊そのものだった。
「只今戻りました。師匠」
私はそう言って一礼する。
エレノーラ様は目線だけを向け、わずかに口元を緩めた。
「どうだったかしら? セリーヌは」
私は少し考えてから、ゆっくりと答えた。
「そうですね……厳しく、そして優しい方でした。――まるで、大地そのもののように」
「ふふ、よく言い表しましたね。あの子は、神の声を聞くよりも先に、土の声を聞く子でしたから」
エレノーラ様は椅子から立ち上がり、私の傍に歩み寄ると、目を細めて続ける。
「でもね、セリーヌは……人の悲しみを知りすぎている。だから、貴方がどう受け止めたか、それを私は知りたいのです」
私は少し考え、心の内を言葉にする。
「セリーヌ様は私を“疑う”役を担わなければならないと仰いました。そして……彼女に“試された”と感じました。ですが、拒まれたのではなく――“見極められた”のだと、今は思います」
エレノーラ様は静かに頷いた。
「ええ。聖女であっても、誰かを“信じる”には覚悟が要る。あの子は貴方の中に“信じるだけの種”があるかを見ていたのでしょう……」
私はエレノーラ様の傍にいる光景が気になって仕方なかった。
「ところで、その鳥は……」
「ああ、セリーヌからの便りです。貴方が畑を離れた瞬間、風の精霊がここへ運んできたのですよ」
私は驚きと納得が入り混じった感覚になる。
――なるほど。だから、私より早く届いたのか。
「彼女は短くこう書いています。『土は受け入れました』と」
その言葉に、胸の奥で何かが温かく広がった。
試されていた――そう思っていたが、その試練を越えた証が、たった一行で告げられている。
「……受け入れられた、か」
エレノーラ様は羊皮紙をそっと伏せ、こちらを見た。
「ええ。聖女の中でも、セリーヌの言葉は特に重い。それだけ、あの子は土と民の声を知っている」
私は胸に手を当て、静かに頷いた。
土に根を張るような確かな感覚が、心に残っている。
「……でも、もう一言書いてありますよ」
エレノーラ様の声色が少し変わる。
「『エレノーラ、あなたの信じる男はまだ半熟卵です。しっかり茹でなさい』と」
「……茹で……? あの、私は食材では……!」
必死に手ぶりで否定する私を見て、エレノーラ様はわずかに肩を震わせた。
――この人が笑うのを、こんなに近くで見たのは初めてかもしれない。
「まあ、茹で方は私に任せなさい。……あなたが焦げない程度に」
「……はい。焦げない程度でお願いします」
その時、小さな風が部屋を抜けた。
精霊の残り香は、まるでセリーヌ様の笑みのように、温かく、そして少しだけ厳しかった。
聖女に対する認識は、少し深まり、少し謎が増えた感じだ。
大地に種が撒かれ、風がそれを撫でるように。
この出逢いが、何かの“芽吹き”につながると、私は信じていた。
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
【まめちしき】
【神農の杖】……豊穣の聖女セリーヌが代々受け継ぐ聖具。大地と風の精霊を呼び作物を育む力を持つ。土壌の状態や作物の病を見抜き、祈りと共に収穫を祝福することで土地全体を活性化させる。
私は夜気の冷たさに肩をすくめ、辺りを見回した。
果てしなく続く畑には月光が降り注ぎ、揺れる穂が波のように光を返している。
「これが、豊穣の国……グラコスタ帝国」
そう言って小さく息を吐いた時だった。
畑の奥から、衣擦れの音と共に、かすかな杖の音が聞こえた。
月明かりに浮かぶ、白い外套と金の髪。
立派な杖を抱えた女性が、穂を撫でながらゆっくりとこちらへ歩いてくる。
あれが、聖女セリーヌ様……
目が合った瞬間、彼女は立ち止まり、杖を胸に抱えて私を見つめた。
「……どなたですか? こんな時間に……」
柔らかながらも、芯のある声だった。
私はすぐに両手を上げ、慌てて頭を下げた。
「驚かせてすみません。私はタクト=ヒビヤといいます。聖女セリーヌ=アルグレイン様に……お会いするために来ました」
「ああ……エレノーラが言っていた……」
セリーヌ様の目が少し輝く。
私は書簡をインベントリから取り出した。
「……これを預かっています。エレノーラ様からの紹介状です」
セリーヌ様はそっと私に近寄り、慎重に封筒を受け取った。
月光の下、封を切ると書簡に目を走らせる。
ふっと息をつき、私を見た。
「……なるほど、理解しました。なら、あなたは『あの方』なのですね」
私は深く頷いて、本心を語った。
「私は知りたいのです。聖女が何を想い、何を背負っているのか……」
セリーヌ様の瞳にわずかに驚きが宿り、澄んだ笑みが浮かんだ。
「……では、少し畑を歩きましょうか。今夜は月も綺麗ですし……案内します」
夜風が、柔らかに穂を揺らした。
月光に照らされる穂波の中を、私とセリーヌ様はゆっくりと歩いた。
彼女は時折、畑の土を手で触り、作物の状態を確かめながら語り始める。
「聖女というのは……ただ神に祈りを捧げるだけの存在ではないのです。私たちはこの土地を、民を、守り育てる責務がある」
私はその言葉をじっと聞いていた。
「農耕民の家系に生まれ、幼い頃からこの土地の声を聞く術を教わってきました。風の音、土の香り、作物の成長――それらが私の力の源であり、民の生活そのものなのです」
セリーヌ様の瞳には、揺るぎない決意と温かい慈愛が宿っていた。
「でもね……」
彼女は視線を少し落とし、ぽつりと続ける。
「豊かな収穫は喜びだけど、時には天災や疫病が襲い、民は苦しむ。そんな時、私がただ優しくあればよいというわけではない。……時に厳しく、時に怒りを持って立ち向かわなければならないのです」
私は黙って頷きながら考え込む。
エレノーラ様が天使に見せた、あの冷徹さ――
それはこのセリーヌ様の言う“厳しさ”や“怒り”と根っこが同じなのかもしれない。
「それで、聖女たちは互いに巡り会い、話し合い、支え合っているのですか?」
私が尋ねると、セリーヌ様は柔らかく微笑んだ。
「ええ。孤独では務まらない役目だから。私もレティシアやエレノーラとは何度も言葉を交わしています」
その瞬間、私の心の奥で何かが静かに動いた。
聖女たちにはそれぞれ役割と覚悟がある。
だがそれは単に“善き存在”というだけではない……。
穂波が夜風に揺れる音が、静かに二人を包んでいた。
セリーヌ様は、ふと立ち止まると、手にしていた杖を静かに掲げた。
その瞬間、風が生まれた。
小麦の穂がざわりと揺れ、淡い緑の光が周囲に舞い始める。
まるで風の精霊が畑に息吹を吹き込んでいるかのようだった。
「……これは?」
「神農の杖の加護と、私の“祈り”です。作物たちに眠りを届けるための、ひとときの祝福」
彼女の声は優しく、それでいてどこか儚かった。
「精霊たちは、願いに応えてくれます。ただし、無垢であればこそ。欲や怒りに染まれば、彼らは沈黙する」
セリーヌ様は土に片膝をつき、ひと房の麦を手に取って微笑んだ。
「……でもね、タクト様。精霊も、神も、人の“悲しみ”にはとても敏感なのです」
「悲しみ……ですか?」
「はい。悲しみの祈りほど、澄んでいるものはない。だから……私は時折、恐れてしまうのです。皆が悲しみを通じてしか、神に祈れなくなったら――と」
私はその言葉に、息を呑んだ。
――ああ、そうか。
エレノーラ様も、この前のレティシア様も、そして今回のセリーヌ様も、聖女はみんな、人々の“悲しみ”と向き合い続けている。
祈りを聞き、嘆きを背負い、絶えず応えようとしているのだ。
「それが……あなたの“不安”ですか?」
問いかけると、セリーヌ様の指が、そっと麦の穂を撫でた。
「……ええ。エレノーラはあなたのことを“信じる”と言いました。ならば、私は“疑う”役を担わなければならない」
彼女の目が、夜空の月光を受けて一瞬だけ厳しくなる。
「私はこの大地を預かる者。水脈も風向きも、今年の雨も、全てをこの肌で感じながら選ばなければならない」
「……」
「あなたがこの地を踏み、私と話すということは、ただの聖女巡礼ではありません。エレノーラの試練以上に――あなた自身が、この“土地”に試されているということ」
私は彼女の言葉を理解した。
この地に咲く命を、彼女は“育てている”のではない。
“見極めている”のだ。
そう――神ではなく、地上の民の代表として。
セリーヌ様はしばらく沈黙し、夜空を見上げる。
その目が少し柔らかくなった頃、彼女はそっと言った。
「けれど、タクト様。私はもうひとつの希望を抱いています。……それは、あなたが“聖女ではない”ということ」
「……え?」
当たり前の話だと思うが、一体どうして?
「私たちは、祈りの器。個を捨て、民と神に仕える者です。でも……きっと、タクト様は違う。あなたの“祈り”は、きっと……誰かのためでありながら、自分の願いでもある」
私は思わず、自分の胸に手を当てた。
確かに、私はまだ迷っている。
けれど――誰かを守りたいという願いだけは、何度折れても消えたことはなかった。
「それは、祈りの形として未完成かもしれません。でも私は――」
セリーヌ様は一歩踏み出し、私の目を見てはっきりと告げた。
「私は、そういう祈りに、救われたことがあるのです」
……胸の奥が、ふわりと熱くなった。
彼女は神に仕える聖女でありながら、人としての痛みと希望の間で祈り続けている。
私は思わず膝をつき、土を掬った。
「……こんな冷たい土の中に、温かい命が眠っているんですね」
私の言葉にセリーヌ様は小さく微笑み、膝をついて隣に座った。
「ええ。だから、忘れないでください。――命とは、厳しさと優しさが交わるところに芽吹くものなのです」
風が吹いた。
淡い風の精霊が、夜の畑を通り抜け、光の粉を撒きながら天へ昇っていく。
私はその光景を目に焼き付けながら、胸の奥でひとつの想いを結んだ。
私は“支える者”として、ただ力を貸すだけではなく、
――聖女たちが立つこの世界を、共に受け止めていこうと。
やがて、セリーヌ様は立ち上がり、静かに言った。
「……そろそろ、風も眠る頃です。私も、日付が変わる前には、祈祷に戻らねばなりません」
「ありがとうございました。聖女セリーヌ=アルグレイン様」
「タクト様。また、いつか畑で語りましょう。……私たちの“祈り”が交わる場所で」
「はい。今日は貴重な時間とお言葉を頂き、ありがとうございました」
その時、セリーヌ様は神農の杖の先端をそっと掲げた。
すると、杖に絡む蔓が淡く光を放ち、一羽の小さな白い鳥が生まれる。
羽根は月光を透かし、淡い緑の粉を残しながら宙を舞い上がった。
「……風の精霊ですか?」
「ええ。私の代わりに、ある方へ便りを届けてくれる使いです」
小鳥は夜空へと羽ばたき、やがて畑の向こうに消えた。
残された風が、ほんのりと草の香りを運んでくる。
「この風……きっと覚えておきます」
神農の杖が再び風を呼び、彼女は畑の奥へと歩き出す。
見送る小柄な豊穣の聖女の背中は、どこまでも穏やかで、どこまでも力強かった。
「……今夜の出会いは、きっと、私の中で“根”になる」
静かにそう呟いて、私はその場を後にした。
◇ ◇ ◇
転移陣の光が消え、私は静かに深呼吸する。
豊穣の聖女との対話を終えて戻った私は、エレノーラ様の部屋を訪ねる。
「おかえりなさい、タクト」
深夜にもかかわらず、エレノーラ様が机に向かい、数枚の羊皮紙を手にしていた。
その傍らには、小さな白い鳥が羽根を休めている。
……鳥?
いや、月光を透かして消えていく羽根は、風の精霊そのものだった。
「只今戻りました。師匠」
私はそう言って一礼する。
エレノーラ様は目線だけを向け、わずかに口元を緩めた。
「どうだったかしら? セリーヌは」
私は少し考えてから、ゆっくりと答えた。
「そうですね……厳しく、そして優しい方でした。――まるで、大地そのもののように」
「ふふ、よく言い表しましたね。あの子は、神の声を聞くよりも先に、土の声を聞く子でしたから」
エレノーラ様は椅子から立ち上がり、私の傍に歩み寄ると、目を細めて続ける。
「でもね、セリーヌは……人の悲しみを知りすぎている。だから、貴方がどう受け止めたか、それを私は知りたいのです」
私は少し考え、心の内を言葉にする。
「セリーヌ様は私を“疑う”役を担わなければならないと仰いました。そして……彼女に“試された”と感じました。ですが、拒まれたのではなく――“見極められた”のだと、今は思います」
エレノーラ様は静かに頷いた。
「ええ。聖女であっても、誰かを“信じる”には覚悟が要る。あの子は貴方の中に“信じるだけの種”があるかを見ていたのでしょう……」
私はエレノーラ様の傍にいる光景が気になって仕方なかった。
「ところで、その鳥は……」
「ああ、セリーヌからの便りです。貴方が畑を離れた瞬間、風の精霊がここへ運んできたのですよ」
私は驚きと納得が入り混じった感覚になる。
――なるほど。だから、私より早く届いたのか。
「彼女は短くこう書いています。『土は受け入れました』と」
その言葉に、胸の奥で何かが温かく広がった。
試されていた――そう思っていたが、その試練を越えた証が、たった一行で告げられている。
「……受け入れられた、か」
エレノーラ様は羊皮紙をそっと伏せ、こちらを見た。
「ええ。聖女の中でも、セリーヌの言葉は特に重い。それだけ、あの子は土と民の声を知っている」
私は胸に手を当て、静かに頷いた。
土に根を張るような確かな感覚が、心に残っている。
「……でも、もう一言書いてありますよ」
エレノーラ様の声色が少し変わる。
「『エレノーラ、あなたの信じる男はまだ半熟卵です。しっかり茹でなさい』と」
「……茹で……? あの、私は食材では……!」
必死に手ぶりで否定する私を見て、エレノーラ様はわずかに肩を震わせた。
――この人が笑うのを、こんなに近くで見たのは初めてかもしれない。
「まあ、茹で方は私に任せなさい。……あなたが焦げない程度に」
「……はい。焦げない程度でお願いします」
その時、小さな風が部屋を抜けた。
精霊の残り香は、まるでセリーヌ様の笑みのように、温かく、そして少しだけ厳しかった。
聖女に対する認識は、少し深まり、少し謎が増えた感じだ。
大地に種が撒かれ、風がそれを撫でるように。
この出逢いが、何かの“芽吹き”につながると、私は信じていた。
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
【まめちしき】
【神農の杖】……豊穣の聖女セリーヌが代々受け継ぐ聖具。大地と風の精霊を呼び作物を育む力を持つ。土壌の状態や作物の病を見抜き、祈りと共に収穫を祝福することで土地全体を活性化させる。
0
あなたにおすすめの小説
【超速爆速レベルアップ】~俺だけ入れるダンジョンはゴールドメタルスライムの狩り場でした~
シオヤマ琴@『最強最速』発売中
ファンタジー
ダンジョンが出現し20年。
木崎賢吾、22歳は子どもの頃からダンジョンに憧れていた。
しかし、ダンジョンは最初に足を踏み入れた者の所有物となるため、もうこの世界にはどこを探しても未発見のダンジョンなどないと思われていた。
そんな矢先、バイト帰りに彼が目にしたものは――。
【自分だけのダンジョンを夢見ていた青年のレベリング冒険譚が今幕を開ける!】
追放されたら無能スキルで無双する
ゆる弥
ファンタジー
無能スキルを持っていた僕は、荷物持ちとしてあるパーティーについて行っていたんだ。
見つけた宝箱にみんなで駆け寄ったら、そこはモンスタールームで。
僕はモンスターの中に蹴り飛ばされて置き去りにされた。
咄嗟に使ったスキルでスキルレベルが上がって覚醒したんだ。
僕は憧れのトップ探索者《シーカー》になる!
異世界でぺったんこさん!〜無限収納5段階活用で無双する〜
KeyBow
ファンタジー
間もなく50歳になる銀行マンのおっさんは、高校生達の異世界召喚に巻き込まれた。
何故か若返り、他の召喚者と同じ高校生位の年齢になっていた。
召喚したのは、魔王を討ち滅ぼす為だと伝えられる。自分で2つのスキルを選ぶ事が出来ると言われ、おっさんが選んだのは無限収納と飛翔!
しかし召喚した者達はスキルを制御する為の装飾品と偽り、隷属の首輪を装着しようとしていた・・・
いち早くその嘘に気が付いたおっさんが1人の少女を連れて逃亡を図る。
その後おっさんは無限収納の5段階活用で無双する!・・・はずだ。
上空に飛び、そこから大きな岩を落として押しつぶす。やがて救った少女は口癖のように言う。
またぺったんこですか?・・・
異世界帰りの元勇者、日本に突然ダンジョンが出現したので「俺、バイト辞めますっ!」
シオヤマ琴@『最強最速』発売中
ファンタジー
俺、結城ミサオは異世界帰りの元勇者。
異世界では強大な力を持った魔王を倒しもてはやされていたのに、こっちの世界に戻ったら平凡なコンビニバイト。
せっかく強くなったっていうのにこれじゃ宝の持ち腐れだ。
そう思っていたら突然目の前にダンジョンが現れた。
これは天啓か。
俺は一も二もなくダンジョンへと向かっていくのだった。
【完結】幼馴染にフラれて異世界ハーレム風呂で優しく癒されてますが、好感度アップに未練タラタラなのが役立ってるとは気付かず、世界を救いました。
三矢さくら
ファンタジー
【本編完結】⭐︎気分どん底スタート、あとはアガるだけの異世界純情ハーレム&バトルファンタジー⭐︎
長年思い続けた幼馴染にフラれたショックで目の前が全部真っ白になったと思ったら、これ異世界召喚ですか!?
しかも、フラれたばかりのダダ凹みなのに、まさかのハーレム展開。まったくそんな気分じゃないのに、それが『シキタリ』と言われては断りにくい。毎日混浴ですか。そうですか。赤面しますよ。
ただ、召喚されたお城は、落城寸前の風前の灯火。伝説の『マレビト』として召喚された俺、百海勇吾(18)は、城主代行を任されて、城に襲い掛かる謎のバケモノたちに立ち向かうことに。
といっても、発現するらしいチートは使えないし、お城に唯一いた呪術師の第4王女様は召喚の呪術の影響で、眠りっ放し。
とにかく、俺を取り囲んでる女子たちと、お城の皆さんの気持ちをまとめて闘うしかない!
フラれたばかりで、そんな気分じゃないんだけどなぁ!
無能扱いされ会社を辞めさせられ、モフモフがさみしさで命の危機に陥るが懸命なナデナデ配信によりバズる~色々あって心と音速の壁を突破するまで~
ぐうのすけ
ファンタジー
大岩翔(オオイワ カケル・20才)は部長の悪知恵により会社を辞めて家に帰った。
玄関を開けるとモフモフ用座布団の上にペットが座って待っているのだが様子がおかしい。
「きゅう、痩せたか?それに元気もない」
ペットをさみしくさせていたと反省したカケルはペットを頭に乗せて大穴(ダンジョン)へと走った。
だが、大穴に向かう途中で小麦粉の大袋を担いだJKとぶつかりそうになる。
「パンを咥えて遅刻遅刻~ではなく原材料を担ぐJKだと!」
この奇妙な出会いによりカケルはヒロイン達と心を通わせ、心に抱えた闇を超え、心と音速の壁を突破する。
クラス転移で無能判定されて追放されたけど、努力してSSランクのチートスキルに進化しました~【生命付与】スキルで異世界を自由に楽しみます~
いちまる
ファンタジー
ある日、クラスごと異世界に召喚されてしまった少年、天羽イオリ。
他のクラスメートが強力なスキルを発現させてゆく中、イオリだけが最低ランクのEランクスキル【生命付与】の持ち主だと鑑定される。
「無能は不要だ」と判断した他の生徒や、召喚した張本人である神官によって、イオリは追放され、川に突き落とされた。
しかしそこで、川底に沈んでいた謎の男の力でスキルを強化するチャンスを得た――。
1千年の努力とともに、イオリのスキルはSSランクへと進化!
自分を拾ってくれた田舎町のアイテムショップで、チートスキルをフル稼働!
「転移者が世界を良くする?」
「知らねえよ、俺は異世界を自由気ままに楽しむんだ!」
追放された少年の第2の人生が、始まる――!
※本作品は他サイト様でも掲載中です。
ダンジョンで有名モデルを助けたら公式配信に映っていたようでバズってしまいました。
夜兎ましろ
ファンタジー
高校を卒業したばかりの少年――夜見ユウは今まで鍛えてきた自分がダンジョンでも通用するのかを知るために、はじめてのダンジョンへと向かう。もし、上手くいけば冒険者にもなれるかもしれないと考えたからだ。
ダンジョンに足を踏み入れたユウはとある女性が魔物に襲われそうになっているところに遭遇し、魔法などを使って女性を助けたのだが、偶然にもその瞬間がダンジョンの公式配信に映ってしまっており、ユウはバズってしまうことになる。
バズってしまったならしょうがないと思い、ユウは配信活動をはじめることにするのだが、何故か助けた女性と共に配信を始めることになるのだった。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる