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第八章
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山田は今日も、6時半に起きる。
目覚ましの音が鳴るより少し前に目を覚まし、布団の中で天井を見つめるのが習慣だ。窓の外から差し込む淡い朝の光が、寝室の壁紙にぼんやりとした色を落とす。
しかし今朝の光は、緑がかっていた。昨日の青みがかった光とも違う。蛍光灯を透かしたような、不自然な色合い。壁紙の模様も、見慣れた幾何学模様ではなく、よく見ると小さな魚の群れのように見えた。
(こんな柄だったか?)
顔を洗い、電気ケトルで湯を沸かす。トースターに食パンを入れると、焼けたのはなぜかベーグルだった。記憶では昨日も一昨日も食パンだった。だが、袋には確かに「ベーグル」と書かれている。
「いやいや……おかしいだろ……」
コーヒーを淹れ、一口すする。味は相変わらず、無味に近い。液体は熱いが、何の風味も感じない。ただ、今日のコーヒーの色は明らかにおかしい。
真っ黒ではなく、濃い紫色だった。山田は一瞬だけ湯気に鼻を近づけたが、においはまったくしなかった。
「……これはもう、夢だな」
そう呟きながら、制服に袖を通す。薄いブルーの作業服。――だったはずが、濃いオレンジ色になっていた。ワッペンに刺繍されていた名前も、「YAMADA」ではなく、**「SATO」**になっている。
(……誰の服だ、これ)
ポケットに入れたはずのメモを出すと、内容が読めなかった。
文字が、すべてひらがなの「の」で埋め尽くされていた。
「ののののののののののののの……」
それが繰り返し何百文字も続いていた。
動悸がした。
山田はその紙をクシャクシャに丸め、ポケットに突っ込んだ。
家を出ると、通勤路に見慣れた家並みが並んでいた――が、ふと違和感に気づく。
道沿いにある自販機。昨日まで赤いコカコーラのものだったはずが、今日は見たことのないロゴが貼られていた。
**「ASUMI DRINKS」**と書かれた水色の機体。商品名も全部違っている。
「サイレントソーダ」
「ミズノアジ」
「おもいでのおちゃ」
どれも、冗談のような名前だ。だが、周囲の誰も不思議に思っている様子はない。
工場の門をくぐると、佐藤がいた。
「おはようございます、山田さん」
その声に安心しかけた瞬間、胸の名札が目に入った。
「渡辺」
(え……佐藤……だよな?)
「あの、佐藤……くん……?」
「はい?」
佐藤……いや渡辺は、きょとんとした顔でこちらを見ている。
「……いや、なんでもない」
工場の中。今日の作業は布を染める工程のチェックだ。機械の稼働状況を確認し、異常がないかを細かく見て回る。
染色機の操作盤を覗くと、普段表示されている温度や水量の数値がすべて――ひらがなになっていた。
「ぬるめ」
「たくさん」
「だいたいOK」
山田は、目をこすった。もう一度見直しても、やはりそう書かれている。
隣の染色槽では、反応染料で染めたはずの白布が、虹色に光っていた。
「これは……これはさすがに……おかしいぞ……」
山田は、周囲を見渡した。同僚たちは、普段どおりに作業している。誰も異変に気づいていない。
ふと気づくと、自分の作業台の上に置かれていた作業用メモ帳が、真っ黒な石板に変わっていた。チョークで書かれた文字はすべて消え、ただ一言だけ刻まれていた。
「ヤマダは まだきづかない」
ぞっとした。
背後から、誰かの笑い声が聞こえた気がした。
山田は、思った。
これはもう、”現実”ではないのではないか――?
最後までお読みいただきありがとうございました。
この物語は、「日常のかけらが少しずつ崩れていく恐怖」と「それでも朝はやってくる」という回復をテーマに描いています。
次の章でも、山田の変わらぬ朝に、少しずつ“何か”が混ざっていきます。
ご感想・応援コメント、お気軽にお寄せください。
目覚ましの音が鳴るより少し前に目を覚まし、布団の中で天井を見つめるのが習慣だ。窓の外から差し込む淡い朝の光が、寝室の壁紙にぼんやりとした色を落とす。
しかし今朝の光は、緑がかっていた。昨日の青みがかった光とも違う。蛍光灯を透かしたような、不自然な色合い。壁紙の模様も、見慣れた幾何学模様ではなく、よく見ると小さな魚の群れのように見えた。
(こんな柄だったか?)
顔を洗い、電気ケトルで湯を沸かす。トースターに食パンを入れると、焼けたのはなぜかベーグルだった。記憶では昨日も一昨日も食パンだった。だが、袋には確かに「ベーグル」と書かれている。
「いやいや……おかしいだろ……」
コーヒーを淹れ、一口すする。味は相変わらず、無味に近い。液体は熱いが、何の風味も感じない。ただ、今日のコーヒーの色は明らかにおかしい。
真っ黒ではなく、濃い紫色だった。山田は一瞬だけ湯気に鼻を近づけたが、においはまったくしなかった。
「……これはもう、夢だな」
そう呟きながら、制服に袖を通す。薄いブルーの作業服。――だったはずが、濃いオレンジ色になっていた。ワッペンに刺繍されていた名前も、「YAMADA」ではなく、**「SATO」**になっている。
(……誰の服だ、これ)
ポケットに入れたはずのメモを出すと、内容が読めなかった。
文字が、すべてひらがなの「の」で埋め尽くされていた。
「ののののののののののののの……」
それが繰り返し何百文字も続いていた。
動悸がした。
山田はその紙をクシャクシャに丸め、ポケットに突っ込んだ。
家を出ると、通勤路に見慣れた家並みが並んでいた――が、ふと違和感に気づく。
道沿いにある自販機。昨日まで赤いコカコーラのものだったはずが、今日は見たことのないロゴが貼られていた。
**「ASUMI DRINKS」**と書かれた水色の機体。商品名も全部違っている。
「サイレントソーダ」
「ミズノアジ」
「おもいでのおちゃ」
どれも、冗談のような名前だ。だが、周囲の誰も不思議に思っている様子はない。
工場の門をくぐると、佐藤がいた。
「おはようございます、山田さん」
その声に安心しかけた瞬間、胸の名札が目に入った。
「渡辺」
(え……佐藤……だよな?)
「あの、佐藤……くん……?」
「はい?」
佐藤……いや渡辺は、きょとんとした顔でこちらを見ている。
「……いや、なんでもない」
工場の中。今日の作業は布を染める工程のチェックだ。機械の稼働状況を確認し、異常がないかを細かく見て回る。
染色機の操作盤を覗くと、普段表示されている温度や水量の数値がすべて――ひらがなになっていた。
「ぬるめ」
「たくさん」
「だいたいOK」
山田は、目をこすった。もう一度見直しても、やはりそう書かれている。
隣の染色槽では、反応染料で染めたはずの白布が、虹色に光っていた。
「これは……これはさすがに……おかしいぞ……」
山田は、周囲を見渡した。同僚たちは、普段どおりに作業している。誰も異変に気づいていない。
ふと気づくと、自分の作業台の上に置かれていた作業用メモ帳が、真っ黒な石板に変わっていた。チョークで書かれた文字はすべて消え、ただ一言だけ刻まれていた。
「ヤマダは まだきづかない」
ぞっとした。
背後から、誰かの笑い声が聞こえた気がした。
山田は、思った。
これはもう、”現実”ではないのではないか――?
最後までお読みいただきありがとうございました。
この物語は、「日常のかけらが少しずつ崩れていく恐怖」と「それでも朝はやってくる」という回復をテーマに描いています。
次の章でも、山田の変わらぬ朝に、少しずつ“何か”が混ざっていきます。
ご感想・応援コメント、お気軽にお寄せください。
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