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最後の色彩
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山田は、染料を攪拌する音が好きだった。
ぐるぐると混ざり合う液体の響きに、なにか“世界が整っていく”ような安心を感じていた。
この日も、山田は変わらず赤の染料を準備していた。
C-013 カーマイン――深紅とも臙脂とも言えない曖昧な赤。
混ぜ方一つで、怒りにも情熱にも、愛にも変わる色だった。
ふと、山田は同僚との雑談の中で、なにげなく口にした。
「もしさ、この赤が……この世から消えたら、どうなるんだろうな」
それは本当にただの思いつきだった。
でも返ってきた言葉は意外にも無関心だった。
「ふーん。まぁ、他の色で代用できんじゃね?」
「そもそもそんなこと、起こらんやろ」
誰もが笑って、その場はすぐ流れた。
________________________________________
翌日。
赤が、、、なかった。
いや、正確には、見えなかった。
昨日と同じ分量、同じ手順、同じ温度で染めたはずなのに、生地は薄いグレーにしか見えない。
配合も間違っていない。記録用の写真を見れば、昨日の赤がきちんと写っている。
なのに、自分の目では見えない。
「色落ちですか?」と若い検査員が首を傾げた。
「いえ……たぶん、違うと思います」
そう答える山田の声は、自分でも曖昧だった。
________________________________________
さらに数日が経つと、赤だけではなく、赤に由来する全ての色味が見えなくなった。
朱、桃、橙、臙脂――それらはすべて同じ“濁った灰色”になっていた。
夕焼けはまるで薄汚れた布のようで、注意標識も、消火器も、誰の頬も、無機質な影になった。
奇妙なことに、周囲の人間はまるで気にしていなかった。
「最初からこの色だったでしょ?」
「カーマインってそんな色味やったっけ?」
誰も“赤”の不在に気づいていないのだ。
山田だけが、焦っていた。
________________________________________
工場の資料室で、山田は古いサンプル帳を引っ張り出した。
そこには「C-013 カーマイン」の染色見本が貼られていた――だが、無色だった。
ただし、ページにはこう書かれていた。
「この色は“情熱”と呼ばれた」
「この色は“命”と結びついていた」
それは色見本ではなく、感情の記録だった。
山田は思い出した。
子どもの頃、真っ赤なランドセルを背負って走った朝。
高校時代、初めて人を好きになった瞬間、彼女の髪留めは確かに赤かった。
転倒した友人の額から流れた鮮烈な血――
その時の恐怖も、あの色だった。
「……俺は、色で記憶してたんだな」
色が消えたのではない。
色を“思い出せなくなった”だけなのだ。
________________________________________
その夜、山田は夢を見る。
濃密な夕焼け。赤い布。火。人の頬の紅潮。
言葉ではなく、色そのものが感情として迫ってきた。
ああ、確かにそこにあった。
確かに、自分は“感じていた”。
________________________________________
次の朝、いつも通り工場に入ると、何かが違った。
作業中の女性作業員が顔を上げたとき、彼女の頬にわずかな赤みが宿っていた。
頬だけが、そこだけが――確かに、赤かった。
山田は言葉を失った。
周囲は相変わらず灰色の世界にいるのに、自分にはその赤が“戻って”きていた。
誰かの中に、まだ赤が生きている。
そう思った瞬間、他の場所にも赤が浮かび上がってきた。
窓の外、作業服のロゴ、そして染めあがった布の端に――。
________________________________________
数日後、すべての色は元通りに戻っていた。
いや、正確には、以前よりも鮮やかだった。
山田は完成品の生地を光にかざして、目を細める。
そこにはただの赤ではなく、
“温もり”
“焦り”
“情熱”
“怒り”
“命”
そんな、色の名を超えた何かが滲んでいた。
彼は深く息を吸い、ふとつぶやいた。
「色があるって、ありがたいな」
その声は、誰にも聞かれなかったが、確かに世界のどこかで響いていた
この物語は、現実と似て非なる「もしも」の世界を描いたフィクションです。登場する人物や出来事は、すべて想像に、基づくものです。
ぐるぐると混ざり合う液体の響きに、なにか“世界が整っていく”ような安心を感じていた。
この日も、山田は変わらず赤の染料を準備していた。
C-013 カーマイン――深紅とも臙脂とも言えない曖昧な赤。
混ぜ方一つで、怒りにも情熱にも、愛にも変わる色だった。
ふと、山田は同僚との雑談の中で、なにげなく口にした。
「もしさ、この赤が……この世から消えたら、どうなるんだろうな」
それは本当にただの思いつきだった。
でも返ってきた言葉は意外にも無関心だった。
「ふーん。まぁ、他の色で代用できんじゃね?」
「そもそもそんなこと、起こらんやろ」
誰もが笑って、その場はすぐ流れた。
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翌日。
赤が、、、なかった。
いや、正確には、見えなかった。
昨日と同じ分量、同じ手順、同じ温度で染めたはずなのに、生地は薄いグレーにしか見えない。
配合も間違っていない。記録用の写真を見れば、昨日の赤がきちんと写っている。
なのに、自分の目では見えない。
「色落ちですか?」と若い検査員が首を傾げた。
「いえ……たぶん、違うと思います」
そう答える山田の声は、自分でも曖昧だった。
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さらに数日が経つと、赤だけではなく、赤に由来する全ての色味が見えなくなった。
朱、桃、橙、臙脂――それらはすべて同じ“濁った灰色”になっていた。
夕焼けはまるで薄汚れた布のようで、注意標識も、消火器も、誰の頬も、無機質な影になった。
奇妙なことに、周囲の人間はまるで気にしていなかった。
「最初からこの色だったでしょ?」
「カーマインってそんな色味やったっけ?」
誰も“赤”の不在に気づいていないのだ。
山田だけが、焦っていた。
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工場の資料室で、山田は古いサンプル帳を引っ張り出した。
そこには「C-013 カーマイン」の染色見本が貼られていた――だが、無色だった。
ただし、ページにはこう書かれていた。
「この色は“情熱”と呼ばれた」
「この色は“命”と結びついていた」
それは色見本ではなく、感情の記録だった。
山田は思い出した。
子どもの頃、真っ赤なランドセルを背負って走った朝。
高校時代、初めて人を好きになった瞬間、彼女の髪留めは確かに赤かった。
転倒した友人の額から流れた鮮烈な血――
その時の恐怖も、あの色だった。
「……俺は、色で記憶してたんだな」
色が消えたのではない。
色を“思い出せなくなった”だけなのだ。
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その夜、山田は夢を見る。
濃密な夕焼け。赤い布。火。人の頬の紅潮。
言葉ではなく、色そのものが感情として迫ってきた。
ああ、確かにそこにあった。
確かに、自分は“感じていた”。
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次の朝、いつも通り工場に入ると、何かが違った。
作業中の女性作業員が顔を上げたとき、彼女の頬にわずかな赤みが宿っていた。
頬だけが、そこだけが――確かに、赤かった。
山田は言葉を失った。
周囲は相変わらず灰色の世界にいるのに、自分にはその赤が“戻って”きていた。
誰かの中に、まだ赤が生きている。
そう思った瞬間、他の場所にも赤が浮かび上がってきた。
窓の外、作業服のロゴ、そして染めあがった布の端に――。
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数日後、すべての色は元通りに戻っていた。
いや、正確には、以前よりも鮮やかだった。
山田は完成品の生地を光にかざして、目を細める。
そこにはただの赤ではなく、
“温もり”
“焦り”
“情熱”
“怒り”
“命”
そんな、色の名を超えた何かが滲んでいた。
彼は深く息を吸い、ふとつぶやいた。
「色があるって、ありがたいな」
その声は、誰にも聞かれなかったが、確かに世界のどこかで響いていた
この物語は、現実と似て非なる「もしも」の世界を描いたフィクションです。登場する人物や出来事は、すべて想像に、基づくものです。
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