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第4話 冒険者ギルドでちょっとした騒動
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薬草採取の依頼を無事に完了させ、太郎はギルドに戻った。森の中では特に事件もなく、ただ静かに薬草を摘み集めただけだ。魔物の気配すら感じなかったのは幸いだった——もし遭遇していたら、また「偶然」消してしまったかもしれないと思うと、背筋が寒くなった。
「ただいま戻りました。薬草、ちゃんと採取できました」
太郎が依頼書と共に薬草の束を差し出すと、バルトはにっこりと笑った。
「おお、無事で何よりだ。今日は特に騒動もなかったか?」
「ええ。静かな一日でした」
「それはよかった。噂が広まった今、お前が外に出るたびに何か起きるんじゃないかと心配してたんだ」
バルトの言葉に、太郎は苦笑いを浮かべた。確かにここ数日、自分の周りでは奇妙な出来事が続いている。だが、今日だけは平穏だった。これで少しだけ「普通」に戻れた気がした。
「では、報酬の銀貨三枚だ。お疲れ様」
「ありがとうございます」
太郎が銀貨を受け取ろうとしたその時、ギルドの扉が勢いよく開かれた。
「おい、そこの新人! ちょっといいか?」
声の主は、派手な革鎧を身につけた二十代後半の男だった。腰には装飾の施された長剣を下げ、鼻の頭にそばかすがある。見た目は精悍だが、眉間にしわを寄せ、どこか傲慢な雰囲気を漂わせている。
「俺はBランク冒険者のケインだ。お前が噂の『触れずに魔物を消す男』か?」
太郎はため息をついた。またか、という気持ちだった。
「ただのDランク冒険者です。噂は全部誤解です」
「誤解? ふざけるなよ。昨日、訓練場で木剣を二本折り、銀の髪飾りを消し去ったんだろう? その話を聞いたぜ」
ケインは周囲に聞こえるように声を張り上げる。ギルド内の冒険者たちがざわめき、太郎に注目する。
「……それは偶然です」
「偶然でそんなこと起きるかよ。お前、何か魔導具でも隠してるんだろう? それとも、卑怯な薬でも使ってるのか?」
「使ってません」
「なら証明しろよ。今ここで、俺の剣を受けてみろ」
ケインは腰の剣に手をかけ、がらん、と鞘から少し引き抜いた。金属音がギルド内に響く。
「断ります。戦う理由がありません」
「臆病者め。噂だけはでかくしやがって」
ケインは嘲笑い、さらに声を荒げた。
「なあみんな! この新人、実力もないくせに大風呂敷を広げて、新人冒険者をだましてるんだぜ! 魔物を消せるって嘘をついて、金をせびってるんじゃないか?」
周囲からざわめきが起こる。中には信じている様子の者もいるが、大半は疑わしげな視線を太郎に向けている。
「嘘ついてません。ただの偶然です」
「偶然? じゃあ、今から俺と森に行こうぜ。スライム十匹を相手に、触れずに倒してみろよ。できたら俺が謝る。できなかったら——」
ケインはにやりと笑った。
「このギルドから二度と来るな。詐欺師は冒険者としての資格がないからな」
あまりに理不尽な要求に、太郎は頭を抱えそうになった。なぜ普通に暮らそうとするだけで、こんな騒動に巻き込まれるのか。
「……わかりました。行きます」
「太郎!」
バルトが止めようとしたが、太郎は首を振った。
「大丈夫です。スライムなら……運が良ければ」
「運じゃないだろ! 実力でやれよ!」
ケインは勝ち誇ったように笑い、太郎の肩を強く叩こうとした。
「まずはこれで覚悟を決めさせてやる——」
バチン!
ケインの手が太郎の肩に触れる直前、乾いた音と共に跳ね返された。まるで鉄壁にぶつかったかのように、ケインの手首が赤く腫れ上がる。
「い、痛っ! な、何だこりゃ……?」
ケインは手首を押さえ、驚愕の表情で太郎を見る。周囲も固まった。
「触れられませんでしたね。これも偶然です」
太郎は平静を装いながら言ったが、内心では冷や汗をかいていた。まただ。無自覚に力が発動してしまった。
「な、何をしやがった……!」
ケインは怒りに顔を歪め、今度は両手で太郎の胸倉を掴もうとした。
「今度こそ——!」
だが、同じことが起きた。ケインの手が太郎の服に触れる数センチ手前で、見えない壁に阻まれてぴたりと止まる。
「動かねえ……! 動かねえぞ!」
ケインは必死に力を込めるが、手は一ミリも前に進まない。周囲から失笑が漏れる。
「ケインさん、何やってんですか?」
「壁でもあるんですか?」
「新人くん、何もしてないですよ?」
確かに太郎は身動きひとつしていない。ただ呆然と立っているだけだ。
「くそっ……!」
ケインは焦り、今度は足で太郎の足を蹴ろうとした。だが、同じように触れることができない。蹴り足が空中で止まり、ケイン自身がバランスを崩して後ろ向きに転倒する。
ドサッ!
「痛てっ!」
床に尻餅をついたケイン。周囲からどっと笑い声が起こる。
「ざまぁみろ!」
「自業自得だな」
「新人くんに手出しするなんて、度胸あるなあ」
ケインは顔を真っ赤にして立ち上がる。
「し、仕組んだな……! お前、何か仕掛けたんだろう!」
「何もしてません。全部偶然です」
「偶然でこんなこと……!」
ケインは言い返そうとしたが、その時、ギルドの奥から落ち着いた声が響いた。
「ケイン。騒ぎはほどほどにしろ」
声の主は、白いローブをまとった年配の男性だった。銀色の髪を後ろでまとめ、穏やかながらも威厳のある雰囲気を漂わせている。魔導士協会の紋章がローブに刺繍されている。
「マ、マーティン先生……!」
ケインの態度が一変し、腰が低くなった。どうやらこの男性は、街でかなりの権力を持つ人物らしい。
「新人冒険者をからかうのは、冒険者の風紀を乱す行為だ。特に、噂の真偽を確かめずに騒ぎ立てるとは……お前の判断力が疑われる」
「し、失礼しました……」
ケインは頭を下げ、太郎を恨めしげに一瞥してギルドを後にした。逃げるように足早に去っていく背中は、先ほどの傲慢さが嘘のようだった。
「……失礼な者ですみませんね」
マーティンは太郎に向き直り、優しげに微笑んだ。
「あなたが噂の田中太郎さんですね。私は魔導士協会のマーティン。エリーゼさんから話を聞いていました」
「エリーゼさんから?」
「ええ。あなたの……特殊な体質について興味がありましてね」
太郎は警戒した。また力のことを調べようとするのか。
「特別な体質なんてありませんよ。全部偶然です」
「偶然が三度も重なることは、この世界では『法則』と呼ばれます」
マーティンはにっこりと笑った。
「心配しないでください。無理に調べようとは思いません。ただ——」
彼は周囲を見回し、声を落とした。
「あなたの周りで起きる『偶然』が、いつか大きな災厄を防ぐ鍵になるかもしれません。その時は、ぜひ協力をお願いしたい」
「災厄?」
「魔王軍の動きが活発化しています。国境付近で小競り合いが起きているとか……」
太郎の胸がざわっとした。アイリスも同じことを言っていた。
「……僕には関係ないですよ」
「そうかもしれませんね。でも、力を持つ者はいつか責任を問われるものです。その時までに、自分の力と向き合っておくべきですよ」
マーティンは深く頷き、ギルドを後にした。去り際に、太郎に温かい眼差しを向けてくれた。
「……面倒くさいな」
太郎はため息をついた。普通に暮らしたいだけなのに、次から次へと「力を使え」と言う人々が現れる。
「太郎さん……大丈夫?」
後ろから声がかかった。振り返ると、エリーゼとアイリスが立っていた。二人とも心配そうな表情だ。
「あ、エリーゼさん、アイリスさん……どうしてここに?」
「マーティン先生に会いに来たのよ。ちょうど入ってきたら、ケインの騒ぎを目撃して……」
アイリスが言う。
「ひどい話ね。何もしてないのに、からまれるなんて」
「でも、ケインが自滅したのは面白かったわね。ざまぁみろよ」
エリーゼが笑う。
「……全部偶然です」
「偶然で人の手が跳ね返され、蹴り足が宙に浮くわけないでしょう?」
アイリスが真剣な眼差しで言った。
「太郎さん。そろそろ認めたら? あなたには特別な力があるって」
「認めたら、普通でいられなくなるんです」
太郎の呟きに、二人は言葉を失った。
「普通でいたい……ただそれだけなのに、なんでこんなに難しいんでしょう」
その時、ギルドの扉が再び開かれた。
「太郎くーん! いたいた!」
元気な声と共に駆け込んできたのは、十歳くらいの少女だった。茶色の三つ編みに、大きな瞳。小さな体に冒険者の服を着込んでいる。
「リナ? どうしたの急に」
「リナじゃないよ! リナはパン屋のお姉ちゃんだよ! 私はリリー! 冒険者見習いのリリー!」
少女——リリーは胸を張った。
「ねえねえ、噂聞いたよ! 魔物を触れずに消せるんだって! すごーい!」
「……偶然です」
「偶然で十匹のスライムが消えるわけないでしょー! ねえ、私、弟子にしてよ!」
「また弟子?」
太郎は頭を抱えた。アイリスに続いて、今度は子供まで。
「私、剣も魔法もダメだけど、お料理は得意なの! 太郎さんのために、毎日おいしいごはんを作るよ!」
「……僕、自分で料理できますよ」
「じゃあ、お掃除! お洗濯! 全部やるから弟子にして!」
リリーは太郎の袖を引っ張り始めた。その時——
ピリリ、と空気が震えた。
リリーの手が太郎の袖に触れる直前、小さな火花が散り、リリーは「きゃっ!」と手を引っ込めた。
「痛っ! な、何これ……?」
リリーの指先が少し赤くなっている。太郎は慌てた。
「大丈夫? やけどした?」
「ちょっとだけ……でも、なんで火花が……?」
周囲がざわめく。またもや「偶然」が起きた。
「……ごめんね。多分、静電気だと思う」
太郎は適当な言い訳をしたが、誰も信じていないようだった。
「太郎さん……」
アイリスが静かに言った。
「これは静電気じゃないわ。あなたの力が、無意識にリリーちゃんを守ろうとしたのよ」
「守る?」
「ええ。リリーちゃんが触れたら、もしかしたら——消えてしまうかもしれない。だから、あなたの力が自動的に防御したの」
太郎の背筋が凍った。そんな可能性を考えたことがなかった。
「人間も……消えるんですか?」
「わかりません。でも、可能性はゼロじゃないわ」
沈黙が訪れた。太郎は自分がどれほど危険な存在なのかを、初めて実感した。
「……家に帰ります」
太郎はそっと立ち上がり、ギルドを後にした。後ろから三人の心配そうな視線を感じたが、振り返らなかった。
街を歩きながら、太郎は考えた。
自分は危険な存在かもしれない。触れたら消える力。無自覚に発動する力。もしこれが人間に向いたら——
「……普通でいることすら、許されないのかな」
元の世界では、平凡で目立たない存在だった。それがコンプレックスだったこともある。でも、異世界では「普通」であることがどれほど幸せかを知った。
「特別になりたくなかったのに……」
自宅の扉を開け、中に入る。静寂が広がる小さな家。ここでなら、誰も傷つけずに済む。
「しばらく外に出ない方がいいのかな……」
そう思った瞬間、ノックの音がした。
トントン、トントン。
「太郎さん? 大丈夫ですか?」
エリーゼの声だ。
「……はい。大丈夫です」
「よかった。でも、一人で悩まないでくださいね。私たちはあなたの味方ですから」
「……ありがとう」
「それと——」
エリーゼの声が少し明るくなった。
「リリーちゃん、さっきマーティン先生に預けたの。魔導士協会で見習いとして働かせてもらえることになったみたい。しばらくは弟子騒動もお休みよ」
「そうなんですか……」
「ええ。だから、ゆっくり休んで。明日はまた普通の一日になるかもしれないわ」
普通の一日。それが今はどれほど遠い願いに思えるか。
「……ありがとう。エリーゼさん」
「どういたしまして。では、明日ギルドで会いましょう」
足音が遠ざかる。再び静寂が戻る。
太郎は窓辺に立ち、外を見る。夕日が街を染め、人々が家路を急いでいる。普通の光景。普通の日常。
「明日こそ、普通の一日になりますように……」
願いながら、太郎は夕食の支度を始めた。簡単なスープとパン。一人で静かに食べる。
「……でも、一人でいる方が安全なのかもしれない」
誰かを傷つけないために。誰かを消してしまわないために。
「普通」であることが、こんなにも難しいとは思わなかった。
夜が更け、ベッドに入る。布団の中で考え込む。
「神様……なんでこんな力くれたんですか?」
普通に暮らしたいだけなのに。特別な力なんていらないのに。
「……でも、もし誰かを守れるなら」
アイリスの言葉を思い出す。「その力で、この国の危機を救えるかもしれない」
魔王軍。災厄。守るべきもの。
「……でも、僕には無理です。ただの普通人間ですから」
そう言い聞かせながら、太郎は眠りに落ちていった。
——その夜、太郎の夢の中に、白い光が差し込んだ。
「……ごめんね、太郎くん」
優しい声。女性の声だ。
「バグっちゃって……ごめんね……」
光が揺らめき、消える。残されたのは、深い安らぎだけ。
翌朝、目が覚めた太郎は、なぜか少し気持ちが軽くなっていた。
「……夢、見たな」
何の夢かは思い出せない。でも、温かい気持ちだけが残っている。
「今日こそ、普通の一日にしよう」
そう決意し、太郎は家を出た。
——しかし、彼の知らないところで、街には新たな噂が広まり始めていた。
「謎のDランク冒険者、貴族の息子を一撃もせずに退けた」
「触れると火花が散るらしい」
「神の加護か、それとも——呪いなのか?」
噂は風のように広がり、やがて王都の貴族たちの耳にも届くことになる。中でも、一人の若き貴族が、この噂に強い興味を示した。
「面白そうだな……その『普通の冒険者』とやらに、会ってみるか」
彼の名はルカス。王弟の息子であり、次期国王候補の一人でもあった。
「力があるのに普通を装う男……興味深い。会って、その真意を確かめてみよう」
ルカスの行動が、太郎の運命を大きく変えることになるとは、当の太郎はまだ知る由もなかった。
「今日も、普通の一日でありますように……」
太郎の願いは、またしても叶いそうにない朝だった。
(続く)
「ただいま戻りました。薬草、ちゃんと採取できました」
太郎が依頼書と共に薬草の束を差し出すと、バルトはにっこりと笑った。
「おお、無事で何よりだ。今日は特に騒動もなかったか?」
「ええ。静かな一日でした」
「それはよかった。噂が広まった今、お前が外に出るたびに何か起きるんじゃないかと心配してたんだ」
バルトの言葉に、太郎は苦笑いを浮かべた。確かにここ数日、自分の周りでは奇妙な出来事が続いている。だが、今日だけは平穏だった。これで少しだけ「普通」に戻れた気がした。
「では、報酬の銀貨三枚だ。お疲れ様」
「ありがとうございます」
太郎が銀貨を受け取ろうとしたその時、ギルドの扉が勢いよく開かれた。
「おい、そこの新人! ちょっといいか?」
声の主は、派手な革鎧を身につけた二十代後半の男だった。腰には装飾の施された長剣を下げ、鼻の頭にそばかすがある。見た目は精悍だが、眉間にしわを寄せ、どこか傲慢な雰囲気を漂わせている。
「俺はBランク冒険者のケインだ。お前が噂の『触れずに魔物を消す男』か?」
太郎はため息をついた。またか、という気持ちだった。
「ただのDランク冒険者です。噂は全部誤解です」
「誤解? ふざけるなよ。昨日、訓練場で木剣を二本折り、銀の髪飾りを消し去ったんだろう? その話を聞いたぜ」
ケインは周囲に聞こえるように声を張り上げる。ギルド内の冒険者たちがざわめき、太郎に注目する。
「……それは偶然です」
「偶然でそんなこと起きるかよ。お前、何か魔導具でも隠してるんだろう? それとも、卑怯な薬でも使ってるのか?」
「使ってません」
「なら証明しろよ。今ここで、俺の剣を受けてみろ」
ケインは腰の剣に手をかけ、がらん、と鞘から少し引き抜いた。金属音がギルド内に響く。
「断ります。戦う理由がありません」
「臆病者め。噂だけはでかくしやがって」
ケインは嘲笑い、さらに声を荒げた。
「なあみんな! この新人、実力もないくせに大風呂敷を広げて、新人冒険者をだましてるんだぜ! 魔物を消せるって嘘をついて、金をせびってるんじゃないか?」
周囲からざわめきが起こる。中には信じている様子の者もいるが、大半は疑わしげな視線を太郎に向けている。
「嘘ついてません。ただの偶然です」
「偶然? じゃあ、今から俺と森に行こうぜ。スライム十匹を相手に、触れずに倒してみろよ。できたら俺が謝る。できなかったら——」
ケインはにやりと笑った。
「このギルドから二度と来るな。詐欺師は冒険者としての資格がないからな」
あまりに理不尽な要求に、太郎は頭を抱えそうになった。なぜ普通に暮らそうとするだけで、こんな騒動に巻き込まれるのか。
「……わかりました。行きます」
「太郎!」
バルトが止めようとしたが、太郎は首を振った。
「大丈夫です。スライムなら……運が良ければ」
「運じゃないだろ! 実力でやれよ!」
ケインは勝ち誇ったように笑い、太郎の肩を強く叩こうとした。
「まずはこれで覚悟を決めさせてやる——」
バチン!
ケインの手が太郎の肩に触れる直前、乾いた音と共に跳ね返された。まるで鉄壁にぶつかったかのように、ケインの手首が赤く腫れ上がる。
「い、痛っ! な、何だこりゃ……?」
ケインは手首を押さえ、驚愕の表情で太郎を見る。周囲も固まった。
「触れられませんでしたね。これも偶然です」
太郎は平静を装いながら言ったが、内心では冷や汗をかいていた。まただ。無自覚に力が発動してしまった。
「な、何をしやがった……!」
ケインは怒りに顔を歪め、今度は両手で太郎の胸倉を掴もうとした。
「今度こそ——!」
だが、同じことが起きた。ケインの手が太郎の服に触れる数センチ手前で、見えない壁に阻まれてぴたりと止まる。
「動かねえ……! 動かねえぞ!」
ケインは必死に力を込めるが、手は一ミリも前に進まない。周囲から失笑が漏れる。
「ケインさん、何やってんですか?」
「壁でもあるんですか?」
「新人くん、何もしてないですよ?」
確かに太郎は身動きひとつしていない。ただ呆然と立っているだけだ。
「くそっ……!」
ケインは焦り、今度は足で太郎の足を蹴ろうとした。だが、同じように触れることができない。蹴り足が空中で止まり、ケイン自身がバランスを崩して後ろ向きに転倒する。
ドサッ!
「痛てっ!」
床に尻餅をついたケイン。周囲からどっと笑い声が起こる。
「ざまぁみろ!」
「自業自得だな」
「新人くんに手出しするなんて、度胸あるなあ」
ケインは顔を真っ赤にして立ち上がる。
「し、仕組んだな……! お前、何か仕掛けたんだろう!」
「何もしてません。全部偶然です」
「偶然でこんなこと……!」
ケインは言い返そうとしたが、その時、ギルドの奥から落ち着いた声が響いた。
「ケイン。騒ぎはほどほどにしろ」
声の主は、白いローブをまとった年配の男性だった。銀色の髪を後ろでまとめ、穏やかながらも威厳のある雰囲気を漂わせている。魔導士協会の紋章がローブに刺繍されている。
「マ、マーティン先生……!」
ケインの態度が一変し、腰が低くなった。どうやらこの男性は、街でかなりの権力を持つ人物らしい。
「新人冒険者をからかうのは、冒険者の風紀を乱す行為だ。特に、噂の真偽を確かめずに騒ぎ立てるとは……お前の判断力が疑われる」
「し、失礼しました……」
ケインは頭を下げ、太郎を恨めしげに一瞥してギルドを後にした。逃げるように足早に去っていく背中は、先ほどの傲慢さが嘘のようだった。
「……失礼な者ですみませんね」
マーティンは太郎に向き直り、優しげに微笑んだ。
「あなたが噂の田中太郎さんですね。私は魔導士協会のマーティン。エリーゼさんから話を聞いていました」
「エリーゼさんから?」
「ええ。あなたの……特殊な体質について興味がありましてね」
太郎は警戒した。また力のことを調べようとするのか。
「特別な体質なんてありませんよ。全部偶然です」
「偶然が三度も重なることは、この世界では『法則』と呼ばれます」
マーティンはにっこりと笑った。
「心配しないでください。無理に調べようとは思いません。ただ——」
彼は周囲を見回し、声を落とした。
「あなたの周りで起きる『偶然』が、いつか大きな災厄を防ぐ鍵になるかもしれません。その時は、ぜひ協力をお願いしたい」
「災厄?」
「魔王軍の動きが活発化しています。国境付近で小競り合いが起きているとか……」
太郎の胸がざわっとした。アイリスも同じことを言っていた。
「……僕には関係ないですよ」
「そうかもしれませんね。でも、力を持つ者はいつか責任を問われるものです。その時までに、自分の力と向き合っておくべきですよ」
マーティンは深く頷き、ギルドを後にした。去り際に、太郎に温かい眼差しを向けてくれた。
「……面倒くさいな」
太郎はため息をついた。普通に暮らしたいだけなのに、次から次へと「力を使え」と言う人々が現れる。
「太郎さん……大丈夫?」
後ろから声がかかった。振り返ると、エリーゼとアイリスが立っていた。二人とも心配そうな表情だ。
「あ、エリーゼさん、アイリスさん……どうしてここに?」
「マーティン先生に会いに来たのよ。ちょうど入ってきたら、ケインの騒ぎを目撃して……」
アイリスが言う。
「ひどい話ね。何もしてないのに、からまれるなんて」
「でも、ケインが自滅したのは面白かったわね。ざまぁみろよ」
エリーゼが笑う。
「……全部偶然です」
「偶然で人の手が跳ね返され、蹴り足が宙に浮くわけないでしょう?」
アイリスが真剣な眼差しで言った。
「太郎さん。そろそろ認めたら? あなたには特別な力があるって」
「認めたら、普通でいられなくなるんです」
太郎の呟きに、二人は言葉を失った。
「普通でいたい……ただそれだけなのに、なんでこんなに難しいんでしょう」
その時、ギルドの扉が再び開かれた。
「太郎くーん! いたいた!」
元気な声と共に駆け込んできたのは、十歳くらいの少女だった。茶色の三つ編みに、大きな瞳。小さな体に冒険者の服を着込んでいる。
「リナ? どうしたの急に」
「リナじゃないよ! リナはパン屋のお姉ちゃんだよ! 私はリリー! 冒険者見習いのリリー!」
少女——リリーは胸を張った。
「ねえねえ、噂聞いたよ! 魔物を触れずに消せるんだって! すごーい!」
「……偶然です」
「偶然で十匹のスライムが消えるわけないでしょー! ねえ、私、弟子にしてよ!」
「また弟子?」
太郎は頭を抱えた。アイリスに続いて、今度は子供まで。
「私、剣も魔法もダメだけど、お料理は得意なの! 太郎さんのために、毎日おいしいごはんを作るよ!」
「……僕、自分で料理できますよ」
「じゃあ、お掃除! お洗濯! 全部やるから弟子にして!」
リリーは太郎の袖を引っ張り始めた。その時——
ピリリ、と空気が震えた。
リリーの手が太郎の袖に触れる直前、小さな火花が散り、リリーは「きゃっ!」と手を引っ込めた。
「痛っ! な、何これ……?」
リリーの指先が少し赤くなっている。太郎は慌てた。
「大丈夫? やけどした?」
「ちょっとだけ……でも、なんで火花が……?」
周囲がざわめく。またもや「偶然」が起きた。
「……ごめんね。多分、静電気だと思う」
太郎は適当な言い訳をしたが、誰も信じていないようだった。
「太郎さん……」
アイリスが静かに言った。
「これは静電気じゃないわ。あなたの力が、無意識にリリーちゃんを守ろうとしたのよ」
「守る?」
「ええ。リリーちゃんが触れたら、もしかしたら——消えてしまうかもしれない。だから、あなたの力が自動的に防御したの」
太郎の背筋が凍った。そんな可能性を考えたことがなかった。
「人間も……消えるんですか?」
「わかりません。でも、可能性はゼロじゃないわ」
沈黙が訪れた。太郎は自分がどれほど危険な存在なのかを、初めて実感した。
「……家に帰ります」
太郎はそっと立ち上がり、ギルドを後にした。後ろから三人の心配そうな視線を感じたが、振り返らなかった。
街を歩きながら、太郎は考えた。
自分は危険な存在かもしれない。触れたら消える力。無自覚に発動する力。もしこれが人間に向いたら——
「……普通でいることすら、許されないのかな」
元の世界では、平凡で目立たない存在だった。それがコンプレックスだったこともある。でも、異世界では「普通」であることがどれほど幸せかを知った。
「特別になりたくなかったのに……」
自宅の扉を開け、中に入る。静寂が広がる小さな家。ここでなら、誰も傷つけずに済む。
「しばらく外に出ない方がいいのかな……」
そう思った瞬間、ノックの音がした。
トントン、トントン。
「太郎さん? 大丈夫ですか?」
エリーゼの声だ。
「……はい。大丈夫です」
「よかった。でも、一人で悩まないでくださいね。私たちはあなたの味方ですから」
「……ありがとう」
「それと——」
エリーゼの声が少し明るくなった。
「リリーちゃん、さっきマーティン先生に預けたの。魔導士協会で見習いとして働かせてもらえることになったみたい。しばらくは弟子騒動もお休みよ」
「そうなんですか……」
「ええ。だから、ゆっくり休んで。明日はまた普通の一日になるかもしれないわ」
普通の一日。それが今はどれほど遠い願いに思えるか。
「……ありがとう。エリーゼさん」
「どういたしまして。では、明日ギルドで会いましょう」
足音が遠ざかる。再び静寂が戻る。
太郎は窓辺に立ち、外を見る。夕日が街を染め、人々が家路を急いでいる。普通の光景。普通の日常。
「明日こそ、普通の一日になりますように……」
願いながら、太郎は夕食の支度を始めた。簡単なスープとパン。一人で静かに食べる。
「……でも、一人でいる方が安全なのかもしれない」
誰かを傷つけないために。誰かを消してしまわないために。
「普通」であることが、こんなにも難しいとは思わなかった。
夜が更け、ベッドに入る。布団の中で考え込む。
「神様……なんでこんな力くれたんですか?」
普通に暮らしたいだけなのに。特別な力なんていらないのに。
「……でも、もし誰かを守れるなら」
アイリスの言葉を思い出す。「その力で、この国の危機を救えるかもしれない」
魔王軍。災厄。守るべきもの。
「……でも、僕には無理です。ただの普通人間ですから」
そう言い聞かせながら、太郎は眠りに落ちていった。
——その夜、太郎の夢の中に、白い光が差し込んだ。
「……ごめんね、太郎くん」
優しい声。女性の声だ。
「バグっちゃって……ごめんね……」
光が揺らめき、消える。残されたのは、深い安らぎだけ。
翌朝、目が覚めた太郎は、なぜか少し気持ちが軽くなっていた。
「……夢、見たな」
何の夢かは思い出せない。でも、温かい気持ちだけが残っている。
「今日こそ、普通の一日にしよう」
そう決意し、太郎は家を出た。
——しかし、彼の知らないところで、街には新たな噂が広まり始めていた。
「謎のDランク冒険者、貴族の息子を一撃もせずに退けた」
「触れると火花が散るらしい」
「神の加護か、それとも——呪いなのか?」
噂は風のように広がり、やがて王都の貴族たちの耳にも届くことになる。中でも、一人の若き貴族が、この噂に強い興味を示した。
「面白そうだな……その『普通の冒険者』とやらに、会ってみるか」
彼の名はルカス。王弟の息子であり、次期国王候補の一人でもあった。
「力があるのに普通を装う男……興味深い。会って、その真意を確かめてみよう」
ルカスの行動が、太郎の運命を大きく変えることになるとは、当の太郎はまだ知る由もなかった。
「今日も、普通の一日でありますように……」
太郎の願いは、またしても叶いそうにない朝だった。
(続く)
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貞操逆転世界に転生したのに…男女比一対一って…
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俺は隼 豊和(はやぶさ とよかず)。年齢は15歳。今年から高校生になるんだけど、何を隠そう俺には前世の記憶があるんだ。前世の記憶があるということは亡くなって生まれ変わったという事なんだろうけど、生まれ変わった世界はなんと貞操逆転世界だった。これはモテると喜んだのも束の間…その世界の男女比の差は全く無く、男性が優遇される世界ではなかった…寧ろ…。とにかく他にも色々とおかしい、そんな世界で俺にどうしろと!?また誰とも付き合えないのかっ!?そんなお話です…。
※カクヨム様にも投稿しております。内容は異なります。
※イラストはAI生成です
同じアパートに住む年上未亡人美女は甘すぎる。
ピコサイクス
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大学生の翔太は、一人暮らしを始めたばかり。
真下の階に住むのは、落ち着いた色気と優しさを併せ持つ大人の女性・水無瀬紗夜。
引っ越しの挨拶で出会った瞬間、翔太は心を奪われてしまう。
偶然にもアルバイト先のスーパーで再会した彼女は、翔太をすぐに採用し、温かく仕事を教えてくれる存在だった。
ある日の仕事帰り、ふたりで過ごす時間が増えていき――そして気づけば紗夜の部屋でご飯をご馳走になるほど親密に。
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大人の女性と大学生、甘くちょっぴり刺激的な同居生活(?)がはじまる。
転生したら実は神の息子だった俺、無自覚のまま世界を救ってハーレム王になっていた件
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ブラック企業で過労死した平凡サラリーマン・榊悠斗は、気づけば剣と魔法の異世界へ転生していた。
チート能力もない地味な村人として静かに暮らすはずだった……が、なぜか魔物が逃げ出し、勇者が跪き、王女がプロポーズ!?
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「無自覚最強」な悠斗が巻き起こす勘違い系異世界英雄譚、ここに開幕!
【完結】幼馴染にフラれて異世界ハーレム風呂で優しく癒されてますが、好感度アップに未練タラタラなのが役立ってるとは気付かず、世界を救いました。
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【本編完結】⭐︎気分どん底スタート、あとはアガるだけの異世界純情ハーレム&バトルファンタジー⭐︎
長年思い続けた幼馴染にフラれたショックで目の前が全部真っ白になったと思ったら、これ異世界召喚ですか!?
しかも、フラれたばかりのダダ凹みなのに、まさかのハーレム展開。まったくそんな気分じゃないのに、それが『シキタリ』と言われては断りにくい。毎日混浴ですか。そうですか。赤面しますよ。
ただ、召喚されたお城は、落城寸前の風前の灯火。伝説の『マレビト』として召喚された俺、百海勇吾(18)は、城主代行を任されて、城に襲い掛かる謎のバケモノたちに立ち向かうことに。
といっても、発現するらしいチートは使えないし、お城に唯一いた呪術師の第4王女様は召喚の呪術の影響で、眠りっ放し。
とにかく、俺を取り囲んでる女子たちと、お城の皆さんの気持ちをまとめて闘うしかない!
フラれたばかりで、そんな気分じゃないんだけどなぁ!
男女比がおかしい世界の貴族に転生してしまった件
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転生したのは男性が少ない世界!?貴族に生まれたのはいいけど、どういう風に生きていこう…?
最新章の第五章も夕方18時に更新予定です!
☆の話は苦手な人は飛ばしても問題無い様に物語を紡いでおります。
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