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第1話 勇者の影に生まれて
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夜は、まだ泣いていた。
焼け落ちた城の石壁が赤く焦げ、黒煙が空を覆っている。倒れた兵士たちの鎧が月光を反射して、幽かな光を放っていた。その中央に、ひとりの男が剣を突き立てたまま動かない。
勇者レオン──この世界を救った英雄。
彼の胸には、深々と黒い刃が刺さっていた。かつて魔王を滅ぼした伝説の剣。その切っ先が、今は彼自身を貫いている。
遠くで雷鳴が鳴った。終わりを告げる音のように。
――兄さん。
誰かが泣いている声がした。
音源を探すように、光が滲んでいく。
気づけば、俺はまぶしさの中にいた。
あの夜の光景を、何度も夢で見る。血と炎と、兄の名前を叫ぶ声。けれど俺はあの場には居なかった。兄の死も、本当は知らない。ただ伝説の結末として、語り継がれる形でしか。
「おぎゃあ、おぎゃあ!」
耳に響く泣き声で意識がはっきりした。……いや、待て。泣いてるの、俺?
慌てて目を開けようとするが、視界はぼやけている。腕を動かそうとしても、動かない。指一本すら。
そして、温かい腕に抱かれた感覚がした。
「この子は……勇者レオンの弟。リオと名づけましょう」
柔らかな声。誰かの涙。
え? 勇者レオンって、あの……?
理解が追いつかないまま、俺は再び意識を手放した。
***
それから数年。
俺は、自分が異世界に転生したのだと理解した。
現代日本で普通の大学生だった俺――遥斗(はると)は、交通事故であっけなく死んだはずだった。気づけば、伝説の勇者レオンの弟・リオとして生きている。異世界転生、という言葉が頭によぎったとき、なぜか苦笑してしまった。
神様のいたずらか、それとも兄の残した縁か。
この世界では、兄レオンが魔王を倒して十五年が経っていた。
だが平和は長く続かなかった。王国は戦争の傷を癒せず、腐敗と貧困に沈んでいる。かつて兄が救ったはずの国が、今では滅びの足音を立てている。
兄の名が伝説として語られれば語られるほど、現実との落差が痛い。
リオとして生きる俺は、民衆の中でひっそりと暮らしていた。兄の輝きの影で、生き方を探していた。
「リオ兄ちゃん、また薪割りしてるの?」
村の子どもたちが声をかけてくる。
「ああ、これくらいしか役に立てないからな」
苦笑いを返すと、子どもたちは笑って走り去った。
勇者の弟なんて呼ばれたところで、俺には剣の才も魔力もない。
兄の血を引いているはずなのに、戦えない。何かを守る力もない。
それが、この十五年間ずっと重く胸にのしかかっていた。
ある日、王都からひとりの役人がやってきた。
「レオン勇者の弟、リオ殿。陛下がお呼びだ」
王の召喚など縁のない話だった。
俺は戸惑いながらも、案内に従って王都へ向かった。
***
王宮はかつての輝きを失っていた。
瓦礫に覆われた庭、ひび割れた塔。王の玉座の前には、やつれた老人がいた。
「おお……リオか。レオンの面影があるな」
王の声は掠れていた。
「兄がお世話になりました」
「勇者の犠牲で、我らは生き延びた。しかし……国はもう限界だ」
王の言葉には、抑えきれない疲労がにじんでいた。
「闇が戻りつつある。魔の者どもが各地で再び現れた。聖剣に宿る封印が、弱まっているのだ」
聖剣。
兄が最後に使った剣。兄の命を奪った、あの黒い刃。
それが、今もこの世にあるというのか。
「勇者の血を継ぐお前なら、聖剣を扱えるはずだ」
「俺に……?」
「頼む。レオンの弟よ。再び国を救ってくれ」
重すぎる言葉だった。
俺は勇者なんかじゃない。剣を握ることすら怖い、ただの村人のつもりだったのに。
けれど、王の言葉を振り払う勇気もなかった。
***
夜、王宮を後にして宿に戻る途中、ひとりの旅人が声をかけてきた。
「あなたが……リオ、ですね」
長い銀髪をした女性だった。澄んだ瞳の奥に、どこか懐かしさを感じる。
「俺の名前を……?」
「覚えていませんか。私はユナ。かつて、レオン様と共に戦った治癒の巫女です」
ユナ。兄の仲間の一人。勇者パーティの最後の生存者という噂もあった。
彼女の姿には、戦乱を越えた年月の悲しみが滲んでいた。
「あなたは兄上の面影を宿しています。けれど……違う人ですね」
「ああ。俺は兄のようにはなれない」
「けれど、あなたには兄上にはなかった“もの”もある」
ユナの言葉の意味は、その時わからなかった。
ただ、彼女が差し出した小袋の中で金属の音がした。
「これは?」
「レオン様が最後まで手放さなかった“欠片”です。――聖剣の欠片」
袋の口を開くと、欠けた黒い金属片が月光を受けて鈍く輝いた。
触れた瞬間、胸の奥に何かが走った。
熱い。心臓が焼けるように。
そして、耳の奥で声がした。
――リオ。守ってやれ。俺たちの世界を。
それは、兄の声だった。確かに。
涙が一筋、頬を伝った。
兄が残したものが、今、俺に託された。
「……わかった。やってみるよ」
口にした途端、自分でも驚くほど静かな声だった。
戦い方も知らない。勇者でもない。けれど、兄のように誰かを守りたいと思った。
俺が兄の影を越えられるかはわからない。
だが、逃げたままではいられなかった。
ユナは微笑んだ。
「レオン様がもし見ていたら、きっと喜びます」
その言葉に、少しだけ胸が軽くなった。
俺は月夜に聖剣の欠片を掲げた。
黒い欠片が風に共鳴して、淡い光を放つ。
遠くで、雷鳴がまた鳴った。
始まりの音のように。
(続く)
焼け落ちた城の石壁が赤く焦げ、黒煙が空を覆っている。倒れた兵士たちの鎧が月光を反射して、幽かな光を放っていた。その中央に、ひとりの男が剣を突き立てたまま動かない。
勇者レオン──この世界を救った英雄。
彼の胸には、深々と黒い刃が刺さっていた。かつて魔王を滅ぼした伝説の剣。その切っ先が、今は彼自身を貫いている。
遠くで雷鳴が鳴った。終わりを告げる音のように。
――兄さん。
誰かが泣いている声がした。
音源を探すように、光が滲んでいく。
気づけば、俺はまぶしさの中にいた。
あの夜の光景を、何度も夢で見る。血と炎と、兄の名前を叫ぶ声。けれど俺はあの場には居なかった。兄の死も、本当は知らない。ただ伝説の結末として、語り継がれる形でしか。
「おぎゃあ、おぎゃあ!」
耳に響く泣き声で意識がはっきりした。……いや、待て。泣いてるの、俺?
慌てて目を開けようとするが、視界はぼやけている。腕を動かそうとしても、動かない。指一本すら。
そして、温かい腕に抱かれた感覚がした。
「この子は……勇者レオンの弟。リオと名づけましょう」
柔らかな声。誰かの涙。
え? 勇者レオンって、あの……?
理解が追いつかないまま、俺は再び意識を手放した。
***
それから数年。
俺は、自分が異世界に転生したのだと理解した。
現代日本で普通の大学生だった俺――遥斗(はると)は、交通事故であっけなく死んだはずだった。気づけば、伝説の勇者レオンの弟・リオとして生きている。異世界転生、という言葉が頭によぎったとき、なぜか苦笑してしまった。
神様のいたずらか、それとも兄の残した縁か。
この世界では、兄レオンが魔王を倒して十五年が経っていた。
だが平和は長く続かなかった。王国は戦争の傷を癒せず、腐敗と貧困に沈んでいる。かつて兄が救ったはずの国が、今では滅びの足音を立てている。
兄の名が伝説として語られれば語られるほど、現実との落差が痛い。
リオとして生きる俺は、民衆の中でひっそりと暮らしていた。兄の輝きの影で、生き方を探していた。
「リオ兄ちゃん、また薪割りしてるの?」
村の子どもたちが声をかけてくる。
「ああ、これくらいしか役に立てないからな」
苦笑いを返すと、子どもたちは笑って走り去った。
勇者の弟なんて呼ばれたところで、俺には剣の才も魔力もない。
兄の血を引いているはずなのに、戦えない。何かを守る力もない。
それが、この十五年間ずっと重く胸にのしかかっていた。
ある日、王都からひとりの役人がやってきた。
「レオン勇者の弟、リオ殿。陛下がお呼びだ」
王の召喚など縁のない話だった。
俺は戸惑いながらも、案内に従って王都へ向かった。
***
王宮はかつての輝きを失っていた。
瓦礫に覆われた庭、ひび割れた塔。王の玉座の前には、やつれた老人がいた。
「おお……リオか。レオンの面影があるな」
王の声は掠れていた。
「兄がお世話になりました」
「勇者の犠牲で、我らは生き延びた。しかし……国はもう限界だ」
王の言葉には、抑えきれない疲労がにじんでいた。
「闇が戻りつつある。魔の者どもが各地で再び現れた。聖剣に宿る封印が、弱まっているのだ」
聖剣。
兄が最後に使った剣。兄の命を奪った、あの黒い刃。
それが、今もこの世にあるというのか。
「勇者の血を継ぐお前なら、聖剣を扱えるはずだ」
「俺に……?」
「頼む。レオンの弟よ。再び国を救ってくれ」
重すぎる言葉だった。
俺は勇者なんかじゃない。剣を握ることすら怖い、ただの村人のつもりだったのに。
けれど、王の言葉を振り払う勇気もなかった。
***
夜、王宮を後にして宿に戻る途中、ひとりの旅人が声をかけてきた。
「あなたが……リオ、ですね」
長い銀髪をした女性だった。澄んだ瞳の奥に、どこか懐かしさを感じる。
「俺の名前を……?」
「覚えていませんか。私はユナ。かつて、レオン様と共に戦った治癒の巫女です」
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「けれど、あなたには兄上にはなかった“もの”もある」
ユナの言葉の意味は、その時わからなかった。
ただ、彼女が差し出した小袋の中で金属の音がした。
「これは?」
「レオン様が最後まで手放さなかった“欠片”です。――聖剣の欠片」
袋の口を開くと、欠けた黒い金属片が月光を受けて鈍く輝いた。
触れた瞬間、胸の奥に何かが走った。
熱い。心臓が焼けるように。
そして、耳の奥で声がした。
――リオ。守ってやれ。俺たちの世界を。
それは、兄の声だった。確かに。
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俺が兄の影を越えられるかはわからない。
だが、逃げたままではいられなかった。
ユナは微笑んだ。
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その言葉に、少しだけ胸が軽くなった。
俺は月夜に聖剣の欠片を掲げた。
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始まりの音のように。
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