1 / 6
第1話 「魔力ゼロ」の聖女、婚約破棄される
しおりを挟む
王立学園の卒業パーティーが開かれている大広間は、むせ返るような香水の匂いと、着飾った貴族たちの熱気で満ちていた。
豪奢なシャンデリアが放つ光が、令嬢たちの宝石をきらきらと反射させる。
軽やかなワルツの調べ、グラスが触れ合う軽快な音、楽しげな談笑。
この国、サンクチュアリ王国の未来を担う若者たちの門出にふさわしい、輝かしい夜だった。
ただ一人、私――エミリア・ローズブレイドを除いては。
私は会場の隅、柱の影に隠れるようにして立っていた。
手にしたグラスの中身は、もう随分と温まっている。
身につけているのは、聖女の証である純白のドレスだ。
けれどそれは、周囲の令嬢たちが競って着ているような流行のスタイルではない。刺繍もフリルも極限まで削ぎ落とされた、修道服に近い質素なものだった。
「地味ねぇ」
「あれで次期王妃だなんて、カイル殿下がお気の毒」
「本当に聖女なの? 何も奇跡を起こせないって噂よ」
扇で口元を隠した令嬢たちのひそひそ話が、容赦なく鼓膜を叩く。
私は唇を噛み締め、視線を床に落とした。
慣れている。こんな陰口は、もう何年も前から日常茶飯事だ。
私はこの国の「聖女」として認定されているけれど、人々の前で派手な奇跡を見せたことがない。
怪我を一瞬で治す治癒魔法も、夜空を焦がすような攻撃魔法も、私には使えなかった。
私ができるのは、ただ祈ることだけ。
毎朝、日が昇る前から神殿の冷たい石畳に膝をつき、大地の豊穣を祈る。
来る日も来る日も、雨の日も雪の日も。
そうすれば、なぜか作物は実り、この国は飢饉知らずでいられた。
けれど、それは「地味」なのだ。
誰も私の祈りが成果に結びついているとは信じていない。
ただの偶然、あるいは気候が良いだけだと、誰もがそう思っていた。
(……そろそろ、帰りたいな)
ため息をつきかけた、その時だった。
突如として、楽団の演奏が止まった。
ざわめきが波紋のように広がり、やがて静寂へと変わる。
カツ、カツ、カツ。
大理石の床を叩く、自信に満ちた足音が響き渡る。
会場の中央に進み出てきたのは、金髪を煌めかせた見目麗しい青年――この国の第一王子、カイル・サンクチュアリだった。
私の婚約者でもある彼が、壇上に上がり、会場を見下ろす。
そして、その隣には、豪奢なピンク色のドレスを纏った愛らしい少女が寄り添っていた。
ふわふわとした銀髪に、甘えるような大きな瞳。
私の義理の妹、ソフィアだ。
嫌な予感がした。
背筋を冷たいものが駆け抜ける。心臓が早鐘を打ち始める。
カイル殿下の視線が、群衆の中から私を探し出し、冷酷に射抜いた。
「エミリア・ローズブレイド! 前へ出ろ!」
雷のような怒声が広間に響いた。
人々がさっと左右に分かれ、私への道を作る。
突き刺さるような視線の中、私は震える足で壇上の前へと進み出た。
カーテシーをして顔を上げると、そこには軽蔑の色を隠そうともしないカイル殿下の顔があった。
「エミリア。貴様との婚約を、この場を持って破棄する!」
予想はしていた。けれど、実際に言葉にされると、胸の奥が抉られるような痛みが走った。
会場がどっとどよめく。
「で、殿下……。それは、どういう……」
「言葉通りの意味だ! 貴様のような無能な女を、いつまでも王家に置いておくわけにはいかん!」
カイル殿下は、隣にいるソフィアの腰を抱き寄せ、勝ち誇ったように言った。
「見ろ、このソフィアの愛らしさを。そして彼女の才能を! ソフィアこそが、真に国を救う聖女にふさわしい!」
ソフィアが恥ずかしそうに頬を染め、殿下の胸に顔を埋める。
その口元が、私にだけ見える角度で、にやりと歪んだのを私は見逃さなかった。
「エミリア、貴様には失望した。聖女として認定されてから三年、貴様は何をした? 何もしていない! ただ神殿に引きこもり、税金で飯を食っていただけではないか!」
「ち、違います! 私は毎日祈りを捧げて……」
「祈りだと? そんなもので腹が膨れるか! 国民が求めているのは、目に見える奇跡だ! ソフィアのように!」
カイル殿下が合図をすると、ソフィアが一歩前に出た。
彼女が右手を掲げる。
「えいっ」
可愛らしい掛け声とともに、彼女の手のひらから小さな光の球が生まれた。
それはふわりと浮かび上がり、天井付近でパァンと弾けて、花火のように美しい火花を散らした。
「おお……!」
「なんて美しい光魔法だ!」
「これぞ聖女様の御力!」
会場中が拍手喝采に包まれる。
たったあれだけの、何の実用性もない初歩的な光魔法。
けれど、人々にとっては、私の地味な祈りよりも、この分かりやすい光のほうが「聖女らしい」のだ。
カイル殿下は満足げに頷き、再び私を睨みつけた。
「見たか、この差を。先日の魔力測定の結果も出ている。ソフィアの魔力値は『80』。対して貴様は……『0(ゼロ)』だ!」
「ゼロ……?」
そんなはずはない。
魔力がなければ、祈りを捧げても神に通じることはない。
私が祈るたび、体の中から温かい力が大地へ流れ込んでいくのを、私は確かに感じていたのだから。
「測定器の故障では……」
「黙れ! 王家御用達の魔導具を疑うのか! 貴様は魔力がないくせに聖女の地位にしがみつき、あまつさえ優秀な妹であるソフィアを妬み、虐げてきたそうだな!」
「なっ……!?」
身に覚えのない罪状に、私は言葉を失った。
虐げていた? 私がソフィアを?
逆だ。
父が再婚してソフィアと継母が家に来てから、屋根裏部屋に追いやられたのは私だ。
新しいドレスなど買ってもらえず、ソフィアのお古を着せられていたのは私だ。
「聖女」として神殿に入ったことで、ようやく屋根裏生活から抜け出せたというのに。
「ソフィアから全て聞いているぞ。お気に入りのドレスを切り刻んだり、階段から突き落とそうとしたりしたそうだな」
「そんなこと、していません! 信じてください、殿下!」
「ソフィアが嘘をつくとでも言うのか!」
カイル殿下の怒声に、ソフィアが涙目で訴える。
「いいの、カイル様……。お姉様は、魔力がないことがコンプレックスで……だから私につらく当たって……。でも私、お姉様の分まで頑張るから……」
けなげな少女を演じるソフィアに、周囲の貴族たちは同情の眼差しを向け、私には軽蔑の視線を投げる。
「なんてひどい女だ」
「無能な上に性格も悪いなんて」
「魔力ゼロの聖女なんて、詐欺じゃないか」
「税金泥棒め」
罵声が四方八方から飛んでくる。
弁解しようにも、誰も私の言葉を聞こうとはしない。
味方は、一人もいなかった。
孤立無援。
冷たい汗が背中を伝う。
私がこれまで捧げてきた祈りは、流してきた汗は、擦りむいた膝の痛みは、何一つ彼らに届いていなかった。
この国のためにと、自分の青春の全てを犠牲にしてきたのに。
カイル殿下が、まるで汚いものを見るような目で私を見下ろし、冷徹に宣告した。
「エミリア・ローズブレイド。貴様を『聖女』の任から解く! 並びに、国家反逆罪および王族への不敬罪に準ずる罪として、国外追放を命じる!」
国外追放。
それは死刑に次ぐ重い罰だ。
「ただし、慈悲深いソフィアの願いにより、命だけは助けてやる。今日この瞬間より、貴様は平民以下の存在だ。着の身着のまま、今すぐこの城から出て行け!」
「今すぐ……ですか?」
「そうだ。荷物をまとめる時間など与えん。貴様の持ち物は全て、国費で購入したものだからな。そのドレス一枚で出て行くがいい」
外は雪が降っている。
今は冬の真っ只中だ。
コートもなしに放り出されれば、凍え死ぬかもしれない。
それでも、カイル殿下の表情に慈悲の色はなかった。
「……わかりました」
私は、静かに頭を下げた。
不思議と、涙は出なかった。
むしろ、心のどこかでほっとしていたのだ。
もう、祈らなくていい。
誰も感謝してくれない、成果を認めてくれない場所で、膝から血を流して祈り続ける日々に、もう戻らなくていいのだ。
そう思ったら、絶望よりも先に、重い鎖から解き放たれたような開放感が胸に広がった。
「今日まで、この国のために尽くしてまいりました。その事実に、一点の曇りもありません」
私は顔を上げ、凛とした声で言った。
予想外の反応だったのか、カイル殿下がわずかに眉をひそめる。
泣き叫んで縋り付いてくると思っていたのだろう。
「ふん、最後まで強がりを。魔力ゼロのゴミが何を言うか」
「さようなら、カイル殿下。ソフィア。……どうか、お元気で」
私は背を向け、歩き出した。
振り返らない。
背後でソフィアが「やっと消えてくれた」と呟くのが聞こえた気がしたけれど、もう関係ない。
重い扉を衛兵が開ける。
吹き込んでくる冷たい風が、私の頬を叩いた。
温かい会場から、極寒の闇へ。
城門を出て、王都の大通りを歩く。
雪は激しく降りしきり、薄手のドレス一枚の体を容赦なく冷やしていく。
足の感覚はすぐに消え、吐く息は白く凍りつく。
「寒い……」
行く当てなどない。
実家に戻ったところで、継母とソフィアに洗脳された父が私を受け入れるはずもない。
所持金もない。
本当に、私は「ゴミ」のように捨てられたのだ。
ガタガタと震えが止まらない。
視界が白く霞んでいく。
このまま雪に埋もれて死ぬのだろうか。
それもまた、運命なのかもしれない。
誰も愛してくれなかった人生だった。
誰からも必要とされなかった人生だった。
(でも……悔しいな)
意識が遠のく中で、私は思った。
私は、誰かに「ありがとう」と言ってほしかっただけなのに。
温かいスープを飲んで、「美味しいね」と笑い合いたかっただけなのに。
そんなささやかな幸せすら、私には許されなかった。
ふらりと体が傾く。
膝から力が抜け、私は雪の中に倒れ込んだ。
冷たい。痛い。
ああ、これで終わりなんだ。
瞼が重く閉じていく。
意識が闇に溶けていく寸前。
ザッ、ザッ、ザッ。
雪を踏みしめる音が聞こえた。
誰か、来たのだろうか。
こんな雪の夜に、物好きなことだ。
「……おい」
低く、けれど深い響きを持つ男の声が、頭上から降ってきた。
私は最後の力を振り絞って、うっすらと目を開けた。
ぼやけた視界の先に、黒い影が立っている。
闇夜のような漆黒のコート。
月光を反射して輝く銀色の髪。
そして、凍てつくような氷の瞳。
「こんなところで何をしている。死にたいのか」
その男は、私の前に片膝をつき、顔を覗き込んできた。
美しい、と思った。
まるで死神のように恐ろしく、けれど息を呑むほどに美しい男だった。
「……すて、られ……ました」
かすれた声で答える。
男の眉がぴくりと動いた。
「捨てられた?」
「わたしは……魔力ゼロの、ゴミ……だから……」
自嘲気味にそう告げて、私は力尽きた。
完全に意識を手放すその瞬間、男の大きな手が私の体を抱き上げたのを感じた。
「ゴミ、か……。なら、俺が拾っても文句はないな」
耳元で聞こえたその声は、驚くほど温かかった気がする。
それが、私の新しい運命の始まりだった。
この時の私はまだ知らない。
自分が捨てられたことで、この国が破滅へと向かい始めたことを。
そして、私を拾ったこの男こそが、「氷の死神」と恐れられる辺境の怪物、アレクセイ・ヴォルグ公爵であることを。
さらには、私の魔力が「ゼロ」どころか、世界を揺るがすほどの力であったことを。
続く
豪奢なシャンデリアが放つ光が、令嬢たちの宝石をきらきらと反射させる。
軽やかなワルツの調べ、グラスが触れ合う軽快な音、楽しげな談笑。
この国、サンクチュアリ王国の未来を担う若者たちの門出にふさわしい、輝かしい夜だった。
ただ一人、私――エミリア・ローズブレイドを除いては。
私は会場の隅、柱の影に隠れるようにして立っていた。
手にしたグラスの中身は、もう随分と温まっている。
身につけているのは、聖女の証である純白のドレスだ。
けれどそれは、周囲の令嬢たちが競って着ているような流行のスタイルではない。刺繍もフリルも極限まで削ぎ落とされた、修道服に近い質素なものだった。
「地味ねぇ」
「あれで次期王妃だなんて、カイル殿下がお気の毒」
「本当に聖女なの? 何も奇跡を起こせないって噂よ」
扇で口元を隠した令嬢たちのひそひそ話が、容赦なく鼓膜を叩く。
私は唇を噛み締め、視線を床に落とした。
慣れている。こんな陰口は、もう何年も前から日常茶飯事だ。
私はこの国の「聖女」として認定されているけれど、人々の前で派手な奇跡を見せたことがない。
怪我を一瞬で治す治癒魔法も、夜空を焦がすような攻撃魔法も、私には使えなかった。
私ができるのは、ただ祈ることだけ。
毎朝、日が昇る前から神殿の冷たい石畳に膝をつき、大地の豊穣を祈る。
来る日も来る日も、雨の日も雪の日も。
そうすれば、なぜか作物は実り、この国は飢饉知らずでいられた。
けれど、それは「地味」なのだ。
誰も私の祈りが成果に結びついているとは信じていない。
ただの偶然、あるいは気候が良いだけだと、誰もがそう思っていた。
(……そろそろ、帰りたいな)
ため息をつきかけた、その時だった。
突如として、楽団の演奏が止まった。
ざわめきが波紋のように広がり、やがて静寂へと変わる。
カツ、カツ、カツ。
大理石の床を叩く、自信に満ちた足音が響き渡る。
会場の中央に進み出てきたのは、金髪を煌めかせた見目麗しい青年――この国の第一王子、カイル・サンクチュアリだった。
私の婚約者でもある彼が、壇上に上がり、会場を見下ろす。
そして、その隣には、豪奢なピンク色のドレスを纏った愛らしい少女が寄り添っていた。
ふわふわとした銀髪に、甘えるような大きな瞳。
私の義理の妹、ソフィアだ。
嫌な予感がした。
背筋を冷たいものが駆け抜ける。心臓が早鐘を打ち始める。
カイル殿下の視線が、群衆の中から私を探し出し、冷酷に射抜いた。
「エミリア・ローズブレイド! 前へ出ろ!」
雷のような怒声が広間に響いた。
人々がさっと左右に分かれ、私への道を作る。
突き刺さるような視線の中、私は震える足で壇上の前へと進み出た。
カーテシーをして顔を上げると、そこには軽蔑の色を隠そうともしないカイル殿下の顔があった。
「エミリア。貴様との婚約を、この場を持って破棄する!」
予想はしていた。けれど、実際に言葉にされると、胸の奥が抉られるような痛みが走った。
会場がどっとどよめく。
「で、殿下……。それは、どういう……」
「言葉通りの意味だ! 貴様のような無能な女を、いつまでも王家に置いておくわけにはいかん!」
カイル殿下は、隣にいるソフィアの腰を抱き寄せ、勝ち誇ったように言った。
「見ろ、このソフィアの愛らしさを。そして彼女の才能を! ソフィアこそが、真に国を救う聖女にふさわしい!」
ソフィアが恥ずかしそうに頬を染め、殿下の胸に顔を埋める。
その口元が、私にだけ見える角度で、にやりと歪んだのを私は見逃さなかった。
「エミリア、貴様には失望した。聖女として認定されてから三年、貴様は何をした? 何もしていない! ただ神殿に引きこもり、税金で飯を食っていただけではないか!」
「ち、違います! 私は毎日祈りを捧げて……」
「祈りだと? そんなもので腹が膨れるか! 国民が求めているのは、目に見える奇跡だ! ソフィアのように!」
カイル殿下が合図をすると、ソフィアが一歩前に出た。
彼女が右手を掲げる。
「えいっ」
可愛らしい掛け声とともに、彼女の手のひらから小さな光の球が生まれた。
それはふわりと浮かび上がり、天井付近でパァンと弾けて、花火のように美しい火花を散らした。
「おお……!」
「なんて美しい光魔法だ!」
「これぞ聖女様の御力!」
会場中が拍手喝采に包まれる。
たったあれだけの、何の実用性もない初歩的な光魔法。
けれど、人々にとっては、私の地味な祈りよりも、この分かりやすい光のほうが「聖女らしい」のだ。
カイル殿下は満足げに頷き、再び私を睨みつけた。
「見たか、この差を。先日の魔力測定の結果も出ている。ソフィアの魔力値は『80』。対して貴様は……『0(ゼロ)』だ!」
「ゼロ……?」
そんなはずはない。
魔力がなければ、祈りを捧げても神に通じることはない。
私が祈るたび、体の中から温かい力が大地へ流れ込んでいくのを、私は確かに感じていたのだから。
「測定器の故障では……」
「黙れ! 王家御用達の魔導具を疑うのか! 貴様は魔力がないくせに聖女の地位にしがみつき、あまつさえ優秀な妹であるソフィアを妬み、虐げてきたそうだな!」
「なっ……!?」
身に覚えのない罪状に、私は言葉を失った。
虐げていた? 私がソフィアを?
逆だ。
父が再婚してソフィアと継母が家に来てから、屋根裏部屋に追いやられたのは私だ。
新しいドレスなど買ってもらえず、ソフィアのお古を着せられていたのは私だ。
「聖女」として神殿に入ったことで、ようやく屋根裏生活から抜け出せたというのに。
「ソフィアから全て聞いているぞ。お気に入りのドレスを切り刻んだり、階段から突き落とそうとしたりしたそうだな」
「そんなこと、していません! 信じてください、殿下!」
「ソフィアが嘘をつくとでも言うのか!」
カイル殿下の怒声に、ソフィアが涙目で訴える。
「いいの、カイル様……。お姉様は、魔力がないことがコンプレックスで……だから私につらく当たって……。でも私、お姉様の分まで頑張るから……」
けなげな少女を演じるソフィアに、周囲の貴族たちは同情の眼差しを向け、私には軽蔑の視線を投げる。
「なんてひどい女だ」
「無能な上に性格も悪いなんて」
「魔力ゼロの聖女なんて、詐欺じゃないか」
「税金泥棒め」
罵声が四方八方から飛んでくる。
弁解しようにも、誰も私の言葉を聞こうとはしない。
味方は、一人もいなかった。
孤立無援。
冷たい汗が背中を伝う。
私がこれまで捧げてきた祈りは、流してきた汗は、擦りむいた膝の痛みは、何一つ彼らに届いていなかった。
この国のためにと、自分の青春の全てを犠牲にしてきたのに。
カイル殿下が、まるで汚いものを見るような目で私を見下ろし、冷徹に宣告した。
「エミリア・ローズブレイド。貴様を『聖女』の任から解く! 並びに、国家反逆罪および王族への不敬罪に準ずる罪として、国外追放を命じる!」
国外追放。
それは死刑に次ぐ重い罰だ。
「ただし、慈悲深いソフィアの願いにより、命だけは助けてやる。今日この瞬間より、貴様は平民以下の存在だ。着の身着のまま、今すぐこの城から出て行け!」
「今すぐ……ですか?」
「そうだ。荷物をまとめる時間など与えん。貴様の持ち物は全て、国費で購入したものだからな。そのドレス一枚で出て行くがいい」
外は雪が降っている。
今は冬の真っ只中だ。
コートもなしに放り出されれば、凍え死ぬかもしれない。
それでも、カイル殿下の表情に慈悲の色はなかった。
「……わかりました」
私は、静かに頭を下げた。
不思議と、涙は出なかった。
むしろ、心のどこかでほっとしていたのだ。
もう、祈らなくていい。
誰も感謝してくれない、成果を認めてくれない場所で、膝から血を流して祈り続ける日々に、もう戻らなくていいのだ。
そう思ったら、絶望よりも先に、重い鎖から解き放たれたような開放感が胸に広がった。
「今日まで、この国のために尽くしてまいりました。その事実に、一点の曇りもありません」
私は顔を上げ、凛とした声で言った。
予想外の反応だったのか、カイル殿下がわずかに眉をひそめる。
泣き叫んで縋り付いてくると思っていたのだろう。
「ふん、最後まで強がりを。魔力ゼロのゴミが何を言うか」
「さようなら、カイル殿下。ソフィア。……どうか、お元気で」
私は背を向け、歩き出した。
振り返らない。
背後でソフィアが「やっと消えてくれた」と呟くのが聞こえた気がしたけれど、もう関係ない。
重い扉を衛兵が開ける。
吹き込んでくる冷たい風が、私の頬を叩いた。
温かい会場から、極寒の闇へ。
城門を出て、王都の大通りを歩く。
雪は激しく降りしきり、薄手のドレス一枚の体を容赦なく冷やしていく。
足の感覚はすぐに消え、吐く息は白く凍りつく。
「寒い……」
行く当てなどない。
実家に戻ったところで、継母とソフィアに洗脳された父が私を受け入れるはずもない。
所持金もない。
本当に、私は「ゴミ」のように捨てられたのだ。
ガタガタと震えが止まらない。
視界が白く霞んでいく。
このまま雪に埋もれて死ぬのだろうか。
それもまた、運命なのかもしれない。
誰も愛してくれなかった人生だった。
誰からも必要とされなかった人生だった。
(でも……悔しいな)
意識が遠のく中で、私は思った。
私は、誰かに「ありがとう」と言ってほしかっただけなのに。
温かいスープを飲んで、「美味しいね」と笑い合いたかっただけなのに。
そんなささやかな幸せすら、私には許されなかった。
ふらりと体が傾く。
膝から力が抜け、私は雪の中に倒れ込んだ。
冷たい。痛い。
ああ、これで終わりなんだ。
瞼が重く閉じていく。
意識が闇に溶けていく寸前。
ザッ、ザッ、ザッ。
雪を踏みしめる音が聞こえた。
誰か、来たのだろうか。
こんな雪の夜に、物好きなことだ。
「……おい」
低く、けれど深い響きを持つ男の声が、頭上から降ってきた。
私は最後の力を振り絞って、うっすらと目を開けた。
ぼやけた視界の先に、黒い影が立っている。
闇夜のような漆黒のコート。
月光を反射して輝く銀色の髪。
そして、凍てつくような氷の瞳。
「こんなところで何をしている。死にたいのか」
その男は、私の前に片膝をつき、顔を覗き込んできた。
美しい、と思った。
まるで死神のように恐ろしく、けれど息を呑むほどに美しい男だった。
「……すて、られ……ました」
かすれた声で答える。
男の眉がぴくりと動いた。
「捨てられた?」
「わたしは……魔力ゼロの、ゴミ……だから……」
自嘲気味にそう告げて、私は力尽きた。
完全に意識を手放すその瞬間、男の大きな手が私の体を抱き上げたのを感じた。
「ゴミ、か……。なら、俺が拾っても文句はないな」
耳元で聞こえたその声は、驚くほど温かかった気がする。
それが、私の新しい運命の始まりだった。
この時の私はまだ知らない。
自分が捨てられたことで、この国が破滅へと向かい始めたことを。
そして、私を拾ったこの男こそが、「氷の死神」と恐れられる辺境の怪物、アレクセイ・ヴォルグ公爵であることを。
さらには、私の魔力が「ゼロ」どころか、世界を揺るがすほどの力であったことを。
続く
0
あなたにおすすめの小説
「君の回復魔法は痛い」と追放されたので、国を浄化するのをやめました
希羽
恋愛
「君の回復魔法は痛いから」と婚約破棄され、国外追放された聖女エレナ。しかし彼女の魔法は、呪いを根こそぎ消滅させる最強の聖なる焼却だった。国を見限って辺境で薬草カフェを開くと、その技術に惚れ込んだ伝説の竜王やフェンリルが常連になり、悠々自適なスローライフが始まる。
一方、エレナを追放した王国はパニックに陥っていた。新しく迎えた聖女の魔法は、ただ痛みを麻痺させるだけの「痛み止め」に過ぎず、国中に蔓延する呪いを防ぐことができなかったのだ。
原因不明の奇病、腐り落ちる騎士の腕、そして復活する魔王の封印。
「頼む、戻ってきてくれ!」と泣きつかれても、もう遅い。
私の店は世界最強の竜王様が警備しているので、王家の使いだろうと門前払いです。
※本作は「小説家になろう」でも投稿しています。
聖女の力を妹に奪われ魔獣の森に捨てられたけど、何故か懐いてきた白狼(実は呪われた皇帝陛下)のブラッシング係に任命されました
AK
恋愛
「--リリアナ、貴様との婚約は破棄する! そして妹の功績を盗んだ罪で、この国からの追放を命じる!」
公爵令嬢リリアナは、腹違いの妹・ミナの嘘によって「偽聖女」の汚名を着せられ、婚約者の第二王子からも、実の父からも絶縁されてしまう。 身一つで放り出されたのは、凶暴な魔獣が跋扈する北の禁足地『帰らずの魔の森』。
死を覚悟したリリアナが出会ったのは、伝説の魔獣フェンリル——ではなく、呪いによって巨大な白狼の姿になった隣国の皇帝・アジュラ四世だった!
人間には効果が薄いが、動物に対しては絶大な癒やし効果を発揮するリリアナの「聖女の力」。 彼女が何気なく白狼をブラッシングすると、苦しんでいた皇帝の呪いが解け始め……?
「余の呪いを解くどころか、極上の手触りで撫でてくるとは……。貴様、責任を取って余の専属ブラッシング係になれ」
こうしてリリアナは、冷徹と恐れられる氷の皇帝(中身はツンデレもふもふ)に拾われ、帝国で溺愛されることに。 豪華な離宮で美味しい食事に、最高のもふもふタイム。虐げられていた日々が嘘のような幸せスローライフが始まる。
一方、本物の聖女を追放してしまった祖国では、妹のミナが聖女の力を発揮できず、大地が枯れ、疫病が蔓延し始めていた。 元婚約者や父が慌ててミレイユを連れ戻そうとするが、時すでに遅し。 「私の主人は、この可愛い狼様(皇帝陛下)だけですので」 これは、すべてを奪われた令嬢が、最強のパートナーを得て幸せになり、自分を捨てた者たちを見返す逆転の物語。
地味で無能な聖女だと婚約破棄されました。でも本当は【超過浄化】スキル持ちだったので、辺境で騎士団長様と幸せになります。ざまぁはこれからです。
黒崎隼人
ファンタジー
聖女なのに力が弱い「偽物」と蔑まれ、婚約者の王子と妹に裏切られ、死の土地である「瘴気の辺境」へ追放されたリナ。しかし、そこで彼女の【浄化】スキルが、あらゆる穢れを消し去る伝説級の【超過浄化】だったことが判明する! その奇跡を隣国の最強騎士団長カイルに見出されたリナは、彼の溺愛に戸惑いながらも、荒れ地を楽園へと変えていく。一方、リナを捨てた王国は瘴気に沈み崩壊寸前。今さら元婚約者が土下座しに来ても、もう遅い! 不遇だった少女が本当の愛と居場所を見つける、爽快な逆転ラブファンタジー!
身代わりで呪いの公爵に嫁ぎましたが、聖女の力で浄化したら離縁どころか国一番の溺愛妻になりました〜実家が泣きついてももう遅い〜
しょくぱん
恋愛
「お前のような無能は、死神の生贄にでもなっていろ」
魔力なしの無能と蔑まれ、家族に虐げられてきた伯爵令嬢レティシア。 彼女に命じられたのは、近づく者すべてを病ませるという『呪いの公爵』アレクシスへの身代わり結婚だった。
鉄格子の馬車で運ばれ、たどり着いたのは瘴気に満ちた死の城。 恐ろしい怪物のような男に殺される――。 そう覚悟していたレティシアだったが、目の前の光景に絶望よりも先に別の感情が湧き上がる。
(な、何これ……汚すぎるわ! 雑巾とブラシはどこ!?)
実は、彼女が「無能」と言われていたのは、その力が『洗浄』と『浄化』に特化した特殊な聖女の魔力だったから。
レティシアが掃除をすれば、呪いの瘴気は消え去り、枯れた大地には花が咲き、不気味だった公爵城はまたたく間にピカピカの聖域に塗り替えられていく。 さらには、呪いで苦しんでいたアレクシスの素顔は、見惚れるほどの美青年で――。
「レティシア、君は一体何者なんだ……? 体が、こんなに軽いのは初めてだ」
冷酷だったはずの公爵様から、まさかの執着と溺愛。 さらには、呪いが解けたことで領地は国一番の豊かさを取り戻していく。
一方で、レティシアを捨てた実家は、彼女の『浄化』を失ったことで災厄に見舞われ、今さら「戻ってきてくれ」と泣きついてくるが……。
「私は今、お城の掃除と旦那様のお世話で忙しいんです。お引き取りくださいませ」
これは、掃除を愛する薄幸令嬢が、その愛と魔力で死神公爵を救い、最高に幸せな居場所を手に入れるまでのお話。
辺境に追放されたガリガリ令嬢ですが、助けた男が第三王子だったので人生逆転しました。~実家は危機ですが、助ける義理もありません~
香木陽灯
恋愛
「そんなに気に食わないなら、お前がこの家を出ていけ!」
実の父と義妹に虐げられ、着の身着のままで辺境のボロ家に追放された伯爵令嬢カタリーナ。食べるものもなく、泥水のようなスープですすり、ガリガリに痩せ細った彼女が庭で拾ったのは、金色の瞳を持つ美しい男・ギルだった。
「……見知らぬ人間を招き入れるなんて、馬鹿なのか?」
「一人で食べるのは味気ないわ。手当てのお礼に一緒に食べてくれると嬉しいんだけど」
二人の奇妙な共同生活が始まる。ギルが獲ってくる肉を食べ、共に笑い、カタリーナは本来の瑞々しい美しさを取り戻していく。しかしカタリーナは知らなかった。彼が王位継承争いから身を隠していた最強の第三王子であることを――。
※ふんわり設定です。
※他サイトにも掲載中です。
契約破棄された聖女は帰りますけど
基本二度寝
恋愛
「聖女エルディーナ!あなたとの婚約を破棄する」
「…かしこまりました」
王太子から婚約破棄を宣言され、聖女は自身の従者と目を合わせ、頷く。
では、と身を翻す聖女を訝しげに王太子は見つめた。
「…何故理由を聞かない」
※短編(勢い)
存在感のない聖女が姿を消した後 [完]
風龍佳乃
恋愛
聖女であるディアターナは
永く仕えた国を捨てた。
何故って?
それは新たに現れた聖女が
ヒロインだったから。
ディアターナは
いつの日からか新聖女と比べられ
人々の心が離れていった事を悟った。
もう私の役目は終わったわ…
神託を受けたディアターナは
手紙を残して消えた。
残された国は天災に見舞われ
てしまった。
しかし聖女は戻る事はなかった。
ディアターナは西帝国にて
初代聖女のコリーアンナに出会い
運命を切り開いて
自分自身の幸せをみつけるのだった。
偽物と断罪された令嬢が精霊に溺愛されていたら
影茸
恋愛
公爵令嬢マレシアは偽聖女として、一方的に断罪された。
あらゆる罪を着せられ、一切の弁明も許されずに。
けれど、断罪したもの達は知らない。
彼女は偽物であれ、無力ではなく。
──彼女こそ真の聖女と、多くのものが認めていたことを。
(書きたいネタが出てきてしまったゆえの、衝動的短編です)
(少しだけタイトル変えました)
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる