日々の欠片

小海音かなた

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5/21『悪くはない街』

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 俺の朝は一杯のコーヒーから始まる。
 机の上には朝刊が広げられ、トマトやコンビーフに齧りついたり……はせずに、印刷された記事を読む。
 平和だといわれている我が国でも、事件が起こる。俺はその事件をたちまちに解明して、誰もが手を焼いていた闇を暴く……そんな探偵になりたかった。のだけど。
 俺の城である探偵事務所のドアが開いた。
「どーもー」
「またあんたか」
「またってなによ、お得意様でしょ?」
 そいつは我が物顔で依頼人が座るべきソファにドカッと座った。
 湯城(ユウキ)てまり。三十代童顔女性の“お得意様”だ。
「今回はなんだ」
「ヒョウモントカゲモドキのドキちゃん」
「相変わらずネーミングセンスねぇな」
「いいでしょ別に、探すのには関係ないんだから」
「動物飼うなら逃がすなよ」
「逃がしてるわけじゃないの」
「『逃げちゃうの』」
 予想して言った言葉がてまりの声とハモる。
 揶揄した物真似に、てまりがむくれた。ここで『中学生みたいだな』というと更にむくれるけど、ご時世的に自粛する。
「なんか特徴あんの」
「特にないけど……日本に野生はいないからすぐわかると思う」
 そう言っててまりが差し出した“ドキちゃん”の写真を、ため息交じりに受け取って席を立った。
* * *
「あれか?」
「あぁっ! ドキちゃん!」
 探しトカゲは案外あっさり見つかった。緑の葉っぱに黄色と黒の模様は目立つ。
「やっぱ見つけるの早い! ありがとう!」
 ドキちゃんはてまりが持参したケージにイソイソと入っていく。
「ペット探偵さんにも依頼したことあるんだけど、ここまで早くは見つからなくて……やっぱ天職だね!」
「ペット探偵になった記憶は1ミリもねぇんだが」
「えぇー? だって、他の事件の依頼、来てる?」
「……来てねぇ」
「ほらぁ」
「それはあんたがSNSで勝手に宣伝するからだろ」
「いいじゃん、閑古鳥鳴くよりは」
「そうだけど」
「もういっそ、一緒に住まない?」
「なんでそーなる」
「見つけるの早かったら逃がしづらそう。逃げちゃった子の心配しなくて済むようになるし、家賃浮くし。あのビル一棟、あなたのなんでしょ?」
「まぁ、そうだけど」
 探偵事務所が入っているビルは俺の爺さんが遺してくれたもの。別の階にいくつか入っているテナント料が毎月振り込まれるから、正直探偵業が流行ろうが廃れようが生活には影響がない。本当にただの道楽みたいなもん。
 それでも、俺は子供の頃に視て憧れたあのドラマの探偵みたいになりたいんだ。怪しい情報提供者とつるみ、同じ事件を調査する刑事たちを手玉にとり、魅力的な女性がいつでも取り巻きとして存在しているような、そんなハードボイルドな探偵に……。
 なのにいまの俺の周囲にいるのは、童顔三十路女性と、その女性が飼育している珍しい生き物たち……。
 そう。てまりの希望に根負けして、あいつが飼ってる動物たちを預かることになった。というか、てまりが生き物たちを引き連れて“押しかけ女房”になった。
「ここにいると、ネタが生まれそう」
 ということらしいが、守秘義務があるからネタにはしないでくれ、と首根っこをつかんでいる。
 昼間は事務所の傍らでパソコンを扱いながら探偵社の事務処理をするようになり(簿記検定取得者だから経理は一手に任せてしまった)、夜は本業の脚本家として物語を創作している。
 おかげで、俺の大事な探偵事務所兼住居は、いまやサファリパークのよう。
「ワンフロア空いてるなら貸してくれればいいのに」
「もう契約済み。来週から内装工事が入る。それに、家賃払えねぇだろ」
「払えるよ。この名前で検索してみてよ」
 渡されたのは、脚本家として使用しているペンネームが書かれた名刺。
 スマホで検索してみたら、有名なドラマ作品がいっぱい出て来た。その中には毎週楽しみにしていた名作ドラマの名前も。
「これ、全部お前が?」
「一応売れっ子脚本家なんで」
「だからこんな珍しい生き物がたくさん買えるのか」
「元手がなかったらこんなに引き取ってないよ。ご飯代だってタダじゃないんだから」
 確かに、生肉やら様々な専用フード、ケージにもクーラーだったりヒーターだったりポンプだったりが色々付いている。
「電気代は払えよ、絶対倍増してる」
「えー? 嫁から生活費取るつもり?」
「嫁ってなんだ。結婚したつもりねぇけど」
「一緒に住むんだから、籍入れたほうが楽だって」
 無邪気にはしゃぐてまりの表情に、俺の口から出たのはため息だった。
 あぁ、俺の“ハードボイルドな探偵生活”はいつになったら訪れるのだろう……。
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