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Chapter.63

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 一緑はカメラを片手に、時折ファインダーを覗いて画角を確認し、シャッターを切る。ファインダーの中には、広い公園の景色が見えている。
 外の世界を撮影すると、気晴らしになると一緑は言う。
「華鈴」
「ん?」呼ばれて振り向くと、一緑がシャッターボタンを押した。
 華鈴は少し驚いて、仕方ないなぁ、という風に笑った。
 胸元には、ホワイトデーに一緑から贈られたペンダントが光っている。
 身にまとうフローラルの香りは、いつしか華鈴の定番になっていた。
「どうする?」カメラを下げて一緑が問う。
 聞かれた華鈴はなんのことかわからず、小首をかしげて疑問符を浮かべた。
「そろそろ卒業でしょ? 就職先、赤菜邸うちから通える?」
「調べてみたら、特に大変そうではないんだけど……」
「……出てっちゃう?」
「……どうしようか迷ってる。すぐには難しいかもだから、もう少しお世話になって、それから? とも思ってる」少し寂しそうにして、それでも華鈴は笑みを浮かべている。
「そうよな……」一緑も寂しげに少し笑って「座らへん?」芝生の中に設置されたベンチを指さした。
「うん」
 二人で並んで座ると、座面の冷たさが服越しに伝わる。
 風も冷たいが陽射しは徐々に暖かくなってきていて、春を予感させる。
「本当は」華鈴が口を開いた。「もっと早く出ていくべきだったのかな、とも思うんだけど」
 その言葉に一緑は笑って、首をゆっくり横に振り、否定する。
「居心地よくて、甘えちゃった」
「甘えてほしくて提案したから、それでええんやけどね」華鈴に笑顔を見せて、頭を撫でる。「仕事するようになったら、いろいろ違ってくるやろうし、通う場所とかもあるしさ」
「そうだね。通勤は大丈夫なんだけど、帰りが遅くなったりするかもしれないなぁ」
「生活のリズムは変わるやろなぁ」
「うん」
「まぁ、居たいうちは居たらいいし、仕事に慣れて落ち着いてきたら……」一緑は言葉を探すように目線をさまよわせて「すぐにでも、いつかでもいいから…一緒に、住まへん?」うつむきがちに、つぶやくように言った。
「……?」
 いま、もう……華鈴が言葉を続けようとした瞬間
「二人きりで」
 一緑は華鈴に向き直り、提案した。
 その意味を理解した華鈴の目が、ゆっくり、大きく開いていく。
「今度はちゃんと、ご両親に承諾もらいに行くし、その……」一緑が言葉を切って、意を決するように息を吸う。「けっ、こんを前提に、同棲、しませんか…?」
 真っ直ぐに見つめて告げた一緑を、華鈴は驚き顔で見つめ返して。そして、ゆっくり笑みを広げた。
「はい…! よろしくお願いします…!」
 頭を下げる華鈴を見て、一緑がほぅと安心したように息を吐いた。
「こちらこそ、お願いします」頭を下げてから「あと、こんなん言うのダサいかもやけど」軽く苦笑して見せる。
「うん?」
「プロポーズは改めてするので、安心してください」
 紳士的な物言いに華鈴がふふっと笑って。
「はい。お待ちしてます」一緑に身を寄せた。
 心地よい重みを感じながら、一緑が華鈴の手を取り、寄り添う。

 吹く空気は冷たいけれど、触れ合う身体と心は温かくて、幸せで。このまま二人、混ざり合って溶けてしまいたいと思った。
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