精霊王、ここに顕現

PONPON百日草

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ライアルの転機

(4)

 ライアル・フォルサーという男は見た目から三十代半ばと思われているが、実際の年齢は二十八である。
 老けて見える原因は、服装に無頓着だったり伸びっぱなしの髪だったりついつい手入れの怠りがちな髭だったりと挙げだしたらキリがないが、やはり一番は表情だった。
「そんな死んだ魚のような眼をしてちゃあ生徒が寄ってこないよ」
 と通行許可証を求める度に事務員のベラに注意されるが、その都度「こんなおっさんの目がキラキラしていても気持ち悪いだけだろう」と言い返している。
 彼女はライアルを他の教師と差別することなく接してくれる貴重な人だった。
 人は必ず魔素を身体に宿して生まれてくる。
 その保有量には個人差があるが、ライアルはこの値が極端に低かった。ほぼ無いと言っても過言ではないくらいには魔素が少なかったのだ。
 町の子供ですら火を灯したり水を出すといった魔法を使えるのに、彼はその基本的なことすらできなかった。
 幼少期はそれでかなり酷い目に遭った。魔法で身を立てている家系だっただけに、不出来な子供の存在は邪魔だったようで、ライアルは兄達とは違って外に出て自由に遊ぶことも許されなかった。間違っても人目につかないようにと家族はライアルを倉庫に閉じ込めた。小さな窓から見える鉄格子越しの風景がライアルにとっての外の世界の全てだった。
 裕福な家庭で生まれたはずのライアルは十歳の頃に家から追い出されることになる。

 (⋯⋯思い返してもよく生きてたな⋯⋯)

 森の中には魔物がうろついている。襲われた回数も数え切れないほどある。自衛の術を持たない子どもなどひとたまりもない。
 それでもこの歳まで生きてこられたのは、ひとえに運が良かったとしか言いようがない。

 (スライムにすら苦戦するのに、サイクロプスになんて太刀打ちできるわけないだろう⋯⋯)

 心の中で盛大に愚痴を吐き散らかしていた男は、ここで女子生徒の存在を思い出した。

「はっ⋯⋯!」

 思い出すのと同時に一気に覚醒した。どうやら夢と記憶の間を漂っていたらしい。
 目覚めて最初に目に飛び込んできたものは、のどかなオレンジ色の空だった。緑の葉の間から見える雲が西陽に照らされて淡く光り、鳥が群れを成して北へ飛び去っていく。この瞬間を切り取って額縁に入れて飾りたいと思うくらいには平和で美しい光景である。
 しかし優しかったのはけの景色だけだった。
 身体を起こした男はすぐ側に倒れている巨体に気付いて悲鳴を呑み込んだ。
 特徴的な一つ目に生き物本来の光はなく、死んでいることは確実なのだが原因が分からない。
 男は頭痛のする頭で懸命に記憶を遡った。

 (サイクロプスを引き付けて⋯⋯そうしたら逃がしたはずのあの子がいて⋯⋯そうだ彼女は!?)

 慌てて辺りを見渡すと、木陰の切り株に腰掛けていた彼女と目が合った。膝の上に本を置いていることから、男が起きるまで読書をして待っていたことが窺える。
 外に出る時には持っておらず、しかし本が今ここにあるということは、彼女は一度学園に戻り本を手に取ってからまた戻ってきたということだ。
 男の背中を冷や汗が伝った。
 サイクロプスから逃げていた時の気の狂いそうな程の激しい恐怖とはまた別の種類の恐怖を感じていた。
 彼女の行動や魔法は「変わっている」という一言では片付けられない。人間の皮を被った『何か』が人間のふりをしているようにしか思えなかった。

「⋯⋯お前は何だ?何者だ?」

 情けないほどに震える声に対して、女子生徒は無表情で答えた。

「おまえが私を見て感じたものが私だ」

 男はその生徒を暫く見つめていた。
 生徒に動く様子はなく、切り株に座ったまま男の視線を受けている。
 薄暗くなりかけた森の中にいる彼女はまるで神話に出てくる女神のようだった。幻想的であり、神秘的であり、しかしその美しさに目を奪われて迂闊に近付けば最後、魂を取られかねない魔性のあやしさも感じられる。
 永遠に続くかのように思われた沈黙を破ったのは男の長い溜息だった。

「⋯⋯お前は俺の足を治し、魔物から守ってくれた。それが全てだ」

 そう言い切るまでにどれ程の葛藤があっただろうか。恐怖は完全に拭いきれていない。サイクロプスを「邪魔」の一言で片付けた強大な力が自分に向かない可能性を否定できない。
 しかし彼女を恐れて遠ざけるには受けた恩が大き過ぎた。相手が幽霊でも化け物でも、助けてくれたのなら言うべきことは一つである。

「ありがとう。⋯⋯また世話になった」
「気にするな」

 足を治してくれた時と同じ返事に男はほんの少しだけ肩の力を抜いた。
 身体の奥底にくすぶる恐怖心を完全に取り払うことは無理でも、それを意図的に隠して見ないようにすることはできる。

「このサイクロプスを倒した魔法はどういったものなんだ?」
「魔法ではない。魔素を抜いただけだ」
「⋯⋯ん?」

 男が理解していないのを感じ取ったのか、彼女にしては珍しく自分から詳しく説明をした。

「生きとし生けるものが生命を維持するのに必要な要素は複数あるが、おまえ達が魔素と呼ぶものもその一つだ。これの名前を知ることさえできれば良かったのだが⋯⋯それにはライアルを落ち着かせなければならないと判断して、原因であるものの動きを止めた。他に質問は?」

 今日一日だけで絶句するという経験を何度しただろうか?

「⋯⋯⋯つまり、お前は⋯⋯離れたところから生き物を殺すことができるのか?それが人間でも、魔物でも⋯⋯」
「ああ」
「そこに咲く花や木も⋯⋯」
「ああ、簡単だ」

 生徒は男の視線の先にある小さな花に顔を向けた。みるみるうちに茎が萎びて花弁が落ち、乾いた葉が割れて土の上に残骸を散らす。
 ライアルは再び気が遠くなりそうなのを寸でのところで踏みとどまった。
 先程懸命に見ないふりをしながら後ろに追いやった恐怖心がつんつんと背中を突っついてくる。
 茫然自失のていに陥っていたライアルだったが、急に表情を引き締めて生徒の座る切り株へと近付いた。今だけは震える足を意志の力で抑える。
 手を伸ばせば触れれる距離で止まると、その場にしゃがんで目を合わせた。

「無闇矢鱈にその力を使わないことを約束してほしい」
「なぜ?」
「お前にとって命とは簡単に折れる代物しろものなのだろうが、人間であれ魔物であれ植物だって懸命に生きている。それを踏み躙る権利なんてものは誰にもない。世の中には力こそ全てと考える奴がいる。権力と人命を比べて権力を選ぶ奴もいる。お前のその力は、そんな命を軽んじる人間にとって垂涎の的だ。隠しておいた方がいい」
「わかった。使わない」

 驚くほど素直な返事とともに女子生徒は頷いた。
 本当に理解しているのかと不安に思う男の目の前で、突然生徒が胸の位置で手の平を上に向けた。
 するとその中にぽうっと光が宿り、瞬く間に一つの形を成した。

「鍵⋯⋯?」

 生徒は今生み出したばかりの光の鍵を男に差し出した。
 反射的に受け取ってまじまじと凝視する。
 それはほんのりと淡い光を宿した小指の長さくらいしかない小さな鍵だが、ほとんど重さを感じない。それと少し温もりがある。

「これは?」
「先程の能力をその鍵の中に閉じ込めた。不安ならば持っておけ。おまえが力を使ってもいいと判断した場合に返してくれたらいい」
「⋯⋯いや、おまえ⋯⋯」
「嫌か」
「ちがっ、そうじゃなくてだな!」

 さっきも同じようなやり取りをした気がするが、それを振り返る余裕はなかった。

「そんな大事なものを俺に預けるのか!?」
「⋯⋯私の力を解放する鍵を私が持っていても意味がないだろう?」
「その『何言ってんだこいつ』みたいな顔で俺を見るな!言っておくがこれが普通の反応だからな!?」
「わかっている。だからおまえが管理した方がいい。私は俗世に疎いから、何が『普通』で『当たり前』なのかがわからない。きっとまたどこかで同じような失敗をするだろう。しかし人を怖がらせたり争いの種をまくのは私の本意ではない」
「⋯⋯⋯」
「私がここに来たのはこの世界について知る為だ。おまえも協力してほしい」
「何で俺が?」

 すると女子生徒はきょとんと男を見つめ返した。

「おまえが教師で私が生徒だからだ。これ以上の理由があるか?」

 つまり教師である自分は彼女の疑問に答える義務があると言いたいらしい。
 ライアルの担当科目は植物学だ。世界がどうのこうのというのは地理学や宗教学の分類になるのだが、彼女の為にも他の授業を受けることを勧めた方がいいのだろうか。

「つい最近のことだが、演習場を吹き飛ばして以来、急に身辺が騒がしくなってしまってな。疑問を提示しても教師は欲しい答えをくれないし、よく分からないことを延々と話してくるしで困っていたところだ」

 ライアルがカッと眼を見開いた。

「あの爆発お前だったのか!?」
「うむ」
「俺が演習場の隅にこっそり作っていた菜園を跡形もなく消し飛ばしやがって⋯⋯犯人を見つけたら文句を言ってやろうと思ってたがまさか⋯⋯」
「そうだ。私だ」
「胸を張るんじゃない!少しは反省の様子を見せろ。ったく⋯⋯」

 痛み出してきた頭を振って、ライアルは菜園への未練を遠くに追いやった。

「とりあえず一度学園に戻るぞ。夜は魔物が凶暴化するし、サイクロプスが出たという報告もしないとな⋯⋯」
「わかった」

 そう言って立ち上がった生徒を見てライアルは首を傾げた。

「本を持ってなかったか?」
「ああ、返した。無断で借りて悪かったな」
「返し⋯⋯?その前に、借りたとは?」
「教室の隣に部屋があっただろう。そこから拝借した」

 教師にはそれぞれ階級に応じて教室が与えられており、全てに教室と廊下のどちらからも出入りできる小部屋がある。そこは準備室として授業に使うものを置いたり、休憩室の代わりにしたりとその用途は教師の自由にしてもよく、ライアルの場合は実験室兼住居として使っていた。
 教師には教員寮という居住区が与えられているのだが、何かと肩身の狭い思いをしているライアルは他の教師と頻繁に顔を合わせる機会の多い教員寮をいやがり、教室の隣で寝起きしている。

「⋯⋯鍵は掛けていたはずだが?」
「ああ。だから窓から入った。窓の鍵は開いていたからな」
「三階なんだが?」
「それがどうかしたのか?」
「⋯⋯⋯」

 もう何も言うまい。
 誰も来ないからと堂々と下着を干していたことを心底後悔しながらライアルは学園への帰路に着いた。

 学園の正門を潜ると小屋から事務員のベラが飛び出してきた。

「やっと帰ってきた!帰りが遅くなるなら言ってくれないと、魔物に食べられちまったんじゃないかって心配するじゃないか!」
「悪かった」

 ライアルは素直に謝り、ベラに言った。

「北の森でA級の魔物が出た。サイクロプスだ」

 ベラは目を剥いて男の顔を凝視していたが、直ぐに自分の職務を思い出して男に鋭く確認した。

「正門を封鎖するよ。サイクロプスってのは見間違いなんかじゃないね?」
「ああ。死体を至近距離で確認したから間違いない」

 ベラが驚いて尋ねた。

「死体?E級どころか魔物すらいない北の森にサイクロプスが死んでたっていうのかい?」
「いや、倒したのはこの子だ。彼女がいなければ今頃死体になっていたのは間違いなく俺だっただろうな」

 ベラは眼鏡を押し上げながらライアルの後ろに立つ女子生徒を見た。

「無事でよかったよ。どこも怪我はないかい?」
「ない」
「そりゃあよかった。やっぱあんたすごいねぇ、A級の魔物を一人で倒しちまうんだから」

 そう言ってベラは小屋に戻り、扉を閉める前にライアルを振り返った。

「あんたもさっさと戻って学園長に報告するんだよ!普段使わない全身の筋肉駆使してさっさと行きな!」
「俺の時と態度違い過ぎないか?」
「小汚いおっさんが可愛い女の子と同じ扱いしてもらえると思うんじゃないよ!あと、全部終わったら顔出しな。その右足の理由を説明するまで通行許可証は出してやんないよ」
「職権乱用だ⋯⋯」

 そう愚痴りつつも、彼女の言うことは尤もなのでライアルは女子生徒に言った。

「俺は今から森での出来事を上に報告しなければならないから、君はもう帰りなさい」
「わかった」

 素直に頷き、学生寮の方向に歩いていく背中を見送って、ライアルも学園長室へと足を急いだ。

 ──────

「つかれた⋯⋯」

 ライアルが自室のベッドに横になれたのは日付けも変わった深夜だった。
 学園に近い北の森でA級魔物が出たという情報は瞬く間に学園中を駆け回り、上を下への大騒ぎとなった。
 直ちに門は閉鎖、生徒には外出を厳しく禁じ、警備の数を倍に増やして内壁に沿って巡回させ、学園内部はしばらくは戦闘に特化した教師が交代で見回りをすることになった。
 そして日の出と共に、複数の教師と優秀な生徒数人を含めた調査部隊チームなるものが北の森に行くことになった。
 ライアルも案内役としてそのチームに参加が決定されている。
 物々しいことだが、A級の魔物に対してはこのくらいするのが普通である。

 (あの子がおかしいんだ。A級の魔物だぞ。ゴブリンでもなくオークでもなくサイクロプスだぞ。小さな村ならあれ一体で壊滅するってのに⋯⋯)

 彼女はただサイクロプスを視界に捉えただけ。ただそれだけの動作で、災厄をもたらす脅威はただの物体に変わり果てた。

 (魔素を抜いただと?しかも魔法じゃないとはどういう事だ?)

 彼女のことを考えれば考えるほど謎が深まっていく。
 男は大きな欠伸をした。
 日が昇るまで数時間しかないが、少しでも疲れた体を休めようと、ベッドの上でごろりと横を向いたその時、サイドテーブルに置かれた本が視界に入った。
 表紙には「幻の植物図鑑」とある。題名の通り、立ち入り禁止区域や人の体では到着できない険しい場所に生息する珍しい植物をまとめた一冊なのだが、これはライアルが王都から苦労して取り寄せたものである。
 つまりこの学園に同じものは二つとない。

 (彼女が俺の部屋から持ち出したのは間違いない。しかし帰る時にはなく、今ここにあるということは⋯⋯)

『転送魔法』

 その言葉が頭に浮かんだ瞬間、ライアルの全身は硬直した。視線は本に向けたままだが、目は文字を追っていない。

 (有り得ない⋯⋯転送魔法は最高難易度の魔法のはずだ⋯⋯そんないち学生が簡単に使えるものではない。きっと俺の勘違いだ。学園に戻る時もきっと俺が気付いてなかっただけで、本当は手に持ってたんだ。絶対そうだ)

 ライアルは閉じる目に力を込めた。
 これ以上思考を続けると発狂する可能性がある。
 どうにか睡魔をかき集めようとするも、たった一日で常識が覆る衝撃的な出来事を三度も経験した身体は興奮で寝られず、疲労困憊の精神は可哀想に休息の一時も与えられないまま朝日を迎えた。
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