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ライアルの転機
馘首の危機
しおりを挟む驚異的な速さで自分を取り戻した警備隊隊長は森から学園まで飛ぶような速さで駆け戻り、脇目も振らずライアルの教室を目指した。
そして扉を開けるなり怒鳴った。
「さっきのは何だ!!」
グラビッドが言えたのはそこまでだった。
教室の中へ一歩踏み出そうとした足ががくんと崩れ、異変を感じる間もなく視界が狭窄し、意識を失って倒れた。
「⋯⋯⋯⋯」
一連を見ていたライアルが女子生徒に向き直り、額を手で覆って言った。
「君への禁止事項に初手で魔法を放つことも追加しよう」
「むう⋯⋯流石に多すぎて身動きが取れないぞ」
「何を言う。まだ高位魔法を禁じただけだろうが」
「私なりに考えて平和的な手段を取ったのだがな。眠らせただけだぞ?」
「それを起きたら本人に言ってみろ。きっと盛大な罵倒が返ってくる」
そう言いながらライアルは意識のないグラビッドの体を引きずりながら中に入れ、薬草を置く時に使う敷物を床に敷いて、その上に巨体を転がした。
そして何事もなかったかのように教壇に立つのだから、彼も相当図太い神経の持ち主である。
「授業を続ける。先程のおさらいをしよう。現在回復魔法を使えるのはたった数人程度しか確認されておらず、その殆どが主人に仕えている。俺が知っているのは王宮に一人と、ギルド総本部に一人だ。この国だけで二名の治癒士がいる」
「ギルドというのは初めて聞いた。何をするところだ?」
「主な仕事は人助けだ。危険な魔物の討伐や高価な品物の運搬から木の実の採取や迷子の猫探しまでと舞い込む依頼内容は幅広い。王宮に近いところにギルド総本部があり、各地に支部が点々と散らばっている」
「誰でも依頼を受けることができるのか?」
「ギルドに登録している者なら依頼を受けることができる。だが、冒険者にはそれぞれ実力によって階級が付けられる。最高ランクがS、それからA、B、Cと下がっていく。これは魔物も同じだな。強い奴ほどSに近くなる。Bランクの冒険者はB以下の任務なら受けることができるがS、Aには手を出せない。そういう決まりになっている」
「ふむ。ランクの低い冒険者の無駄死にを防ぐ為か」
「その通りだ。ランクによる制限はここ最近でできた決まりだ。難易度の高い依頼ほど報酬は多くなるからな。報酬に目が眩んで命を落とす奴が続出したんだ。⋯⋯お前ならあっという間にたった一人でSランクになれるだろう」
女子生徒は首を傾げた。
「たった一人で?」
「ギルドでのランクには『個人』と『チーム』の二種類あるんだ。個人ではAランクでも、仲間を集めて総合的な戦力を換算すればSランクの実力を有すると判断されれば、チームを組んだ時のみSランクの依頼を受けることができる。個人でのSランク昇格試験はエンド・ドラゴンの討伐だ。⋯⋯君ならできるだろう?」
教師の問いに彼女は迷うことなく頷いた。
「エンド・ドラゴンというのが何かは知らないが、この世に現在する魔物なら討伐は難しくない」
「⋯⋯頼もしい言葉だ」
「しかし殺す必要性を感じない。エンド・ドラゴンというのは積極的に人間を襲うのか?」
「いいや、高山に巣を作って生活する生き物だから基本的に人里まで来ることはない。50年前に奇跡的に卵を持ち帰った冒険者がいたが、母親と思われる一匹のエンド・ドラゴンによって国ごと焼き払われた」
「それは人間が悪い。子孫の保護は命に限りのある生物において最優先事項だ。自業自得としか言えない」
「随分冷たいな。卵を盗んだ冒険者だけならともかく、この襲来で無実の市民が二万人以上亡くなったんだぞ」
「おまえ達も普段からそのドラゴンと同じことをしているだろう」
「なに?」
「一匹の蜂が危険だからと巣ごと始末してしまう。人間に有害な毒素を発生する植物の群生地があれば、他の植物が混じっていても構わず全て焼き払う。危険なものなら近付かなければいいものを、わざわざ近寄って騒ぎ立て、息づいていた命と自然の循環を壊す。私から見れば人間の方が不遜で傲慢だ」
ライアルは顔を上げて目の前の生徒を凝視した。いつも淡々としている彼女が強い口調で非難したことに驚いたのだ。
「⋯⋯そう、かもしれないな。人は時々、自分こそが大地の支配者のように振る舞う。この世界の一部しか知らない癖に、全てを理解したかのような顔をする。だが、全ての人間がそのような考えを持っているわけではない」
生徒も頷いて肯定を示した。
「わかっている。しかし不思議なのは、同じ人間でも中身がまるっきり違うということだ」
これにはライアルも意味がわからず訊き返す。
「中身が違う?」
「臓器の話ではなく、この場合は本質と言った方が適切か。澱みの酷い魔素を宿す者もいれば、自然に近い清らかな魔素を持つ者もいる。特に魔法を使う者は総じて体内の魔素が汚い」
「⋯⋯魔法を使うと汚くなる?そもそも魔素というのは汚れるものなのか?」
「床掃除に使われる雑巾は日を経る毎に汚れていくだろう。それと同じだ」
「魔素を雑巾扱いするなよ⋯⋯」
「不快に思ったのならすまない。わかり易く例えたつもりだった」
「いや、よくわかったよ⋯⋯魔法を使うのが床掃除なら雑巾は汚れていくわな⋯⋯」
「そもそもおまえ達は雑巾を使うだけ使って手入れしない。さらに言えば使い方も間違っている。だから汚れは酷くなる一方だ」
「なんだって?」
これまたよく分からない理論が出てきた。
「雑巾⋯⋯魔素の使い方?」
生徒は教室の隅で背中を向けて寝ている男を見た。
「口で説明するのは難しい。あそこで寝たふりをしている男を使おう」
ライアルが驚いて振り向くと、グラビッドが体を起こすところだった。
琥珀色の眼を細めて薄気味悪そうに生徒を見ている。
「⋯⋯いつから気付いてた?」
「エンド・ドラゴンの話の時に一度眼を開けたな」
「なんでそっち向いてないのに視えてんだよ⋯⋯」
よっこらしょと立ち上がったグラビッドは一番近い場所にあった机に腰を下ろした。その際、生徒から目を離さなかったのは余程警戒しているからだろう。
「で、正しい雑巾の使い方ってのを教えて貰おうかい」
「どうした?いやに協力的だな」
きっとまたすぐに戦闘に発展するか出て行くかするだろうと思っていたライアルが驚いて訊ねるも、相手は複雑な表情だった。
「魔法を使い過ぎることで起きる魔素不足による体調不良は自然治癒しか回復方法がない深刻な問題だ。それが解決する答えを嬢ちゃんが知ってんのならプライドなんか捨ててやるさ。さあ言え。今すぐ言え」
「教えを請う者の態度には見えんな」
もっともな感想を呟くライアルに金の瞳が鋭い一瞥をくれる。
ライアルは肩を竦めて生徒を見た。
「教えてくれるか?」
「ああ。男、契約している精霊を呼べ」
「男じゃねえ。グラビッドだ。⋯⋯は?」
「精霊だ。契約してないのか?」
「いや、何体か居るが。⋯⋯どれを呼ぶ?」
「全てだ」
「全部!?ここにか!?」
「いいから呼べ」
やけくそになりながらグラビッドは右手を前に出した。
「チッ、俺が倒れたら責任取れよ。『火の加護を賜りし精霊よ、水の癒しを宿す精霊よ、永久の大地を生きし精霊よ、我の呼び掛けに応え、時空の隔たりを越えてここに顕現せよ』」
グラビッドが詠唱を終えた時、教室に三体の精霊が現れた。
巨大な蜥蜴を二本足で立たせたような姿をしながらその皮膚は厚い鱗と鋼鉄の肌でできており、鋭い爪の間から時々炎が漏れ出ては空気中に消える。爬虫類を思わせる縦に長い瞳孔を持つ眼は、炎そのものを宿しているように赤い。
水の精霊は幼い子どものような見た目をしていた。しかしその全身は水でできており、瞬きをする度に目から溢れる水滴が地面に落ちる。
その横には天井に頭部がつきそうなほど巨大な精霊が佇んでいた。岩を組み合わせてできた体を窮屈そうに屈めている。
ライアルがその圧巻の姿に感嘆の息を漏らした。
「おお⋯⋯火竜にウィンディーネ、そしてこの大きなものはストーンゴーレムか。高位の精霊を三体同時に顕現とは⋯⋯魔素の消費も激しいだろうに。大丈夫か?」
グラビッドは玉の汗を浮かべている。
「これが大丈夫に見えるんなら眼の医者にかかれ。契約してるのはこの三体だが、本来なら顕現するのは一体が限界だ。おい、ここからどうすんだ?」
「全ての精霊の契約を破棄しろ」
これにはグラビッドだけでなくライアルも言葉を失った。彼女は「顕現を解く」のではなく「契約の破棄」と言った。
耳を疑い振り返った彼らが見たのは秀麗な顔に険しい表情を浮かべた生徒だった。
彼女の視線は微動だにしない精霊達に向けられていた。動かないグラビッドに向かってもう一度言った。
「今すぐ契約を破棄しろ」
「馬鹿言え!出来るわけないだろう!」
「なぜだ?簡単だろう。おまえがしないのなら私がしてやる」
「また化け物の力を使う気か!させねぇぞ!」
それまで動きを見せなかった精霊達の顔が一斉に生徒の方に向いた。
ストーンゴーレムの巨大な手が細い身体を掴み、サラマンダーは素早く動いて身動きの取れない生徒の頭上で鋭い爪を振り上げる。
「やめろ!!」
ライアルが反射的に生徒に飛びついた。頭を抱えて腕の中に庇う。切り裂かれるのを待つだけの無防備な背中にグラビッドの怒声が飛ぶ。
「契約した精霊を簡単に捨てろと言う奴に守る価値などあるか!!」
グラビッドの怒りは本物だった。
それでもライアルは生徒を抱いたまま動かなかった。
柔らかい皮膚を抉るはずだった爪が突然消えた。爪どころかサラマンダーも、ウィンディーネもストーンゴーレムも一瞬にして消えた。
何が起きたのか分からず辺りを見渡すライアルの近くでは信じられない顔で自身の両手を見つめるグラビッドがいる。
数秒後、彼はまるで火山が噴火するような猛烈な怒りをもって生徒に迫った。
「精霊が呼び掛けに応えない⋯⋯!テメェ、やりやがったな!!」
「⋯⋯⋯」
「無知なテメェに教えてやる⋯⋯!精霊ってのはな、普段は精霊界に居て、主人の魔素と引き換えにこの世界に召喚するんだ。召喚の回数を重ねれば重ねるほど精霊との絆も強くなる。俺にとってあいつらは苦楽を共にしてきた相棒だったんだ!それをテメェは⋯⋯!」
一度契約を破棄した精霊は二度と呼べない。
それがこの世の理である。
今にも剣を引き抜きかねないグラビッドに女子生徒が近付く。
彼を真正面から見つめる彼女の表情は氷のように冷たかった。
「相棒?人形の間違いではないのか?」
「なんだと!?」
「よくもまあ⋯⋯あのような惨たらしいことが平気でできるものだ。彼らの意思を無視して現世に引きずり出し、逃げられぬよう枷を嵌める。召喚の度に枷はきつく強くなり、本来の役割すら成せない精霊を意のままに操る。この関係性を『絆』と呼ぶおまえに私は寒気を覚える」
「⋯⋯何を⋯⋯妄想もいい加減にしろ。枷だと?そんなものを俺がいつあいつらに強いた!?」
「最初からだ。おまえだけではない。人間に召喚されし精霊の全てが苦痛の中にいる」
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