精霊王、ここに顕現

PONPON百日草

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ライアルの転機

(2)

 まだ怒りが収まっていないグラビッドは隙あらば叩き斬らんとする勢いだったが、ライアルが間に入って牽制しているのと彼女の奇妙な術への警戒から両者睨み合いの状況だった。
 呼吸をするのも苦しいくらいの緊張感が漂っていた。
 ライアルの本能は今すぐここから逃げろと警告しているが、背後に庇う生徒を見捨ててこの場を離れることなどできない。
 グラビッドが吠えた。

「俺の精霊を返せ!」
「取り戻したければ自分で呼び出すのだな」
「精霊の契約は大聖堂の司祭の認可と協力がなければできない!仮に再契約の儀を執り行ったとしても俺の相棒はもう二度と戻ってこない!!」

 生徒が片眉を上げた。

「おまえはさっきから何を言ってるんだ?司祭の認可?そんなもの精霊を呼ぶのに必要ない」
「は⋯⋯?」
「精霊とは『息づくもの』。大地の緑に、水の中に、風と共に、この世の自然そのものに宿る魔素の個体だ。精霊界なんてものは人間が勝手に作った幻想でしかない」

 呆気にとられて生徒を見ていたグラビッドの唇に嘲笑ともとれる笑みが浮かぶ。

「そいつから法螺ほらを吹き込まれたようだな。いいか、自然に魔素が宿るなんて話は御伽噺だけなんだよ。木や水に魔素が宿る?寝言は寝て言え!魔素ってのは人間にしか生み出せない魔力の源だ!」

 グラビッドを眺める生徒の瞳には憐憫の情すらある。

「⋯⋯ライアルの言う通りだな。人というのはここまで盲目的になれるものなのか」
「何をごちゃごちゃ言っている!」
「聞け、若造」
「なッ⋯⋯!」
「魔素は自然にこそ宿る」

 彼女の落ち着いた声は狭い教室の中でよく聞こえた。
 ライアルは無意識に胸の辺りに手を置いていた。
 自分の話が人から共感を得られないことにはもう慣れていた。
 それに伴う罵詈雑言や批判、嘲笑や侮蔑の眼差しに傷つくような心も十代の頃にとうに失くした。
 ───だから、知らなかった。
 同じ考えを持つ者がいることがこんなにも嬉しいものなのだと。初めて知った。場違いにも泣いてしまいそうになった。強く唇を噛み締めて激情をやり過ごす。
 気の昂ったグラビッドはライアルの様子に気付いていない。
 生徒に詰め寄る。

「そこまで言うんなら証明してもらおうか!」
「最初から疑ってかかっているのでは何を見せても信じられないだろうよ。それより精霊の召喚だ」
「だからそれは司祭が⋯⋯!」
「自分の声に応える精霊を呼び出すのに他人の手など借りる必要はない。召喚したくば、おまえの中にある魔素に意識を向けろ」
「⋯⋯それをしたからと言って何が──」
「いやなら帰っていいぞ。その足で司祭とやらの下に赴き新たな精霊を奴隷とすればいい。そしてその歪な主従関係を『絆』と呼び、精霊に恨まれていることにも気付かず一生を終えたとしても私には何の関係もない」

 牙を剥いていた男の顔が訝しげに歪んだ。

「精霊に恨まれ⋯⋯?」
「当然の事ながら自覚もないのか。現に先程おまえが召喚した水の精霊は泣いていただろう」
「それはウィンディーネという精霊の特徴だ。彼女達は顕現した瞬間から瞬きの度に水の雫を零す。それが涙に見えるからって、本当に悲しんで泣いているわけじゃねえ」
「本当にそう思っているのか?」
「⋯⋯⋯」

 堂々たる物言いと一貫として泰然とした態度に、さしもの警備隊隊長の心にも揺らぎが生まれた。
 根拠もなく証拠も出せない子どもの夢物語にこれ以上耳を傾ける必要はないと分かってはいつつも、何故か教室から出ようという気にならない。
 胸騒ぎがしていた。よくない予感のようなものを感じていた。苦手な虫の入った壺の蓋を押さえているような、視界には映らずとも確かにそこにある都合の悪いものの存在をひしひしと感じている時のような、そんな気分だった。

「おまえの中の魔素は先程の召喚で随分と減ったようだ。それで構わない。残ったものに意識を集中しろ」

 凛とした声が耳に届く。それは鼓膜ではなく脳を直接揺らすような不思議な響き方をしていた。

「腹の底に溜まるような感覚。渦巻いているな。それを手まで移動させろ。難しいことではない。自分の中で魔素が動く想像をするんだ」

 グラビッドは目を開けていたが、彼の瞳はどこも映していなかった。
 頭がぼんやりとしていた。
 彼女の指示に忠実に従っている自分をおかしいと感じながらも抗えない。
 しかし無理矢理従わされているわけではない。奇妙な感覚に囚われていた。

「そう、上手だ。今、おまえの手には魔素が集まっている。その魔素を精霊に差し出せ」
「どう、やって⋯⋯」
「精霊にはお前の手の魔素が暗闇の中の灯火のように見えている。その火におまえは願い続けるのだ。心の中で、この手を取ってくれる精霊が現れるようにと強く。波長が合えば、おまえの声に応えてくれるだろう」

 こんなやり方で来てくれるわけがないという気持ちがある一方で、胸の奥に諦めきれない感情がある。
 サラマンダーは初めて召喚に成功した精霊だった。あの時の感動をグラビッドは鮮明に覚えている。
 自分だけの精霊が嬉しくてたまらなくて、子供の頃は召喚したサラマンダーと一緒にベッドで寝たこともある。しかし精霊を顕現し続けるには大量の魔素が必要で、朝起きた時には精霊の顕現は解かれ、自分は魔素不足により著しく体調を崩して母親に盛大に怒られたのは、今となっては笑い話だ。
 大人になって警備隊に入り、追加で二体の精霊と契約したが、やはり特別なのはサラマンダーだった。

 (⋯⋯相棒だと思っていたのは俺だけだったのか?お前はいつも無理矢理従わされていただけだったのか?)

 酷いことをしているつもりはなかった。
 精霊には自我もなければ感情もない。
 顕現した精霊は独特の鳴き声を発することはあれど、言葉を話したり自分から何か行動したりすることがない。傷付き倒れる時も、人のように激しく顔を顰めたりのたうち回ったりしない。ただ静かに消えていく。
 グラビッドは宙に手を伸ばした。

 (もし、⋯⋯もしあの女の言う通り、おまえの意思を無視して操っていたのだとしたら⋯⋯謝らせてくれ)

 こんな形で別れるのは嫌だった。
 早くから働きに出たグラビッドにとってサラマンダーは心の拠り所であった。人によって精霊の扱いや認識は様々だが、グラビッドは家族と同じくらいの愛情を抱いていた。

 (頼む。届いてくれ。お前に会いたい)

 チリ、と指先が熱くなった。
 ハッとして顔を上げると目の前に待望の姿が現れた。
 サラマンダーの背後でライアルが驚愕に目を見開いているが、今のグラビッドにはサラマンダーしか見えていない。

「応えてくれたのか⋯⋯」

 サラマンダーは何も言わずに爬虫類の眼をじっと主に向けている。
 グラビッドにはわかっていた。この精霊こそ長年連れ添ってきた相棒なのだと。理屈ではなく直感だが、確信していた。
 再び精霊を、しかもこのような変則的な方法で召喚することに成功した驚きも疑問も今の彼の中にはなかった。
 そんなことより確かめたいことがあった。

「⋯⋯なあ、これまで俺は、お前の意思を無視して無理矢理従わせていたのか?」
「⋯⋯⋯」
「もしそうだったとしたら、謝らせてくれ。すまなかった」
「⋯⋯⋯」
「今更こんなこと言ってもただの言い訳になっちまうが⋯⋯そんなつもりはなかったんだ。俺はお前を相棒だと思ってたし、家族同然に愛していた」
「⋯⋯⋯」
「今でもそう思ってる。こんな俺を許してくれるというのなら⋯⋯頼む。また俺と共に戦ってくれ」

 万感の想いを込めて口にした言葉は果たして相手に届いたのか。反応を待つグラビッドにはたった数秒がとてつもなく長く感じた。
 緊張により額に滲んだ汗が頬を伝って顎から滴る。
 その時、サラマンダーが動いた。

「──許ソウ」

 たった一言、そう呟いて精霊は消えた。
 残された男は顔面を驚愕に染めて、先程までサラマンダーが居た場所を凝視している。
 そんな彼に負けず劣らず動揺の色濃い顔でライアルは生徒を振り返った。

「精霊が喋った⋯⋯」

 生徒は無表情で首を傾げた。

「知らなかったのか?精霊は単なる魔素の集合体とはいえ、あのくらい濃密な個体なら人間の言葉くらい理解する」
「だが他にも多くの精霊が顕現しているが、精霊が喋るなんて話聞いたことがない⋯⋯」
「では他の全ての精霊は人間の一方的な契約のせいで意識朦朧の状態なのだろう。先程の三体の精霊のように」

 ライアルはぶるりと身を震わせた。
 精霊に関する知識と常識が根幹から崩れていく。
 彼女が言うには精霊界なんてものはないらしい。
 魔素の保有量によって呼び出せる精霊の位が変わるのだと⋯⋯一度召喚に成功した精霊を定着させる為には大聖堂の祭司の特別な儀式が必要なのだと教えられてきたのは一体何だったのか。
 衝撃の事実に戦慄しているのはライアルだけではない。自分の身で新たな真実に直面することとなったグラビッドこそ今にも倒れそうな有様だった。
 警備隊隊長としての威厳は消え失せ、生徒を見つめる眼は迷子の子どものように不安に揺れている。

「俺がしてきたことは⋯⋯間違いだったのか?」
「真実を知り胸を痛め項垂れるのなら、それらはお前にとって『間違い』だったのではないか?」
「そう、だな⋯⋯そのとおりだ⋯⋯」

 並外れた巨躯が小さく見えるほど悄然としている彼に容赦のない言葉が突き刺さる。
 責めてもいない。励まそうともしていない。深い悲しみに落ち込む心を理解しようとしない厳しさは、今の男にとって必要な刃であった。
 グラビッドはのっそりと顔を上げ、二人を見た。

「⋯⋯世話になったな。落ち着いたら礼をしに来る」

 来た時とは打って変わった様子で男は教室を出て行き、静けさが戻った教室でライアルがぽつりと言った。

「どっちの意味の『礼』だと思う?」
「感謝を意を表す礼以外に何かあるのか?」
「この世界には『お礼参り』という恐ろしい文化があってだな⋯⋯」
「ふむ。詳しく聞こうか」

 衝撃的な事実を知り目を疑う光景を見た後にこんな雑談に興じれるライアルは只者ではないのかもしれない。
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