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ライアルの転機
(3)
早朝からの長引いた調査と嵐のような乱入者のせいで午前の授業のほとんどが潰れ、終了のベルが鳴るまでの僅かな時間で精霊について詳しく聞き出そうとしたライアルだったが、彼が質問するより先に生徒が口を開いた。
「午後の授業は何をするんだ?」
「ん?ああ、午後からは昨日サイクロプスが出た森にもう一度行ってみようと思う。ヤツが消えた原因を探らないと⋯⋯」
「あの死体が消えたのか?」
問われて初めてライアルは彼女に言ってなかったことに気付いた。
「午前の授業に間に合わなかった理由もそれだ。グラビッド殿と魔法学担当の教師と三人でサイクロプスの確認に行ったのだが、忽然と姿が消えていた。どう思う?」
生徒は考える素振りすらなく答えた。
「誰かが持って行ったのだろう。土に還るには早すぎる」
「そうとしか考えられないよな⋯⋯」
「何を危惧している?」
ライアルは睨みつけるような険しい顔で深く考え込んでいたが、やがて首を振って言った。
「⋯⋯いや、迂闊なことを口にするのはやめておこう。どこで誰が聞いているかわからんしな」
生徒もそれ以上尋ねることはしなかった。
終了のベルが鳴り響く。
ライアルは生徒の出席簿を開いてサインを書き込もうとしたところで、ふと手を止めた。
視線の先、書類の氏名欄には『A1リ4』の文字がある。
彼女が自分の名前だと言った、意味を持たない単なる記号。
「『イシュリア』」
「⋯⋯?」
「少し考えてみたのだが、『イシュリア』というのはどうだ?」
「何がだ?」
首を傾げる生徒にライアルは呆れたように言った。
「君が名付けろと言ったのだろうが。忘れたのか?」
「⋯⋯確かに言った」
「で、どうだ?」
「否やはないが、なぜ『イシュリア』?」
「ここからずっと東の方にレイズウォードという国がある。その国が信仰している神の名前が『イリア』なのだが、ふと君とその神の姿が似ていることに気付いてな。神の名前をそのまま付けるのは畏れ多いので、少し付け足して『イシュリア』にした」
「そうか。ならそれでいい」
やはりあっさりと名前を認めた彼女に、予想していた反応とはいえ少し不安に思うライアルである。
「今まで他人のことなど考える余裕も興味もなかったのだが、こと君に関しては非常に気になる。一体どういう生き方をすれば君のようなものができ上がるんだ?精霊や魔素の知識をどこで得た?」
生徒──イシュリアと名付けられた少女は開きかけた唇をすぐに閉じた。
ライアルから目を離して教室のドアに向ける。
間も置かずにドアが開き、現れた男の顔を見てライアルは心の中で嫌な顔をした。
「フォルサー先生、学園長がお呼びですよ。待て、君は⋯⋯!」
伝令を頼まれたらしいルーカスは不機嫌を隠すことなくライアルに言い放つが、その傍にいた生徒を見つけて目を丸くした。
ライアルのことなど最早視界にすら入らないと言わんばかりに一点だけを見つめて足早に駆け寄り、熱心に言い募った。
「君ほど目立つ子ならどこに居てもわかると思ってたのに、前回の魔法学の授業以降めっきり姿を見なくなって、何かあったんじゃないかって心配になって探してたんだよ」
「⋯⋯⋯」
「午後の授業は君の為に最前列に席を空けておくよ。来てくれるね?」
「行かない」
嫌いな同僚の猫撫で声に両腕を擦っていたライアルがビシリと固まった。
彼女はどうやら誰が相手でもこの口調と態度を変えないようだ。
プライドの高い男だから一介の生徒に袖にされてさぞ荒れるかと思いきや、ルーカスは肩を落とす仕草をしたものの気分を害した様子もなく、恭しく少女の手を取り、その上に自分のものを重ねた。
「そんなつれないことを言わないでおくれ。君はあの授業での爆発で魔法が強く恐ろしいものと思ってしまったのかもしれないが、そんなことはないんだよ。君には才能がある。魔法学の教師として、これ程の才能の原石を見て見ぬふりなんてできない。君なら近々開催される魔法武闘会で優勝することも可能だろう。勿論、私の指導あってのことだけどね」
「⋯⋯生憎、今はおまえではなくライアルの授業に興味がある」
断るにしても他に言い方は無かったのかと胸の内で叫び天を仰ぐライアルに向けられた眼といったら、たちまち体の芯まで凍り付くさんばかりの鋭さと冷たさが含まれていた。
ルーカスは粗末な身なりの男を一瞥して鼻を鳴らした。
「その歳にもなって雑草に魔素が宿り、あまつさえ魔素を生み出すなどという御伽噺を本気で信じているのだから救いようがない。己の唯一の取り柄が植物の知識だけだからと、植物が特別なものだと思いたい気持ちは汲んで差し上げますが、いい加減現実をご覧になった方がよろしい。貴方が頭を下げるなら、特別に私の授業を受ける権利を差し上げますが?少しは目が覚めるでしょう」
「⋯⋯いや、遠慮しておきます」
「まあ、そうでしょうね。貴方のその魔素の量では蝋燭に火を灯すことすらできない」
ひとしきり毒を吐いて満足したルーカスは、打って変わって頬を上気させてイシュリアに向き直った。
「待っているからね。彼のものより実りある授業を約束するよ」
軽やかな足取りで教室を出て行く男が十分に離れた頃合を見て、ライアルが大きく息を吐き出した。
イシュリアが尋ねた。
「なぜ何も言わない?」
「ああいう奴の耳は特別仕立てでな。何を言っても都合のいいよう悪いように変えられてしまうんなら、最初から黙っていた方が面倒がない」
「不愉快とも思わない?」
「そりゃあ気分は良くない。しかし、こんなことでいちいち腹立ってたらキリがない」
「私はここが気持ち悪くなった」
そう言って自分の胸を押さえる。
「濁った魔素が一箇所で渦巻いているような気持ちの悪い感覚が続いている。いつまで経っても治る気配がない。これはなんだ?」
「⋯⋯何だと言われても」
困惑しながらも少女の言う胸の不快感について考えてみた。
「痛みはあるか?」
「ない。内側が、胸の辺りがもぞもぞする。そこから腹の下まで重く乱暴なものがゆっくりと下りてきて溜まっていく。今すぐ取り除きたいのに、どうすればいいのかわからない」
途方に暮れた様子の少女を可哀想に思いながら一生懸命頭を捻っていると、ピンとくるものがあった。
「⋯⋯もしや苛立っているんじゃないか?」
「苛立ち⋯⋯これが『怒り』か」
「⋯⋯まさかこれまで怒ったことがないとは言わんよな?」
「ない。こんな感覚は初めてだ。⋯⋯いや、先程も同じような不快感に襲われたな。傀儡となった精霊を見た時だ。あれも、怒りだったのか。私は怒っていたのか⋯⋯」
最後の方は独り言のように呟いて、イシュリアは椅子に座った。
その様子を見てライアルが困惑して尋ねる。
「⋯⋯どうした?」
「午後の授業開始までまだ時間がある。私はここで待っている」
「魔法学に誘われてただろう?」
「ここの学び舎ではどの授業を選択するかは生徒が決める。私はライアルの授業を受ける」
「まあ、君がそう言うなら別に構わんが⋯⋯」
怒気に染まった同僚の顔が浮かんだが、すぐに脳内から追い払って少女に視線を戻した。
「昼飯はどうするんだ?」
「必要ない」
「そういうわけにもいかんだろう。育ち盛りなのだから一食抜いただけで身体が持たなくなる」
「必要ない」
あくまで意見を変えない少女にライアルはそれ以上言うことなく、彼女を残して教室を後にした。
あまりに苛烈な悪意の嵐に晒されて忘れかけていたが、ルーカスがやってきた理由は学園長の元を訪れるようにという伝言の為だ。きっとサイクロプスの件で追及を受けるのだろうと思うと気が重かった。
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