精霊王、ここに顕現

PONPON百日草

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ライアルの転機

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 ファルガス学園は今でこそ中央大陸一の教育機関として知られるが、歴史の一ページを捲ると小さな屋敷から始まる。
 この屋敷の持ち主は、王都から随分離れた地方にあるファルガスという大平原を領地に持つ地方貴族である。彼は若いながらに先見の明を持ち、一代にして大陸全土から知識や経験を求めて若人が集まる学び舎を創り上げた偉人だった。
 ぐるりと塀に囲われた円形の学園の中心は塔のように高く聳え立ち、その最上階に学園長室がある。
 普段は魔素を使用して動く自動昇降機を使って最上階まで行くのだが、ライアルの魔素保有量は雀の涙程しかないため、学園長室の扉の前に立った時には酷い頭痛と目眩に襲われていた。
 人は体内の魔素が完全に無くなると死に至る。
 昇降機を使っただけで死亡した教師がいたと笑い話にされるのは御免だと、ライアルは飛びそうになる意識を懸命に留めて分厚い扉を叩いた。

「入りなさい」
「失礼します」

 中から嗄れた声が応え、ライアルは扉を開けた。
 真っ直ぐ伸びる緋色の絨毯の先に置かれた黒檀の机。その背後にあるのは一面のガラス越しに見える眩く抜けるような青空だ。
 左右は天井まで届く本棚がずらりと並んでライアルを挟んでおり、背文字に目を凝らせば外国の言語のものや古語で書かれた書物が数多く揃えられていることが分かる。

「わざわざすまぬな」

 机の上に老人の上半身が見えている。
 白い髭をたっぷとたくわえ同じ色の髪を後ろに流し、優しい深緑の瞳を向けている。
 書き物をしていた手を止めて羽根ペンを置いた。

「顔色が悪いようだが、茶菓子でもどうじゃ?」
「いえ、お気持ちだけいただきます。何用でしょうか、グオッグ学園長」
「まあまあ、そう急くこともなかろうて。⋯⋯と言いたいところじゃが、A級の魔物の出現となれば悠長にもしていられん。ウォンレイから報告は受けているが、実際に見たという君の意見をもう一度聞いておこうと思ってな。さて、調査はどうであった?」

 やはりこの話題だったと、用意していた台詞を話す。

「サイクロプスの死体はありませんでした。付近を捜索しましたが奴の落とした棍棒もなく、足跡も一つを除いて全ての痕跡が消されています。その足跡も、グラビッド警備隊隊長はサイクロプスのものと断定するには証拠が足りないとのことでした」
「ふむ⋯⋯」

 学園長は長い顎髭を撫で付けながら宙を見て何やら考え込んでいる。

「うーん、困ったのう⋯⋯」
「⋯⋯何か?」
「なに、君の教師としての任を解けという嘆願書が届いておってな」

 突然落とされた爆弾に固まるライアルに、その原因であるはずの老人が気の毒そうな顔を向けている。

「今回の件をお主の妄言だと主張する声が多く上がっておる。その殆どが熱心に魔法学を学ぶ生徒たちなのだ」

 ライアルはここで全てを理解した。
 これはルーカス・ウォンレイの策略なのだと。
 彼は百人以上の生徒を抱える教師だ。ライアルの前ではあのような態度だが、普段は穏やかで品のある貴公子の皮を完壁に被っている。
 そんな彼が一言、ライアルについて愚痴めいたものを零したら、彼を熱狂的に支持する生徒たちによって邪魔者を排除しようとする動きが起きてもおかしくない。
 この件は日頃から目障りだと思っていた同僚を追い出す良い機会だと思ったに違いない。

「学園長には多大なるご恩があります。行く宛てのない私に職を与えてくださいました。貴方のご命令ならすぐにでも荷物を纏めてここを出て行きます」

 ライアルは覚悟を決めて返事を待った。
 こういう時に足掻いても無様な姿を晒すだけだということが分かっているのである。しかし未練がないわけではない。
 また三食野草生活に戻るのかと遠い目になっている男の嘆きが伝わったのか、学園長ほんのり口元に笑みを浮かべた。

「どんな研究であれこの世に無駄なものはひとつもないとわしは思っておる。今は誰も見向きのしないものでも、いずれそれが人々の生活においてなくてはならないものになるという事例を数多く知っておる。お主の研究もそうだと信じておる。しかし一方で学園を経営する身として学園内部の秩序の維持にも務めねばならん」

 だからの、とグオッグ学園長は机の上に両肘をついて手を組み合わせ目元の皺を深めた。

「サイクロプス捜索隊を発足しよう」
「⋯⋯はい?」
「三ヶ月間、お主を隊長として任命する」
「は⋯⋯?」
「そして三ヶ月間の活動で何の成果もなかった場合は、悪いがお主の教師の任を解く」

 どういう展開だと目を白黒させていたライアルは学園長の最後の言葉で我に返った。
 これは首を切られるまでの猶予を貰ったに過ぎない。
 しかし学園長の慈悲により、クビを回避する機会を与えられた。

「何か異論はあるかね?」

 ライアルは首を振った。

「あろうはずがありません。しかし"隊"と名がつくからには他の誰かが捜査に協力してくれるという事でしょうか?」
「いいや、今はお主ひとりじゃな」
「⋯⋯?」
「協力を仰ぎたい者がおれば声を掛けて引き入れれば良い」

 心の中だけに留めたはずのしかめっ面を流石の学園長は見抜いたらしく、低い声で笑いながらもかける言葉は真剣だった。

「人から迫害される人生でお主は他人を頼るということを苦手とするようになった。自分の力の及ぶ範囲で細々と生き、背中を指す指があればそやつの目につかない場所へと移る。だがの、そんな生き方ではそう遠くない内に限界が来る。人は一人では生きていられんのだ。何故だかわかるか?」
「⋯⋯自然の循環という理に人間も該当するからですか?」
「ほほ、そう小難しく考えるでない。──心があるからじゃよ」

 先を促す視線を受けて、自分の半分も生きていない若人に人生の先輩は諭すように言った。

「心があるから人は人を求める。一人が寂しいと感じ、温もりに安堵する。他人と自分を比べて一喜一憂し、尽きることの無い欲に振り回されながらも明日をより良いものにせんと懸命に生きる健気な者達をわしは『人』と呼ぶ。三ヶ月後のお主の隣に心から信頼できる者がおれば良いな」
「⋯⋯はい」

 返事をしつつもライアルは内心首を傾げていた。いくら恩人の言葉といえどもこればかりは賛同しかねた。
 園長室を出て非常用の長い外階段を降りている間もずっと先程の言葉の真意について考えていたが、結局答えは見つからなかった。
 ライアルにとって心ほど煩わしいものはない。
 できることなら身体の中から取り出して棄ててしまいたいとすら思っている。
 心があるから苦しくなる。期待してしまう。心が感情というものを生み出すのなら、そんなもの無くなってしまえばいい。そうしたら今よりもっと生きやすくなるだろう。

 (俺はただ植物の研究さえできたらいい)

 そんな思考に陥るライアルを現実に引き戻したのは複数の人の声だった。
 ちょうどお昼時ということで、食堂の方から賑やかな声が聞こえていた。
 普段は人の多い場所は避けて通るが、今日は珍しく足をそちらに向けた。
 食堂の入口前の購買でパンを二つ買い、代金を支払う際に、遠巻きに自分を見ている視線に気づく。

「あいつだろ、A級魔物が出たって騒いだやつ」
「結局いなかったんだろ?何がしたかったのやら」
「きっと注目されたかったのよ。あまりに生徒がつかないから何かしなくちゃって焦ったのね」
「はた迷惑な奴だな。どうしてあんなのがここで教師やれてるんだ?」

 生徒達の悪意ある言葉も侮蔑の眼差しにも気付かないふりをして、購入したパンを袋から下げて廊下を進んだ。北に向けていた足を途中から西に逸れると、段々と人の姿を見かけなくなり、見慣れた教室の古びた扉の前に立った時には自分以外の音はなくなった。
 扉に手を掛けて教室の中に入ると、イシュリアが最後に見た姿と寸分違わず同じ姿勢で座っていた。
 目を閉じて微動だにしない。
 どうやら眠っているらしい。
 ライアルは音を立てないように注意して歩くと、袋をそっと教卓の上に置いた。
 そして眠る生徒を見た。
 相変わらず目の覚めるような美貌である。透明感のある白く滑らかな肌、光に当たればきらきらと輝く色素の薄い髪は長く、桜色の唇も長い睫毛もすっと通った鼻筋も完璧な均整で配置されている。
 いくら眺めても飽きがこない。ライアルの視線は無遠慮を通り越して不躾なくらいだが、その眼の中にやましいものはなく、あるのは感嘆のみである。
 神が創った渾身の芸術品を見ている気分だった。
 そんな感想を抱いた時、ライアルは妙に納得した。
 これは神様が創った生物なのだ。だから変なのだと。
 ぽんぽんと高位魔法を使い、常識から掛け離れた言動ばかりするのも、自分達の知らない技術や知識を持っていることも神の作品なら仕方がない。
 やっと彼女への対応の仕方がわかったような気がする。

「何か面白い事でも考えているのか?」

 ぎくりとして前を見ると、眠っていたはずの生徒がこちらを向いていた。
 目蓋に隠れていた宝石さながらの瞳が露わになり、真っ直ぐ見つめてくる。

「⋯⋯顔に出てたか?」
「魔素に出ていた」
「魔素⋯⋯どうやって読み取るんだそれは⋯⋯」
「おまえ達はよく『雰囲気』というものから感情の機微を感じ取るだろう。それと似たようなものだ」
「そういうものか」

 割り切ってしまえば今のような突拍子のない話も受け入れることができる。
 ライアルは袋の中からパンを一つ取り出した。

「その様子だと昼食を食べて無いんだろう。これをやる」

 差し出されたパンをじっと見つめて、イシュリアは首を傾げた。

「これは?」
「パンだ。食べたことがないと言ってただろう」
「ああ、これが⋯⋯」

 イシュリアは自分の手に移った小麦色の食べ物を興味深そうに眺めた。手のひらで重さを計り鼻を近づけて匂いを確かめてまた観察する。
 その様子はさながら初めて見る物体に好奇心を隠せない仔猫のようであった。
 ライアルは残った一つを無造作に取り出すや直ぐにかぶりついた。悠長にはしていられない。午後の授業の準備もあるし、サイクロプスの行方についても調べなければならない。やることは山積みだ。
 ライアルの食べる様子を見ていたイシュリアは同じように口を開けてパンに噛み付いた。
 食べ終えるまでに一言も発さなかった彼女だが、その眼が異様なまでに輝いていたことにライアルが気付くことはなかった。
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