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ライアルの転機
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しおりを挟む午後の授業は時間をめいいっぱい使って捜索に励んだものの目新しい発見には至らなかった。
しかしサイクロプスの捜索はライアル個人の任務であるので、授業らしく植物に関する知識を教えることも怠らなかった。
夕陽を背に受ける二人は伸びる影を追うように学園への帰路を辿る。
「ライアルは時々私のことを『お前』や『君』と呼ぶが、それはどういう使い分けをしているんだ?」
「あー⋯⋯俺はこんなんでも一応教師だし、できるだけ丁寧な言葉遣いを心掛けようとしているんだが、元の口の悪さのせいでよく忘れる。⋯⋯嫌だったか?」
「『お前』と呼ばれることが?それとも『君』が?」
「⋯⋯普通は『お前』なんて乱暴な呼ばれ方は嫌だろう。親しい間柄でもないし」
イシュリアは眼を数度瞬かせた。
「そんなに乱暴な呼び方だったのか。⋯⋯何度か言ってしまった気がするな」
「お前が言うと何故かしっくりくるから別に変えなくてもいいと思うが⋯⋯ああ、また言ってしまった」
「ならばおまえも無理に上品にする必要など⋯⋯むっ」
二人の視線が交わり、その内の片方が口元を緩めた。自然な笑みだった。
少女はそんな男を無表情に眺めている。
「しかし、その鉄のような表情筋は昔からか?今も不機嫌というわけではないんだろう?」
「見てわからないのか?」
「ほんの少しお前というものを知った今なら何となく雰囲気から察せられなくもないが⋯⋯」
男はにこりともしない顔をまじまじと見つめ、つい本音を零した。
「折角可愛い顔をしているのだから笑えばいいのに」
特に考えず口から出てきた言葉にしまったと我に返った時には、既に少女は深く考え込んでいる。
慌てて言った。
「すまない。別に無理して笑うこともない。他人の表情など俺がとやかく言えるような事ではなかった」
「いや⋯⋯構わない。確かに盲点だった。人は情報のほとんどを外的要因に頼っている。魔素を視覚に捉えられないのなら、相手の機嫌や感情は表面に表れている情報でしか把握するしかない。ふむ⋯⋯ここで私が軋轢を生まない為にもおまえ達のやり方に合わせる必要があるな」
イシュリアは男を見上げて尋ねた。
「『表情』について教えてもらおう。おまえ達はどのように顔を変えている?」
この質問に平然としていられるのは余程の阿呆か頭の空っぽな案山子か変わり者のどれかである。少女は隣に並ぶ男が稀有な変人であることに感謝しなければならない。普通なら気味の悪い目を向けられて人が離れていく。
「基本的には変えようと思って変えるものではない。嬉しい時は自然と口角が上がり、悲しいと眉が下がる。そういう風にできている」
「便利だな」
少女の感想に首を振った。
「そうでもない。感情が顔に出るのを我慢しなくちゃならない時も多々ある」
「例えば?」
「嫌味を言われた時とかな。苛々するが、それをそのまま顔に出したのではあまりに⋯⋯幼稚だろ。子どもじゃあるまいし」
「不愉快な発言により気分が害されたのならそれが表情に表れるのはごく自然な流れだと思うが?」
「これは単にプライドの問題だ。頭にきても、なんてことのないように振る舞うことによってお前の攻撃は効いてないと暗に知らしめているんだ」
「そうすることで自分を守るのか。昼のおまえのように」
ライアルが足を止めた。少女も立ち止まった。少女の眼は真っ直ぐ男の瞳を捉えている。透き通った色が逆光により深く影を落とし、ただそれだけの事なのにやけに心が騒いだ。
内心の動揺を悟られたくないという気持ちが、突き放すような冷たい口調となって表れる。
「何の事だ」
「学園長室から戻ってきた時のライアルの魔素が行く前と比べて荒れていた。纏わりついていた穢れた魔素は取り除いたが、余程汚い言葉を投げつけられたものとみえる。しかしおまえは平気そうで、なんてことの無いように授業を進めるものだから、すっかり騙された」
ライアルは眉間に皺を寄せた。そうすると元々愛想のない顔立ちが故に睨むような鋭いものになる。
「気のせいだろう。それに俺にはもう他人の言動に傷付くような繊細な心は持ってない」
しかし少女はびくともしない。
「魔素は人と違って嘘をつかない。心がない人間なんているものか。言っておくが、おまえ達はたった一つそれだけが取り柄なのだ。もっと心を大事にしろ。心の声を無視するのは魔素にも良い影響を与えない」
「⋯⋯おまえは時々、自分が人ではないもののような言い方をするな」
少女が何かを言いかけるのを制して男は首を振った。
「言わない方がいい。人は自分達とかけ離れた存在を素直に受け入れられない生き物だ。お前は心というのが人の唯一の取り柄と言ったが、その心がいずれお前を傷付ける。自分のことを話すのは、信頼できる特別な相手を見つけた時だけにしなさい」
少女は腕を組んで首を傾げた。
「私とおまえ達との違いなんてそこまで大きいものでもないだろうに⋯⋯」
「どこがだ。お前は十分に異質なことをまず自覚しろ。いいか、自分より大きな力を持つ者や理解のできない相手に対して人ってのはどこまでも残酷になれるんだ。お前が高位魔法を使う時点で恐怖の対象になる」
「そういう割にはライアルは私を怖がらないな」
「いいや、実は怯えて震えて夜も寝られないのを知らないな?」
「寝ていないのは知っているが、それは別に私に怯えていたからではないだろう」
「⋯⋯待て。何で知ってる?」
「ライアルの体内に残っている私の魔素によりおまえの全てを把握している。離れていようとも、いつどこで何をしているのか私には手に取るようにわかるのだ。⋯⋯む?どうした、魔素に乱れが⋯⋯」
ライアルはその場で飛び上がった。血色の悪い顔にみるみるうちに朱が昇り、中途半端に開いた唇がわなわなと震え始める。
カッと眼を見開いたかと思うと、その口から絶叫が迸った。
「プライバシーの侵害だ!!」
「なんだ、それは?」
「俺の私生活を覗き見るな!変態め!」
「実際に目で見ているわけではない。感じ取っているだけだ」
「なお悪い!!ええい、やめろ!今すぐやめろ!お前の魔素だと!?いつそんな恐ろしいものを俺の体に入れた!?」
「おまえ、結構大きな声が出せるのだな」
「今言うべきことは絶対にそれじゃないだろう!!」
男が噎せた。呼吸が続かなくなったようだ。顔を上げた男は涙目で少女をきつく睨み付けると、恐ろしいほどの低い声で言った。
「今すぐ俺の中からお前の魔素を取り除け」
「そんなに嫌か?」
「当然だ。俺にだって知られたくない事はある!」
「そうか⋯⋯」
男のその凄まじい嫌がりようが少女にとってはかなり意外だったらしく、珍しく神妙な顔をしていたが、男に掛けた言葉は容赦の欠片もなかった。
「残念ながらお前の体内に入り込んだ私の魔素を取り出す方法はない」
「嘘だろ⋯⋯!?」
「本当だ。おまえはパンと肉と水を食べた後にパンだけを体から排出することができるか?魔素には形がない。常に流れ動き、混じり合い、溶け合うもの。私の魔素は既におまえの魔素と混ざり、おまえの血肉にも宿っている。諦めるのだな」
ライアルはその場で膝を突いた。
ということは、自分はこれからこの得体の知れない少女に全てを把握されながら生きていかなければならないのかと絶望的な気分で今後の人生を嘆くライアルの顔を少女が覗き込む。
「要は私の視界に入らないところで感知されるのが嫌なわけだ。そういうことなら、私の意識一つでどうにでもなる」
ライアルははっと顔を上げた。
「ほ、本当か⋯⋯?」
「ああ。おまえが私を強く求めない限り、おまえの中の魔素が私を呼ぶことはないだろう。そして私もおまえを視界に捉えていない時は魔素に意識を向けることをやめると約束しよう」
「視界に入っててもやめて欲しいんだが⋯⋯」
「それは私の意識や努力でどうにかできるものではない」
男が見ている中、少女は地面から適当な石を拾い上げた。白い手の平の上で灰色がころころと動く。
「これを見てどう思う?」
男は困惑しながらも少女の手にある石を凝視した。
「まあ⋯⋯石だな。灰色の。硬いが、その小ささだと少し力を入れるとすぐに割れるだろう」
本当にその程度の感想しか出てこない。どこにでもある、ふと下を見たら沢山落ちているそんなものがどうしたのかと続きを待つ。
「おまえが石を見て、色や形状、おおよその質感を把握した時点で、私はそこに宿る魔素の質と流れまで感じ取っている。これを見ろと言われて色だけを認識し、他の情報を遮断することなど不可能だろう。今は石で説明したが、人間にしても同じことだ」
説明を受けて、ライアルは地面に視線を落としたまま深く考え込んでしまった。
その間、少女は何も言わなかった。
夕陽のほとんどが地平線に沈み、闇色が大地を抱きすくめようと迫っている。
黒い鳥が数羽、太陽を惜しむようにまだ僅かに明かりが残る空に向かって飛んで行く。その姿が肉眼で捉えきれなくなるほど小さいものになってようやくライアルが動いた。
「⋯⋯お前は何度も、魔素が見えると言ってたな。清らかだの、濁っているだのと⋯⋯」
「ああ」
「俺はそれを半分冗談だと思って聞いていた」
「そうか」
「今、やっと、現実の事として理解し始めている」
「⋯⋯⋯」
男が少女を見る目には恐怖が色濃く表れていた。
「離れている俺の感情が読み取れるくらいだ。視界に入った相手がどんな感情を抱いているかなんて簡単にわかってしまうんだろう?」
「そうだな」
その言葉を聞いたライアルは片手で顔を覆った。指の隙間から低い声が言う。
「⋯⋯おまえはここに居るべきじゃない」
「⋯⋯⋯」
「学園から離れて、ソロの冒険者にでもなれ。その実力なら食いっぱぐれることもないだろう。危なくなったらテレポートでも何でも使えばいい」
「さっきと言ってることが違うな。高位の魔法は多用すべきではないのではなかったか?」
「それは周りに人がいる時の話だ。⋯⋯言っただろう。人は大きな力を持つもの、理解の及ばないものに恐怖を抱くと」
「それが私がここから離れる話と何の関係がある?」
「いずれお前の力や異質性を恐れる奴らが出てくる。一人や二人じゃない。もっと多くの人間が、お前に対して快くない感情を抱くだろう。それを言葉にされなくても視界に入るだけで感じ取ってしまうなんて⋯⋯俺なら耐えられない」
想像するだけで手足に震えが走る。背筋が凍るような思いがする。
ライアルは人間だ。何かを言われても目を背け耳を塞ぎこのくらいなんてことないと自分に言い聞かせることで心の安寧を保ってきた。
しかし彼女にはその手が通じない。
強制的に読み取った悪意ある感情は鋭い刃となって深々とその細い身体に突き刺さるだろう。
心が壊れてからでは遅いのだ。
「私は学園から去るつもりはない」
バッと勢い良く顔を上げたライアルは、すぐ近くにある少女の顔を見て硬直した。
「いずれ万の悪意を向けられようと、この日、おまえが私を案じたその心を思えば救われるだろう」
自分に注がれる優しい眼差しに目が離せない。
初めて見る少女の笑顔はあまりに柔らかで、泣きたくなるほど慈愛に満ちたものだった。
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