(私が)酔って襲った氷の貴公子様にいつの間にか外堀を埋められてました。

黒田悠月

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不可解な日常ー2

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あれは確かお嬢様がダンスのレッスンだかマナーのレッスンだかで教室が移動になった授業の時。


私たち付添人はそういった時、次の授業の準備に着替えの用意にと忙しく動き回る。
学校では基本的に制服を着用しているけれど、ダンスやマナーレッスンの際はドレスを着ることになる。次の授業が教室での座学ならば生徒の皆様は制服に着替えて教室に戻り、私たちは脱いだドレスを片付けるだけで済むが、大変なのがダンスの後のマナーレッスンや絵画や刺繍の授業の場合である。運動で渇いた喉を潤す飲み物の準備に、マナーレッスンに適したドレスの準備、テーブルや茶器の準備に授業で使用される茶葉や菓子の準備。
付添人同士で持ち回りで行うものもあるが、それでも授業の重なり方によっては校内を小走りであっちこっち動き回る。

その時もそうで、私は両手いっぱいに荷物を抱えて階段を降りていたのだ。

人目がないのがよろしくなかった。
お嬢様方と違いお淑やかというものが足りない私は、つい時間短縮の手段としてとぃゃっ!と階段を飛び降りてしまった。確か5段ほど。

着地はばっちりだった。
シュタッ、とばかりに両足で着地して、顔を上げた私はちょうど階段の上からでは死角になる廊下の先で唖然とこちらを見るルドルフと目があった。
こちらもまたばっちりと。

もはや笑って誤魔化すしかない。
そう思ってヘラリと笑った私の手の中から、荷物が一つほとりと落ちてルドルフの足下に転がっていったーー。



それを拾ったルドルフが「……ハルトバレル様の付添人の方ですよね?ご苦労さまですね」と、何事もなかったように言ってくれたのが最初。

それからというものやたらと会う。
しばらくは偶然かとも思いもしたが、偶然が10回も続けばそれはあきらかに意図的であろう。

ルドルフは私に対してあまりお嬢様の話題を振ろうとも聞き出そうともしないが、フフフ私には君の思惑などお見通しなのだよ!!
使用人にも優しく丁寧とハルトバレル家の心象を先ず上げようというわけだ。私へのやたら気取った台詞からして、私をその気にさせておいて、利用しようともいうのかも知れない。

今日のアル様への報告書にはいつも通り『65点』といったところか。

お嬢様に群がる婿候補のほとんどが50点以下であることを考えればかなりの高得点である。
とはいえそろそろ馬にばかりかかずらってないで将にも積極的にアピールしてほしい。

やはり5点ほど減点しとくか……。

校内の婿候補は私が点数付きの報告書をアル様に上げて、60点以上の人間だけをアル様や旦那様が改めて調査して採点していく。
80点以上からが合格ラインらしいが、今のところ75点が最高なんだよね?

私がつらつらとそんなことを考えているとも知らず、ルドルフは何故か私の前に移動すると、またも何故か私の手をキュッて感じに握った。

ーーん?

これはやはり私を誑かして利用するつもりということ?
だとしたら残念ながら50点減点なんだが。
なんとしてもって精神は買うけど、女子の気持ちを弄ぼうという輩はお嬢様の相手としては論外なのだ。
なんとなく浮気とかも平気でしそうだし。


「……ルーディンさん」

キュッと私の手を握ったまま、ルドルフがやけに真剣な目で見下ろしてくる。
仕方なく顔を上げてルドルフと視線を合わせたけど……。
うん、首しんどいわ~。

筋肉を鍛えてると身長も伸びるのか、ルドルフは私が知る男性の中でもとりわけ長身だ。
私的に長身の男性といえばアル様が一番身近なんだけど、そのアル様と比べても高い。
私とアル様が並んで頭のてっぺんがアル様の鎖骨辺りにくる。それが私とルドルフだと頭のてっぺんは胸の少し下にくるのである。
ちなみに私の背は女性の平均よりもちょい高め。

これはちょっと……。
ここまで至近距離になることがなかったから、さほど気にしていなかったが。

私は頭の中でルドルフの採点からマイナス10点減点した。
私よりもずっと小柄なお嬢様だとこの身長差はキツイ。
目を合わすだけの行為でお嬢様に苦痛を齎すなんて、婿候補として失格なのだ。

「そろそろ返事を聞かせてもらえませんか?」


ーーは?
返事、とはなんぞや。

いきなりよくわからないことを言われて、私は目をぱちくりした。
私、何か返事をするようなこと言われてたっけ?

記憶を探って、でも何も出てこない事実にゾッとする。
このところ、私の日常は不可解で。

こういったことが少なくなく、ある。

またか、とこれで何度目だろうと内心焦りながら思い起こす私の耳朶を、ルドルフの少しばかり不快気な声が打つ。

「……あの後何度も顔を合わしているのに何もなかったような顔をしているから、もしかして、とは思っていましたが。なかったことにしたい、とそういうことですか?」

いや。そう言われても、私の中では『何もなかった』のだ。何かがあった覚えがない。

ルドルフに答えるべき言葉を探すにも、何に対する返事を返すのかーー記憶がない。

黙りこくって俯いた私の手から、ルドルフの手が離れていく。
そのことに妙に安堵しながら、私は下腹部がズクンと重く痛むのを感じた。

「諦めませんから。僕は必ず貴女を振り向かせてみせますよ」

なんだかすごく重大な台詞を聞いている気はするんだけど、ごめん。今、正直それどころじゃないよ。



去っていくルドルフの背を見送って、私はフラフラと付添人の控室に帰る。 
部屋のドアごしに、やけに静かだな、と思った。

「あ、やっと帰ってきた!ルー!!」

カラリと引き戸を開くなり、見知った顔にそんなことを言われる。

「なに?」

私はドキリとした。
次は教室での座学のはずで、なのに何故部屋の中にこんなにも人が少ないのか。
いつもは生徒の数と同じだけいるのに、そこにはたった二人だけ。

「なに?じゃないわよっ!マナーレッスンに変更だって今朝一緒に聞いてたでしょう?いったい何をしてたの?」
「……へ?」
「何?また忘れてたの?貴女大丈夫?近頃疲れが溜まってるんじゃない?とりあえずハルトバレル候爵令嬢のドレスや準備は他のコで手分けしてもらってるから、私たちも急いで移動するわよ!!」

茫然とする私の手を、控室に残って私を待ってくれていたらしい彼女らの一人が取ってせかせかとした足取りで歩き出す。
手を引かれるまま歩きだして、

「ごめん。ありがとうリ」

礼を言おうとした口がピタリと固まった。

リ?リズ?リーナ?リリー?
え?あれ?
なんで……?

さぁ、と今度こそ全身から血の気が引く。
いつも一緒に動いている少女の一人だ。
伯爵家の令嬢の付添人。
私より一つ年下で、でも私よりも断然しっかりしている。
そういうことはちゃんとわかるのに。
ちゃんと覚えてる、のに。

「ん?ルー、どうかした?」

足を止めた私を振り返って、少女が訝しげな顔をする。
私はそれに無言で首を横に振った。
振って、再び足を前に動かす。

言えない。
言えるわけがない。

「貴女の名前がわからない」

なんて、言えるわけがない。










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