結婚式の夜、夫が別の女性と駆け落ちをしました。ありがとうございます。

黒田悠月

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 アリシアが執務室から子爵家の母子を追い出したその頃。

 ウィルバートン侯爵家の別邸では――。


 見るからにバレバレでフッサフサな金髪鬘の男性がひとしきり顔を真っ赤にしたり真っ青にしたり怒声を上げたり地団駄を踏んだり物に当たり散らしたり、と忙しい様子を見せた後――頭を抱えてその場にへたりこんでいた。

「そ、んな、馬鹿な……。こんな――こんなはずでは」

 ブツブツ、ブツブツと口の中で似たような言葉を呟き続けている。

 主に「そんな馬鹿な」「ありえない」「何故」「こんなはずでは……」「嘘だ」あたりがメインである。
 周りには粉々に破られた大量の書類の残骸が降り積もっていた。

 この三年間――男性が犯してきた『犯罪』の記録とそれに伴う賠償金の請求書。

 書類の偽装に横領、土地家屋の不法占拠、器物損壊に窃盗及び窃盗物の不法売買。詐欺行為に名誉毀損。
 未成年の貴族令嬢への恫喝及び強要。
 
 極めつけが貴族爵家に対するお家乗っ取りと侯爵家令嬢に対する殺害未遂。


 

「ふざけるなっ!何が証拠だ!何が賠償金だっ!こんなもの、こうして……こうしてしまえばっ!!」

 無駄に豪奢な別邸の応接室。
 重厚な樫のテーブルに山と置いた書類の束を狂気の垣間見えるギラついた目で力任せに破っては捨て、破っては捨て。
 しまいにはゲラゲラと哄笑を上げて「どうだっ!これでもう証拠も何もあるまい?!」

 なぞと言い出す始末の男性――メイルズ子爵に、ウィルバートン侯爵家の顧問弁護士であるハモンズ氏は飴色の眼鏡フレームをクイッと指先で持ち上げ、

「もちろん」

 と頷いて見せた。

「それは写しですよ。正式な書類は一部を除いて王宮と貴族院と裁判所に提出済みです。それにそれらはあくまでも証拠――別邸の使用人や取引業者その他の証言や物的証拠、その他諸々を書類にまとめたものと現時点で確定済みの賠償金の請求書。その書類自体が証拠というわけではありませんので……どれだけ破いたところで意味はありませんねぇ」
「…………は?」 


 と、こうして出来上がった紙屑の積み上がった床に茫然と尻を着いた子爵に「やれやれ」とハモンズは肩を竦め、胸中でこう呟いた。

「馬鹿はお前だ」

――と。

 思えばウィルバートン侯爵家の顧問弁護士であるハモンズが以前、最後にこの屑と顔を合わせた時も、いったいどうしたら聡明なウィルバートン侯爵夫妻からコレが生まれたのかと疑問を抱いたものだったが、より馬鹿さが増幅しているように見える。
 それも倍増どころではなく10倍増しに増しているのではないだろうか?

 そもそも横領も何もやることすべてが杜撰なのだ。
 おかげで証拠集めがどれだけ容易だったことか。

 本来ならもっとずっと早く、子爵家を追い詰めることもできた。だがハモンズはあくまでも雇われ弁護士である。
 弁護士の仕事はクライアントの意思に沿うものであり、現在のクライアント――アリシア・ウィルバートンの意思は断罪の時は自身がその時に指定する、というものだった。

 それが一月ほど前「もうすぐなので準備をお願いしますね」と連絡があり、今朝になって、

「予想よりも展開が早かったんですよね。今日これから動けたりします?」

 と、連絡があった。
 こちらにしたら待ちに待ったゴーサインである。
 他の仕事など当然後回しだ。

 我ながら人生最速だと思えるスピードで支度をし、この時に着けようととっておいたアリシアに贈られた東国産のべっ甲細工の眼鏡を掛け、大量の書類の山を馬車に投げ込み、いくつかの確認と書類の提出を済ませて――。

 この場に足を踏み入れたのである。


「ちなみにこんなものもありますよ?」

 言うと、ハモンズは懐から小さな箱のようなものを取り出した。

「こういうものを手にすると、残念ながらいかにこの国が世界から遅れているかわかりますねぇ。これ、なんだと思います?録音機なんだそうです。つい最近西の大陸のカブルヘムルで開発されたのをオーエン氏に取り寄せていただきまして。理屈はさっぱりわかりませんがね、音をこの中に記録して、ここをこう押すと、記録した音を再生できるんですよ」

 ほら、こんな風に。
 ハモンズが指で箱の横にある出っ張りを押すと、少々雑音が混じっているものの、誰のものかがわかる程度には鮮明な、声が流れた。  

『「なに、一年ほども邸に閉じ込めておき、しばらくしてから産褥死したとすれば良い」』

 子爵の顔がみるみる内に絶望に彩られるのを、ハモンズはそっとその耳に唇を寄せながら、嘲笑う。

「他にもありますが、提出した証拠にこれらは入っていません。告発したのはあくまでも横領や窃盗等のもの。乗っ取りと殺害未遂については………あなた次第です」

 柔らかくどこかトロリと粘りけのある口調で、ハモンズは囁きかける。

「この二つがなければあなた方の罪は恐らく貴族位の剥奪と賠償金の支払いで済むでしょう。ですがお家の乗っ取りと貴族のしかも侯爵家の後継者の殺害を企てたとなれば、即刻一家諸共仲良く処刑の上晒し首ですよねぇ」
「…………ど、どうすれば良い!」
「はい。ではこちらの書類にサインをお願いします。この先一切ウィルバートン侯爵家に関わらないという誓約書です。あ、当然ながら一家全員ですから。他人を間に入れるとかもナシですよ?二度と侯爵家にもアリシア嬢にも近づかないでください。あと本日中できる限り速やかにここを出てご自分の領地にお帰りください。アリシア嬢への別れの挨拶は不要だそうです。わかりましたか?」

 コクコクコク、と壊れた玩具のように首を縦に振る子爵にペンを握らせて……ついでにズレて落ちかけた鬘を直してやった。

 サインの入った書類をさっと取り上げて、確認する。

「結構。おわかりでしょうがもしこの書類の内容を破棄された場合――その時は、わかりますよね?」

 コクコクコク。
 ひたすら頷いていたその時に、邸の入口から揉めているらしい複数人の声がした。

「ああ、奥様方もお戻りのようだ。私はこれで失礼します」

 一礼し、扉へと足を向け、思い出したように、

「ちなみに私を殺しても無駄ですので。あしからず」

 言って、あとは静かに退室した。



 その日の午後早く。ウィルバートン侯爵家の別邸から、一台の馬車が出て行くのを数人の通行人が見かけたという。


 
 









 
 



 

  

 

 
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