《美術館奇譚》

神田 双月

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第一章 《消えた絵画》

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 その日は、空が濃い灰色に覆われ、ひどく蒸し暑い日だった。街の喧騒から離れた山間にひっそりと立つ「アルセナ美術館」。その歴史ある館で、特別展が開かれているという噂を耳にした私、横山翔太は、少しの好奇心と共に足を運んだ。

 館内に入ると、静寂が支配していた。普段は訪れることの少ない美術館だったが、その日は異様なほど空気が重く感じられた。館内にはひとりの警備員が立っているだけで、来館者の姿はほとんど見当たらない。

「いらっしゃいませ。」と案内係の若い女性が微笑んで私を迎えてくれた。

「特別展はこの先です。」彼女は柔らかく手を差し伸べ、展示室を案内してくれた。

 展示室に足を踏み入れると、目の前に数十点の絵画が展示されていた。それらの絵画は、いずれも19世紀のヨーロッパの画家によるものだという。私が最初に目を引かれたのは、ひときわ大きなキャンバスに描かれた《赤い庭》という作品だった。

 その絵には、一面に赤く染まった庭と、その中に佇む一人の女性が描かれている。彼女の顔はぼやけていて、まるで一瞬の風景を捉えたかのような印象を与える。だが、その女性の目がどこか遠くを見つめている様子が不気味で、私は思わずその絵の前で立ち尽くしてしまった。

「この絵、特別な意味があるんですか?」と私は案内係に尋ねた。

「はい、この《赤い庭》にはとても興味深い話が隠されています。」彼女は静かに答えた。「実は、この絵が描かれた後、突然その画家は姿を消したと言われているんです。」

「消えた?」私は驚いて彼女の顔を見つめた。

「はい。絵が完成した翌日、画家は自宅から一歩も出ていないんです。家の中もまるで誰かに荒らされたかのように乱れていて…。それ以来、彼の行方は全くわかっていません。」

 その話を聞いて、私はさらに興味が湧いた。その日から、私の中で《赤い庭》がどうしても気になり始め、何度もその絵を見に足を運ぶようになった。

 だが、展覧会が終わる前日、奇妙な出来事が起こった。

 翌朝、館のスタッフが《赤い庭》が展示室から消えていることに気づいた。最初は誰かが移動させたのだろうと思われたが、監視カメラを確認しても、その絵がどこにも移動した形跡はなかった。館内の全員がその絵を最後に見たのは、私を案内したあの女性だった。

 その女性の名前は斎藤美咲。彼女は非常に穏やかで優しそうな印象を与える人だった。しかし、事件が発覚してから、彼女の顔色は明らかに変わっていった。私も事件に巻き込まれてしまったと感じ、少しずつ館内での調査を始めることにした。

 まず私は、斎藤に再び話を聞くことにした。

「昨夜、あなたは最後に《赤い庭》を見たと言われていますね。何か変わったことはありませんでしたか?」私は慎重に尋ねた。

 斎藤はしばらく黙っていたが、やがて口を開いた。

「正直に言うと、私もよく分かりません。ただ、あの絵には何か…不吉な力が宿っている気がしていました。」

「不吉な力?」私は首をかしげた。

「ええ。最初はただの絵だと思っていました。でも、見るたびにその女性が私を見ているような気がして…。どこか、私に警告を送っているような、そんな気がしてならなかったんです。」

 斎藤の言葉には恐怖が滲んでいた。私は彼女の言葉が真実だと感じ、思わず背筋が寒くなった。

 その後、私は美術館の過去を調べることにした。すると、驚くべき事実が浮かび上がった。この美術館の歴史には、過去に何度も「消えた絵画」が話題になったことがあった。最も有名な例は、50年前に起きた事件だった。そのときも、同じように一枚の絵画が姿を消していたのだ。

 そして、調査を進めていく中で、私は一枚の古い日記を見つけた。それは、かつてこの館で働いていた女性のもので、彼女は消えた絵画と、その絵を描いた画家について詳細に記録していた。その日記の中には、こう記されていた。

「赤い庭が完成したとき、画家は言った。“この絵には呪いがかけられている”と。しかし、彼はその後、館を出ることなく消えてしまった。あの絵は、決して見る者を幸せにしない…。」

 その日記を手にした瞬間、私は全てを理解した。あの絵は、単なるアートではなく、呪いを宿した何かだったのだ。画家がその絵を完成させたとき、何か恐ろしい力が彼を引き寄せ、彼を消してしまった。斎藤も、私も、次にその絵の呪いに取り込まれるところだったのだ。

 私はすぐに館のスタッフに警告し、最終的に《赤い庭》は再び展示されることはなかった。その後、館はしばらく閉鎖され、呪われた絵画は行方不明のままだ。

 そして、私の心に今も残るのは、あの女性の瞳だ。あの瞳が私を見つめ、語りかけているように感じるのは、果たして気のせいだろうか。
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