九尾

マキノトシヒメ

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油断【前編】

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 江戸末期。
 九尾比丘尼が「永遠の九百歳」などどいうものを標榜した翌年のことであった。
 まだこの時代ではオカルト的なわざは今に比べてずっと身近なものであり、九尾比丘尼もまた(宣伝文句的には)すべてを見通す千里眼の巫女として人々から尊敬を受けていた。
 身近であると言っても、そう易々と使われるものではなく、行方不明等の早期に解決すべき事案以外には高額の報酬を要求していた。もっとも、その垣根は低く、依頼を終わらせた後になって、報酬をもらってもよかったのでは、と思えるものも少なくなかったのだが。

 それが起こった時分は事件もなく、訪れる者もなく、九尾比丘尼は、かなり暇を持て余していた。
 そんな折に九尾比丘尼を訪ねる者があり、その者も知らぬ仲ではなかったので、つい正確な見定めをせずに引き受けてしまった事が悲劇の始まりであった。

 九尾比丘尼の社を訪ねて来たのは、隣村の庄屋の息子、圭太郎であった。そこの庄屋は豪族の出身であり、その村だけではなく、近隣の多くの村を納めている豪庄であった。
 圭太郎はそこの一人息子で、幼い時から後継としての英才教育を受けており、また本人にもそれを受け止めるだけの、いや、それ以上の才能を持っていた。
 だが十四歳となった今年から、精神的に不安定となり、僅かな事で癇癪を起こすようになった。それだけではなく、身体的に急激に強靭となり、癇癪を起こしている時は大人三人がかりでやっと止められるほどであった。
 普段は物静かではあるが、ほがらかな性格で、評判の神童と期待されていた。
 この異変に最も悩んでいたのは圭太郎本人である。何度か九尾比丘尼に相談することも持ちかけられたが、大ごとと言えるまでにはなっていなかった事もあり、緊急事案でない時にかかる費用は家が豪庄であるとはいえ決して簡単に払える額ではなかったので、時を見ていた。
 九尾比丘尼も話にちらとは聞いていたが、大人へ向かう時の一時的な不安定であろうと思い、特に気に留めてはいなかったのだ。

「どうして数が合わないのだ」
「も、申し訳ありません」
「どうしてかを聞いている。謝れなどとは誰も言っておらんわ」
「申し訳…」
「圭太郎さま、書面はこちらに」
「貸せ」
 年貢のとりまとめは毎年行なわれており、手立ても決まったものがある。しかし、人の手で行なわれている事であり、ちょっとした連絡の間違い、間違いでなくとも時系列の食い違いや認識の差だけでこういったことはよくあることである。少し時間をかけて確認をし直せば、九分九厘のことは正しいものに直される。
 今、圭太郎の前にあるのは東の村からの年貢であるが、定められた数より二俵少ない。今年は特に不作との連絡は入っていないし、耕作地の大きさも変えていないから、納入は問題ないはずである。
 圭太郎が書面を見ても、東の村の年貢の量は昨年と変わっていない。確かに今目の前にある数は二俵足りないのであるが、これはよくあること。納入は定められた期間があり、一度に全量を持ってくるわけではない。そんなことは圭太郎も百も承知であるはずだ。期日まではまだ四日もあり、たとえ今手元に無いのだとしても、期日までには最悪借りるなどして算段を付けられる量である。
 にもかかわらず、何が琴線に触れたのか、圭太郎は怒り浸透の様子を見せている。
 元より、この程度の内容は圭太郎が出て来ずとも済ませられる事なのだが、一昨年より作業の中身を知ることとして圭太郎にも任せていた。昨年までは、このような騒ぎはなく、実に手早く事が進んでいた。ところが、そこに付け込んでとまでは言わぬし、圭太郎自身にも早く全体を知るようにとの焦りもあったのだろう。圭太郎まかせになってしまったような事になって、圭太郎が不調に陥ることの多い今年は作業に滞りも出始めていた。
 昨年までであれば、書面を確認して、期日までには来るだろうで済んだ事で、ほんの二~三分で済んでいた筈だが、この騒ぎのために、もう四半時(30分)はとうに過ぎる時間を費やしてしまっている。
「圭太郎さま、落ち着いてくだされ」
「うるさい」
 それでも圭太郎は止めに入った係の者を突き飛ばしたわけではない。少し大きな動きで掴まれた袖を払っただけだったのだが、係の者は折悪く足元に残っていた米粒に足が滑り、もんどり打って倒れた。倒れた先に測り升などが置いてあり、そこで頭を打ってしまい頭を切ってしまった。
 足元の掃除にせよ、測り升にせよ、時間に余裕があるならきちんと片付けられていた筈である。
 そこまでの事になって、やっと圭太郎は我に返った。
「ああっ。す、すまない」
 冷静さを取り戻すことのできた圭太郎は、怪我人のことも、その後の年貢米の集約にも適切と言える対応で、その日の仕事を終えた。怪我をさせてしまった係の者にはきちんと謝罪をし、見舞金も出している。

 だが、そのようについに怪我人が出てしまうに至っては、庄屋の方も覚悟を決めた。圭太郎と話を進め、九尾比丘尼の協力を仰いだのであった。

 庄屋は村人の実情も知る必要があることも少なくない。困窮する者の助けとなるため、九尾比丘尼の助力を乞うことの提案をし、付き添って共に来ることもある。
 さらに圭太郎は、九尾比丘尼が行なっていることも学び、必要に応じて九尾比丘尼が準備している間の対応なども行なっていた。

「多少話には聞いておったが、大事になってしまったか」
「はい…。面目ないことでございます」
 圭太郎は神妙な面持ちで頭を下げた。圭太郎としては、複雑な気持ちである。これまでは、単に尊敬する相手であったものが、女性として慕う気持ちも出てきており、自分をよく見せたい、いわゆる尊大な気持ちも出てきていた。
 それゆえに、己の失態を知られたくない気持ちもあったのだが、それでもまだ、早く解決して、心置きなく顔を合わせたい気持ちが勝ったのだった。

「手伝ってもらったこともあるし、細かいところはいいな。早速いくぞ」
「はい」
 圭太郎は正座したままで目を閉じた。九尾比丘尼がその頭に手をかざし、力を込める。
 圭太郎の姿が浮かぶ。姿は今の圭太郎そのままである。九尾比丘尼がまず見ようとしたのは、最初に暴れだした辺りであった。
「何だ?」
 九尾比丘尼の脳裏に浮かぶ圭太郎の姿の背後を何かが横切った。何か、であるのがわかるくらい見えているが、その何かが何であるかが全くわからない。脳裏に浮かぶイメージであるのだから、九尾比丘尼の記憶にあるはずのもののはずだ。だが、それは動きは特に速くはないにもかかわらず、何であるという認識ができないのである。そしてそれは圭太郎の後方、つまり時間的には過去の方に消えた。
 九尾比丘尼にしても初めての事であった。
 九尾比丘尼はそれを追って過去に遡った。それは幼い圭太郎を通り抜け、庄屋、つまり圭太郎の父親の横を駆け抜けた。
 駆け抜けた? 何であるかを認識できていないというのに、なぜそう思ったのか、九尾比丘尼自身も理解できなかった。 

 圭太郎の過去を見る度に、違和感が強くなっていった九尾比丘尼は、次々と過去を遡り、遂にはその両親、さらにまた以前の先祖へと視野を広げていった。
(あまり深いところまで行くのはまずいか…? じゃが安定してはおるか)
 今の圭太郎、親である庄屋、先代の庄屋…と直系となる血筋の者の姿は揺らぐことはなくしっかりと見えている。しかし、その奥の奥。

(…見えぬ? 隠されている者がおる。強い…力。まさかこの力は)

 九尾比丘尼は思い立って、一つの方法を試した。その結果は何も変わらない。つまり相殺されたのだった。
 それができるのは同じ九尾孤のみ。

 その先に居たのは、自分と同じ九尾狐であったのだった。九尾比丘尼には面識はなかったが、伝聞には聞いたことがあった。人の手によって命を落とした九尾狐のことを。

 ゆえに九尾比丘尼がそこに意識をとらわれたのは仕方のない事であろうと思う。
 だが、せめて他の者。圭太郎に付いてきた者でも村の手伝いの者でもいれば、その異変に気づかぬことはなかったであろう。
 圭太郎の体に変化が起こっていたことに。

 なれど今、社の中にいるのは、九尾比丘尼と圭太郎の二人だけであった。

ーーーーーーーーーー

 時は圭太郎がいたその時代より400年は遡る。

 その九尾孤は九尾比丘尼と同じく人の姿に変化へんげし、救われた村人に報いるべく、人としてその村に入り、表に現すことなくその力を用いて村を助けていた。時を経て村の娘と結ばれ子を成したところまでは良かったのだが、村を襲った災厄を防ぐために殆どの力を使い果たして、一時的に人の姿を保てなくなり、本来の姿となってしまった。
 村人は驚愕したが、それでも村を守ることができたのは九尾狐のおかげであったので、戸惑いつつも感謝の意を伝えた。九尾狐にとって最も救いであったのは、妻も子も驚きはしたものの人の姿である時と変わらずに接してくれたことだった。

 だが、村を訪れたある修験者の言った話に尾ひれが付き、遂には九尾狐こそが主犯であることにされてしまった。
 修験者が語ったのは、あれほどの嵐は珍しいことではあるものの、過去にもあったこと。その時に災害を防ぎ得る者がいた事は僥倖であり、今まで普通に過ごしていたのならば、変わらずに付き合えばよいとまで言ってくれていた。
 だが、この話を盗み聞きしていた村人は、九尾狐という特殊な能力に嫉妬を感じていた村人で、内容を意図的に捻じ曲げて伝えたため、特に最期の締めくくりの部分は何も伝えなかったために、九尾狐が嵐を利用して災厄を起こしたが、誤って自分に向けてしまい、それに村が巻き込まれたということになってしまったのだった。
 直接修験者から話を聞いていた者は否定したが、それでも広まった悪い噂を取り消そうとするまでの努力はしなかった。
 冷静に考えれば、矛盾だらけの内容であったのだが、九尾狐という特殊な存在が人の目を曇らせた。強大な力を持つ人ならざるものに対する恐怖心もあったのであろう。

 始めは単に避けるだけであったが、次第に暴力へ発展してしまった。何が引き金になったのかはわからない。自分に向けられた暴力には耐えていた九尾狐であったが、その手が妻子にまで向けられた時、最後を悟った。
 子どもの守護に残る力の全てを注いで、子どもを都の地へと飛ばした。だが身を守る力すらも残さず全て使い果たしてしまい、打ち倒され、それをかばう妻も打たれ続け、死に至ることにも何もできず、悲観の中、己も死した。
 それでも子どもを守るために使われた力は、長年に渡って子どもを守り続け、成人となり子孫を残すに至った時点で消えた。ところが、その力には子どもを守るだけではなく、ほんの僅かの怨嗟が含まれていたのだった。それは外に出ることがなかったゆえに、使われることなく、消えることもなく、子々孫々へと受け継がれてしまったのだった。

ーーーーーーーーーー

(続く)
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