九尾

マキノトシヒメ

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出会い【後編】

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 翌朝、アツシが目を覚ました時、傍らにはミツ子の寝顔があった。
 あの後、ミツ子も全く動かなくなったのではなく、ふらつきながらではあるが、会計も済ませて店を出た。しかし、その後はアツシが支えていないとどうにもならず、やむを得ずと思い、アツシは自分のアパートに連れてきたのだった。
 それで、要するにそれから、男女の仲に相成ったわけである。酔った勢いというのも少なからずあったわけであるが、アツシの思いに後悔は全くなかった。
 ここに至るにはミツ子も正体不明であったというわけではなく、協力的…いやむしろ積極的に関係に至っていたこともある。
 そのミツ子の寝顔に、愛おしさから触れようと手を伸ばしたとき、ミツ子が目を覚ました。
 そのときアツシの顔はすぐ近くにあったわけだが、そこから目線をそらし、起きた第一声が、
「あちゃあ…」
 であった。

 時刻的にはまだかなり早く、出社するにも余裕は十分にあったので、朝食の準備をして差し向かいで朝食をとった。昨日の続きみたいな感じになっている。
「あのね、さっきはゴメン」
「え?」
「いきなり、あちゃあ、とか言っちゃって」
「うん、まあ。ちょっとびっくりはしたけど」
「もう隠す必要もないわね。さっきのはね、あたし自身に向けた言葉で、あなたとこういう関係になったことには悪い感情も後悔もないの」
「君自身に?」
「そう。こういう関係になるにしても、もっと時間をかけてゆっくりやったほうがいいと思っていたから。酒の席だからといって、アツシが深い関係になることを即断してくれるなんて思っていなかった。今までに一度もなかったから…」
「一度もないって」
「うん。あたしは八畳狸として覚醒して、もう何百年にもなる。その間、人間社会に溶け込んで生活してきた期間も短くはない。男女の仲というのも初めての事じゃないわ」
「…」
「でも、人間じゃないとわかって、同じように接してくれる人はいなかった。わかった途端に手のひら返しで拒絶されたこともある。だから、急ぎ過ぎたなって思ったところが、さっきの」
「あちゃあ、ね」
 二人は顔を見合わせて笑った。
「もうひとつ。たまたまなんだけど、力が弱ってたのよ」
「力って、変身したり、場所を移動させたりしたあのすごい力のこと?」
「うん。神仙は本当はね、お酒を飲んだって全然酔ったりしないの。食事をする必要はないし、睡眠もとる必要はない。でも、不定期に力が弱くなることがあって、普段ならお酒の一斗や二斗飲んだって酔いもしないけど、昨日は本当に酔っちゃった」
「…単位が…」
「でも、止めはやっぱりアツシの即答かな」
 ここにきてやっとアツシはミツ子が自分を「アツシ君」ではなく「アツシ」と呼んでいることに気が付いた。
「ミツ子…さん」
「ミツ子でいいわよ。そう呼んで」
「ミツ子」
「はい」
 それから少しの間無言の時間があったが、お互いの思いを確かめ合えたことを反芻している時間だった。


 数日後、再びアツシのアパートでの会話。

「これからいろいろ思うことが出てくるでしょうから、先に言っておくことは澄ましておくわ」
「いろいろ?」
「人間じゃないということで思いつくことよ」

「まず第一に、あたし達自身の関係から。前に言ったように本質は違うわけだけど、この体の組織そのものは人間なの。こうして人間の姿でいる時は、肉体は人間以外の何物でもないわ。だから、あの夜のことは、形が人間なだけの変なものを相手にしていたわけじゃないということ」
「それなら…子供とか」
「全く問題ナシ。お互いの同意があるなら、5人でも10人でも。そして、生まれた子供も100%交じりっけなしの人間よ」
 いつもの明るい口調で話すミツ子。お互い笑みが出る。
「次に法的な所在ね。住民票とかの。これもね、ちゃんと正規の物があるわ。健康保険証も運転免許証もその他もろもろ全部普通にある。適当にでっち上げたりしてないから」
「すごいな」
「適当じゃなく本気ででっち上げたからね」
「だあっ! そういうのバレないの」
「大丈夫。役所にも何人もお仲間、神仙が人として生活して働いてるからね。本気で術式使ったら、もう偽物じゃないわ。大体、ここの町長さんも八畳狸よ」
「マジで?」
「隠れているだけで、八畳狸は神仙の中でも数が多いの。元々神仙は普通の人間では見破ることはできないからね」
「もしかしてうちの会社にも…?」
「いるわよ」
 当たり前のことですけど、みたいにミツ子は言い放つ。
「誰?」
「それはないしょ。見かけるたびに目で追っちゃいかねないでしょ。別の疑い持たれるわよ」
「あー、確かに」
「あとは…、神仙関連じゃないけど、会社では馴れ馴れしくしないことね。これ自体は社則もあるから。家族や恋人でも仕事にその関係を持ち込まないようにってね」
「うん。それは聞いた覚えがある。気をつけるよ」
「でも、恋人であることを公表すること自体は問題ないからね」
「はは」
 そしてミツ子は座っていた椅子から立ち上がって、アツシの傍らでかがんだ。そして、頭をアツシの腿に乗せて抱き着いた。
「ありがとう。私を受け入れてくれて。初めて出会えた…愛しい人」
 だが、アツシはミツ子の手を解いて、自分も椅子から降りて同じようにかがんだ。そしてミツ子の手をとった。
「ミツ子が下に座る必要はないよ。君の事を愛しいと思う気持ちは僕も同じだ。同じ所から同じものを見ていこう。対等なパートナーとして」
「それって…」
「夫婦として一生を共に生きよう」
 
 この時、ミツ子は神仙たる者としてのありようを考えずにはおられなかった。
 自分の寿命はまだまだ限りないというくらいあるはず。
 しかし、もうアツシのいない未来というものは考えられなかった。

ーーーーーーーーーー

 二百数十年前。
 ミツ子は九尾比丘尼と話をしたことがある。
 もう何度目になるかも覚えていない、人間からの拒絶を受けてのことだった。
「拒絶されても、なんで私たちは人の姿になろうとする。なんで人の元に行こうとする。この思い…衝動はなんなのだ」
 ミツ子は泣きながら下を向いて、半ば叫んでいた。
「それはわしにもわからぬ。わしはまだ覚醒しておらぬ、ただの狐である時分に人に救われたからの。その方は人の世を憂い、人を救うことにただ尽力しておられた。故に覚醒し、力を得た身となったときには、まずその方の力になりたいと思うたのじゃ。人から拒絶されようと、どうされようと、それだけは変わらぬ」
 そのまま二人並んで座ったまま、時が過ぎた。それは数瞬のことだったかもしれない。数年のことだったかもしれない。
「恩師…と言える人がいたんですね」
「人として生まれしも、人と異なる時を過ぐることを運命づけられ、皆が己の傍らを通り過ぎていき、己のみが取り残されることも受け入れておられた」
「そんな人と出会えていたなら、わたしも…」
「じゃが、苦しんでおられなかったわけではない。わしにも見せぬようにしてはおられたのじゃが、ただ一度、ただ一度だけ、いかに大きな苦しみを担っておるのかを見る機会があった」
 九尾比丘尼は天を仰いでから話を続けた。
「見ておられなかった。力になりたいと思った。しかし…、それをどうにかできるだけの力量はわしにはなかった。じゃから、違う方向を…。見てはいけぬ方向を向いてしもうた」
「まさか…」
「そのまさかじゃよ。悠久の時を過ぐることとなる、その根源を消すことがかなえば」
「それは禁忌だ!」
「…知っておらぬわけなかろう。わしも神仙。知識は覚醒した時に必要なすべてを授けられる」
「ならばなぜ」
「神仙は木石ではない。神仙にも心はあり、意思はある。師と仰ぐ者を、敬愛する者を救う方法があるならば、探らずにおられぬわけがなかろう」
 そのように言われると、ミツ子も黙るしかなかった。
「しかし、師は、八百比丘尼さまは、神仙ではない。悠久の時を過ぐることは同じであっても、根源はまるで異なることじゃ。結局、何かをやりようもなかった」
「…」
「それでも、神仙を深く探る機会とはなった故に、神仙を神仙たらぬ者とする仕組みは整ったのじゃ。そして、それが禁忌とならぬ方策もある」
「何を」
「己自身の力を用いて、己自身を変えゆけば、禁忌には当たらぬ。違うか」
「無茶な。神仙は強大な力はあるが万能ではない。出来ぬこともある。それをわきまえているからこその神仙であろう。できぬことはないに等しいこと。故に禁忌かどうかの振り分けもないだけだ」
「まあよい。方策も術式もわしの頭の中にあるだけで、実際にできるかどうかは試してもおらんから、検証もしているわけもない。可能であったとしても、わし自身にしか起こせず、他の者には意味のないものかもしれぬ。じゃが、それでも、お主が知りたいと思うときがあったら、わしに聞いてくるとよい。救いとなるかならぬか、それもわからぬがな」

ーーーーーーーーーー

 今となれば、ミツ子も九尾比丘尼の心持ちが痛いほどわかる。
 ミツ子は人に沿いたいとは思ってはいたが、人と同一になりたいと思ったことはない。無意識の中にでも、一線を画することをしていたのだろう。
 あの時も、拒絶された自分の苦しさを愚痴にしたいだけであって、根本的な解決を求めていたわけではなかったのだ。それでは結局、同じことを繰り返すだけになるだろう。そこまでを理解してしまったとき、ミツ子は、あの衝動を無視することにした。
 その身は人の社会の中に置いてはいるが、常に冷めた目で、第三者的な視点を持って自分を認識していた。人との関りは持ってはいるが、操り人形の如く、その場には置いていない意識によってのことだった。
 しかし、無視するからといって、消え去るわけではない。
 一見、安定しているかのように見えていたものも、くすぶり続けていたものが、アツシからの強い意識の奔流によってふたたび燃え上がった。
 だが、それは何より心地よいものであったのだった。

 今までなら決断するにも一人だけで行なっていたであろう。
 アツシに感謝の言葉を伝えたときに、自分の身を下に置いて見上げるように行なっていたのは、その感謝を伝える意図として、アツシを敬う気持ちからへりくだっていただけであった。だが、アツシはへりくだる必要はないと、同等の立場として生きようと言ってくれた。
 なれば、自分に関する決断であっても自分勝手に決めるものではないのではないか。

「今まで何百年と生きてきたと言ったよね」
「そう言ってたね」
「正確には神仙となって786年。神仙となった者にはとうに1000年を過ごした者もいる。いまだに頑強だし、精力的に活動を続けている者もいる。だから…わたしもまだこの先は何百年とあるかもしれない」
「うん。なんとなくだけど、そうじゃないかとは思ってた」
「でも、私はあなたを失なうことがあれば、その先には意味を見出せない。無為な時を過ごすくらいなら…その先はいらない」
 アツシは真剣に話を聞いていた。ミツ子もまた真剣に、重大なことを言おうとしていることがはっきりとわかった。アツシはミツ子の肩に手を置いて語りかけた。
「今決めなくてもいいと思うよ」
「でも…」
「二人で生きていけば、環境の変化は必ずあるよ。それを見てからまた決めてもいいと思う。こうやって、二人で」
 ミツ子は、やはりアツシと出会えたことは、何ものにも換えられないさいわいなのだと思った。
「それにさ、子供が生まれたら。孫が、ひ孫ができてその顔を見たら、ぼくの事なんかどうでもよくなっちゃうかもしれないよ」

 ミツ子は神仙であることを捨てることなくアツシと結婚し、今では二人の男の子の親である。
 子供が何にも換えようのない愛おしい存在なのは間違いない。だが、アツシに対する愛情も信頼も何一つ変わることはない。

 九尾比丘尼の考えだした、神仙を神仙でなくする方法が執り行われたという話は、どこからも流れてこない。多分、神仙であることを捨てようと考える者がいないのであろう。
 そして、知りえたところで、もう自分には関係ないと思えるミツ子であった。

(了)
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