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八百比丘尼伝説
第二幕 八百比丘尼/前編
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第二幕 八百比丘尼
八重はその土地を村に任せて、村を後にした。向かう先は都であった。
都に着いて後、八重は寺院へと赴いた。
世を儚んで寺院入りしたわけではない。
静かに今までのいきさつを書き留めておきたかったのだった。それを勧めたのは村に住まう学者であった。
八重の体が人魚の事と関連があるのではと指摘した、あの学者の孫にあたる。各所に学びを求めて旅をした中に、都の寺院があり、八重と同様の者の伝承があったことから、何か得られるものがあるかということで、紹介をしたのだった。都の寺院であれば、それ以外にも、様々な記録が残されており、それらが役に立つかどうかはわからぬが、学ぶことの好きな八重にとって、新たな道を見つける可能性を示唆したのだった。
無論、簡単な話ではない。八重自身は漠然と自然界の力というものからくる畏怖を神として崇めるところはあるが、定まった宗教というものはない。
それでも学者の紹介文を出したところ、思うよりもあっさりと通され、阿闍梨の一人と面会することとなった。かの学者先生、結構顔が広いようである。
とはいえ、寺に関わる身としては、仏事に無知である訳にはゆかない。しかし八重には学ぶ時間は山ほどあり、学ぶことも好きだった。
十年ほど後の事。その日目を通していた書物の中に、人に比べ遥かな長きを生きるものについての記述があった。人魚との関わりではなく、そのように生まれつく者があるという。
その頃の八重は僧としても多くの事を学び、学僧としてその寺院の中でも上位と言うに差し障りのない学力を身につけていた。
しかし、男尊女卑が当たり前のようにあった時代。八重を受け入れてくれた阿闍梨が没すると、その扱いはかなりぞんざいなものとなった。それでも邪魔扱いまでのことはなく、妨害のようなものもなかったので、まだマシであったかもしれない。それに全てのところが八重を軽く見ていたわけではなかったのだった。知識を探求し、多くの文献を紐解く姿を認めている者は少ないながらもいたのである。
文献の中には、その書かれている時のことではなく、その先々のことを書いてあるとしか思えない記述が各所に見られた。その中で現在と最も近い時代の事を表していると思えるものを詳細に調べている。
今より二年後の日時を表した項目があった。日付けが記載されていたわけではないが、季節の変化や月星の様子が書かれており、天文を調べている部署に照会したところそれが判明した。場所はここより五十里ほど離れた土地だった。行けないことはない。
今はその地にはそこそこの規模の村があり、調査に関して寝泊まりすることも可能だろう。だが、八重は尼僧である。女の身である。八重の身体の事情を知っているとしても、八重に協力的であったとしても簡単に調査行程を許可するわけにはいかなかった。寺院が世間体を無視した行動をできるはずもない。それは理解していたので、八重は待った。不可となれば、その報告は即時もたらされるであろう。それがないということは、まだこの件に関しては希望を持てるということである。
そして一年後、ついに八重に調査行程の許可が下りた。残念ながら、八重がその文献調査についての主格ということではなく、八重は寺院の仕立てた黒砂子という学者の助手という扱いであった。だが、八重が欲するのは研究成果の名声ではなく、その情報そのものである。役割分担に関しては異論はなかった。却って主格の学者がいることで、その命令ということとして八重は行動の自由度が広くできることになり、願ってもない状況になっていたのだった。
その行程にはもう一人同行する者がいた。最近、見習いとして寺院に来た月悟という若者だった。現時点では学んでいることはあまりないが、教えられたことを反復し、違った視点で見ようとする。そのために一つのことを理解することは遅いのだが、多数の視点からなる考え方には黒砂子もいろいろと思うことがあったようである。基本的には体の大きな力のある若者であることから、荷物引きとして付けられたのだったが。
村に到着したとき、寺院を発って二週間ほど経っていた。文献から得られた目される日まで一年間あるとはいえ、如何にも遅い行程である。
黒砂子が月悟との問答を楽しむようになってしまい、日中の行程が遅れに遅れたのだった。決して今回の主目的が何かは忘れてはいないが、近くにそういった対象があることはどうしても無視できなかったのである。
さて、村に到着したからといって、それで目的が達成されたわけではない。場所に関しては大まかにこの周辺らしきことが書かれていただけで、本当の地点を探すにも、まず周囲の調査が必要になる。場合によっては村の周囲全てを確認しなければならないかもしれないのだ。時間はいくらあっても足りるとは言い難い。村の者に案内され、それぞれの宿所となる家に入る。流石に八重と他の二人が同じ屋根の下というわけはなく、少し離れた家になった。
「八重様でございますね」
その宿所とされた家にいたのは、かわいらしい少女であった。いや、八重自身が少女ともいえる容姿であるのだから、同年代と言っても差し障りはないとも言えなくもないのであるが。
「八重様のお世話をさせていただきます、たつと申します」
たつは十六歳。来年、隣村に嫁入りすることが決まっているそうだ。嫁ぎ先はこの近隣でも大きい方の農家で、たつの家も農家である。
この地に居を構えて四ヶ月が経過した。
調査は順調であると言っていい。寺院からの一行であるにも関わらず、僧は八重ただ一人であり、時間があるときは仏の教えを説いたり、たつともよく話をしていた。外見は同年代であるのだが、実年齢は四世代離れている。だが、話はよく合い、自分が昔の頃に戻ったような気持ちになった。
二~三日に一度、三人が集まり今後の調査内容や方針を定める会議を設けている。その日の話は終わり、その後のいわば雑談になった。
「僧名…ですか?」
「うむ。八重どのも仏の教えを説く身。僧としての名を持ったほうが良いだろう。八重どのにこだわりはなさそうだが、決まりごとにこだわるというか、名もない者が教えを説くなとまで言う過激な者も一部には居るようだからな」
「いいのではないですか。八重さまも」
「なんなら、私を理由にしてくれてかまわん。私がそうするよう強要されたとかいうことにしてな」
「黒砂子さまがそのようにおっしゃられるからには、実はもう考えておられるのでしょう。名前のほうは」
「全部ではない。だが、元の名を用い、数多きことを表す八百という数字を用いるがふさわしいと思うが。いかがかな」
「…まあ、歳が歳でございますから」
「いやいや。数多くの学問と御仏の教えをなあ」
「そのような、取って付けたような理由は要りません」
村の東にある小高い山に月悟と八重が向かっていた。黒砂子は北の丘付近に村の若い衆に荷物持ちをしてもらい、行っている。
「八百比丘尼さま」
「…慣れませんね」
「よろしいではないですか。悪くないお名前だと思いますよ。でも、もっと変えたりするかと思っていたのですが、そのまんまですねえ」
八重が僧名として八百比丘尼を名乗る事とした初日の調査である。
山の裾野に広がる林を二人は進んでいた。斜面は急ではなく、小規模ではあるが人の手も入っており、危険はない。
「道らしきものは一応ありますね」
「少々早いですが、休憩にしましょうか」
休憩のために道を少し外れた開けた場所に移動した。が、そこより先の草むらに動くものがあった。
月悟がその付近を確認すると、一頭の狐が罠にかかっていた。三、四日はそのままだったのだろう。かなり衰弱している様子だった。月悟が器用に罠を解いたが、狐は動き出す力がないようだった。
「こんなものでも食べるでしょうか」
八百比丘尼は持っていた握り飯を狐の鼻先に置いた。
狐の鼻がひくひくと動き、握り飯をかじった。ゆっくりであるが、一個を食べきった。それを見て、八百比丘尼はもう一つ置く。
「ちょっと見せてごらん」
罠にかかっていた前足を見たが、怪我はないようだった。体力がまだ回復していないのか、おとなしくしていた。それでも、ゆっくりとだが、生気を取り戻しているように見えた。
「この罠は…」
「この付近では鹿が増えて被害が出ているそうです。その駆除のためでしょう」
「難しい問題ですね」
八百比丘尼が難しい表情をしていると、狐は寄り添って、頭をもたげてきた。
「おや、お前。なぐさめてくれるのかい」
八百比丘尼は優しく狐の頭をなでる。その時、首の後ろにある模様に気がついた。周りと色が異なるのではなく、少し濃いだけのものだったが、その角度で見ると良くわかった。
これで八百比丘尼は合点がいった。この狐が伝承と詫言にあったものだったのだ。だが、今は「そのとき」ではないこともわかっていた。八百比丘尼はこの狐を救うために、ここに導かれたのだった。
「八百比丘尼様、そろそろ降りませんと日が暮れてしまうかもしれません」
「うむ。行こう。目的は果たせたようです」
「それでは、この狐でございますか」
「間に合うてよかった。それでは達者でな」
二人が来た道を戻っていくのを、狐は眺めていた。
村に戻ると、黒砂子は先に戻ってきていた。
今日の事を話す。
「この文献にある…これです。この模様が首の後ろにありました。重き所に持つもの」
「首の後ろは急所だな。動物には重要な所だ」
「この先どうなるか、どう関わってくるのか、こないのか、わかりませんが…」
「補足に使えそうなものは、もうなさそうだね。戻って大書簡から調べ直さないといけないかなあ」
「この村は居心地が良かったのですけどね」
「それで長居をするわけにもいきませんよ。すいません、ちょっとたつと話をしてきます」
そして翌日、一行は村を発った。
寺院に帰投して後、まだ調べなければならぬ事は多いが、一つ事を納めることは叶ったので、また精力的に動き出していた。
一年後にたつから文が送られてきた。カナ文字ばかりの辿々しいものであったが、嫁入りして新しい生活に向かうための希望にあふれたものだった。何より、このように文をしたためる事を許されていることが、嫁いだ家においても大事にされていることの証ではなかったか。
ふと八百比丘尼の脳裏に、農家に嫁ぎ暮らした日々の事が思い起こされた。あの家においても八百比丘尼、当時の八重は嫁いだ家に大事にされ、それ以上の心持ちを持って家に尽くした。懐かしい思いが駆け巡った。
だが、その翌々日に届いた文は、たつの実家から送られてきたものだった。
たつの嫁いだ家が野盗に襲われ、夫のまだ幼い弟妹に至るまで皆殺しにされたという。
当時の遠距離への通信は容易ではない。大きな都市間であれば定期便のようなものはあった。だが、それ以外では送られる機会がまちまちで、それによっては順序が逆転することも珍しいことではない。 今回の事でも、実家からの悲報が先に届くこともあり得ぬことではなかったのだ。
また一人、八重の事を深く知るものが世を去ったのだった。
(続く)
八重はその土地を村に任せて、村を後にした。向かう先は都であった。
都に着いて後、八重は寺院へと赴いた。
世を儚んで寺院入りしたわけではない。
静かに今までのいきさつを書き留めておきたかったのだった。それを勧めたのは村に住まう学者であった。
八重の体が人魚の事と関連があるのではと指摘した、あの学者の孫にあたる。各所に学びを求めて旅をした中に、都の寺院があり、八重と同様の者の伝承があったことから、何か得られるものがあるかということで、紹介をしたのだった。都の寺院であれば、それ以外にも、様々な記録が残されており、それらが役に立つかどうかはわからぬが、学ぶことの好きな八重にとって、新たな道を見つける可能性を示唆したのだった。
無論、簡単な話ではない。八重自身は漠然と自然界の力というものからくる畏怖を神として崇めるところはあるが、定まった宗教というものはない。
それでも学者の紹介文を出したところ、思うよりもあっさりと通され、阿闍梨の一人と面会することとなった。かの学者先生、結構顔が広いようである。
とはいえ、寺に関わる身としては、仏事に無知である訳にはゆかない。しかし八重には学ぶ時間は山ほどあり、学ぶことも好きだった。
十年ほど後の事。その日目を通していた書物の中に、人に比べ遥かな長きを生きるものについての記述があった。人魚との関わりではなく、そのように生まれつく者があるという。
その頃の八重は僧としても多くの事を学び、学僧としてその寺院の中でも上位と言うに差し障りのない学力を身につけていた。
しかし、男尊女卑が当たり前のようにあった時代。八重を受け入れてくれた阿闍梨が没すると、その扱いはかなりぞんざいなものとなった。それでも邪魔扱いまでのことはなく、妨害のようなものもなかったので、まだマシであったかもしれない。それに全てのところが八重を軽く見ていたわけではなかったのだった。知識を探求し、多くの文献を紐解く姿を認めている者は少ないながらもいたのである。
文献の中には、その書かれている時のことではなく、その先々のことを書いてあるとしか思えない記述が各所に見られた。その中で現在と最も近い時代の事を表していると思えるものを詳細に調べている。
今より二年後の日時を表した項目があった。日付けが記載されていたわけではないが、季節の変化や月星の様子が書かれており、天文を調べている部署に照会したところそれが判明した。場所はここより五十里ほど離れた土地だった。行けないことはない。
今はその地にはそこそこの規模の村があり、調査に関して寝泊まりすることも可能だろう。だが、八重は尼僧である。女の身である。八重の身体の事情を知っているとしても、八重に協力的であったとしても簡単に調査行程を許可するわけにはいかなかった。寺院が世間体を無視した行動をできるはずもない。それは理解していたので、八重は待った。不可となれば、その報告は即時もたらされるであろう。それがないということは、まだこの件に関しては希望を持てるということである。
そして一年後、ついに八重に調査行程の許可が下りた。残念ながら、八重がその文献調査についての主格ということではなく、八重は寺院の仕立てた黒砂子という学者の助手という扱いであった。だが、八重が欲するのは研究成果の名声ではなく、その情報そのものである。役割分担に関しては異論はなかった。却って主格の学者がいることで、その命令ということとして八重は行動の自由度が広くできることになり、願ってもない状況になっていたのだった。
その行程にはもう一人同行する者がいた。最近、見習いとして寺院に来た月悟という若者だった。現時点では学んでいることはあまりないが、教えられたことを反復し、違った視点で見ようとする。そのために一つのことを理解することは遅いのだが、多数の視点からなる考え方には黒砂子もいろいろと思うことがあったようである。基本的には体の大きな力のある若者であることから、荷物引きとして付けられたのだったが。
村に到着したとき、寺院を発って二週間ほど経っていた。文献から得られた目される日まで一年間あるとはいえ、如何にも遅い行程である。
黒砂子が月悟との問答を楽しむようになってしまい、日中の行程が遅れに遅れたのだった。決して今回の主目的が何かは忘れてはいないが、近くにそういった対象があることはどうしても無視できなかったのである。
さて、村に到着したからといって、それで目的が達成されたわけではない。場所に関しては大まかにこの周辺らしきことが書かれていただけで、本当の地点を探すにも、まず周囲の調査が必要になる。場合によっては村の周囲全てを確認しなければならないかもしれないのだ。時間はいくらあっても足りるとは言い難い。村の者に案内され、それぞれの宿所となる家に入る。流石に八重と他の二人が同じ屋根の下というわけはなく、少し離れた家になった。
「八重様でございますね」
その宿所とされた家にいたのは、かわいらしい少女であった。いや、八重自身が少女ともいえる容姿であるのだから、同年代と言っても差し障りはないとも言えなくもないのであるが。
「八重様のお世話をさせていただきます、たつと申します」
たつは十六歳。来年、隣村に嫁入りすることが決まっているそうだ。嫁ぎ先はこの近隣でも大きい方の農家で、たつの家も農家である。
この地に居を構えて四ヶ月が経過した。
調査は順調であると言っていい。寺院からの一行であるにも関わらず、僧は八重ただ一人であり、時間があるときは仏の教えを説いたり、たつともよく話をしていた。外見は同年代であるのだが、実年齢は四世代離れている。だが、話はよく合い、自分が昔の頃に戻ったような気持ちになった。
二~三日に一度、三人が集まり今後の調査内容や方針を定める会議を設けている。その日の話は終わり、その後のいわば雑談になった。
「僧名…ですか?」
「うむ。八重どのも仏の教えを説く身。僧としての名を持ったほうが良いだろう。八重どのにこだわりはなさそうだが、決まりごとにこだわるというか、名もない者が教えを説くなとまで言う過激な者も一部には居るようだからな」
「いいのではないですか。八重さまも」
「なんなら、私を理由にしてくれてかまわん。私がそうするよう強要されたとかいうことにしてな」
「黒砂子さまがそのようにおっしゃられるからには、実はもう考えておられるのでしょう。名前のほうは」
「全部ではない。だが、元の名を用い、数多きことを表す八百という数字を用いるがふさわしいと思うが。いかがかな」
「…まあ、歳が歳でございますから」
「いやいや。数多くの学問と御仏の教えをなあ」
「そのような、取って付けたような理由は要りません」
村の東にある小高い山に月悟と八重が向かっていた。黒砂子は北の丘付近に村の若い衆に荷物持ちをしてもらい、行っている。
「八百比丘尼さま」
「…慣れませんね」
「よろしいではないですか。悪くないお名前だと思いますよ。でも、もっと変えたりするかと思っていたのですが、そのまんまですねえ」
八重が僧名として八百比丘尼を名乗る事とした初日の調査である。
山の裾野に広がる林を二人は進んでいた。斜面は急ではなく、小規模ではあるが人の手も入っており、危険はない。
「道らしきものは一応ありますね」
「少々早いですが、休憩にしましょうか」
休憩のために道を少し外れた開けた場所に移動した。が、そこより先の草むらに動くものがあった。
月悟がその付近を確認すると、一頭の狐が罠にかかっていた。三、四日はそのままだったのだろう。かなり衰弱している様子だった。月悟が器用に罠を解いたが、狐は動き出す力がないようだった。
「こんなものでも食べるでしょうか」
八百比丘尼は持っていた握り飯を狐の鼻先に置いた。
狐の鼻がひくひくと動き、握り飯をかじった。ゆっくりであるが、一個を食べきった。それを見て、八百比丘尼はもう一つ置く。
「ちょっと見せてごらん」
罠にかかっていた前足を見たが、怪我はないようだった。体力がまだ回復していないのか、おとなしくしていた。それでも、ゆっくりとだが、生気を取り戻しているように見えた。
「この罠は…」
「この付近では鹿が増えて被害が出ているそうです。その駆除のためでしょう」
「難しい問題ですね」
八百比丘尼が難しい表情をしていると、狐は寄り添って、頭をもたげてきた。
「おや、お前。なぐさめてくれるのかい」
八百比丘尼は優しく狐の頭をなでる。その時、首の後ろにある模様に気がついた。周りと色が異なるのではなく、少し濃いだけのものだったが、その角度で見ると良くわかった。
これで八百比丘尼は合点がいった。この狐が伝承と詫言にあったものだったのだ。だが、今は「そのとき」ではないこともわかっていた。八百比丘尼はこの狐を救うために、ここに導かれたのだった。
「八百比丘尼様、そろそろ降りませんと日が暮れてしまうかもしれません」
「うむ。行こう。目的は果たせたようです」
「それでは、この狐でございますか」
「間に合うてよかった。それでは達者でな」
二人が来た道を戻っていくのを、狐は眺めていた。
村に戻ると、黒砂子は先に戻ってきていた。
今日の事を話す。
「この文献にある…これです。この模様が首の後ろにありました。重き所に持つもの」
「首の後ろは急所だな。動物には重要な所だ」
「この先どうなるか、どう関わってくるのか、こないのか、わかりませんが…」
「補足に使えそうなものは、もうなさそうだね。戻って大書簡から調べ直さないといけないかなあ」
「この村は居心地が良かったのですけどね」
「それで長居をするわけにもいきませんよ。すいません、ちょっとたつと話をしてきます」
そして翌日、一行は村を発った。
寺院に帰投して後、まだ調べなければならぬ事は多いが、一つ事を納めることは叶ったので、また精力的に動き出していた。
一年後にたつから文が送られてきた。カナ文字ばかりの辿々しいものであったが、嫁入りして新しい生活に向かうための希望にあふれたものだった。何より、このように文をしたためる事を許されていることが、嫁いだ家においても大事にされていることの証ではなかったか。
ふと八百比丘尼の脳裏に、農家に嫁ぎ暮らした日々の事が思い起こされた。あの家においても八百比丘尼、当時の八重は嫁いだ家に大事にされ、それ以上の心持ちを持って家に尽くした。懐かしい思いが駆け巡った。
だが、その翌々日に届いた文は、たつの実家から送られてきたものだった。
たつの嫁いだ家が野盗に襲われ、夫のまだ幼い弟妹に至るまで皆殺しにされたという。
当時の遠距離への通信は容易ではない。大きな都市間であれば定期便のようなものはあった。だが、それ以外では送られる機会がまちまちで、それによっては順序が逆転することも珍しいことではない。 今回の事でも、実家からの悲報が先に届くこともあり得ぬことではなかったのだ。
また一人、八重の事を深く知るものが世を去ったのだった。
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