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その一
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その一
まいは、幼い頃より、丘の上にある祠の掃除をしていた。
まいの家からそう遠くないということもあるが、元々は母親が信心深い人で、まいが産まれる前から続けられていた事だった。
この村は小さな村であるが、山あいから少し離れており、大きな川の支流になる川が真ん中を流れている。そのため、利水がいいので、稲作が盛んで、毎年の年貢に窮することはなかった。
まいは今日も朝食の準備の前に祠の掃除を済ませて拝んだ。
毎日欠かさず行われているので、掃除そのものの手間はさほどかからずに終わる。
祠の後ろには、大きな一本のトチノキがある。樹齢何年になるかはわからないが、古くからある木で根本の太さは三尺にもなり、秋になれば多くの実を落とし、これを使って団子や餅を作る者も多い。
祠の所にあることで、御神木などと呼ばれることもあるが、愛称的なもので、この木そのものに信仰を捧げている者はいない。
だが、この樹には一つの噂があった。
現代でも同じような事が、まことしやかに言われる例もあるが、こういったものは、時代を問わずどこかしらで、ささやかれているものなのだろう。
曰く「この樹の元に於いて誓いを立てた男女は必ずや夫婦となる」と。
まいが十六歳になった夏のこと。
その日も同じように祠の掃除をして、朝餉の後、家のところの畑の草取りをしていた。
「よう、精が出るな」
一人の男が声をかけてきた。同じ村に住む吉郎だった。川向いに住む、同じ農家の男で、歳はまいの両親に近いだろう。
吉郎は村の中の取りまとめも行なっており、時間のある時は、こうやって村の中を見回っていた。見回っていたというよりは、村の中でいろいろと情報を収集していたというところだった。情報と言っても大げさなものではなく、どこの稲の育成が良くないとか、雑草が多いとか、あぜ道が崩れたとかいったことである。
「吉郎さんとこも、今年は良さそうかね」
「ああ。ここ何年かずっといい感じにできとるな。今年の祭りにも俵山はいい塩梅になりそうだな」
俵山というのは、収穫してできた米を詰めた俵をピラミッド型に積んだもので、豊作への感謝を土地神に捧げるためのものである。ここ三年ほど、最大個数である十五個を積める収穫になっており、その収入を元手に村自体も多くの治水工事を行なっている。
吉郎が用事を終えて家に戻る帰路。周りを見渡せば、風になびく青々とした稲の葉が今年の豊作を祝って、歌を奏でているかのような気にもなるのだった。
過日、まいはいつものように、祠の掃除に出かけた。少し冷え込んだその日、付近は薄くもやがかかっていた。
珍しいことであったが、祠の脇に先客がいた。
吉郎が祠に花を供えて拝んでいた。まいはそれを邪魔せぬようにしばらく待っていたが、長いこと拝んでいたために、意を決して出ることにした。
「おはようございます」
それでも静かに、まいは声をかけた。
吉郎は、はっと気がつくと少し反対を向いて手を顔に持っていき、また振り返った。
「ああ、おはよう。いつもの朝のお清めかね」
「お清めだなんて。普通に日課みたいなものですよ」
「それでも、ここのお稲荷さんは嬉しかろう。代われる者がいるといいのだがな」
「代わってもらいたいと思ったことも特にないですよ。子供の頃からおっ母と一緒に来ていて、これがあたりまえですから。ここのお狐様のお顔は優しくて、こうして掃除をさせてもらえると力を貰える気がするんです。吉郎さんは何を拝んでられたのですか」
「夕の月命日だからね…」
夕は十年前に亡くなった、吉郎の妻の名である。おとなしいながらも働きものであったが、病に倒れて帰らぬ人となったのだった。二人の間に子はなかった。
それ以来、月命日には参拝を欠かしたことはない。ほとんど仕事を終えた夕刻に来ていたので、まいは毎日掃除に来ていてもこの場所で会うことはなかったのだった。思えば、時々花が置いてあったこともあった。吉郎が置いていたものだったのだ。
「夕とは、ここの御神木の下で夫婦になると約束をしたんだ。花が好きな人だった。季節季節に咲く野の花が好きだと。この花もそうだった」
吉郎は優しい目をして、供えた花を一本つまんで匂いを嗅いだ。その様子がまいの目にはとても暖かく感じた。
「あっ」
まいは思わず、吉郎の手を引いて、トチノキの裏に隠れた。
「どうした?」
「しいっ。静かに。時々、ここにいたずらをする者がいるんです。もしかしたら…」
丘を登ってくる人影があった。二人連れの男女だった。
「なんだ、三治とみつじゃない」
どちらも西の土手近くの家の子供だった。子供と言っても歳はまいより一つ下で、家が近所同士だ。
出て行こうとしたまいを、今度は吉郎が引き留めた。
「待て待て。邪魔をするんじゃない」
「え、邪魔って…」
「見守ってやれ」
二人はそのままトチノキの前に来て、何か小声で話していた。そして、上に向かい声を揃えて言った。
「私はみつを愛しています」
「私は三治を愛しています」
「必ず幸せな夫婦となります」
まいと吉郎は二人から見えない、木の反対側でじっくりと聞く態勢になってしまった。まいは口のところに両手を当てて「あら~、そうだったの」という感じで、吉郎はさもありなんという感じで、うんうんと頷いていた。
(吉郎さん、二人のこと知ってたんですか)
吉郎は手でまいを制して二人の様子を伺っていた。二人は少しの間話をしていたが、仲睦まじい様子で帰って行った。
二人の姿は見えなくなって、吉郎は話を始めた。
「村の顔役だからな。いろいろと話は耳に入ってくる。お前は同じ歳くらいの者として見ているから見えない点もあるだろうが、私は親の年代だからな。視点が違ってくるわけだよ。まあ、聞くに、あの二人は大丈夫だろう。三治がもっとしっかりしてきたら、きちんと夫婦となるよう働きかけてやろう」
「…吉郎さんと夕さんもここで誓いを立てたって」
まいの言うことを聞いて、吉郎は苦笑した。
「いつ、誰が言い出したものかは、言い伝えにも残ってはおらぬが、うちの村には多いぞ。ここで約束をした者は。岩松もそうだぞ」
「おっ父も? 初めて聞いた」
「あの時は…ああいや、私の口から言うのは違うな。知りたいのだったら直接聞くことだ。どこから聞いたと言われたら、その時は私の名前を出していい」
「ふうん…あの、おっ父がねえ」
まいの知る父岩松は、端的に言ってしまうとカタブツである。だが、吉郎が言っていたことを鑑みれば、思い当たることは多い。さっきも言ったようにカタブツ、生真面目ではあるが、亭主関白ではない。まいの母、岩松にとっては妻であるゆみとは、何事も相談をし、ゆみだけではなく、まいたち子供らにも一方的な押し付けを言うことはない。
堅苦しい性格ではあるし、基本は厳しいので、誤解されやすいが、ゆみの岩松に対する愚痴は聞いたことがない。
四人の子どももいることから、夫婦仲は良いのである。
そういった経緯から、夕食のとき、つい両親に目が行ってしまい、岩松に「どうした」と問われてしまい、慌てて誤魔化したりしたのだった。
(続く)
まいは、幼い頃より、丘の上にある祠の掃除をしていた。
まいの家からそう遠くないということもあるが、元々は母親が信心深い人で、まいが産まれる前から続けられていた事だった。
この村は小さな村であるが、山あいから少し離れており、大きな川の支流になる川が真ん中を流れている。そのため、利水がいいので、稲作が盛んで、毎年の年貢に窮することはなかった。
まいは今日も朝食の準備の前に祠の掃除を済ませて拝んだ。
毎日欠かさず行われているので、掃除そのものの手間はさほどかからずに終わる。
祠の後ろには、大きな一本のトチノキがある。樹齢何年になるかはわからないが、古くからある木で根本の太さは三尺にもなり、秋になれば多くの実を落とし、これを使って団子や餅を作る者も多い。
祠の所にあることで、御神木などと呼ばれることもあるが、愛称的なもので、この木そのものに信仰を捧げている者はいない。
だが、この樹には一つの噂があった。
現代でも同じような事が、まことしやかに言われる例もあるが、こういったものは、時代を問わずどこかしらで、ささやかれているものなのだろう。
曰く「この樹の元に於いて誓いを立てた男女は必ずや夫婦となる」と。
まいが十六歳になった夏のこと。
その日も同じように祠の掃除をして、朝餉の後、家のところの畑の草取りをしていた。
「よう、精が出るな」
一人の男が声をかけてきた。同じ村に住む吉郎だった。川向いに住む、同じ農家の男で、歳はまいの両親に近いだろう。
吉郎は村の中の取りまとめも行なっており、時間のある時は、こうやって村の中を見回っていた。見回っていたというよりは、村の中でいろいろと情報を収集していたというところだった。情報と言っても大げさなものではなく、どこの稲の育成が良くないとか、雑草が多いとか、あぜ道が崩れたとかいったことである。
「吉郎さんとこも、今年は良さそうかね」
「ああ。ここ何年かずっといい感じにできとるな。今年の祭りにも俵山はいい塩梅になりそうだな」
俵山というのは、収穫してできた米を詰めた俵をピラミッド型に積んだもので、豊作への感謝を土地神に捧げるためのものである。ここ三年ほど、最大個数である十五個を積める収穫になっており、その収入を元手に村自体も多くの治水工事を行なっている。
吉郎が用事を終えて家に戻る帰路。周りを見渡せば、風になびく青々とした稲の葉が今年の豊作を祝って、歌を奏でているかのような気にもなるのだった。
過日、まいはいつものように、祠の掃除に出かけた。少し冷え込んだその日、付近は薄くもやがかかっていた。
珍しいことであったが、祠の脇に先客がいた。
吉郎が祠に花を供えて拝んでいた。まいはそれを邪魔せぬようにしばらく待っていたが、長いこと拝んでいたために、意を決して出ることにした。
「おはようございます」
それでも静かに、まいは声をかけた。
吉郎は、はっと気がつくと少し反対を向いて手を顔に持っていき、また振り返った。
「ああ、おはよう。いつもの朝のお清めかね」
「お清めだなんて。普通に日課みたいなものですよ」
「それでも、ここのお稲荷さんは嬉しかろう。代われる者がいるといいのだがな」
「代わってもらいたいと思ったことも特にないですよ。子供の頃からおっ母と一緒に来ていて、これがあたりまえですから。ここのお狐様のお顔は優しくて、こうして掃除をさせてもらえると力を貰える気がするんです。吉郎さんは何を拝んでられたのですか」
「夕の月命日だからね…」
夕は十年前に亡くなった、吉郎の妻の名である。おとなしいながらも働きものであったが、病に倒れて帰らぬ人となったのだった。二人の間に子はなかった。
それ以来、月命日には参拝を欠かしたことはない。ほとんど仕事を終えた夕刻に来ていたので、まいは毎日掃除に来ていてもこの場所で会うことはなかったのだった。思えば、時々花が置いてあったこともあった。吉郎が置いていたものだったのだ。
「夕とは、ここの御神木の下で夫婦になると約束をしたんだ。花が好きな人だった。季節季節に咲く野の花が好きだと。この花もそうだった」
吉郎は優しい目をして、供えた花を一本つまんで匂いを嗅いだ。その様子がまいの目にはとても暖かく感じた。
「あっ」
まいは思わず、吉郎の手を引いて、トチノキの裏に隠れた。
「どうした?」
「しいっ。静かに。時々、ここにいたずらをする者がいるんです。もしかしたら…」
丘を登ってくる人影があった。二人連れの男女だった。
「なんだ、三治とみつじゃない」
どちらも西の土手近くの家の子供だった。子供と言っても歳はまいより一つ下で、家が近所同士だ。
出て行こうとしたまいを、今度は吉郎が引き留めた。
「待て待て。邪魔をするんじゃない」
「え、邪魔って…」
「見守ってやれ」
二人はそのままトチノキの前に来て、何か小声で話していた。そして、上に向かい声を揃えて言った。
「私はみつを愛しています」
「私は三治を愛しています」
「必ず幸せな夫婦となります」
まいと吉郎は二人から見えない、木の反対側でじっくりと聞く態勢になってしまった。まいは口のところに両手を当てて「あら~、そうだったの」という感じで、吉郎はさもありなんという感じで、うんうんと頷いていた。
(吉郎さん、二人のこと知ってたんですか)
吉郎は手でまいを制して二人の様子を伺っていた。二人は少しの間話をしていたが、仲睦まじい様子で帰って行った。
二人の姿は見えなくなって、吉郎は話を始めた。
「村の顔役だからな。いろいろと話は耳に入ってくる。お前は同じ歳くらいの者として見ているから見えない点もあるだろうが、私は親の年代だからな。視点が違ってくるわけだよ。まあ、聞くに、あの二人は大丈夫だろう。三治がもっとしっかりしてきたら、きちんと夫婦となるよう働きかけてやろう」
「…吉郎さんと夕さんもここで誓いを立てたって」
まいの言うことを聞いて、吉郎は苦笑した。
「いつ、誰が言い出したものかは、言い伝えにも残ってはおらぬが、うちの村には多いぞ。ここで約束をした者は。岩松もそうだぞ」
「おっ父も? 初めて聞いた」
「あの時は…ああいや、私の口から言うのは違うな。知りたいのだったら直接聞くことだ。どこから聞いたと言われたら、その時は私の名前を出していい」
「ふうん…あの、おっ父がねえ」
まいの知る父岩松は、端的に言ってしまうとカタブツである。だが、吉郎が言っていたことを鑑みれば、思い当たることは多い。さっきも言ったようにカタブツ、生真面目ではあるが、亭主関白ではない。まいの母、岩松にとっては妻であるゆみとは、何事も相談をし、ゆみだけではなく、まいたち子供らにも一方的な押し付けを言うことはない。
堅苦しい性格ではあるし、基本は厳しいので、誤解されやすいが、ゆみの岩松に対する愚痴は聞いたことがない。
四人の子どももいることから、夫婦仲は良いのである。
そういった経緯から、夕食のとき、つい両親に目が行ってしまい、岩松に「どうした」と問われてしまい、慌てて誤魔化したりしたのだった。
(続く)
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すべてフィクションです。不快に思われた方は読むのを止めて下さい。
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