想いは永遠に

マキノトシヒメ

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その二

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その二

 今年も豊作であった。
 年貢米も無事に収めることができ、各家々の蓄えも充分にあった。
 収穫が終わると、祭りの支度が忙しくなる。
 神様に祀る俵は他とは違い、一割多く入るように作るのが習わしで、横目も緻密に編まれている。積んだ時に見栄えが良くなるような飾りも編み込まれている。
 まいもこの飾り俵を作る係になっていて、それが終わるまでは家の仕事を半分にしてもらっている。

 神棚が組まれ、俵山が置かれる台もしっかり設置された。
 いつもは隣村にある神社に常駐している神主さんが呼ばれ、準備万端のところに、大八車に乗せた俵が到着する。普段であれば、六俵は乗せられる車なのだが、祭りの時は、一台に一俵しか乗せず、しかもゆっくりゆっくり練り歩く。
 ここ何年か豊作が続き、最大数となる十五俵を積むので、昼に最初の一俵が出てから最後が到着する時は、日が傾きかけている。
 一俵到着する度に神主がお祓いをして、台に積まれてゆく。一俵積まれる毎に、周りの村人から歓声が上がる。
 まいの家も一家総出で祭りに参加している。周りと同様に一俵毎に両手を上げて歓声を上げていた。俵の模様は細かい点で全部異なっており、その俵を編んだ当人は間違いなくわかる。
 まいが編むのに参加した俵が来たのは十三俵目。積み上がるのは四段目になる。それを見留めたまいは、両親にそのことを告げ、自分は俵が積まれるところを近くで見ようと近づいた。
 男衆が一段高い段に乗って、俵を受け取り、四段目に置こうとしたが、勢い余って反対側にかなりはみ出して置いてしまった。そうしている間にも十四俵目がやってくる。男衆がついそちらに気を取られて、場所を直そうとした十三俵目の俵を落としてしまう。
 まいは、その直下にいた。
 まいはかわそうと、後ろに跳ぼうとした。だが、草に足を滑らせ、そのまま倒れそうになる。
(受け止められる?)
 慌てた為だろう。いくら何でも無理なことを考えてしまう。
 だが、まいの体は急に左に引き上げられて、間一髪、俵が横をすり抜けて地面に落ちた。
 まいを助けたのは吉郎であった。吉郎は村の取りまとめ役。祭の大きな行事の一つである、俵山が積まれている現場にいて当然である。
 ところが。
「よ…吉郎…さん。ありがとう…。でも、その、手が…」
 吉郎とて、意図的にそうしたのではないのは明らかなのだが、引き寄せた時、思いっきり胸のところに手を回してしまったのだった。右の手のひらは完全にまいの左の乳房を握る体勢になってしまっている。
「あ、いや、その」
 吉郎は慌ててまいから手を離す。その途端、まいは両手を胸元に置いたまま走り出して、その場を離れた。

 落ちた俵は特に異常はなかった。祭事用であるので、普通のものより、念入りに作られているため、ちょっとやそっとの事では壊れたりはしない。
 過去にも落としたりしたことは何度かあるが、一度も壊れたり破れたりたことはない。それゆえにかえって、今回のように扱いが雑になってしまったりする事もある。

 吉郎はその場に立ち尽くすしかなかった。
「おーやおや、人ん家の娘に手を出して、ただで済むと思ってるのかねえ」
 ニヤニヤと少し嫌らしげな笑顔で近づいて来たのは、まいの母親であるゆみだった。
「ちょっと、おゆみさん。そりゃあないだろう。岩松も見ていたんだろう。なんとか言って…」
 当の岩松の方を見てみれば、腕を組んでじっと吉郎を見ている。だが、その表情には怒りはなく、普段通りの真面目気質が出ている顔だった。
「ははは、冗談だよ。だけどね、吉郎。あたしとしては、まいをあんたのところにやるのも、やぶさかじゃないんだけどねえ」
「いやいや。俺と岩松は三つ違うだけだ。まいとはそれこそ親と子だ。そう言われても」
「まいだって、まんざらじゃないんだよ。あんたに乳を揉まれてた時も自分から逃げようとはしてなかっただろ」
「揉んでないわ!」
「ともかくねえ、こんな事を言うのもなんだけど、夕のことは受け入れてもいいんじゃないか。それに、まいはそういったことは気にしないし、ないがしろになんかしたりもしない。命日になれば共に祈ってくれるよ。親の欲目もあるだろうけど、あの子はいい嫁になるよ。あんたにだったら任せても心配ないし」
「あのな…。わかった、考えてはおく」
 吉郎は軽くため息をついて、その場を後にした。

 一方、まいは家まで戻って来ていた。家族全員で祭りに行っていたので、今は誰もいない。
 恥ずかしさだけで、あの場から走り出してしまったが、家の中で一人でいると、どうしても先ほどの情景を思い出してしまう。
 無意識に右手が左の胸を覆う。すぐ近くにあった吉郎の顔と、その手の感触が思い起こされて、顔が真っ赤になるくらい恥ずかしいのだったが、決して嫌な感覚ではなかったのは確かだった。
「吉郎…」
 その場に座り込んで小さく呟いた、まいの胸に当てていた右の手がわずかに動いていた。

 年が明け、まいは十七になった。
 吉郎は、岩松やゆみと昔馴染みでもあり、交流自体は普段からあった。どちらかといえば、ゆみが主導で岩松はそれほど口出しはしなかった。岩松としては、口出しをしないのは認めている証であって、まいにも困ったことがあったら言えという程度だった。
 まいとしても、他に好いた男がいたわけでなく、あの一件では吉郎が意識する対象にならぬわけもなく、しかも嫌悪感はほとんどなかったことから、気持ちはかなり吉郎に傾いていた。
 問題は吉郎だった。夕のことを忘れきれない。ゆみはそれでも構わないと言ってくれてはいるが、その通りにまいに対して向き合う気持ちにはなれなかったのだ。
 だらしないと言われてしまえば、その通りかもしれないが、簡単に有か無かで割り切れないのが人の心というものであろう。だが、それでも吉郎の心はまいを拒絶はしていなかった。

 村中の田植えが終わったその日は、ゆうの月命日であった。
 吉郎はいつものように、花を手に丘の祠に向かっていた。
 祈りを終えた吉郎が目を開けると、祀っていた花だけではなく、他の花も置いてあった。ふと、左に目を向けると、そこにはまいが佇んでいた。
「まい…」
「こういう花も、きっと好きだったんだと思って」
「うん。そうだ 」
 まいはここ一年ですっかり大人になった。以前俵が落ちて吉郎が右腕一本で助けたあの頃は、小娘という感じが拭いきれなかったが、今は乙女という表現がぴったりである。
 吉郎より頭一つ以上低かった背丈も、今は頭半分も違わない。付く所にもしっかり肉がついて、若い男衆にも注目される身になっている。
 吉郎もあの時のように右腕一本で抱えるようなことはできないだろう。
「野にある可憐な花であっても、田や畑にあれば雑草だ。でも夕はそんな花にも…」
 吉郎は言葉を詰まらせた。夕のことを思い出して感極まったのではない。まいが抱きついてきたからだった。
「わたしじゃ駄目か。吉郎の側にいるのはわたしじゃ駄目なのか」
 吉郎は、抱きついて潤んだ瞳の上目使いで告白してくる女性に対して、それが例え親子ほどに歳の差があろうとも、無言を返すほどに朴念仁ではなかった。
「いいのか? 俺でいいのか」
「いい。吉郎がいいんだ。吉郎の嫁にしてくれ」
 まいの抱きつく腕に力が入る。顔も真っ赤だ。勇気も何もかも振り絞っての、全身全霊の告白だった。
 そして、それに応えて、ついに吉郎の腕がまいの背に回された。
「まい、俺もお前が大好きだ。嫁になってくれ」
 それを聞いて、まいは泣き出した。吉郎は優しく頭を撫でて、泣きじゃくるまいが落ち着くまで、そのままでいた。

(続く)
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