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後編
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クレイオスは古い名家ではあるが、古いしきたりに捉えられた家ではなかった。さすがに礼儀作法は厳しいが、新しいことへの挑戦には寛容で、多くの新規事業の後援を担っていた。
この抜け道は二世代前の執事が施したもので、当時の戦争の戦禍が伸びてきた時の対策であった。幸い、この国は大きな戦禍に巻き込まれることはなく、抜け道の施工自体は戦時中のどさくさもあって、家の者に知られることはなく、今に至っている。管理は歴代の執事が行なっており、執事が代替わりしても、受け継がれてきた。
本来の使い方ではないが、執事の方もセイコの行動には信頼を置いているので、鍵を渡し、実質黙認しているような状況である。
ある日、セイコは母親から呼び出された。
その日の一昨日のバレエの練習を休んだことについてである。予定日に休んだことは初めてではないが、今までは遅くとも二日前には休む旨の連絡をいれていた。しかし、今回は当日。それも二時間前というギリギリのことであった。
詰問というほどではないが、今までにないことだったので、気がかりだった母親は事情を確認したかった。
話を聞いて母親は納得した様子であったが、その日、セイコは初めて母親に嘘をついてしまった。子供の頃のたわいないものは何度かあったことだが、自身の行動を隠すための嘘は初めてであった。
この日の夜、眠りにつく前に神頼みと言える祈りを捧げているセイコの姿があった。
この時はまだ、自分勝手な理由であり、ただ母親に嘘がばれないようにいうだけのものだった。
だが、日が経つにつれ、祈りだけではなく、その日の事、学校で学んだことを反復するようになり、自分の行動を客観的に見られるようになった。
あの時、母親に嘘をついた元のことは、例の推しのライブチケットが緊急発売されたためだったのだが、嘘をついてまで行動したことに悔いが残ったセイコは反省に向かい、母親に嘘をついたことを謝罪し、これより先、より勉学に集中するようになった。
そして、国立第一大学への入学が叶う。
過日、セイコが国立第一で教授となるのはエリート中のエリートと言ったように、入学にも試験だけでなく厳しい審査があり、名家クレイオスの者であっても、門戸が緩むことは決してない。セイコの実力が認められての入学であった。
あの抜け道はもう使っていない。鍵は執事に返した。変装と言えるようなメイク道具一式も押入れの奥にしまわれて埃をかぶっているような状態である。
十年後。
多国籍プロジェクトの元で建造された国際宇宙ステーションの中に、セイコはいた。
セイロー教授の立案による、宇宙空間でのみ製造が可能な新合金の製造試験の主要メンバーとしてであった。理論上、強度が数倍にもなるその新合金は、今後のロケット開発にも多くの恩恵をもたらす事になる。
衛星軌道であるとはいえ、セイコが宇宙に出たのは今回が初めてのことである。その感動に浸る間もなく、様々な試験項目をこなしてゆく。そして三ヶ月後についに理論値に達する強度を持つ合金の製造に成功した。
「計測結果は理論値の1.002倍を記録しています」
「誤差ではありません。安定してその数値が出ています」
管制センターに大歓声が沸き起こった。
ステーション内も細やかながら、パーティーとなっている。マスコミへの中継も抜かりなく行なわれていた。
この段になって、セイコは初めて地球を見降ろした気がする。それまでは、実験のことで常に頭が一杯であったから、視界に入っていたとしても、頭には入ってこなかった。
インタビューが始まる。
宇宙ステーションからであるから、一人の時間は限られている。開発チーフに始まり、セイコの番は最後である。
「実験が成功して、初めて地球の姿を見た気がします。ここに来ることができたのも、セイロー教授のおかげであり、新合金によって今後多くの可能性が開かれていくと思います」
「ありがとうございます。それでは最後に一言お願いします」
通常であれば、再度チーフに戻って締めるところなのだろうが、ステーションにいるスタッフ全員がセイコを前に出すように導いた。
「ここに送り出して下さった地上の方々、ステーションにおいて協力して下さった方々、すべての人に感謝を捧げます。そして」
ここでセイコは一息ついて、大きく息を吸った。
「セイロー教授に感謝を」
一瞬の間があったが意を決して言葉を続けた。
「セイロー教授、愛しています。あなたに出会えた事に、あなたの力になれた事に、これからに…最大の感謝を込めて」
後ろにいたステーションのスタッフ全員が拍手を贈った。
そして地上の管制室にいたセイロー教授は、周囲から手荒い祝福を受けていた。
「私も愛している。セイコ」
初めて二人が出会った日、メンデル・セイローが目を奪われたのは、その澄んだ青い瞳にであった。
だが、その当日のうちに、それがカラー・コンタクトのものであることがわかってしまった。しかし、セイコ自身にそのイメージを重ね合わせていたメンデルは、二年後に自分の研究室にセイコが来たことに驚きとともに、表には出さなかったが、内心は大きな喜びをもって迎えていた。
新合金はロケットだけでなく、宇宙エレベーターの実現にも寄与することになった。
夫婦となり、二人は今、宇宙エレベーターの建設現場の主任格として精力的に仕事を続けている。
その二人の薬指に輝く結婚指輪に使われていたのは、あの時の瞳の色であり、国際宇宙ステーションから見た時の地球の色である、澄んだ青い色の石だった。
(了)
この抜け道は二世代前の執事が施したもので、当時の戦争の戦禍が伸びてきた時の対策であった。幸い、この国は大きな戦禍に巻き込まれることはなく、抜け道の施工自体は戦時中のどさくさもあって、家の者に知られることはなく、今に至っている。管理は歴代の執事が行なっており、執事が代替わりしても、受け継がれてきた。
本来の使い方ではないが、執事の方もセイコの行動には信頼を置いているので、鍵を渡し、実質黙認しているような状況である。
ある日、セイコは母親から呼び出された。
その日の一昨日のバレエの練習を休んだことについてである。予定日に休んだことは初めてではないが、今までは遅くとも二日前には休む旨の連絡をいれていた。しかし、今回は当日。それも二時間前というギリギリのことであった。
詰問というほどではないが、今までにないことだったので、気がかりだった母親は事情を確認したかった。
話を聞いて母親は納得した様子であったが、その日、セイコは初めて母親に嘘をついてしまった。子供の頃のたわいないものは何度かあったことだが、自身の行動を隠すための嘘は初めてであった。
この日の夜、眠りにつく前に神頼みと言える祈りを捧げているセイコの姿があった。
この時はまだ、自分勝手な理由であり、ただ母親に嘘がばれないようにいうだけのものだった。
だが、日が経つにつれ、祈りだけではなく、その日の事、学校で学んだことを反復するようになり、自分の行動を客観的に見られるようになった。
あの時、母親に嘘をついた元のことは、例の推しのライブチケットが緊急発売されたためだったのだが、嘘をついてまで行動したことに悔いが残ったセイコは反省に向かい、母親に嘘をついたことを謝罪し、これより先、より勉学に集中するようになった。
そして、国立第一大学への入学が叶う。
過日、セイコが国立第一で教授となるのはエリート中のエリートと言ったように、入学にも試験だけでなく厳しい審査があり、名家クレイオスの者であっても、門戸が緩むことは決してない。セイコの実力が認められての入学であった。
あの抜け道はもう使っていない。鍵は執事に返した。変装と言えるようなメイク道具一式も押入れの奥にしまわれて埃をかぶっているような状態である。
十年後。
多国籍プロジェクトの元で建造された国際宇宙ステーションの中に、セイコはいた。
セイロー教授の立案による、宇宙空間でのみ製造が可能な新合金の製造試験の主要メンバーとしてであった。理論上、強度が数倍にもなるその新合金は、今後のロケット開発にも多くの恩恵をもたらす事になる。
衛星軌道であるとはいえ、セイコが宇宙に出たのは今回が初めてのことである。その感動に浸る間もなく、様々な試験項目をこなしてゆく。そして三ヶ月後についに理論値に達する強度を持つ合金の製造に成功した。
「計測結果は理論値の1.002倍を記録しています」
「誤差ではありません。安定してその数値が出ています」
管制センターに大歓声が沸き起こった。
ステーション内も細やかながら、パーティーとなっている。マスコミへの中継も抜かりなく行なわれていた。
この段になって、セイコは初めて地球を見降ろした気がする。それまでは、実験のことで常に頭が一杯であったから、視界に入っていたとしても、頭には入ってこなかった。
インタビューが始まる。
宇宙ステーションからであるから、一人の時間は限られている。開発チーフに始まり、セイコの番は最後である。
「実験が成功して、初めて地球の姿を見た気がします。ここに来ることができたのも、セイロー教授のおかげであり、新合金によって今後多くの可能性が開かれていくと思います」
「ありがとうございます。それでは最後に一言お願いします」
通常であれば、再度チーフに戻って締めるところなのだろうが、ステーションにいるスタッフ全員がセイコを前に出すように導いた。
「ここに送り出して下さった地上の方々、ステーションにおいて協力して下さった方々、すべての人に感謝を捧げます。そして」
ここでセイコは一息ついて、大きく息を吸った。
「セイロー教授に感謝を」
一瞬の間があったが意を決して言葉を続けた。
「セイロー教授、愛しています。あなたに出会えた事に、あなたの力になれた事に、これからに…最大の感謝を込めて」
後ろにいたステーションのスタッフ全員が拍手を贈った。
そして地上の管制室にいたセイロー教授は、周囲から手荒い祝福を受けていた。
「私も愛している。セイコ」
初めて二人が出会った日、メンデル・セイローが目を奪われたのは、その澄んだ青い瞳にであった。
だが、その当日のうちに、それがカラー・コンタクトのものであることがわかってしまった。しかし、セイコ自身にそのイメージを重ね合わせていたメンデルは、二年後に自分の研究室にセイコが来たことに驚きとともに、表には出さなかったが、内心は大きな喜びをもって迎えていた。
新合金はロケットだけでなく、宇宙エレベーターの実現にも寄与することになった。
夫婦となり、二人は今、宇宙エレベーターの建設現場の主任格として精力的に仕事を続けている。
その二人の薬指に輝く結婚指輪に使われていたのは、あの時の瞳の色であり、国際宇宙ステーションから見た時の地球の色である、澄んだ青い色の石だった。
(了)
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