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step3 目指せ!ハッピーエンド

⑦ハッピーエンドorバッドエンド?

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仕事が終わった後、早足でジムに向かい、制服を脱いでトレーニングウェアに着替え、髪の毛をアップにする。

それから、何も考えないようにいつもよりもハイペースでトレーニングに励んだ。

「真由。......真由、真由!」

ほとんど無心でダンベルをあげていたけど、名前を呼ばれる声に気がついて顔をあげる。

声をかけたのが大輔だと知ると、愛想を振り撒く必要もないことを悟り、下を向く。

「......大輔。何?」

いつもは人のいるところでは声をかけてこない大輔にそっけなく返事をすると、やつはあきれたようにため息をつく。

「何回も呼んだんだけど。
月曜から飛ばしすぎじゃないか?」

そう言われて壁掛けの時計を見ると、もうすでに22時を回っていた。

定時に上がってから、すぐにジムにきたから、4時間はいたことになる。  

週明けの月曜はみんな控えめなのか。
もう少ししたら残業組がくるかもしれないけど、ちょうどこの時間帯は空く時間帯で、いつのまにかジムには私と大輔以外には誰もいなかった。

「九条のプロポーズ断ったのって本当なの?」

「は?何で知ってるの?」

しばらく黙りこんでいると、突然誰にも言っていないはずのことを切り出され、思わず眉間にシワを寄せてしまった。

「53Fのレストランいったんだろ?
ちょうど居合わせたやつがいて、噂になってる」

「......なるほどね」
 
慎吾にプロポーズされたのが、金曜の夜。

土日は、ちょうど親戚の法事があって田舎に帰って過ごした。

そして、今日が月曜。
 
たった三日間の間にすでに元カレにまで知られているとは思わなかったけど、噂なんてすぐに広まるもの。

きっと明日かあさってには、受付の同僚にも全員知られているだろう。それどころか、全く無関係な社員にまで知られてるかも。

「しかし、九条もかわいそうに。
結婚まで考えた女に二回も連続で捨てられるなんて。俺だったら立ち直れないな、絶対」

何を言ってきても大して反応も示さずにいると、大輔は一人で頷きながら私を非難してくる。

いつもの私なら大輔に言われっぱなしなんてことは絶対にないけど、今回ばかりは何も言い返せない。

兄と浮気して蒸発した前の彼女よりも、ある意味私の方がひどいかもしれない。

「あれだけセレブ妻になるって豪語してたのに、何で断ったんだよ」

「騙し続けるのがしんどくなったのよ。
決して善人ではないけど、自分が思ってるよりも悪人じゃなかったのかもしれない。こう見えても、意外と情に深いところもあるから」

「どこがだ」

即座にするどいツッコミが入ったけど、なんだかそれに反応する気にもなれない。

「純粋な気持ちからではなかったかもしれないけど、何も断らなくても良かったんじゃないの?
九条は真由と付き合って良い方向に変わったように見えたし、言わなかったけど真由もそう見えたよ。なんていうか前よりも雰囲気が柔らかくなった。本気でひとかけらも好きじゃなかったの?」

本気でひとかけらも好きじゃなかったら。
本気で慎吾が残念なだけのダメ御曹司だったら。

むしろ私は結婚していたかもしれない。

「この数日ずっと考えてたのよ」

「何を?」

「もし慎吾が御曹司じゃなくて、何のコネもなくて、貧乏人で、ただの残念なダメ社員でも愛せるかどうか」

小さなボロアパートでも、二人なら幸せかどうか。

トレーニングするための機械に腰かけたまま、同じようにそうしている大輔の横顔を見る。

「何回考えても、結論は同じだった。
そもそも慎吾が貧乏だったら、きっと最初から興味さえ持たなかった。私は慎吾が御曹司じゃなかったら、慎吾を愛せないのよ」

最初から、愛せるか愛せないかなんて、そんな高度なことを考える段階に達していなかった。
 
もしも慎吾が貧乏人だった場合、視界にさえ入れなかったに違いない。

「だろうな。
だけどそれって仮定の話だろ?
実際あいつは御曹司なんだし、そんなこと考えても意味なくないか?」

「大輔は私と慎吾を応援したいのか、反対なのかどっちなの?」

「……さあな」

「まあどっちでもいいわよね。
もう全部終わったんだから。
貧乏イケメンか残念セレブかなんて、極端すぎたのよ。小金持ちくらいが一番幸せなのかもね」

貧乏は大嫌い。
お金はあった方がありがたい。

ぶっちゃけ、愛よりもお金が好き。
だけど、愛もあれば嬉しい。

だったら、何も残念セレブに金目的で近づかなくても良かった。

そこそこ金を持っていて、そこそこいい男で、まあまあ好きになれる人ぐらいが一番幸せなのかもしれない。

そうすれば、慎吾への気持ちは全て打算と計算なのか、それともそのなかにほんの少しでも愛があるのか、なんて悩まずにすんだ。

慎吾を傷つけずにすんだのに。

「じゃあ、俺と結婚するか?」

「はい?」

ちょっとラーメンでも食べに行くか?みたいな、軽いノリで言われたけど、意味が分からない。 

愛なのかそうじゃないのか。
なぜプロポーズを断ったのか、これからどうしたいのか。

色々なことを考えてみるけど、頭の中がぐちゃぐちゃで、私の話も相当意味不明だったと思うけど、大輔はそれ以上に意味不明だ。

「俺は御曹司じゃないけど、そこそこ給料ももらってるし、苦労はさせない。女は面倒だけど、真由なら結婚してもいいと思ってた。
前はお互いに余裕がなくてダメになったけど、今なら大丈夫だと思う」

「え~っと、ちょっと待って。意味がよくわからないんだけど」

「俺たち、やり直さないか?」

「......本気で言ってるの?」

ずっと愛してた、とか情熱的な言葉やロマンチックなことを言うのでもなく、大輔は理論立てて話を進めていく。

そこそこイケメンで、まあエリートで、一緒にいても退屈しないだろうし、気心の知れた元カレ。

年収はまだ一千万はないかもしれないけど、けっこうもらっていると思われる。

一度ダメになってるとはいえ、冷静に考えてみると悪くない話かもしれない。

本気で言ってる、の言葉の代わりに、大輔は私の肩に手を置いて、顔を近づけてくる。

大輔からのキスを受け入れるべきか否か。

どうしようか考えていると、上からよく知った声が聞こえてきた。

「ちょっと待ってください」 

大輔から距離をとって顔を上げると、目の前にはジムに似つかわしくないスーツ姿の慎吾が立っていた。

「......慎吾?」

「探したよ、真由。
土曜も日曜も家にもいなかったし、電話にも出てくれなかったから、絶対に今日話そうと思ってた」

いつものように優しい声でそう言った慎吾は、少し疲れたような顔をしながらも、真剣な表情をしている。

「どうしたの?」

自分で言っといてなんだけど、どうしたもこうしたもない。

金目的で近づかれた上に、ぽいっと捨てられたわけだ。

恨み言のひとつやふたつ言いたくなってもおかしくはない。いや、恨み言どころか、会社中にあることないこと言いふらされても、全くおかしくはない。

「肝心なことを言い忘れてた」

何を言われても、私は受け入れるべきよね。
とっくに覚悟はできている。

唇をかみしめていると、慎吾はまるで海外ドラマでたまに見かけるプロポーズみたいにすっと膝をついて、私の手をとった。

「結婚してください」

「......は?」

何を言われてもいい、とは覚悟してたけど、さすがにこれは予想外すぎ。

大真面目に結婚してください、と言った慎吾が信じられず、思わず大輔の声とハモってしまった。

「何、言ってるの……?
この前言ったこと聞いてなかったの?
私は、慎吾に金目的で近づいたのよ」

私が慎吾に苛立つ資格なんて全くないけど、それでもここにきて、まだプロポーズとは意味不明で頭にくる。

お人好しもここまでくると病気だ。
いや、お人好しとかそういう問題でもないのかもしれない。

「知ってるよ。
それさ、悪いけど最初から知ってた」

しかし、慎吾は私の言ったことに動じもせず、私の手を離そうともしないで、苦笑いでそう言った。

「......え?」

「これでも小さい頃から色んな人間を見てきてるし、鈍くはないよ」

マジか......と半ば感心したようにつぶやく大輔の声が、やけに遠く感じる。

たしかに、男は女の浮気にはなかなか気づかないっていうのに、慎吾は前の彼女の浮気も知ってた。

つまりお人好しはお人好しかもしれないけど、鈍くはないってこと?

でも、それならそれでますますおかしい。

「知ってたなら、なおさらおかしいでしょ!
何で私と付き合ったのよ!私はお金のために慎吾に近づいたの!
金目的な腹黒女を好きになるはずないでしょ。惚れる要素どこにあったのよ!」 

「う~ん……、顔がタイプだったのもあるし、あとは……最初はお金のためにここまで捨て身になるなんてがんばるなぁって感心してたんだけど、だんだんそこが可愛く思えてきたから?」

「なにそれ、バカにしてるの?」

「してないよ。真由は惚れる要素ないって言うけど、僕は真由を好きになったんだよ。
真由は、本当に僕のことを少しも好きじゃなかった?」

「それは......」

今までの優しくて穏やかな口調から、はっきりとそう言いきった慎吾に一瞬言い負かされそうになってしまったけど、やっぱりおかしくない?

「ねえ、もう分からない。
どうして私の本性を知ってたのに、結婚したいの?ボランティアなの?」

「どうして?」

「どうしてって、私は慎吾が好きだけど、お金の次なのよ。
慎吾が御曹司じゃなかったら、絶対に好きになってない。私は愛よりもお金が好きなのよ。そんなの嫌でしょ」

そこは嘘でも御曹司じゃなくても好きになってたって言っとくとこだぞって、大輔から小声で囁かれたけど、それに応える余裕なんてなかった。

「それって、比べる必要ある?
さっきから気になってたんだけど、愛かお金ってどっちかしか選べないの?
お金も僕も好きなら、両方手に入れるって選択肢はないの?」

「両方手に入れてもいいの?」

「もちろん」

笑顔で頷いた慎吾に、目から涙がこぼれ落ちそうになった。

両方手に入れてもいいんだ……。

両方手に入れる、なんて選択肢は全く想定してなかった。

こんな拝金主義な女を好きになってくれる奇特なセレブ男性がいるとは思えなかったし、お金を選ぶなら必然的に愛は捨てなきゃって思ってたから、まさかこのままの私を受け入れてくれるセレブがいるなんて……。

「慎吾は、私が拝金主義な銭ゲバ女でも嫌じゃないの?」

「嫌じゃないよ。
真由がお金が好きなら、僕もたくさんお金が稼げるようにがんばるし、モチベーションも上がってwinwinだよ」

ええ……と隣から大輔の戸惑う声が聞こえてくるのと同時に、慎吾に勢い良く飛びついた。

「慎吾、大好き!(お金の次に)」

「……お前ら、お似合いだよ」

大げさにため息をついて私たち二人の肩を叩いていった大輔が去っていくのを見送ってから、慎吾と見つめあう。

「結婚しよう、真由」

「浮気したら慰謝料がっつり請求するけど、大丈夫?」

「大丈夫だよ」

「慎吾のお兄さんたちと遺産相続で揉めたら、法定争いも辞さないつもりだけど大丈夫?」

「大丈夫だよ」

「それから、それから……」

「真由、もういいから。
全部大丈夫だよ」

まだ何か聞き忘れているような気がして、何を聞こうか考えていると、やんわりと慎吾に止められた。

「……うん、あとひとつだけいい?」

いいよ、と言ってくれた慎吾にどうしてもこれだけは聞いておかなければいけないことを聞くため、口を開く。

「私は、セレブ妻になれるってこと?」

「うん、そうなるかな」

やっぱり、人間の心は正直だ。

それを聞いて、わき上がる喜びを隠しきれなかった。

人には嘘をつくことができても、自分の心にだけは嘘はつけない。

何度でも言おう、私はお金が大好きだ。

結局金かって?
そんなのどっちでもいいのよ。
慎吾は、両方くれるって言ったもの。

純愛ノーサンキュー。
実際愛だけで生きていけるほど、人生は甘くない。

「じゃあ、今のこの気持ちを伝えてもいい?」 

そもそも、罪悪感だとか真実の愛うんぬんだとか、悩む必要もなかった。

慎吾が拝金主義な私を受け入れてくれるなら、最初から何も問題なかったのよ。

「?どうぞ?」

ハテナを浮かべながらも、了承してくれた愛しの御曹司の頬にキスをする。

このご時世、いつ誰が貧乏になるか金持ちになるかなんて、誰にも保証できない。

きっと転落するときは、一気だ。

金の切れ目が、縁の切れ目。
この先もしも、慎吾が貧乏になった場合、それでも愛せるかなんて分からない。

慎吾が若い愛人に走る可能性も、なきにしもあらず。

だけど、そんな先のことよりも、今この瞬間の喜びを叫ばずにはいられない。

「よっしゃあああぁぁ!!」
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