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第一章
第3話 泣きたいんだけど…。
しおりを挟む入学式の翌々日。
授業のオリエンテーションも一通り終わり、今日からいよいよ本格的に学校が始まる。
そんな日の、朝。
「…お前さ、お米をおかずに食パン食べるタイプなの?」
「なっ、そんなわけないだろ!」
幽霊小屋の木製ダイニングテーブルの上には、塩むすび3個と、5枚切り食パンひと袋。
昨日の昼休みに「明日の朝ごはんは幽霊小屋で食べよーぜ。それぞれ買ってきてさ」と涼海に提案したところ、「なら、ご飯は俺が買ってきておく」と宣言したため、「あ、そうなの?ありがと」って、ありがたーくお言葉に甘えた結果がコレ。
しかも、なんでどっちも奇数なんだよ。
「俺は『ご飯』を買うと言っただろ」
「え、『ご飯』って主食ってこと?」
「お前こそ、『それぞれ買ってきて』って言ってたじゃないか」
「…言ったけど、…言ったけど…!」
思わず頭を抱える。
確かに言ったけどさ!俺は、「それぞれが自分のご飯を買ってくる」つもりで言ったのであって、「主食と主菜をそれぞれが買ってこよっか♪」なんてホームパーティみたいな提案したつもりは微塵もない!
「てゆーか、なんで主食と主菜で分けようと思ったわけ?」
「お前のおかずの好みが分からなかったから…」
「…」
気を使う方向が変なんだよ。変に律儀。
「…はぁ。…買ってきてくれて、ありがと。食パンもらっていい?今日は俺が買ってくるわ」
「ああ。…すまない」
「謝らなくていいって、俺も伝え方が悪かったんだし」
食パンの袋を開けると、涼海も塩握りのビニールを開いていく。
2人だけの、静かな朝食が始まる。
温かい味噌汁の匂いも、どこかで食器がぶつかる音もザワザワした話し声も、今日はない。
代わりにあるのは、木々が風に撫でられる音と、自由に囀る鳥の声。
それと、塩握りのビニールがクシャリと潰れる音。
優しい小麦の匂い、緑の匂い。
…なんてゆーか、
こんな感じ、割と好き…かも?
相変わらず、ドアノブが壊れた玄関ドアは閉じたままだし、そよ風が揺らすカーテンもビリビリなのに。
ふと、眼鏡姿の涼海と目が合い、一瞬ドキリとする。おにぎりに噛みつく白い歯の綺麗な並びが、なぜか脳裏に残った。
なんだかんだ、俺は、ここでの生活に慣れてきているのかもしれない。
「ドアノブの修理って何時?」
「放課後としか聞いてない。」
「まあ、また連絡くるかー」
白いものだらけの朝食が終わると、各々身支度を整えて、校舎に向かう。もちろん出口は窓。
今日は通常授業のあと、生徒会主催の部活動・同好会を紹介するイベントがある。部活の所属は強制じゃないから、そのイベントも任意参加だけど、普通全員出席する。
「そういえば前野先生が、月末に掃除の進捗を確認しに来ると言っていたな」
「えー?」
「『人を招いても恥ずかしくないくらい綺麗にしとけ』と言っていた」
「人なんか来ないって…あの幽霊小屋に。」
「…なあ、その呼び方、やめないか?」
「何で?」
「………」
「怖いの?」
「あ、いや!怖いわけでは、ない。断じて」
「ふーん?あっそ」
そう言いながら、目線はあさっての方を向いている。ほんと分かりやすいな。
「大体、俺たちが生活してる場所なんだぞ?もうちょっと愛着ある呼び方あるだろ」
「えー?例えば?」
「……アジト?」
「ぶっ!なんか、漫画の悪者みたいじゃん、あはは」
「いいだろ別に!千秋もなんか考えろよ」
「愛着ぅ?んー…」
森の小道を歩きながら、幽霊小屋のことを思い出す。同時に、頭に響いたのは、あの日の前野先生の問いかけ。
───教室とか部室みたいな、その時限りの場所とは違って、「帰る場所」だ。───
───自分がどうしたいか。よく考えろ───
「…なぁ、涼海ってさ、」
「なんだ?」
「あの小屋をどうしたいと思う?」
「どうって…、せっかくいろいろ揃ってるから、家みたいに快適にしたいな」
「…家、か。…じゃあさ、ホームっていうのはどう?」
ちょっとだけ、肩に力が入る。こんな風に意見を言うのは、あんま慣れてないから。
緊張しながら涼海の反応を伺う。すると、
「………電車みたいじゃないか?」
「うるせーよ!」
真面目バカに真顔で突っ込まれて超恥ずかしい気持ちになる。
はぁ~、多分顔赤いわ、今。最悪。
「でも、」
声につられて涼海を見ると、涼海は凛とした目尻を緩ませて柔らかく笑った。
「あったかい感じがする。お前のセンス、俺は好きだ」
ふわり、花の香りを乗せた、春の風。
さっきとはまた違う、くすぐったいような恥ずかしさがジリジリと胸の奥に広がった。
「もーさ、ただの『小屋』でいいじゃん?」
「え!結局『小屋』なのか!?まあ…幽霊小屋じゃないならいいか…」
胸に居座ったままの恥ずかしさを追い払うように、歩調を早めた。
緑のトンネルが終わる。開けてきた視界には、学園の建物が並んでいる。
「はー、今日もがんばるかー」
「演じる自分」が、ここから始まるようになったことに、俺はまだ気付いていない。
「千秋は何か部活入るの?」
授業終わり、部活動・同好会紹介に参加するため、玉置と篠岡と一緒に4人で移動する。
正直「おたすけ部」の名前は出したくなかったけど、涼海が隣にいる限り、そうはいかないことはもう学習済み。ほら、俺が何か言おうとする前に、既に涼海は口を開いている。
「千秋と俺は、前野先生が顧問をしている『おたすけ部』に入ってる」
「「『おたすけ部』??」」
「今年からできた部活らしい」
「へー!」
「前野先生って、あの声がデカい赤ジャージの?確か、ちょっと偉い先生だったよな」
ダサいネーミングの部活に、笑われるんじゃないかと身を固くしたけど、案外サラッと流された。
そして薄々感じてたけど、篠岡って妙に情報通。前野先生の赤ジャージは確かに存在感あるけど、俺たちのクラスの社会科は別の先生だし、接点ないのに。
よく知ってるよなー。
「何する部活なの?」
「…確か、『助け合い』の部活?とか言ってたけど。正直よくわかんねー感じ」
「今のところ小屋の掃除をしている」
「うーん…ボランティア活動みたいなことなのかな…?」
「てゆうか、なんでその部活入ったんだ?もしかして…かわいい先輩とかいんの!?」
ウキウキと目を輝かせる篠岡。「残念ながら俺たち2人だけ。」と、入部の経緯を説明すると、篠岡は楽しそうにケタケタ笑い、玉置からは同情の目を向けられた。
「お前ら本当面白いな。ネタに困らねーな!」
ネタ以外は大変困ってますケドね。
「部活動の参加は任意だけどさ、やっぱ考えちゃうのは来年からの『特別クラス』だよねぇ」
「玉置はもうどこを選択するか決まってるのか?」
「僕は、自然科学クラス!研究設備整ってるって聞くし、面白そうじゃない?」
涼海の問いかけに淀みなく答える玉置。
「俺は芸能芸術クラスー!あそこは可愛い先輩も綺麗な先輩もいるからなぁ~!」
「はは…、ブレないね、篠岡。千秋と涼海は、もう決めてるの?」
「俺は地域振興かスポーツか、迷っている」
続いて篠岡も涼海も答える。そして自然と3人の視線が俺に集まる。
俺は、決めてない。
てゆーか、…分かんないよ、そんなの。
「…俺はまだ未定~」
なんてことないように、ヘラリと答える。篠岡と玉置も、同じように「そっかー」と軽く受け止める。ただの雑談。そのまま話は流れる。次の話題に移る。2人の興味も、既にその話題にはない。
なのに、俺の頭の中には、前野先生の言葉が浮かんで離れない。
自分がどうしたいか、みんな見えてんだ。…俺以外は。
すぐ手の届く距離にいる涼海達が、数歩遠くに感じた。みんなが進んでいるからじゃない。俺が、後退りしているんだ。
まるで、自分だけが子供のまま取り残されてるような気分。
そんな俺を、横の涼海が、何か言いたそうに見ていることに気付く。けど、視線が逸れるまで、俺は無視を続けた。
悪いけど、今、お前の真っ直ぐなド正論とか、聞けないから。
大講堂の中に入ると、照明はステージのみに絞られ、窓には暗幕がかかり、集まった生徒たちのざわめきで満ちていた。
まもなく生徒会役員がマイクを通して会の開始を告げ、各部活動のパフォーマンスや演説が始まる。
徐々に気が紛れて、先ほどの疎外感に蓋をする。だってすぐにどうにかできることじゃないし…。
部活動の紹介が終わると、次は同好会の紹介に移る。
この学校の部活動と同好会の違いは、学園からの資金援助があるかとか、学校の名を背負ってるかとか、兼任できるか、とかそんなところ。当たり前だけど、同好会の方がゆるい。数もそこそこあるみたいで、メンバー集めに注力してないところは、今日の会にさえ参加してないらしい。
まあ、俺はもう「おたすけ部」だから、この会自体、全く関係ないんだけど。
あくびを噛み殺しながら、隣にいる涼海の横顔をみる。
白い肌は、ステージ上の映像に合わせて、青やピンクの光が映っている。それでも、凛とした綺麗な横顔は変わらない。
篠岡が言ったような、「かわいい先輩」はいないけど、でも、…涼海目当てで入部する奴なら、いるかもしれない…よな。
そしたら、そいつも、あの小屋で生活すんのかな…。
腹の底で、モヤっと重たいものが蠢いた。
…別に俺はどうでもいいけど。ただ、俺たちが綺麗にした小屋を後から来て使われるのは、ちょっと癪だなって思っただけ。それだけ。
ステージでは最後の団体が紹介を終えるところだった。
ようやく終わる。終わったらそのまま購買に行こう。
そう思った時、ステージ横から、赤ジャージが登場した。
え、まさか…!
「1-A、千秋楓と涼海陸は前に出ろ!」
大講堂中に大音声を響かせる、赤ジャージの悪魔。
弾かれるように立ち上がる俺と涼海。
え、マジで?ほんとに?
内心ドン引きしながら、渋々壇上に上がると、前野先生は俺たちの真ん中に立ち、俺たちの手を掴み高く掲げた。
「俺から紹介するのは『おたすけ部』!学園内の困りごとから雑用まで、できる限り引き受ける、“助け合いの美学”が学べる部活だ!」
前野先生の大声に、ざわついていた大講堂内が静まり返る。それもそうだろう。この突拍子もない赤ジャージ教師の、こんな意味不明な部活紹介、すんなり頭に入ってくるわけがない。
前列の生徒のきょとんとした顔が目に入る。
あーもー、頼むから早く終わってくれ…!
「部員はまだ少ないが、いつでも歓迎している!依頼ももちろん歓迎だ!俺か、この2人に言うように!以上!」
言い切った前野先生が堂々とした態度で生徒たちを見渡す。涼海がどんな顔しているかは、前野先生で隠れていて見えない。
静まり返る大講堂。一瞬の沈黙があってから、小さな笑い声と、まばらな拍手が聞こえてくる。それらは、伝染するように徐々に広がり、大講堂の中は笑い声と拍手に包まれた。
前野先生に手を掴まれ手を振る俺たち。
ねー、ウソでしょ?
穴があったら入りたい。
てか、泣きたいんだけど…。
壇上から下ろされた俺は、バラバラと解散し始めた生徒たちから目立たないよう、1番隅の通路を足早に移動する。校舎や寮に戻る列の横から抜け出して、なんとか大講堂の裏手まで逃げおおせた。
「はぁ。マジで最悪…。」
なんであんな恥ずかしいことできるわけ?俺はそういうの、できるタイプじゃないの。もう、マジでさ。なんか、心のキャパシティがいっぱいいっぱいなんだけど。下手したら本当に涙が出てきそう。
大講堂裏の白とグレーのタイルが並べられた地面に座り込む。日陰のタイルは冷んやりしていて、お尻から体の芯へ、冷たさがじわじわと浸食していく。
「…ムリ。誰とも会いたくない。」
入寮の日から今日までの、想像を超えた出来事の数々を思い出す。
寮室を水浸しにして、幽霊小屋に追いやられて、よく分からない部活に入らされて…。
疲れなのかなんなのか、泣くつもりなんてないのに、ジワリと目の奥が熱くなる。
今は篠岡や玉置に会うことさえ億劫。なんかもう、ここまで来ると、どうやって振る舞ったらいいか分かんないわ…。
「千秋」
「…何」
俺を追いかけてきたのか、いつの間にか隣に現れた涼海に、素っ気なく返事をする。
…元を辿れば、お前が原因だよ。そんな気持ちを込めて、非難する目で涼海を見る。
「千秋、その…。帰ろう、…一緒に」
片膝をついた涼海が、王子様よろしく手を差し出す。眉尻を下げ、俺に同情するような表情。そんな表情でさえ、慈しみを湛えた作り物のよう。
…ほんと、綺麗。
「お前はさ…、恥ずかしくないの?」
「…あんなに大勢の人の前に立ったのは初めてだから、緊張した」
「…」
「でも千秋もいたから。怖くはなかった」
…そういう話じゃないんだけど。
そう言いたかったのに、涼海の真っ直ぐな目を前にしたら、もうそんな文句は、口から出ることはなかった。だって、涼海の澄んだ瞳に映った俺、見たことないくらい不安な顔してる。目を赤くして、恐怖に顔を下げて。
俺、涼海の前で、こんな情けないとこみせてたの?
客観的に自分の姿を見て、少し冷静さを取り戻す。はぁと、大きくため息をついた。
「…しょーがない。帰ろっか、俺たちのホームに」
「!、ああ。」
仕方なく、という態度で、差し出された白くしなやかな手を取る。
自分の素顔を見せつけられ、しかもそれを、涼海が受け止めようとしてくれていた。
そんな事実を目の当たりにしたら、さっきまでの恥ずかしさが、ちょっとくだらなく思えてしまった。
「涼海は、明日の朝ごはん何がいい?」
「…米、かな」
「お前、おかずって知ってる?」
涼海と並んで歩く、帰り道。こいつの横にいる時は、不思議と息苦しさを感じない。
「そうだ千秋、朗報だ。さっき、前野先生が冷蔵庫を替えてくれると言っていた」
「え!マジで!?」
「先生が使っていたお下がりらしいが」
「全然っいい!やった、ラッキー!」
「はは、良かった。今日の夕方、運んできてくれると言っていた。」
「じゃあ冷蔵物も買えるじゃん!早く購買行こーぜ!」
「ああ。」
まだ生徒たちで賑わうグラウンドの中に2人で飛び込む。
春の陽気に包まれた温かい光の中で、さっき感じた冷たさは、いつの間にか消えていた。
───男子寮の前に、1人の男性がいた。
歳は40代半ば。スラリと伸びた脚が、上質な生地のスーツを嫌味なく着こなしている。月の光のような金色の髪の彼は、ある一点を見つめ、その場に立ち止まった。愛おしげに細められたグレーの瞳が、地面に落ちた木製のキーホルダーを見つめる。
優しく拾いあげ、丁寧に土埃を払う。
ミニチュアのマグカップのような形のそれに彫られた字を確かめるように指でなぞると、小さくため息が漏れた。
彫られた文字は外国語のようだが、傷が付き、すでに読めなくなっている。
彼は顔を上げると、そのグレーの目で、2人の生徒の背中を捉えた。2人があの森の奥の小屋で生活を始めたことを、彼は知っている。
親しげに話す2人の距離は近く、たまに肩がぶつかっていても気にする様子はない。
高価な革靴が汚れることなど厭わず、ゆっくりと2人の後を追う。
彼は、味わうように、踏みしめるように、森の枕木を一歩ずつ進んでいった。
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