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アシュレイ家が表向きの行事に使っている教会は、マリアが今まで見たことがないほど荘厳だった。高くそびえる幾つもの塔。滑らかで複雑な曲線を描く精緻に重なりあう天井。そこここに嵌め込まれた不思議な色味に輝くガラス窓。マリアには想像もつかない何かの逸話を語るステンドグラスの数々。
「口」
「え?」
「口閉じて。みっともないから」
「あ」
そうだ、これも知らない習わしの一つ。
バルディアでの結婚式では入り口から新郎が新婦を祭壇へ導く。だから、今マリアの無作法を咎めたのは、他ならぬ夫予定者、クリスその人だ。
あんまりにも驚いて、あんまりにも見知らぬ光景にぽかんと口を開けて見とれてしまっていた。
マイナス1点。いや、もっとだろうか。
そっと目元だけを覆ったレースの陰から周囲を見回せば、正装に身を固めた有名人たちが2人を見守っている。中にはマリアでさえ知っている他国の王族も居て、体が竦んだ。
「大丈夫だよ、その口さえ閉じていてくれれば」
腕にかかった重さに気づいたのか、クリスが耳元で囁いて、心臓が跳ね上がった。
「あ」「ちっ」
今度はあからさまな苛立たしげな舌打ち。
無理もない、ドレスの裾を踏んで転びそうになったから。
マイナス10点。ううん、マイナス20点?
だってクリスはマリアを見ないから。
「…ごめんなさい」
もうこんな裾を引きずるようなドレスも二度と着ない。
けれど、もう1つのこと、素晴らしい建築に見惚れたことは謝らないでおこう。
後はまっすぐ進むだけなのを確認してから、もう一度、隣のクリスに見つからないように天井を見上げる。
何て細工だろう。繊細で優美で力強くて。
これを人の手が作り上げたとはとても思えない。
野原に咲く花花や、舞う蝶達と同じ、世界の理に通じた誰かの作品に違いない。
「ああ」
もっと見たい。一日中時間をかけて隅々までじっくりと、線の滑らかさや囲い込まれた空間の気持ちよさに浸っていたい。
「 …リア 」
もっと近くで。
「マリア」
そう、触れるほど間近で。キスできるほどの。
「…じゃあそうしよう」
「え?」
次の瞬間、視界が急にくっきりした。レースが上げられたと気づくまもなく、鮮やかな曲線が誘惑的に飛び込んで来る。天井とマリアの間に入ってきた顔が一気に近づき、唇を重ねる。
「んんっ?」
何て綺麗な樹氷。プラチナみたいに輝いて日差しを跳ねている。わずかに震えて持ち上がると、その下には北国にあるような青く澄んだ湖があった。
「…マリア」
「…はい」
ちゅ、と唇が離されて、うんざりした声が降ってきた。
「…僕は花嫁にはもう少し謹み深くあってほしいよ」
「……そう、ね」
だって。
だって、こんなに綺麗なものを見せられたら、誰だって目なんか閉じていられないわ、そうでしょう? それにいつ式が始まったのか、誰も教えてくれなかった。
言いたいことは一杯あったけど、クリスが溜め息をついてチュールを下ろしたから、滲んだ涙が見えなくなったのは幸運だった。
マイナス20、ううん、きっと30点。
結婚式当日に半分近くもポイントを失うなんて、ほんとついてない。
クリスが向きを変えて、慇懃に腕を差し出す。ぐらぐらする足元を堪えながら、なんとか数段階段を降り、爪先に走った痛みに顔をしかめた。
「笑って」
クリスが囁く。目線で示されて、マリア達を見つめる招待客の目に凍りつく。
「わかるだろう? たった今、愛しい相手から結婚の誓いとキスを受け取った花嫁は、そんなふうに顔をしかめないものだよ」
そんなこともわからないの?
冷ややかに諭されて言えなくなった、この靴とてもきつくて、もう靴擦れができてるのよ、とは。
これ以上マイナスポイントを重ねたら、きっと1週間も持たないに決まっている。
「もちろんわかってるわ」
虚勢を張って囁き返した。
「あなたがこういう顔も好きになってくれるといいなと思っただけよ」
「生憎」
隣でエスコートしながら、しかもこの上なく優しげに体を支えてくれながら、クリスは冷笑した。
「僕は笑顔の方が好きだよ」
「覚えておくわ」
かけられた声に会釈し、幸福そうに微笑みながら隙を見て言い返した。
「どんなに怒っていても、どんなにむかついてて殴りたくても、いつも笑顔で応じる。約束するわ。期待してくれていいわよ」
「君は」
クリスが急に立ち止まって振り向いた。
「僕に喧嘩を売っているのかい?」
はっきりと言い放たれたことばに来賓がどよめいた。
「いいえ、とんでもない」
これは本音。
「あなたこそ私に言いたいことがあるなら、はっきりおっしゃって。唇で口なんか塞いだりせずに」
きりきりした空気が一瞬にほどけて笑い声が起きた。
「私はマリア・アシュレイ。もうあなたの妻なんですからね」
クリスは一瞬ことばに詰まった。それからゆっくり深く溜め息をつき、こう言った。
「では次からそうするよ…キスなんかで答えにかえずにね」
「口」
「え?」
「口閉じて。みっともないから」
「あ」
そうだ、これも知らない習わしの一つ。
バルディアでの結婚式では入り口から新郎が新婦を祭壇へ導く。だから、今マリアの無作法を咎めたのは、他ならぬ夫予定者、クリスその人だ。
あんまりにも驚いて、あんまりにも見知らぬ光景にぽかんと口を開けて見とれてしまっていた。
マイナス1点。いや、もっとだろうか。
そっと目元だけを覆ったレースの陰から周囲を見回せば、正装に身を固めた有名人たちが2人を見守っている。中にはマリアでさえ知っている他国の王族も居て、体が竦んだ。
「大丈夫だよ、その口さえ閉じていてくれれば」
腕にかかった重さに気づいたのか、クリスが耳元で囁いて、心臓が跳ね上がった。
「あ」「ちっ」
今度はあからさまな苛立たしげな舌打ち。
無理もない、ドレスの裾を踏んで転びそうになったから。
マイナス10点。ううん、マイナス20点?
だってクリスはマリアを見ないから。
「…ごめんなさい」
もうこんな裾を引きずるようなドレスも二度と着ない。
けれど、もう1つのこと、素晴らしい建築に見惚れたことは謝らないでおこう。
後はまっすぐ進むだけなのを確認してから、もう一度、隣のクリスに見つからないように天井を見上げる。
何て細工だろう。繊細で優美で力強くて。
これを人の手が作り上げたとはとても思えない。
野原に咲く花花や、舞う蝶達と同じ、世界の理に通じた誰かの作品に違いない。
「ああ」
もっと見たい。一日中時間をかけて隅々までじっくりと、線の滑らかさや囲い込まれた空間の気持ちよさに浸っていたい。
「 …リア 」
もっと近くで。
「マリア」
そう、触れるほど間近で。キスできるほどの。
「…じゃあそうしよう」
「え?」
次の瞬間、視界が急にくっきりした。レースが上げられたと気づくまもなく、鮮やかな曲線が誘惑的に飛び込んで来る。天井とマリアの間に入ってきた顔が一気に近づき、唇を重ねる。
「んんっ?」
何て綺麗な樹氷。プラチナみたいに輝いて日差しを跳ねている。わずかに震えて持ち上がると、その下には北国にあるような青く澄んだ湖があった。
「…マリア」
「…はい」
ちゅ、と唇が離されて、うんざりした声が降ってきた。
「…僕は花嫁にはもう少し謹み深くあってほしいよ」
「……そう、ね」
だって。
だって、こんなに綺麗なものを見せられたら、誰だって目なんか閉じていられないわ、そうでしょう? それにいつ式が始まったのか、誰も教えてくれなかった。
言いたいことは一杯あったけど、クリスが溜め息をついてチュールを下ろしたから、滲んだ涙が見えなくなったのは幸運だった。
マイナス20、ううん、きっと30点。
結婚式当日に半分近くもポイントを失うなんて、ほんとついてない。
クリスが向きを変えて、慇懃に腕を差し出す。ぐらぐらする足元を堪えながら、なんとか数段階段を降り、爪先に走った痛みに顔をしかめた。
「笑って」
クリスが囁く。目線で示されて、マリア達を見つめる招待客の目に凍りつく。
「わかるだろう? たった今、愛しい相手から結婚の誓いとキスを受け取った花嫁は、そんなふうに顔をしかめないものだよ」
そんなこともわからないの?
冷ややかに諭されて言えなくなった、この靴とてもきつくて、もう靴擦れができてるのよ、とは。
これ以上マイナスポイントを重ねたら、きっと1週間も持たないに決まっている。
「もちろんわかってるわ」
虚勢を張って囁き返した。
「あなたがこういう顔も好きになってくれるといいなと思っただけよ」
「生憎」
隣でエスコートしながら、しかもこの上なく優しげに体を支えてくれながら、クリスは冷笑した。
「僕は笑顔の方が好きだよ」
「覚えておくわ」
かけられた声に会釈し、幸福そうに微笑みながら隙を見て言い返した。
「どんなに怒っていても、どんなにむかついてて殴りたくても、いつも笑顔で応じる。約束するわ。期待してくれていいわよ」
「君は」
クリスが急に立ち止まって振り向いた。
「僕に喧嘩を売っているのかい?」
はっきりと言い放たれたことばに来賓がどよめいた。
「いいえ、とんでもない」
これは本音。
「あなたこそ私に言いたいことがあるなら、はっきりおっしゃって。唇で口なんか塞いだりせずに」
きりきりした空気が一瞬にほどけて笑い声が起きた。
「私はマリア・アシュレイ。もうあなたの妻なんですからね」
クリスは一瞬ことばに詰まった。それからゆっくり深く溜め息をつき、こう言った。
「では次からそうするよ…キスなんかで答えにかえずにね」
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