『コニファーガーデン』

segakiyui

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 「少し、待って」
 歩き出そうとしているクリスに声をかけ、マリアは体を起こした。
「何?」
「少しでいいわ、旦那様」
 ジーンズのポケットからハンカチを取り出し、顔をごしごし擦って大きく吐息する。化粧をしてなくて良かった。お気に入りのハンカチが汚れずに済んだ。
 髪を手櫛で整える。
 いつだってそうだ。大切なことは待ってくれない。
 即断即決、正しい道は選べないかもしれないけど、後悔するような道は選ばない。
 ハンカチを片付け、うん、と手を差し上げて伸びをする。
 固まって竦んで動けなくなった血が音をたてて流れ始める。
 心臓に手を当てる。少し下の胃はひんやりしてる。胸の中央にもう一度掌を当て直す。同じ感触。
『動いて! ねえ動いてよ、ねえ!』
『お嬢さん、無理だよ』
『だって、ねえ、さっきまで起きてたのよ、話してたの、笑ったんだってば!』
『お嬢さんお嬢さんお嬢さん!』
 胸骨圧迫を続けようとするマリアを救急隊員が背中から抱きとめる。
『もう眠ってる。これ以上傷つけちゃだめだ』
『傷、つける…?』
『体が固くなってくるから、傷みやすくなるんだよ。もう楽にしてやりな』
 命が通っていない体はなんであんなに冷たいんだろう。
「…ふう」
 もう一度大きく息をついた。
 顔を上げる。
 光の中に物問いたげに立っているクリスに、にっこりと笑った。
「行きましょうか、旦那様」
「何をしてたの」
「生きてることを確かめてたの」
「…心臓の鼓動で?」
「そう、心臓の鼓動で」
 ふいにクリスがマリアの手を掴んで引き寄せた。
「俺は?」
「え」
「俺の心臓は動いている?」
 マリアの掌を自分の胸に押し当てる。
 固くて温かくて脈打っている体。
 全く違う、もう1つの体。
 顔が熱くなる。体が震える。
「動いてるわ、安心して」
「…そう」
 ほ、と小さな吐息が漏れて,熱っぽく潤みかけていた感覚が引いた。
 怯えている?
 瞬きする。
 どういうことだろう、不老不死を提供するアシュレイ家の当主なのに、クリスは明らかに怯えている、心臓が止まってしまうことに。
「君は」
 自分の胸に手を押し当てさせたまま、クリスが上目遣いに見つめてくる。
「君は生きてる?」
 唾を呑み込んだ音が聞こえていないといいけど。
「生きてる」
「…確かめさせて」
「…どうぞ」
 クリスが自分の胸に当てたマリアの手を押えたまま、マリアの胸へとおずおずと手を伸ばす。
 目を閉じた。鷲掴みにされても驚かないように。
 けれどクリスの掌はそっとマリアの胸の中央に当てられた。
 そのまま動かない。
「クリス…?」
「…」
 薄目をあけて、目の前のプラチナブロンドがあったのに驚いた。
 クリスはマリアの胸に手を当て、その上から額を押し当てじっとしている。踞るような大きな背中、低い声が漏れる。
「……めり…」
 視界が一気に曇ったから、慌てて上を向いて鼻の奥に涙を逃がした。
 そういうこと。
 あなたは今も芽理を愛してるのね。心だけではなくて、体も望むほどに。
 けれど、お兄様への忠誠も確かで、だからこんなに芽理に近づくのに不安定になるのね。
 今の私は代用、芽理の幻というわけ。
 でも、それならそれでいいじゃない。私は女の体を持っているし、あなたは幻でも芽理を抱きたいんだから、お互い取引をすればいいだけのこと。
 一所懸命言い聞かせながら、溢れそうになる涙を呑み下す。
 結婚式は昨日。翌日に他の女の名前を呼んで涙している夫を胸に、妻はどうふるまえばいいものかしら。
 息を吸って吐く。
 柔らかな陽射し。
 息を吸って吐く。
 鋭いけれど爽やかな針葉樹の香り。
 遠くで小さな鳥の声。
 そう言えば、鳥の姿は見ていない。
 翼が好き。滑らかな曲線。厚みは命の重さと直結している。掌に包み込み、握りしめてしまうかもしれない恐怖と空間を保って守ろうとする矜持を味わう。
 私はあなたを傷つけないわ。
 囁きかけると安心する。自分の荒れた欲望を制御できたから。
「え…?」
 胸に当てられた掌がふいに滑った。乳房を素通りし、背後へまわる。静かに抱き締められて、小鳥になった気がした。右肩に伏せられた顔、けれど吐息は肩口にかかる。
「君は」
 優しい虚ろな声がした。
「マリア、君は…?」
 理由はよくわからないけど、クリスが今にも砂になって崩れそうな気がして、保持された右手はそのままに、残った左腕で相手を抱えた。小さく震えたクリスが、右手を離してくれたから、右手もクリスの背中に回す。
 届かなかったけれど。
「ああ…」
 温かい。
 こんなに温かなものを両手一杯抱き締めたのは、久しぶり。
 思わず微笑んだ。
 腕の中に溢れる命。
 お帰りなさい。お帰りなさい。お帰りなさい。
 ずっと待っていたのよ、戻ってきてくれるのを。
 探しに行けない距離だから。
 時と空間に隔てられていたから。
 この体が邪魔だった、けれど捨てることもできなかった。
 だってこれは、あなたからもらったものだったもの。
 これを護るのが私の仕事。
 最後まできちんと生きること。
「…お帰りなさい…、あ…っ」
 呟きを漏らしたとたん、強く抱き締められ顎を掬われ唇を重ねられた。驚きに開いた口からすぐに入り込む舌、拒む間もなく抉じ開けられて深く奪われる。
「っ」
 足が崩れた。倒れそうになって、けれど体ごと包まれて壁に押し付けられ、膝を割られて脚を押し付けられる。
「な…」
 なに、なに、なに。
 これは、何?
「ん、あ」
 呼吸ができない。苦しい。酸素をちょうだい。ちょっと、お願い、窒息死するから。
「ん、ん、ん。んーっ!」「うあっ!」
 両手を突っ張って抵抗して解放されなかったから、つい。
 悲鳴を上げて飛び離れたクリスが向こうの壁に手を突いて俯きがちに堪える。
「……奥様」
「…ごめんなさい」
「……やっていいことと悪いことがある」
「………ほんとにごめんなさい。でも、苦しかったんだもの」
「……………鼻」
「え?」
「………鼻で息するの」
 振り返ったクリスが恨めしげに髪を掻き上げる。
「……そんな余裕なんてないわ」
「…」
「…あら」
「…見ないで欲しいな。そういう配慮も欲しい」
 見る見る真っ赤になったクリスが顔を背け衣服を整えて促した。
「ほら、行くよ、奥様」
 
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