『コニファーガーデン』

segakiyui

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「芽理を笑わせてくれてありがとう」
 森の家から離れていきながら、クリスがぽつりと呟いた。
「あんなに笑った顔を見るのは久しぶりだ」
「…マースも?」
 クリスが立ち止まった。振り返る。
「マースも」
 開いた2つの瞳は空洞のようだった。感情もなく意思もない。
「…泣いていいのよ?」
「?」
 訝しそうに眉を上げるクリスに微笑む。
「取り扱いが難しければ、泣いていいの。私はそう教わったわ」
「、っ」
 薄赤く目元を染めたクリスが、苦しそうに顔を背け、よろめくように側の大樹に歩み寄った。
「すまない、時間を」
「いくらでもあげる」
 項垂れた背中に声をかけると、クリスは大樹に両手を当てた。そのまま額を幹に押し付け、唸る。
「兄…さん…っ」
 この人が怯えているのは、芽理の死じゃない。
 同じ血を分け合った家族、唯一無二の兄の死だ。
「…ふぅ」
 勝ち目がますますなくなったわね。
 空を仰いで吐息する。
 不死の一族ですって?
 スティングレイ財団はそんなことを言っていなかった。
 アシュレイ家は『不老不死』の秘密を握っている。それを自分達だけで抱え込み、利益を貪っている、と。
 芽理達の結婚だって10年前とか。
 ……色々情報操作されているってわけね。
 けれど、『こんなもの』をどうやって情報化し、共有するというのだろう。それこそ。
「っ」
 思わず目を見開いて天を睨んでしまった。
 それこそ、遺伝子情報やら何やら、つまりはアシュレイの体を調べ尽くすしか手がないのでは?
 無意識に押えた、まだ宿ってもいないお腹の子どもがいる場所。
 笑いかけてくる、梨々香と慎の幼く明るい笑顔。
 彼らもきっと不死なのだろう、いや芽理の説明で言えば、不死になるのだ。
 どんな気持ち? 子どもが自分を越えて生き延びるのは自然の摂理だけれど、それが遥か彼方まで1人で生きていく時間でしかないと考えるのは?
 それも、秘密を暴こうとする危険な世界に残して旅立つというのは? 
「、、、」
 ぶるぶると顔を振った。
 だめだめだめ。
 そんなの絶対だめ、許せない、我慢できない。
『救出が間に合わなくて』
 だめよ、そんなの。あの子達をそんな目に合わせるわけにはいかない。
 もちろん、戦うに決まってるわ、だって、母親なんだも…。
「…ぁ」
 がさりと明らかになった思考に呆然とする。
 私は何を約束してしまったのかしら。
 1週間以内にクリスを落とす。
 もう2日目の夜が来る。
「…ありがとう」
 クリスがのろのろと体を起こした。
 乱れた髪をぎごちない手つきで整える。
 赤くなった鼻、まだとめどなく涙を溢れさせそうな瞳につんと胸が痛む。
「少し…楽になった…」
 どんな気持ちだろう、数十年、いや数百年……それとも、数千年? 一緒に居た身内と離れなくてはならないと知るのは。
 そんな年月を、誰が想像できるのだろう。
 とぼとぼとこちらへ戻ってくるクリスの背後、聳え立つ大樹に目を奪われる。
 この樹は、一体何年ここに居るのだろう。
 もしかして。
 もしかして。
 ゆっくり幹から上へ、空へ翔る橋のような姿を見上げていく。
 あの細い樹々からは考えもつかない。
 けれど、この樹だって、若芽のときがあったはず。
「コニファー……ガーデン…?」
 声が震えた。
「ま…りあ…」
 ひどく幼い声がして、視界が引き戻された。
 白く色を失った、ぽかんと口を開いたクリスの顔。驚きに見開かれ過ぎて、今にも零れ落ちそうな青い瞳。
「…あなた?」
 なんてこと。
「あなた、なの?」
 形が重なる。
 作りかけの庭。レンガのライン。教会の見事な曲線の重なりあい。
 全ては同じ作り手によると気づく。
 同じ思考、同じ願い、同じ祈り。
「あなただったの?」
「……俺は」
 クリスが頼りなげに微笑んだ。
「ビジネスには向いていない。兄さんの秘書はやっていたけど、本当に好きなのは、作ることなんだ」
 囁くような声は高い音色で鳴きながら飛び立っていく鳥にかき消されそうになる。
「時間はたくさんあったんだ」
 神さま。
 初めて大きな声で問い正したくなった。
 あなたはなぜ、こんな孤独を彼らに強いたの?

 夕食は街に出ようと誘われた。
 持ってきていたフレアスカートは少し丈が長かったけれど、自慢にしている足首は十分見える。
「へえ」
「何よ、それ」
 唇を尖らせてみせた。
「ちゃんとおめかししてきた妻に、もう少し何かないの?」
「お綺麗ですよ、奥様。どうぞ」
 差し出された腕に手を伸ばす。
「もう少し」
「お美しい。見違えました」
「ひどいわね」
「夜に輝く月のよう」
「なってないわ」
「宇宙を飾る星のよう」
「全くだめ」
「声は耳をくすぐり熱を呼ぶ」
「薄っぺらい」
 2人でゆっくりと街並を歩く。来る途中はタクシーを飛ばしてきたし、化粧直しと打ち合わせを同時にやっていたし、でこぼこ道に跳ね飛ばされていたし、街どころか出迎えてくれた人の顔さえあやふやだったけれど。
「きれいね」
 レンガ造りの街のそこここにオレンジ色のランタンが点る。
「街灯はないの?」
「ここは旧市街だよ」
「旧市街?」
「昔、別の民族がここを支配していて、その民族はこう考えていた。夜は静かに眠るべし」
「灯を消して?」
「そう、灯を消して…隣の物音に耳をたてずに」
「あら、まあ」
「自分達の声だけ聴いて」
「…あら、まあ…」
 寄せられた唇に耳を掠められ、甘い感覚が体に点る、街中を彩る光のように。
「ここにしよう」
「…『樫と雄牛亭』? 驚いた、ほんとにあるのね、こういう名前」
「どういうこと?」
「小さい頃読んだ絵本に出て来たわ、大酒のみの店主が居て、赤ら顔で…」
 開けられて支えられたドアに滑り込み、正面に顔を上げた店主に固まる。
「………あら、まあ」
「いつ頃の絵本? こちらへどうぞ」
「私が、5歳、いえ、もっと、下、かしら……あの、まさか」
 引かれた椅子に腰を降ろしてどきどきと走る心臓に唾を呑み込む。
「まさか、あなた、絵本なんか書いたり、しないわよね?」
「…さあ?」
 クリスは目を細めて楽しげに笑った。メニューを広げて、料理の説明をしてくれる。
「ワインはこれでいいかな。メインは肉だけど、ロゼがおいしいよ」
「クリス」
「付け合わせは…かぶ? いやこれは止めた方がいいかも。どうせならにんじんとブロッコリを」
「クリス、クリス」
「コーンは使わないんだ、そのかわりにビーンズは保証する」
「クリス、ねえ聞こえてるんでしょ?」
 応じない相手に苛立ってつんつん袖を引く。
 ひょいと顔を上げた、悪戯っぽい瞳に気づいた、
「わざと?」
「かなり」
「質問に答えたくないから?」
「あの店主もアシュレイなのか? ああ、もちろんそうだよ」
「じゃあ」
「けれど、俺が今君の質問を無視していたのは、君が俺を呼ぶ声を聴きたいからだって言ったらどうする?」
 俯いたクリスは、マリアの指先を掬い上げ、ちゅ、とキスを落とした。
「ずるいわ」
「それから?」
「……名前を呼んでくれって頼めばいいじゃない」
「……俺の名を、呼んで、マリア?」
「クリス…」
 ごく自然に唇が重なり合いかけた矢先、店の隅でギターが鳴らされた。
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