『青の恋歌(マドリガル)』〜『猫たちの時間』11〜

segakiyui

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1.覚え書き(1)

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「えーっ…と…」
 学園祭で賑わう人混みを掻き分けながら、俺は周囲をキョロキョロ見回した。
「…っかしいな……この辺にいるって…」
 別名2月祭とも言われる学園祭には、毎年多くの外部からの客が詰めかけ、人口のそれほど多くない街にしては珍しいほどのお祭り騒ぎとなる。ほぼ1年がかりで準備する各クラブの出し物もそうだが、並ぶ模擬店はプロ顔負けの連中が多く、受験ランクでは下位の大学の呼び物の一つになっていた。
 試験が済んだ後の熱気と開放感というのはどこも同じで、そこに学園祭が重なっているとくれば、散らつき出している雪もなんのその、人波は絶えることなく学内へ流れ込んでくる。
「痛っ!」「あ、すみません」
「気をつけろよ!」「あ、どうも」
「きゃああああ! 痴漢!」
「ちっ、違いますっ!」
「嘘! 今、私の体に触ったじゃない!」「えっ? こいつ…」
「違うってば!!」
 一歩間違えりゃお化け屋敷の住人かと言うほど無茶苦茶に化粧を施した相手に目一杯の金切り声で喚かれ、慌ててその場を逃げ出した。人混みの中をすり抜け掻き分け、ようやく騒ぎから離れられたと気を抜いた次の瞬間、ぐっ、と何かに足を引っ掛けられ、思いっきり前へつんのめる。
「どべ!」
 目の前に飛んだ星はご丁寧にも三色カラー、じんじん痛む鼻を抑えて起き上がった俺に、パチパチと場違いな拍手が聞こえた。続いて、皮肉っぽい取り澄ました声。
「いやー、すごいすごい。そこまで派手にこけられるのは一種の才能だよ」
「山…根ぇ…」
「おいおい、そう睨むなよ」
 左前方に格好つけたポーズで立っていた山根は、気障ったらしく肩を竦め、両手に花の羨ましい状態を見せつけるように胸を張った。
「一般人はそこまで見事な『ダイブ』は出来ないなあ」
「あら、そんな事言っちゃ、可哀想よ、ケイ」
「そうよ、滝くんだって『一所懸命』やってるんだもの」
「そーよ、いくら何もないところで空中飛ぶぐらいこけられるからっ……て……っくふっ」
 慰め顔に頷いていた女が我慢の限界がきたのだろう、吹き出してしまう。それをきっかけに周囲がどっと笑い出した。ひとしきり笑った後、それらを軽く制して、山根は手を振る。
「いやいや、待ってくれ、彼は『何もない』ところで転んだんじゃないんだ」
「え?」「嘘、どうしてえ?」
「彼は、『自分の足』に躓いたんだから」
「まさかあ!」
「山根っ!」
 俺もさすがに言い返す。
「どこの世界に自分の足に躓くアホが」
「……」
 言い返しかけて、山根が無言で指差す先を見ると、確かに転んだあたりには何もなかった。木の根も石ころも花壇の柵も、出っ張りどころか凹みさえない、真っ平らなアスファルト。
「え? でも、俺は確かに何かに躓いて」
 嫌な予感に足元を見る。そこには汚れたジーパンの裾と嬉しくなるほど見事に絡んだ俺の足が。
「はっはっはっは」
 HAHAHAHA。
 山根の笑い声がそんな書き文字で空中に弾けた。
「きゃーっはっはっは!」
「くはっはっは!」 
 取り巻き諸共に爆笑する、その笑い声の渦の中心で、俺は歯を食いしばって唸った。
 ったく! どこの世界に主人の行動を邪魔する足があるんだよっ! 周一郎のバイトの件以来、事あれば俺を陥れようとしている山根に、見ろ、まんまと笑い者にされただろうが!
「…どこの世界に、自分の足に躓く『アホ』が、いるって?」
 嫌味ったらしく、薄笑いを浮かべて山根がからかう。
「え? 滝君?」
 んなろ……月夜の晩ばかりだと思うなよ、そのうちに、猫という猫を掻き集めて、てめえの家の送り…つけ…て……。
「お?」
 笑い続ける山根の足元に、そろそろと忍び寄る青灰色の塊を見つけてきょとんとする。
 あれ? なぜこいつがここにいる? っていうか、いつの間に来ていた?
 そいつは主人似の気配を殺した歩き方で山根まで辿り着くと、くるりんと尻尾を相手の足に絡みつけ、にゃあう、と実に可愛く鳴いた。
「はっはっは………? ……にゃあう……?」
「……そこだ」
 笑顔を強張らせる山根に、ゆっくりと足元を指差してやる。
 化け物がそこにいると言われた男のように、引きつって青白い顔で見下ろした山根は、次の瞬間、文字通り跳ね上がった。振り飛ばされかけたルトは、空中で尻尾を解いて鮮やかに離脱する。
「△□☆□☆!!」
「ちょっと!」「山根くぅん!」「どうしたのよ!」
 意味不明の絶叫を残して逃げ出した山根の後を、訳もわからず取り巻きが追っかけて去っていく。
「はっはっはっはー! ざまあみろ、やーいやーい!」
 残された俺は久しぶりの大勝利に大笑いした。その膝に、ルトがとことこやってきて、ひょいと片足を乗せる。
「にゃうん」
 わかるけど、ちょっと落ち着け。
 そんな感じでルトが鳴く。
「おーよしよし! お前は可愛い奴だ、うんっ!」
 俺はルトを抱き上げて立ち上がった。ぎゅううっと抱きしめると、よせやい、と言いたげに牙を剥かれる。
「にぎゃ」
「あ、悪い悪い、苦しかったか。けど、お前のご主人は一体…」
 くすくすくす。
 背後で小さな笑い声がした。俺の腕から身を捻ってすり抜け、地面に飛び降りたルトは、足音軽く主の元へ駆け寄っていく。
「ご苦労様、ルト」
 どこか幼い声で応じて、ベージュのシャツに焦げ茶のトレーナー、黒のスラックスと珍しく砕けた格好をした周一郎が屈み込み、飛びついてきたルトを抱き上げた。
「御招待、ありがとうございます、滝さん」
「へえ」
 まじまじと相手を上から下まで眺める。雪が散らついての薄曇りの天候、これなら眩しくないと考えたのだろう、いつものサングラスはかけておらず、腹の立つほど整った顔立ちがフルオープンだ。
「何です?」
 訝しげに眉をひそめる、その表情一つで人目を引く。
「いや…そうしてると、まるで『一般』高校生に見える」
「そうですか?」
 周一郎は僅かに瞳を陰らせた。
「学園祭……なんて、縁がなかったので」
 ゆっくりと周囲を見回す表情に、好奇心とも羨望ともつかぬものが漂っている。
「だろうと思ってさ」
 肩を並べて笑いかける。
「俺ももう4年だし、こんなことでもなきゃ、お前、こういうのって知らず終いだろ?」
「僕の……ため…」
「え?」
「いえ……でも、就職活動で大変でしょう?」
「半分諦めてる」
 苦笑いしながら歩く。
「何せ、身寄りがないし保証人がいないし頭も悪いし体力も平凡、閃きもなけりゃ根性もない。気長にバイトでもするよ」
「…にしては」
 周一郎は微かに笑った。
「今回は気が利いてますね」
「ははっ、バレたか」
 引きつった。
 まあ、周一郎のことだから、見抜くんじゃないかとは思っていたが。
 実は、今回のお膳立てはお由宇がしてくれたことなのだ。俺がたまたま、「周一郎に1回、学生生活ってのをさせてやりたいな」なぞと呟いたのににっこり笑い、「それなら学園祭にでも誘ったら? 喜ぶわよ」と宣った。俺にしてもうまくいけば、大学最後の学園祭ということで、悪かあないな、と周一郎を誘うことにした。
「実はお由宇の案なんだ」
「佐野さんの」
 一瞬、周一郎は外見のおとなしやかな雰囲気に不似合いな鋭い目になった。
「そうですか」
「何だ?」
 含みがある気がして相手を覗く。
「何かあるのか?」
「いいえ」
 問いにくるりと表情を変え、邪気なくこちらを見上げる。それは、普段朝倉家で見せるより数段幼い顔で(或いは外しているサングラスのせいかも知れないが)、俺は単純に気分が良くなった。
「じゃ、とにかく回ろうぜ、で、何か食おう」
「構いませんが…」
 くすっ、と周一郎はまた笑った。
「支払いは大丈夫ですか?」
「大丈夫! ただし」
 ポケットから、宮田から交渉で巻き上げたタダ券を出して見せる。
「この中にあるものだと、大変嬉しい」
「わかりました」
「あ、でも他のでもいいぜ、欲しいものがあったら言え、買ってやる!」
「…はい」
 素直に頷いた周一郎は、何がおかしいのか、くすくす笑い続け、ルトもにゃい、と牙を剥いて見せた。
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