『青の恋歌(マドリガル)』〜『猫たちの時間』11〜

segakiyui

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1.覚え書き(4)

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「ん…うにゃ」
 身動きして、部屋の眩さに開きかけた目を閉じる。手探りで探した目覚まし時計はどこにもない。仕方なしに体を起こして、寝ぼけ眼で見渡すと、どうしてそこまで飛んだのか、ソファの向こう、壁際に転がっていた。
「…?」
 頭を掻きながら、毛布ごとベッドからずり下り、時計を拾いに行く。
 そういや、夢の中で投げたような気がしなくもない。時計は白目を剥いて、つまり長針短針ともに6を指して吊り下がり、揺らすとブラブラ動いた。
「ちぇっ……壊れてやがる」
 ぼやきながら、再びベッドに戻ろうとして、ふとソファ前のテーブルに置かれているものに気づいた。画像は入ってきているが、学園祭の打ち上げで飲み慣れない酒を付き合った次の日だから、どうにも頭がうまく働かない。
 それは、1枚のポートレートと1冊の本だった。
 ポートレートのほうは能天気な笑いを浮かべている男の顔、毎日鏡で見ている顔だ。本の方は確か周一郎に貸した奴で、栞が中ほどに挟んだままになっているところを見ると、読みかけらしい。
「……」
 のたのたとソファに近づき、時計をテーブルに置いて、腰を下ろす。
 どうにも飲み込めない。二日酔いのせいばかりじゃない。この光景自体が妙だ。
「……どうして、こんなとこにあるんだ?」
 ようやく疑問が形になり、のろのろとポートレートを取り上げた。そうだ、こいつは周一郎の部屋にあったはずだ。それがどうしてこんな所にある?
 もう一方の手で本を取り上げる。こいつもおかしいと言えばおかしい。今まで周一郎が読みかけで本を返してくるなんてことはなかったのに。
「……………」
 両手のポートレートと本を交互に見やる。どーしてなんだ、どーしてなんだと頭の奥でぼんやり繰り返し、唐突に我に返る。
 おかしい。
 とにかく、訳はわからんが、確かめておいたほうがいい。
 俺は急いで服を着替えた。ジーパンに脚を突っ込み損ねて2回コケかけたことを考えても、俺にしては『スムーズに』慌てられたと思う。ポートレートと本を抱えて2階へ駆け上がる。腕時計は10時を指している。周一郎ならとっくに起きて仕事中だ。
 ノック。
「周一郎?」
 静まり返った邸内、俺の声が無遠慮に響く。もう少しノックを強めて、声をかける。
「周一郎? 入るぞ」
 返事がないまま、それでもドアは無抵抗に開いた。
「周一郎?」
 部屋の中に姿はなかった。俺の部屋と違って、きちんと整頓された机の上には塵一つなく、そればかりか、いつも載せられている書類の類さえ片付けられている。書棚の本は1冊も抜き出されていないし、ゴミ箱の中も空だ。
 とりあえずポートレートと本を机の上に置いて、そっと隣室との境のドアを開けた。
「……………」
 声をかけるまでもなく、そこにも周一郎の姿はなかった。カーテンが引かれ、薄暗く闇を澱ませている寝室に乱れた様子はない。整いすぎるほど整ったベッドに皺もないし、枕元の本もない。
 変だ。
 黙ったまま、寝室のドアを閉める。机に戻って、ポートレートと本を持ち、部屋を出る。
 綺麗すぎる。
 これじゃまるで、人が住んだことがない部屋みたいじゃないか。
「滝様」
「ん?」
 声を掛けられ、ぎくりとして振り返った。高野の補佐、岩淵がきょとんとした顔で俺を見ていた。
「周一郎様はお出かけになりましたよ。ご存じじゃなかったんですか?」
「いや…いつ?」
「今朝早くです。滝様のお部屋から出て来られたので、てっきりお話になったのだと思っておりました」
 今朝。
 手にしていたポートレートと本を見た。
 そうすると、周一郎はこれを置いて、黙って部屋を出て行ったらしい。
「どこへだ?」
「スペインです。長期になるかも知れないと仰って……あ、高野さんもついて行かれましたけど」
「スペインか…」
 それぐらいなら、俺に一言あっても良かっただろうに。ひょっとするとあれか、学園祭の時に旅行話で微妙に落ち込んだのを悟られたのか。そう言うことには聡いからな、人の気持ちには疎いんだが。
 ちょっとふてた俺に気づいたのか、岩淵は穏やかに微笑んでことばを継いだ。
「お急ぎのようでしたし…きっと滝様がお休みだったので、お声をかけられなかったのでしょう。他に何か?」
「いや、別に…」
「それでは、朝食の御用意ができております。食堂の方へお越し下さい」
「あ、うん」
 俺はなんとなく拍子抜けした気分で頷いた。
 何かあったのではなくて、ただの旅行、おそらくは仕事がらみの長期。だから高野がついてった。
 そういうことだ。うん、たぶん。
 一瞬、頭の隅を、あの『覚え書』の一節が掠めて行った気がした。
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