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4.騎手の歌(赤い月)(2)
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アルベーロが注文したらしい料理が運ばれてきて、高野はことばを切った。揚げ物が多く、魚介類の料理、混ぜご飯風のものもある。
「paella」
アルベーロはにやりと笑って、混ぜご飯を指差した。
「ぱ…?」
「パエジャ、です」
きょとんとする俺に、高野は運ばれてきたものを見ながら説明してくれた。
「米に魚、貝、海老、鳥肉、牛肉、豚肉などをサフランで煮込んだものですが、サフランは高値ですから、この辺りのタブラオでは着色料を使ってるんでしょう。スペインの名物と言われていますが……それより、待ち合わせの相手は女性のようですね」
「女性? どうしてわかるんだ?」
「酒……ビーノと言って葡萄酒の一種ですが、マラガが用意されていますし……それに、シェリーのヘレスもありますね。両方とも、女性の方がよく飲まれるものです」
「へえ」
何のこたない、ガイド付きでスペイン旅行をしているようなもんだ。もっとも、事態はそれほど気楽ではなかったが。
ビーノを勧めるアルベーロを、高野を介して押し問答を続けること十数分、ようよう納得してもらった。何せ葡萄酒とは言え、女性用のマラガでさえ、かなりアルコール度が高いと言うのだから。それからはひたすら料理を突くのに専念していた俺は、高野に肘を突かれて振り向いた。
「何だ?」
「むやみに食べないほうがいいですよ。オリーブ油が苦手な人なら、2、3日はトイレ暮らしですからね。ホテルなどではその辺りを考慮して、オリーブ油を使うにしても質のいいものを少量使いますが、こういった所は地元の客がほとんどですから、そう言う配慮はしないでしょう」
「2、3日ね…」
ぎくりとして手を止める俺を、微笑を浮かべて見やった高野は、アルベーロのことばに全身を緊張させた。
「何て?」
「……今夜来るのは、アルベーロに坊っちゃまの調査を依頼した人間だそうですよ」
「周一郎の?」
「はい」
高野はきらりと殺気立った目になった。
「朝倉周一郎とパブロ・レオニの関わり、今回の旅行の意図を探って欲しいとのことだったそうです」
「じゃ、ひょっとすると、イレーネ・レオニ…」
「生きているとすれば、23、4歳。考えられないことではありません」
いつの間にか増えた客達の間から、ざわめきが上がって、俺達は小舞台の方に目を向けた。
舞台奥手の方に、ギタリスト、歌手、踊り手が現れ、椅子に座る。ギターの音合わせが始まり、ざわめきの合間を縫っていく。
「少し時間は早いようですが……始まるようですね」
高野の低い呟きを合図にしたように、突然、正確できっぱりとした手拍子が起こった。歌が湧き起こり、踊り手全員が入れ替わり、立ち替わり、短時間の踊りを見せる。
「始めの歌は『ハレオ』と言います。顔見せが済むと、1曲ずつ踊りが始まります」
黒にピンク、水色に紅、黄に緑、紫に水色、色とりどりの舞姫達が足を踏み鳴らし、指を鳴らし、手首や腕、肩で様々なポーズを作る。ギタリストの整った顔立ちは淡々と引き続ける弦を追い、歌い手の声が深々と舞姫の体に喰い込み、縛り上げ、目に見えない何かを引き出していく。
「あの女性は?」
次々と踊り続けていく舞姫の背後に、まるでひっそりと咲く黒バラの大輪のような女性に目を惹き付けられた。朱色の唇が憂えるような表情に不似合いだ。高く結い上げた髪に黒玉を散らし、黒いレースを被っている。それは、誰かの喪に服しているとも取れる、妙に沈痛な姿だった。
「おそらく『真打ち』でしょう」
「『真打ち』?」
「この中でも優れた踊り手なのでしょう。生粋のジプシーという感じではありませんね」
オーレ! オーレ!
周囲から声が上がった。舞台に立っている踊り手は、体を仰け反らせ、伸ばした指が虚空に形を紡ぐ。それを肩が追い、腕が抱く。踏み鳴らされる床、響き渡るバリトン、テノール、人々の掛け声。
「滝様」
「ん? …え……あ…」
音楽が次第に盛り上がり、周囲の雰囲気も熱狂的になってきたところで、高野が呼んだ。
どうやら相手がきたらしい。椅子から腰を浮かせるアルベーロの向こう、1組のカップルが姿を現す。その男の顔、東洋系らしことはわかるが、何処の生まれかもう一つ掴めない容貌の男には見覚えがあった。相手も俺に気づいたらしい。穏やかな笑みを浮かべた唇が、これはこれは、と動く。彼は連れを突いて俺達を示し、振り向いた相手が一瞬目を開いて、静かに微笑し、俺は、その辺りでビー玉遊びでもやっているんだろう、運命の神様とやらの首を引っこ抜いてやりたくなった。
「滝という名前が平凡だとは思っていなかったけど…」
女性が近づいて来ながら、ことばを継ぐ。
「ここであなたに会うっていうのも、出来過ぎだわね、志郎」
「お由宇……『ランティエ』……どうしてこんな所にいるんだ?」
「お久しぶりですね、滝さん。質問はそっくりそのまま、お返しします。それに加えて…」
『ランティエ』は物柔らかい笑みの後ろから、鋭い視線で俺を見据えた。
「『青の光景』の行方もお尋ねしたい」
「『青の光景』?」
俺達が知り合いらしいと知ってぽかんとしているアルベーロの横で、高野が表情を固くした。
「paella」
アルベーロはにやりと笑って、混ぜご飯を指差した。
「ぱ…?」
「パエジャ、です」
きょとんとする俺に、高野は運ばれてきたものを見ながら説明してくれた。
「米に魚、貝、海老、鳥肉、牛肉、豚肉などをサフランで煮込んだものですが、サフランは高値ですから、この辺りのタブラオでは着色料を使ってるんでしょう。スペインの名物と言われていますが……それより、待ち合わせの相手は女性のようですね」
「女性? どうしてわかるんだ?」
「酒……ビーノと言って葡萄酒の一種ですが、マラガが用意されていますし……それに、シェリーのヘレスもありますね。両方とも、女性の方がよく飲まれるものです」
「へえ」
何のこたない、ガイド付きでスペイン旅行をしているようなもんだ。もっとも、事態はそれほど気楽ではなかったが。
ビーノを勧めるアルベーロを、高野を介して押し問答を続けること十数分、ようよう納得してもらった。何せ葡萄酒とは言え、女性用のマラガでさえ、かなりアルコール度が高いと言うのだから。それからはひたすら料理を突くのに専念していた俺は、高野に肘を突かれて振り向いた。
「何だ?」
「むやみに食べないほうがいいですよ。オリーブ油が苦手な人なら、2、3日はトイレ暮らしですからね。ホテルなどではその辺りを考慮して、オリーブ油を使うにしても質のいいものを少量使いますが、こういった所は地元の客がほとんどですから、そう言う配慮はしないでしょう」
「2、3日ね…」
ぎくりとして手を止める俺を、微笑を浮かべて見やった高野は、アルベーロのことばに全身を緊張させた。
「何て?」
「……今夜来るのは、アルベーロに坊っちゃまの調査を依頼した人間だそうですよ」
「周一郎の?」
「はい」
高野はきらりと殺気立った目になった。
「朝倉周一郎とパブロ・レオニの関わり、今回の旅行の意図を探って欲しいとのことだったそうです」
「じゃ、ひょっとすると、イレーネ・レオニ…」
「生きているとすれば、23、4歳。考えられないことではありません」
いつの間にか増えた客達の間から、ざわめきが上がって、俺達は小舞台の方に目を向けた。
舞台奥手の方に、ギタリスト、歌手、踊り手が現れ、椅子に座る。ギターの音合わせが始まり、ざわめきの合間を縫っていく。
「少し時間は早いようですが……始まるようですね」
高野の低い呟きを合図にしたように、突然、正確できっぱりとした手拍子が起こった。歌が湧き起こり、踊り手全員が入れ替わり、立ち替わり、短時間の踊りを見せる。
「始めの歌は『ハレオ』と言います。顔見せが済むと、1曲ずつ踊りが始まります」
黒にピンク、水色に紅、黄に緑、紫に水色、色とりどりの舞姫達が足を踏み鳴らし、指を鳴らし、手首や腕、肩で様々なポーズを作る。ギタリストの整った顔立ちは淡々と引き続ける弦を追い、歌い手の声が深々と舞姫の体に喰い込み、縛り上げ、目に見えない何かを引き出していく。
「あの女性は?」
次々と踊り続けていく舞姫の背後に、まるでひっそりと咲く黒バラの大輪のような女性に目を惹き付けられた。朱色の唇が憂えるような表情に不似合いだ。高く結い上げた髪に黒玉を散らし、黒いレースを被っている。それは、誰かの喪に服しているとも取れる、妙に沈痛な姿だった。
「おそらく『真打ち』でしょう」
「『真打ち』?」
「この中でも優れた踊り手なのでしょう。生粋のジプシーという感じではありませんね」
オーレ! オーレ!
周囲から声が上がった。舞台に立っている踊り手は、体を仰け反らせ、伸ばした指が虚空に形を紡ぐ。それを肩が追い、腕が抱く。踏み鳴らされる床、響き渡るバリトン、テノール、人々の掛け声。
「滝様」
「ん? …え……あ…」
音楽が次第に盛り上がり、周囲の雰囲気も熱狂的になってきたところで、高野が呼んだ。
どうやら相手がきたらしい。椅子から腰を浮かせるアルベーロの向こう、1組のカップルが姿を現す。その男の顔、東洋系らしことはわかるが、何処の生まれかもう一つ掴めない容貌の男には見覚えがあった。相手も俺に気づいたらしい。穏やかな笑みを浮かべた唇が、これはこれは、と動く。彼は連れを突いて俺達を示し、振り向いた相手が一瞬目を開いて、静かに微笑し、俺は、その辺りでビー玉遊びでもやっているんだろう、運命の神様とやらの首を引っこ抜いてやりたくなった。
「滝という名前が平凡だとは思っていなかったけど…」
女性が近づいて来ながら、ことばを継ぐ。
「ここであなたに会うっていうのも、出来過ぎだわね、志郎」
「お由宇……『ランティエ』……どうしてこんな所にいるんだ?」
「お久しぶりですね、滝さん。質問はそっくりそのまま、お返しします。それに加えて…」
『ランティエ』は物柔らかい笑みの後ろから、鋭い視線で俺を見据えた。
「『青の光景』の行方もお尋ねしたい」
「『青の光景』?」
俺達が知り合いらしいと知ってぽかんとしているアルベーロの横で、高野が表情を固くした。
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