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7.『晶石の谷』(3)
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「ミアアア…」
「え?」
物音に誰何しながら剣を抜きかけたユーノは、弱々しい雪白(レコーマー)の声が返ってきたのに気を削がれた。
とことこと、闇の中から仄白い体が近寄ってくる。ほんの小さな、生まれて数日しかたっていないとさえ思われる雪白(レコーマー)だ。
常なら見知らぬものには慣れないのに、一頭で放っておかれて寂しかったのだろう、人なつこく側へやってきて、ユーノにそっと体をすり寄せた。
「ミアア…」
甘えた声で小さく鳴く。
「どうしたの?」
剣をおさめ、しゃがみ込む。
雪白(レコーマー)はユーノが抱え込めるほどの大きさしかなかったが、幼くとも、その瞳の深さは変わらず、鳴き声に哀愁漂う音色も既に備わっている。抱えたユーノの温もりにほっとしたように、おそるおそるこちらを見上げてもう一度、ミアア、と甘え鳴きをした。
「こんな所にどうして一頭で」
「トゥサ!」
突然リークが叫んでどきりとした。
雪白(レコーマー)も同じ気持ちだったのだろう、怯えたようにユーノの腕から数歩、元の闇へ後じさりする、と、その首のあたりに金属の札のようなものがきらりと光った。
「やっぱりそうだ!」
「何だい?」
「こいつはトゥサだよ。アルトが特別に目をかけていた雪白(レコーマー)だ。一体どこから入ってきたのかな」
「トゥサ?」
ユーノが呼んでみると、雪白(レコーマー)は、ただ一つの青い眼を微かに潤ませ、優しい色を浮かべた。ゆっくり戻ってきて、伸ばしたユーノの掌にそっと鼻面を押し付け、続いて軽く体を擦り付けて誘うように向きを変え、闇に向かってミアア、と鳴いてみせる。
「リーク」
「ああ、ひょっとしたら、こいつ、アルトの居場所を知っているのかも知れない」
リークと共に歩き出したトゥサの後を追い始めたが、何分にも暗闇の岩場、勝手知ったように歩を進めるトゥサの後についていくのは並大抵ではない。
「大丈夫?」
「な、なんとか…」
躓きつつ、岩を越え、回り込み、四苦八苦しながら闇の中を導かれて、ようやく二人が辿り着いたのは、明らかに人工のものと思われる小広間、数人の黒衣の男達がたむろしている一角に牢がしつらえてあり、その中にくすん、くすん、と小さな声で泣いている少年の姿がある。
闇を照らすこもったような鈍いオレンジ色の松明の光の中、少年がはっとしたようにこちらを見て喜色を浮かべ、立ち上がった。
「トゥサ!」
澄んだ高い声が、牢の中から雪白(レコーマー)に向かって響いた。これもまた止める術なく、
「ミアア…」
応えるように鳴いたトゥサが牢に近寄っていく。
「お、こいつどこから」
(いきなりかよ)
舌打ちしつつユーノは剣を抜き放った。
幸い、『運命(リマイン)』の気配はなく、黒衣の男達の注意は駆け寄っていく雪白(レコーマー)に集まる。リークに合図を送るのももどかしく、無言で男達の背後から急襲した。
「う、あっ」
「ぎゃっ」
雪白(レコーマー)に逸らした注意を、抜き身の剣を引っさげて走り寄るユーノに引き戻す前に、男達は一人二人と血煙を上げて倒れていく。
「このっ……があっ」
ようやく剣に手をかけた者も次の瞬間には骸になっていた。間を走り抜けたリークが倒れた男の腰から鍵束を見つけ、牢の鍵を急いで外す。
「アルト!」
「『風の申し子』! 来てくれたんだね!」
喜びの声を上げて飛び出す少年を、リークが強く抱き締めた。深い信頼を思わせるアルトの無防備な仕草、それを愛おしいと思っているリークの安堵が伝わってくる。
(私はアシャにあんな風には振る舞えない)
視察官(オペ)としての腕を信じていないわけではない。人柄を評価しないわけではない。仮にレアナの想い人でなかったとしても、ユーノはアルトのようにアシャに飛びつくことはできない。むしろきっと詰るだろう、こんなところへ自分を探しに来る危険を考えなかったのか。声を苛立たせ不愉快そうに責めてしまうかも知れない。
(アシャはきっと、わかった、と苦笑して)
ユーノに背中を向けるのだろう、仕方のない跳ねっ返りだと。
「さ、行こう!」
思考を断ち切るようにユーノはリーク達に声をかけた。
「長居は無用、さっさとここを出て…」
ぐるりと見回した先、松明の光に照らされて妙なものが見えた。牢の奥に晶石を彫り込んだ窪みがある。その中に、何か人形のようなものが一体置かれている。
「あれは…」
「ユーノ?」
ゆっくり息を詰めて近寄って、相手が身動き一つしないのに眉を寄せた。
「やっぱり『運命(リマイン)』……」
岩の玉座に埋まり込むように座っているのは、黒い髪に黒尽くめの服装、真紅の眼を見開いた、男女区別のつかない一人の人間の姿だ。
だが、瞳は虚ろに前方の虚空を見据え、ユーノが覗き込むのに注意を引き戻す様子もない。まるで魂が肉体の中身から離れてしまった抜け殻のようだ。
「ひょっとすると」
「どうしたんだ、ユーノ」
不安そうなリークの声に、ユーノは一旦おさめていた剣を再び抜いた。
ごくりと干涸びてくる喉に唾を呑み込み、そっと近づく。相手の反応は未だない。
(もし、私の考えている通りなら…)
剣を振り上げ、狙いを定める。と、ふいに『運命(リマイン)』の目に生気が戻ってきた。
ギロリと下からユーノをねめつける。邪悪に輝く真紅の瞳と視線が重なる、同時に、ユーノは渾身の力をこめて剣を振り下ろしていた。無念そうな目で『運命(リマイン)』が崩れ落ち、ひくりと指が痙攣したが、それきりだった。『運命(リマイン)』の体から見る見る力が抜けていく。
「む」
茫然としていたリークが駆け寄ってきた。閃かせたのは例の短剣、さすがにためらうことなくとどめを刺すと、『運命(リマイン)』は刺された場所から腐食するように黒く焦げた塊に変わった。
「…ミアア…」
恐ろしさに声も出ずに竦んでいるアルトの側を、全てが終わったと言いたげにトゥサが擦り抜け、小広間から裂け目を通って出て行こうとする。『運命(リマイン)』の残滓から身を翻し、トゥサに従おうとするユーノにも、アルトは怯えた視線を向けて、側に戻ったリークの服の裾をしっかりと握りしめる。
その光景を視界の端で捉えながら、同じ『銀の王族』でも全く違う、とユーノは苦々しい思いになった。
(もし、ハイラカならどうしただろう)
同じ状況で、壁に魂の抜けた体を横たえている敵と遭遇したら。
皮肉に唇を歪めて嗤う。
(きっと……殺しはしなかっただろうな)
「くそおっっ」
きりがねえなあっっ!
イルファの大声が洞窟に反響した。殴り、蹴り、引き倒し、体当たりをしても、白骨化した雪白(レコーマー)の群れは突進してくるのを止めない。
「ア、アシャ…っ」
息も絶え絶えのエタの声に、アシャは手元に絡み付いてきた白い毛と白い骨の複合体を叩き斬り、振り返りざまに相手に覆い被さっていた一体を蹴り飛ばした。
「いつになったら終わるっ」
「知るかっ」
背中を合わせたイルファがさすがに喘ぎながら尋ねてくるのを、突き飛ばしてアシャはくるりと空に舞った。突っ込んできた雪白(レコーマー)の肩を押し、片腕でなお上空へと跳ねて距離を稼ぎ、落ちる重さで一体、二体、三体を蹴ったところで噛み付かれて地面に引き倒される。激しく叩き付けられかけたのを体重を殺して最小限の被害で堪え、素早く手と脚で地面を弾いてどさりと落ちてきた次の一体から逃げた。
(操っているのは『運命(リマイン)』)
大元さえ潰せば凌げるが、圧倒的な数と際限なく起き上がる敵、イルファだけならまだしも、エタを抱えた状態では脱出できるかどうかさえ危うい。
(どうする)
視線を向けたのは黄金の短剣、増幅させて一気に平らげることもできなくはないが、この洞窟はその衝撃を堪えてくれるのか。万が一、ユーノ達の入り込んでいるどこかに繋がっているならば、その場所の崩落も招かないか。
「も、もう……、これは…っ」
エタが必死に走っている、その背後から飛びかかりかけた小動物の骨を砕いて飛ばし、後に迫った雪白(レコーマー)の白骨の頭にとんぼを切って飛び乗る。高みで広がった視界で洞窟を確認するが、いかんせん、光量が少ない、詳細は不明だ。
「うぉおおおおっ」
ごっしゃああ、と巨大な骨の塊が崩れた。下敷きになって巻き込まれたイルファが喚きながら跳ね起きようとする、その肩からなおも積まれる骨、さすがにアシャも間に合わない、と、その時。
「うぐお………あ、ん?」
ふいに全てが止まった。
「なんだ?」
がしゃんっ、とイルファの埃塗れの太い腕が、のしかかった骨を軽々と跳ね飛ばした。エタの左右で今にも襲いかかってこようとしていた白骨が次々崩れる。
「終わった、らしいな」
アシャが短剣を片付ける。
「おわ…った…?」
エタが青ざめた表情で次々と元の屍に戻っていく雪白(レコーマー)達を見回した。がしゃっ、ぐしゃっと改めて骨の砕ける音、肉の落ちる音が響き、今の今まで信じられないほどの速度で迫っていた巨体が倒れていく。血に濡れたエタの腕、引き裂かれたアシャの片袖、イルファの頬には一文字の傷跡、けれどそれらがなければ、今の今まで悪夢を見ていたとしか思えないほどのあっけなさ、やがて埃にエタがむせて咳き込む音だけが弱々しく聞こえる静寂が戻った。
「…どうなってんだ?」
「どうやら源が殺られたらしいな」
「誰が殺った?」
「……想像はつくが」
あんまり好ましくない状態だな、とアシャが眉を顰め、額を拭いながら顔を上げ、瞬きした。
「ユーノ!」
「…やあ、アシャ」
洞窟の隅の裂け目からひょこりと顔を出したのは他ならぬユーノ、その後から小さな雪白(レコーマー)を抱えた少年とリークが続いて出て来る。
「無事だったか!」
エタが嬉しそうな声を上げ、リークもほっとしたように顔を緩めたが、すぐにこちらの状況に気づいたようだ。
「どうしたんです?」
「どうもこうもないぞ!」
ここぞとばかりにイルファが、白骨の大群に囲まれ獅子奮迅の働きをしたことを、大仰に身振り手振りを加えて熱弁し始めた。
「それでだな、果てしなく襲いかかってくる敵をこう千切っては投げちぎっては投げ、こっちからこう来たやつをこうしてだな、そこへそっちからこう来たのをこうしてだな!」
「……の割には、傷だらけじゃないか」
「何を言う! 俺は孤軍奮闘しつつだな!」
ユーノの突っ込みにイルファが唾を飛ばして力説する。それをうんうんと頷きながら聞くユーノには、幸い傷は増えていないようだ。
(よし)
『運命(リマイン)』をどうやって仕留めたのかは、後でおいおい聞くとして、とアシャが安堵したとたん、
「じゃあ、それってボクがあいつを殺ったから、イルファ達が助かったってことだろ」
「そ、そんなことはない!」
確かにアシャ達はかなり危険だったが、俺はとにかく全くもって完全に無事で安全だったのだ!
「そもそも、こんな中身のない白骨崩れにこの俺が」
「はいはい、イルファにとっては食い足りなかったほどなんだよね」
くすくす笑ったユーノがふいとこちらを見上げてくる。
「無事でよかったよ」
相手の甘い目の色に、自分への心配を読み取って浮き立ってしまうのに苦笑しながら、アシャは笑み返した。
「お前こそな」
「ボクは平気」
一瞬のかぎろい、けれどそれはすぐに悪戯っぽい微笑の中に消えてしまう。覗き込もうとしたアシャの視線を振り切るように、くるりと向けた背中の向こうから、明るい声が響く。
「ボクの心配はいらないよ、アシャ。早く戻ろう、レス達が心配してる」
「おおそうだ! 腹もいい具合に減ったしな!」
「ああいう後で食事ですか……」
「何を言う、しっかり食べておいたから生き延びられているのだ!」
これは世界の真理だぞ。
大真面目なイルファのことばに、ようやく一同に笑いが戻った。
空は青く澄んでいた。
「それでは、姫君」
拝跪の礼をとったアシャが、差し伸べられた指先に軽く口づける。頷くメーネを安心させるように笑って馬に跨がった。ユーノも同様、メーネに礼を取り、立ち上がる。
「『貴婦人』、いろいろとお力添え、ありがとうございました」
「いいえ、力を貸してもらったのはこちらです、ユーノ」
微笑むメーネが心配そうにアシャを見やる。その仕草は、高貴な身分にしては明け透けすぎるほどの恋慕、振り向きもしないアシャの横顔は透明で静かな笑みのまま、鮮やかすぎる応えがそこにある、あなたの気持ちを受け取ることはできない、と。
アルトとリークは既に先日ラズーンへ旅立っていた。同じように先を急ごうとするアシャを、それとなく繰り返し引き止めていたメーネ、それを深めることなく、かといって遠ざけすぎることもなく流しおおせたアシャの言動は、ユーノの知らないアシャのもう一つの顔だった。
(これほど綺麗な人にこれだけ想われても揺らがない、なんて)
それほどレアナが愛しい、と暗に示されているようで。
それほどユーノの存在もまた、この先視界に入ることはないと告げられているようで。
(もちろん、レアナ姉さまがいるんだし、そんなことは、望まない、けれど)
「お心遣い、感謝します」
アシャを見つめるメーネ、振り返りもしないアシャ、その光景を断ち切るようにユーノがもう一度頭を下げてヒストに手をかけると、
「ユーノ…」
「…はい?」
ふと、メーネが引き止めた。振り向くユーノをまっすぐに見つめ返したメーネが、一瞬視線をアシャに向け、すぐにユーノを見つめ直す。
「一つ……伝えたいことが」
「何でしょう?」
「アシャはあなたを」
「は?」
思い詰めた声、珍しく両手をしっかり握りしめて、メーネはユーノを見つめる。
「アシャが、ボクを?」
続かないことばに先を促すと、メーネはもう一度視線を逸らせた。その先を追って振り向いた視界、さっきまで仮面のように笑んでいたアシャが馬上から振り返っているのに気づく。
「……」
アシャは笑みを消している。見開いた紫の瞳が、光を弾いてきらきらと輝いている。
それはまるでどこかの神殿の彫像のようだった。無言で見下ろしてくる視線は、人のものとは思えないほど冷たい。
「アシャ? …どうしたの?」
問うユーノを無視して、何かしら二人の間で動いたような気がした。やがて、
「……いいえ」
メーネがのろのろと視線を戻してくる。
「何でもないわ……よい旅を」
囁くように呟いたメーネの瞳が潤んでいるのは気がかりだったが、それ以上を話す気もなく、問わせる気もない気配があった。
「行くぞ」
アシャが短く言い放って馬を歩ませ始め、先に礼を済ませていたレスファートとイルファがその後に続く。ユーノも、見送るメーネに軽く頭を下げて、すぐに後を追う。
ミアアア……。
遠い雪白(レコーマー)の声が、背中から風と一緒に吹き付け、ユーノ達を次の国へと押しやった。
「え?」
物音に誰何しながら剣を抜きかけたユーノは、弱々しい雪白(レコーマー)の声が返ってきたのに気を削がれた。
とことこと、闇の中から仄白い体が近寄ってくる。ほんの小さな、生まれて数日しかたっていないとさえ思われる雪白(レコーマー)だ。
常なら見知らぬものには慣れないのに、一頭で放っておかれて寂しかったのだろう、人なつこく側へやってきて、ユーノにそっと体をすり寄せた。
「ミアア…」
甘えた声で小さく鳴く。
「どうしたの?」
剣をおさめ、しゃがみ込む。
雪白(レコーマー)はユーノが抱え込めるほどの大きさしかなかったが、幼くとも、その瞳の深さは変わらず、鳴き声に哀愁漂う音色も既に備わっている。抱えたユーノの温もりにほっとしたように、おそるおそるこちらを見上げてもう一度、ミアア、と甘え鳴きをした。
「こんな所にどうして一頭で」
「トゥサ!」
突然リークが叫んでどきりとした。
雪白(レコーマー)も同じ気持ちだったのだろう、怯えたようにユーノの腕から数歩、元の闇へ後じさりする、と、その首のあたりに金属の札のようなものがきらりと光った。
「やっぱりそうだ!」
「何だい?」
「こいつはトゥサだよ。アルトが特別に目をかけていた雪白(レコーマー)だ。一体どこから入ってきたのかな」
「トゥサ?」
ユーノが呼んでみると、雪白(レコーマー)は、ただ一つの青い眼を微かに潤ませ、優しい色を浮かべた。ゆっくり戻ってきて、伸ばしたユーノの掌にそっと鼻面を押し付け、続いて軽く体を擦り付けて誘うように向きを変え、闇に向かってミアア、と鳴いてみせる。
「リーク」
「ああ、ひょっとしたら、こいつ、アルトの居場所を知っているのかも知れない」
リークと共に歩き出したトゥサの後を追い始めたが、何分にも暗闇の岩場、勝手知ったように歩を進めるトゥサの後についていくのは並大抵ではない。
「大丈夫?」
「な、なんとか…」
躓きつつ、岩を越え、回り込み、四苦八苦しながら闇の中を導かれて、ようやく二人が辿り着いたのは、明らかに人工のものと思われる小広間、数人の黒衣の男達がたむろしている一角に牢がしつらえてあり、その中にくすん、くすん、と小さな声で泣いている少年の姿がある。
闇を照らすこもったような鈍いオレンジ色の松明の光の中、少年がはっとしたようにこちらを見て喜色を浮かべ、立ち上がった。
「トゥサ!」
澄んだ高い声が、牢の中から雪白(レコーマー)に向かって響いた。これもまた止める術なく、
「ミアア…」
応えるように鳴いたトゥサが牢に近寄っていく。
「お、こいつどこから」
(いきなりかよ)
舌打ちしつつユーノは剣を抜き放った。
幸い、『運命(リマイン)』の気配はなく、黒衣の男達の注意は駆け寄っていく雪白(レコーマー)に集まる。リークに合図を送るのももどかしく、無言で男達の背後から急襲した。
「う、あっ」
「ぎゃっ」
雪白(レコーマー)に逸らした注意を、抜き身の剣を引っさげて走り寄るユーノに引き戻す前に、男達は一人二人と血煙を上げて倒れていく。
「このっ……があっ」
ようやく剣に手をかけた者も次の瞬間には骸になっていた。間を走り抜けたリークが倒れた男の腰から鍵束を見つけ、牢の鍵を急いで外す。
「アルト!」
「『風の申し子』! 来てくれたんだね!」
喜びの声を上げて飛び出す少年を、リークが強く抱き締めた。深い信頼を思わせるアルトの無防備な仕草、それを愛おしいと思っているリークの安堵が伝わってくる。
(私はアシャにあんな風には振る舞えない)
視察官(オペ)としての腕を信じていないわけではない。人柄を評価しないわけではない。仮にレアナの想い人でなかったとしても、ユーノはアルトのようにアシャに飛びつくことはできない。むしろきっと詰るだろう、こんなところへ自分を探しに来る危険を考えなかったのか。声を苛立たせ不愉快そうに責めてしまうかも知れない。
(アシャはきっと、わかった、と苦笑して)
ユーノに背中を向けるのだろう、仕方のない跳ねっ返りだと。
「さ、行こう!」
思考を断ち切るようにユーノはリーク達に声をかけた。
「長居は無用、さっさとここを出て…」
ぐるりと見回した先、松明の光に照らされて妙なものが見えた。牢の奥に晶石を彫り込んだ窪みがある。その中に、何か人形のようなものが一体置かれている。
「あれは…」
「ユーノ?」
ゆっくり息を詰めて近寄って、相手が身動き一つしないのに眉を寄せた。
「やっぱり『運命(リマイン)』……」
岩の玉座に埋まり込むように座っているのは、黒い髪に黒尽くめの服装、真紅の眼を見開いた、男女区別のつかない一人の人間の姿だ。
だが、瞳は虚ろに前方の虚空を見据え、ユーノが覗き込むのに注意を引き戻す様子もない。まるで魂が肉体の中身から離れてしまった抜け殻のようだ。
「ひょっとすると」
「どうしたんだ、ユーノ」
不安そうなリークの声に、ユーノは一旦おさめていた剣を再び抜いた。
ごくりと干涸びてくる喉に唾を呑み込み、そっと近づく。相手の反応は未だない。
(もし、私の考えている通りなら…)
剣を振り上げ、狙いを定める。と、ふいに『運命(リマイン)』の目に生気が戻ってきた。
ギロリと下からユーノをねめつける。邪悪に輝く真紅の瞳と視線が重なる、同時に、ユーノは渾身の力をこめて剣を振り下ろしていた。無念そうな目で『運命(リマイン)』が崩れ落ち、ひくりと指が痙攣したが、それきりだった。『運命(リマイン)』の体から見る見る力が抜けていく。
「む」
茫然としていたリークが駆け寄ってきた。閃かせたのは例の短剣、さすがにためらうことなくとどめを刺すと、『運命(リマイン)』は刺された場所から腐食するように黒く焦げた塊に変わった。
「…ミアア…」
恐ろしさに声も出ずに竦んでいるアルトの側を、全てが終わったと言いたげにトゥサが擦り抜け、小広間から裂け目を通って出て行こうとする。『運命(リマイン)』の残滓から身を翻し、トゥサに従おうとするユーノにも、アルトは怯えた視線を向けて、側に戻ったリークの服の裾をしっかりと握りしめる。
その光景を視界の端で捉えながら、同じ『銀の王族』でも全く違う、とユーノは苦々しい思いになった。
(もし、ハイラカならどうしただろう)
同じ状況で、壁に魂の抜けた体を横たえている敵と遭遇したら。
皮肉に唇を歪めて嗤う。
(きっと……殺しはしなかっただろうな)
「くそおっっ」
きりがねえなあっっ!
イルファの大声が洞窟に反響した。殴り、蹴り、引き倒し、体当たりをしても、白骨化した雪白(レコーマー)の群れは突進してくるのを止めない。
「ア、アシャ…っ」
息も絶え絶えのエタの声に、アシャは手元に絡み付いてきた白い毛と白い骨の複合体を叩き斬り、振り返りざまに相手に覆い被さっていた一体を蹴り飛ばした。
「いつになったら終わるっ」
「知るかっ」
背中を合わせたイルファがさすがに喘ぎながら尋ねてくるのを、突き飛ばしてアシャはくるりと空に舞った。突っ込んできた雪白(レコーマー)の肩を押し、片腕でなお上空へと跳ねて距離を稼ぎ、落ちる重さで一体、二体、三体を蹴ったところで噛み付かれて地面に引き倒される。激しく叩き付けられかけたのを体重を殺して最小限の被害で堪え、素早く手と脚で地面を弾いてどさりと落ちてきた次の一体から逃げた。
(操っているのは『運命(リマイン)』)
大元さえ潰せば凌げるが、圧倒的な数と際限なく起き上がる敵、イルファだけならまだしも、エタを抱えた状態では脱出できるかどうかさえ危うい。
(どうする)
視線を向けたのは黄金の短剣、増幅させて一気に平らげることもできなくはないが、この洞窟はその衝撃を堪えてくれるのか。万が一、ユーノ達の入り込んでいるどこかに繋がっているならば、その場所の崩落も招かないか。
「も、もう……、これは…っ」
エタが必死に走っている、その背後から飛びかかりかけた小動物の骨を砕いて飛ばし、後に迫った雪白(レコーマー)の白骨の頭にとんぼを切って飛び乗る。高みで広がった視界で洞窟を確認するが、いかんせん、光量が少ない、詳細は不明だ。
「うぉおおおおっ」
ごっしゃああ、と巨大な骨の塊が崩れた。下敷きになって巻き込まれたイルファが喚きながら跳ね起きようとする、その肩からなおも積まれる骨、さすがにアシャも間に合わない、と、その時。
「うぐお………あ、ん?」
ふいに全てが止まった。
「なんだ?」
がしゃんっ、とイルファの埃塗れの太い腕が、のしかかった骨を軽々と跳ね飛ばした。エタの左右で今にも襲いかかってこようとしていた白骨が次々崩れる。
「終わった、らしいな」
アシャが短剣を片付ける。
「おわ…った…?」
エタが青ざめた表情で次々と元の屍に戻っていく雪白(レコーマー)達を見回した。がしゃっ、ぐしゃっと改めて骨の砕ける音、肉の落ちる音が響き、今の今まで信じられないほどの速度で迫っていた巨体が倒れていく。血に濡れたエタの腕、引き裂かれたアシャの片袖、イルファの頬には一文字の傷跡、けれどそれらがなければ、今の今まで悪夢を見ていたとしか思えないほどのあっけなさ、やがて埃にエタがむせて咳き込む音だけが弱々しく聞こえる静寂が戻った。
「…どうなってんだ?」
「どうやら源が殺られたらしいな」
「誰が殺った?」
「……想像はつくが」
あんまり好ましくない状態だな、とアシャが眉を顰め、額を拭いながら顔を上げ、瞬きした。
「ユーノ!」
「…やあ、アシャ」
洞窟の隅の裂け目からひょこりと顔を出したのは他ならぬユーノ、その後から小さな雪白(レコーマー)を抱えた少年とリークが続いて出て来る。
「無事だったか!」
エタが嬉しそうな声を上げ、リークもほっとしたように顔を緩めたが、すぐにこちらの状況に気づいたようだ。
「どうしたんです?」
「どうもこうもないぞ!」
ここぞとばかりにイルファが、白骨の大群に囲まれ獅子奮迅の働きをしたことを、大仰に身振り手振りを加えて熱弁し始めた。
「それでだな、果てしなく襲いかかってくる敵をこう千切っては投げちぎっては投げ、こっちからこう来たやつをこうしてだな、そこへそっちからこう来たのをこうしてだな!」
「……の割には、傷だらけじゃないか」
「何を言う! 俺は孤軍奮闘しつつだな!」
ユーノの突っ込みにイルファが唾を飛ばして力説する。それをうんうんと頷きながら聞くユーノには、幸い傷は増えていないようだ。
(よし)
『運命(リマイン)』をどうやって仕留めたのかは、後でおいおい聞くとして、とアシャが安堵したとたん、
「じゃあ、それってボクがあいつを殺ったから、イルファ達が助かったってことだろ」
「そ、そんなことはない!」
確かにアシャ達はかなり危険だったが、俺はとにかく全くもって完全に無事で安全だったのだ!
「そもそも、こんな中身のない白骨崩れにこの俺が」
「はいはい、イルファにとっては食い足りなかったほどなんだよね」
くすくす笑ったユーノがふいとこちらを見上げてくる。
「無事でよかったよ」
相手の甘い目の色に、自分への心配を読み取って浮き立ってしまうのに苦笑しながら、アシャは笑み返した。
「お前こそな」
「ボクは平気」
一瞬のかぎろい、けれどそれはすぐに悪戯っぽい微笑の中に消えてしまう。覗き込もうとしたアシャの視線を振り切るように、くるりと向けた背中の向こうから、明るい声が響く。
「ボクの心配はいらないよ、アシャ。早く戻ろう、レス達が心配してる」
「おおそうだ! 腹もいい具合に減ったしな!」
「ああいう後で食事ですか……」
「何を言う、しっかり食べておいたから生き延びられているのだ!」
これは世界の真理だぞ。
大真面目なイルファのことばに、ようやく一同に笑いが戻った。
空は青く澄んでいた。
「それでは、姫君」
拝跪の礼をとったアシャが、差し伸べられた指先に軽く口づける。頷くメーネを安心させるように笑って馬に跨がった。ユーノも同様、メーネに礼を取り、立ち上がる。
「『貴婦人』、いろいろとお力添え、ありがとうございました」
「いいえ、力を貸してもらったのはこちらです、ユーノ」
微笑むメーネが心配そうにアシャを見やる。その仕草は、高貴な身分にしては明け透けすぎるほどの恋慕、振り向きもしないアシャの横顔は透明で静かな笑みのまま、鮮やかすぎる応えがそこにある、あなたの気持ちを受け取ることはできない、と。
アルトとリークは既に先日ラズーンへ旅立っていた。同じように先を急ごうとするアシャを、それとなく繰り返し引き止めていたメーネ、それを深めることなく、かといって遠ざけすぎることもなく流しおおせたアシャの言動は、ユーノの知らないアシャのもう一つの顔だった。
(これほど綺麗な人にこれだけ想われても揺らがない、なんて)
それほどレアナが愛しい、と暗に示されているようで。
それほどユーノの存在もまた、この先視界に入ることはないと告げられているようで。
(もちろん、レアナ姉さまがいるんだし、そんなことは、望まない、けれど)
「お心遣い、感謝します」
アシャを見つめるメーネ、振り返りもしないアシャ、その光景を断ち切るようにユーノがもう一度頭を下げてヒストに手をかけると、
「ユーノ…」
「…はい?」
ふと、メーネが引き止めた。振り向くユーノをまっすぐに見つめ返したメーネが、一瞬視線をアシャに向け、すぐにユーノを見つめ直す。
「一つ……伝えたいことが」
「何でしょう?」
「アシャはあなたを」
「は?」
思い詰めた声、珍しく両手をしっかり握りしめて、メーネはユーノを見つめる。
「アシャが、ボクを?」
続かないことばに先を促すと、メーネはもう一度視線を逸らせた。その先を追って振り向いた視界、さっきまで仮面のように笑んでいたアシャが馬上から振り返っているのに気づく。
「……」
アシャは笑みを消している。見開いた紫の瞳が、光を弾いてきらきらと輝いている。
それはまるでどこかの神殿の彫像のようだった。無言で見下ろしてくる視線は、人のものとは思えないほど冷たい。
「アシャ? …どうしたの?」
問うユーノを無視して、何かしら二人の間で動いたような気がした。やがて、
「……いいえ」
メーネがのろのろと視線を戻してくる。
「何でもないわ……よい旅を」
囁くように呟いたメーネの瞳が潤んでいるのは気がかりだったが、それ以上を話す気もなく、問わせる気もない気配があった。
「行くぞ」
アシャが短く言い放って馬を歩ませ始め、先に礼を済ませていたレスファートとイルファがその後に続く。ユーノも、見送るメーネに軽く頭を下げて、すぐに後を追う。
ミアアア……。
遠い雪白(レコーマー)の声が、背中から風と一緒に吹き付け、ユーノ達を次の国へと押しやった。
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