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8.月獣(ハーン)(3)
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『アシャ…』
「ん?」
ふいに、誰かに呼ばれたような気がして、アシャは馬を駆りながら振り返った。
駆け過ぎてきた街並みは仄白く、白骨じみた虚ろさをたたえて静まり返り、人の気配も『運命(リマイン)』の気配もない。
(空耳か…)
アシャは再び厳しい顔になって馬を駆った。
(ここまで『運命(リマイン)』が思い切った手を打ってくるとは思わなかった)
ギヌアが出てくるほどだから、追い詰められてきているとは思っていたが、カザド兵なら捕らわれてもユーノの命に猶予がある。しかし、『運命(リマイン)』の手に囚われたとしたら、ユーノが生きて戻ってくる望みはほとんどない。
(『銀の王族』か…)
かつてはその名ゆえに幸せを約束されていたものが、今やその名ゆえに『運命(リマイン)』に狙われる。
(皮肉なことだ)
顔を歪める。
(イルファはもう俺の正体を察したか)
いくら女に甘く物事にこだわらない大雑把な性格とはいえ、伊達や酔狂で近衛の剣士だったのではない、あの地図からアシャの正体に見当をつけるぐらい、やってのけるはずだ。
正直なところ、アシャはどうしてイルファにあの地図を渡してしまったのか、よくわからなかった。別にあの家で再び落ち合えば済む事なのだ。
あるいは、アシャの本能が、これからぶつかろうとしている相手を恐れて、そうさせたのかも知れない。
(俺がもし死ぬようなことがあっても、あの地図があれば、イルファとレスはラズーンに着ける)
だが、それだけではないもの、何かがアシャにああさせた。正体を隠したまま、イルファ達と付き合っていくのに苦さを残し始めていた、何かが。
(長く一緒に居過ぎたな)
これほど長く、旅を共に続けてきた仲間などかつてない。
(俺も甘い)
苦笑いした。
自分の立場も成り立ちも十二分に理解しているはずなのに、だからこそ絆など一切結ばずに来たのに。
(ユーノに出会ってから、か)
失いたくない繋がりがあるのだと、初めて気づいた。
(それにしても、月獣(ハーン)を使うなんて…)
『運命(リマイン)』らしくない。
考えたアシャの耳に、彼のものではない、もう一頭の蹄の音が重なってくるのが届く。
鋭い神経質な音、聞き覚えのある掛け声、息づかい。
「来たか」
アシャは目を細めた。
家屋を隔てて、一筋向こうを駆けていると思われる蹄の音、その馬を駆っている相手に視線を向ける。
視界に流れていく街並みの、ところどころにぽっかり開いた向こうの筋へ続く小路が、アシャと同速で駆ける黒馬を垣間見せる。子ども達が祭りで楽しむ、明かりの周囲を回る人形のおもちゃのように、闇に溶ける黒衣が閃いている。白い肌に風に乱れた短い白髪が激しく躍り、白い炎が黒衣を纏って馬を駆り立てているようにも見える。
相手は視線に気づいたようにこちらを向いた。真紅の瞳が彼を見つめ、不敵な笑みが唇を歪める。
「ギヌア・ラズーン…」
アシャは重い怒りを込めて呟いた。
正面に、街の広場だろう、開けた場所がある。中央に噴水、これほど街が荒れているのに、澄んだ水はさらさらと音をたてて噴き上がり、水盤へなだれ落ちていた。激しく石を削っていた蹄の音が次第に速度を落として、水盤の回りを巡り、入り乱れて響き合う。
やがて、二人の男は猛る馬を互いに御しながら、水盤を挟んで向かい合った。
「久しぶりだな、アシャ・ラズーン」
太く明瞭な声がギヌアの口から響いた。
「あれで終わりかと思っていたのにな」
「俺を見くびるなよ」
アシャは冷ややかに応じた。
「あの程度で、ラズーンの正統後継者がやられると思ったのか」
アシャの脳裏に、別れた時が甦ってくる……。
アシャがレクスファを発ったのは夜遅くだった。盗賊王を倒した祝宴の最中に、そっと抜け出してきたのだ。
今までの経験から、長居しすぎると碌なことがないとわかっていた。影のように離れたため、ほんの少しの用具しか持ち出せなかった。
(ラズーン支配下(ロダ)なら、いうほどのこともあるまい)
それに。
(世界の果てに溶け入ることもまたよし)
誰もが望むだろう称号(クラノ)を捨て、一人の視察官(オペ)、一人の人間として行きていくことを選んだ。快適さや安全を満たすことなど望んでいない。
それに、どうしてもとなれば、宙道(シノイ)を使えばいい。
「…と」
そこまで考えて、はっと荷物を改め、短剣まで置き去ってきたことに気づき、舌打ちする。
(どうかしている)
たぶん、あのイルファとかいう剣士のせいだ。アシャが男なのが不服でたまらない様子、そのまま夜半になだれこめば厄介なことになりそうだった。
しかし、短剣は視察官(オペ)の認識票でもある。ラズーン支配下(ロダ)に放り出しておけるものでもない。否応なくレクスファに戻るしかない。
(さてどうやってあいつを出し抜くか)
溜め息をついて向きを変えた瞬間、背後に突然殺気を感じた。
「っ!」
一気に金のオーラがアシャに絡み付き押し包む。不意を突かれて抵抗できないまま、まともに衝撃波をくらった。
「うっ…」
霞がかかる頭に驚愕が広がる。
金のオーラは視察官(オペ)のみが操れるはず、どうして視察官(オペ)が同じ視察官(オペ)を、それもラズーンのアシャを攻撃してくるのか。
(く、そっ)
眩む視界、片膝をついて、それでも必死に振り返ると、煌めくオーラの中で真紅の瞳がほくそ笑んでいた。
「な、に…っ」
「死んで頂こう、アシャ・ラズーン」
「その声、は」
再び衝撃を叩きつけられ、崩れ落ちながら呻く。
「ギヌア・ラズー……っぐっ!」
倒れたところを腹を、続いて頭を激しく蹴られて歯を食いしばった。
「その名を呼ぶな」
ラズーンの第二正統後継者であるはずのギヌアが、歪んだ表情で見下ろしてくる。
「私は、只今この時から『運命(リマイン)』に君臨する」
「ば…かな……ことを…」
立場も忘れて冷笑が零れた。
正統後継者であるということは、この世界の成り立ちとラズーンの意味を理解しているということだ。この世界が如何に脆く危うい基盤の上に存在しているかを知っているということだ。そのうえで、この崩れやすい幻を支配したがる気持ちがアシャには理解できない。ましてや、『運命(リマイン)』は、その中の幻の一つでしかない、君臨し支配するだけの存在さえ確保されていないのに。
「ラズーンが……滅べば…『運命(リマイン)』も……同じ…っが、あっ」
立て続けにボロ切れのように蹴られ、跳ね飛ばされた。金のオーラに縛られ、意識も同時に刻まれて、一気に気力と体力が奪われる。支配下(ロダ)に居ると思い込んだ支配者の驕り、そう嗤われても当然だと臍を噛みながら、
「それはどうだかな」
にんまり笑ったギヌアの顔を見上げた、それが最後の意識だった。
そこからいつ気がついて、どこをどうしてセレドまで辿りついたのか、なぜギヌアはアシャを屠らなかったのか。思念とオーラで空間に道を開く宙道(シノイ)は使えるような状態ではなかったはずだったが、それでもアシャはギヌアから逃れ切ったのだ。
「あの時はいい様だったな、アシャ」
ギヌアは嘲った。
「ラズーンの第一後継者ともあろうものが、第二後継者にまんまとしてやられるとは」
「そういうお前こそ、あそこまで俺を追い詰めておきながら、仕留め損なったのは最大の過ちだ」
アシャは嘲笑を返した。
「詰めの甘さは、どこまで行っても二番手でしかない証拠だな」
ギヌアが唇を歪める。
「我が身可愛さにこそこそ隠れていた男に言えるものか、重責から逃げたくせに」
「『太皇(スーグ)』に既に許しを得た」
ギヌアの嘲りを、アシャは突き放した。
「俺はただの視察官(オペ)として生きる。ラズーンを継ぐよりこちらの方が性に合う。それほど力が欲しいなら、ラズーンはお前が継げば」
「それが気に食わないのさ」
ギヌアが目を細めて遮った。
「なまじ力があるからと、小賢しい謙遜ぶったことを。私を哀れんででもいるのか」
歪めた唇から刺々しい声を吐き捨てる。
「『太皇(スーグ)』は今でもお前をお気に入りだ」
「それで『運命(リマイン)』に降りたのか」
ぴくり、とギヌアは額をひきつらせた。
「関係がない」
冷ややかな声で続ける。
「ラズーンの二百年祭を見ているうちに愚かしさが見えてきたのだ。既にラズーンは過去の遺物、現世を治めるに相応しいものではない。我等が力は充分に熟した。お前もそれを知り尽くしただろう、ラズーンのアシャ」
沈黙が満ちた。
再びゆっくりとギヌアの馬が進み始める。受けてアシャも静かに馬を進ませる。距離をはかり、間合いを見る二人の間に見えない火花が激しく散る。
「『運命(リマイン)』に来い、アシャ」
ふいに、ぽつりとギヌアが吐いた。
「嫌だと言ったら」
冷たくアシャが返す。
「ラズーンの先は見えている」
ギヌアが応じる。
「ラズーンの欠陥が太古生物を復活させ、この世界を二百年ごとに危機に陥れるというのに、人はまだ自らで世界を成り立たせることができない」
だが、我等『運命(リマイン)』なら。
「人よりずっと、世界の後継者に相応しい」
「まだわからん」
「世界をこの街のように、全てを廃墟にしたいのか」
「決してさせん」
再び沈黙がその場を支配する。
カッ。
鋭い蹄の音をたてて、ギヌアが馬を止めた。
同じくアシャも、相手を睨んだまま、手綱を絞る。
「…よかろう」
ギヌアが睨み返しながら唸った。
「私達は永久に交わらない」
「おそらく、な」
殺気を込めてアシャは応じた。
と、どうしたのか、いきなり、くくっ、とギヌアが喉の奥で嗤った。意地悪く冷たい視線でアシャを見やる。
「あの娘、ユーノとか言ったか、あれが同じように答えるかな」
「どういうことだ」
相手の瞳を見据えたまま、アシャは尋ねる。
「あの娘は『銀の王族』にしては珍しい。視察官(オペ)の剣を覚え、銀のオーラを持つ。仕込めば、あの精神力、なまじの視察官(オペ)より心強い味方となろう」
「……」
「ましてや、ラズーンの意味を知ったなら……選択をし直そうという気にもなるのではないか?」
アシャはなお無言を保った。
「それに、まだ月獣(ハーン)を使った理由がわからぬようだな」
ギヌアが薄く笑みを広げた。
「月獣(ハーン)は確かに心優しき動物だ。だが、あのもの達の『優しさ』は、己を憐れみ愛しむための優しさだ。人から害を受ける己を抱き締めているだけの……それは『人』が強大すぎて憎むことさえ恐ろしいためだ。……だが、もし、その『人』が自分達より弱ければどうだ?」
「…まさか」
「顔色が変わったな、アシャ」
くつくつ、とギヌアは嗤った。
「その通りだ。あの娘は今無防備だ。己を守る術一つなく、月獣(ハーン)の中へ叩き込まれるとしたら? 自分を殺すだけの優しさは容易に反転する。それが他者に向けられた時、しかも自分を追い込んだ存在に向けられた時、残虐さは比類ないものになるだろうな?」
ぎりっ、とアシャの歯が鳴った。
三度、互いの隙を狙い合う闘いが始まる。
(ユーノ)
アシャも月獣(ハーン)を知っている。
人が居なければ生きていけない。そのくせ、人に近づくことはない。人を永遠の加害者とし、自らを永遠の被害者とする、そういう形で互いに寄り添い仲間を保ち、生きるエネルギーを得る。言わば、人を仮想の敵とする幻想に寄生して存在するもの達。
(ユーノが、そこに叩き込まれたら)
まっすぐで鮮烈で、自らの運命を自ら負う、あの誇りが輝けば輝くほど。
「加えてここ数日、我等はさんざん月獣(ハーン)を狩った。獲物は毎回なぶり殺しにして群れに放り込んでやっている」
なに、奴らの恐れる幻とやらを実現してみたに過ぎないがな。
ギヌアは冷たい嗤い声を響かせて続けた。
「臆病で自分達が一番哀れだと思い込んでいる月獣(ハーン)が、加害者である我等と同じ『人』である、『お前のユーノ』に対してどんな態度を取るか、想像はつくな? それに、あの娘は心の中に哀しみを抱えている」
真紅の瞳が楽しげに揺れた。
「月獣(ハーン)は見逃しはしないだろう。心と肉体を傷めつけられた人間というものは、たやすく己の意志を持たなくなる………そうなれば、『運命(リマイン)』は喜んで彼女を歓迎する」
「ユーノはただの娘じゃない」
「ただの娘じゃないさ。他のどんな娘よりも優しい、が故に強い娘、なのだろう? その娘が、か弱い月獣(ハーン)相手に全力で闘うかね?」
(いつも強くて、だからこそ優しい)
揺らがない、怯まない、諦めない、ただひたすらな、あの魂が、仲間を失い打ち萎れているように見える美しい動物、しかも自分が圧倒できるとわかっている相手を倒すことを選べるか?
(いや)
そんなことができるなら、セレドで一人闘い続けてはいなかっただろう。
(ユーノ…!)
胸の中で呻きが漏れる。そんな手を打たれれば、ユーノは、いや、ユーノだからこそ闘えない。
(今すぐに護りに駆けつけたい)
だが、目の前の男が背中を見せられる相手ではないこともわかっている。
それが自分が放置してきた問題そのものであることも。
「ユーノだけではない。イルファとかいう大男も、今頃は次々と襲うカザド兵に手こずっているはずだ。レスファートとかいうチビもな。心象が見えるがために、辛い地獄を覗いているだろうよ……そして、お前は、私が始末する」
ギヌアは剣を引き抜いた。視察官(オペ)が持つ短剣だ。
「この剣があるおかげで、『運命(リマイン)』にも君臨しやすかった」
ふざけたように言いながら、短剣をかざした。
「かくして、お前達は死に、『運命(リマイン)』統治の輝かしい世界が始まる……破滅と崩壊の世界が……真実の姿を具現する世界が。喜ばしいことだ」
凍りついていたアシャは眼を細めた。唇の両端だけを釣り上げる。
「ぬかせ」
吐いたことばは冷ややかだった。
(ならば、今、倒す)
ギヌア同様、短剣を抜くと金の光が先端まで包む。額の前にかざす。その光越しにギヌアを見たアシャは微笑を消した。
「ラズーンの第一正統後継者の意味を習ってから来るんだったな、坊や」
呼吸がじっくりと深くなる。剣に宿った黄金の光が眩さを増す。
「『俺の主』を追い詰めたのは失策だ。お前の命を万に一つも助ける筋合いはなくなった」
「世迷い事を…」
一瞬全てが停止した。その中で、二人の剣が空を裂いた。
「ん?」
ふいに、誰かに呼ばれたような気がして、アシャは馬を駆りながら振り返った。
駆け過ぎてきた街並みは仄白く、白骨じみた虚ろさをたたえて静まり返り、人の気配も『運命(リマイン)』の気配もない。
(空耳か…)
アシャは再び厳しい顔になって馬を駆った。
(ここまで『運命(リマイン)』が思い切った手を打ってくるとは思わなかった)
ギヌアが出てくるほどだから、追い詰められてきているとは思っていたが、カザド兵なら捕らわれてもユーノの命に猶予がある。しかし、『運命(リマイン)』の手に囚われたとしたら、ユーノが生きて戻ってくる望みはほとんどない。
(『銀の王族』か…)
かつてはその名ゆえに幸せを約束されていたものが、今やその名ゆえに『運命(リマイン)』に狙われる。
(皮肉なことだ)
顔を歪める。
(イルファはもう俺の正体を察したか)
いくら女に甘く物事にこだわらない大雑把な性格とはいえ、伊達や酔狂で近衛の剣士だったのではない、あの地図からアシャの正体に見当をつけるぐらい、やってのけるはずだ。
正直なところ、アシャはどうしてイルファにあの地図を渡してしまったのか、よくわからなかった。別にあの家で再び落ち合えば済む事なのだ。
あるいは、アシャの本能が、これからぶつかろうとしている相手を恐れて、そうさせたのかも知れない。
(俺がもし死ぬようなことがあっても、あの地図があれば、イルファとレスはラズーンに着ける)
だが、それだけではないもの、何かがアシャにああさせた。正体を隠したまま、イルファ達と付き合っていくのに苦さを残し始めていた、何かが。
(長く一緒に居過ぎたな)
これほど長く、旅を共に続けてきた仲間などかつてない。
(俺も甘い)
苦笑いした。
自分の立場も成り立ちも十二分に理解しているはずなのに、だからこそ絆など一切結ばずに来たのに。
(ユーノに出会ってから、か)
失いたくない繋がりがあるのだと、初めて気づいた。
(それにしても、月獣(ハーン)を使うなんて…)
『運命(リマイン)』らしくない。
考えたアシャの耳に、彼のものではない、もう一頭の蹄の音が重なってくるのが届く。
鋭い神経質な音、聞き覚えのある掛け声、息づかい。
「来たか」
アシャは目を細めた。
家屋を隔てて、一筋向こうを駆けていると思われる蹄の音、その馬を駆っている相手に視線を向ける。
視界に流れていく街並みの、ところどころにぽっかり開いた向こうの筋へ続く小路が、アシャと同速で駆ける黒馬を垣間見せる。子ども達が祭りで楽しむ、明かりの周囲を回る人形のおもちゃのように、闇に溶ける黒衣が閃いている。白い肌に風に乱れた短い白髪が激しく躍り、白い炎が黒衣を纏って馬を駆り立てているようにも見える。
相手は視線に気づいたようにこちらを向いた。真紅の瞳が彼を見つめ、不敵な笑みが唇を歪める。
「ギヌア・ラズーン…」
アシャは重い怒りを込めて呟いた。
正面に、街の広場だろう、開けた場所がある。中央に噴水、これほど街が荒れているのに、澄んだ水はさらさらと音をたてて噴き上がり、水盤へなだれ落ちていた。激しく石を削っていた蹄の音が次第に速度を落として、水盤の回りを巡り、入り乱れて響き合う。
やがて、二人の男は猛る馬を互いに御しながら、水盤を挟んで向かい合った。
「久しぶりだな、アシャ・ラズーン」
太く明瞭な声がギヌアの口から響いた。
「あれで終わりかと思っていたのにな」
「俺を見くびるなよ」
アシャは冷ややかに応じた。
「あの程度で、ラズーンの正統後継者がやられると思ったのか」
アシャの脳裏に、別れた時が甦ってくる……。
アシャがレクスファを発ったのは夜遅くだった。盗賊王を倒した祝宴の最中に、そっと抜け出してきたのだ。
今までの経験から、長居しすぎると碌なことがないとわかっていた。影のように離れたため、ほんの少しの用具しか持ち出せなかった。
(ラズーン支配下(ロダ)なら、いうほどのこともあるまい)
それに。
(世界の果てに溶け入ることもまたよし)
誰もが望むだろう称号(クラノ)を捨て、一人の視察官(オペ)、一人の人間として行きていくことを選んだ。快適さや安全を満たすことなど望んでいない。
それに、どうしてもとなれば、宙道(シノイ)を使えばいい。
「…と」
そこまで考えて、はっと荷物を改め、短剣まで置き去ってきたことに気づき、舌打ちする。
(どうかしている)
たぶん、あのイルファとかいう剣士のせいだ。アシャが男なのが不服でたまらない様子、そのまま夜半になだれこめば厄介なことになりそうだった。
しかし、短剣は視察官(オペ)の認識票でもある。ラズーン支配下(ロダ)に放り出しておけるものでもない。否応なくレクスファに戻るしかない。
(さてどうやってあいつを出し抜くか)
溜め息をついて向きを変えた瞬間、背後に突然殺気を感じた。
「っ!」
一気に金のオーラがアシャに絡み付き押し包む。不意を突かれて抵抗できないまま、まともに衝撃波をくらった。
「うっ…」
霞がかかる頭に驚愕が広がる。
金のオーラは視察官(オペ)のみが操れるはず、どうして視察官(オペ)が同じ視察官(オペ)を、それもラズーンのアシャを攻撃してくるのか。
(く、そっ)
眩む視界、片膝をついて、それでも必死に振り返ると、煌めくオーラの中で真紅の瞳がほくそ笑んでいた。
「な、に…っ」
「死んで頂こう、アシャ・ラズーン」
「その声、は」
再び衝撃を叩きつけられ、崩れ落ちながら呻く。
「ギヌア・ラズー……っぐっ!」
倒れたところを腹を、続いて頭を激しく蹴られて歯を食いしばった。
「その名を呼ぶな」
ラズーンの第二正統後継者であるはずのギヌアが、歪んだ表情で見下ろしてくる。
「私は、只今この時から『運命(リマイン)』に君臨する」
「ば…かな……ことを…」
立場も忘れて冷笑が零れた。
正統後継者であるということは、この世界の成り立ちとラズーンの意味を理解しているということだ。この世界が如何に脆く危うい基盤の上に存在しているかを知っているということだ。そのうえで、この崩れやすい幻を支配したがる気持ちがアシャには理解できない。ましてや、『運命(リマイン)』は、その中の幻の一つでしかない、君臨し支配するだけの存在さえ確保されていないのに。
「ラズーンが……滅べば…『運命(リマイン)』も……同じ…っが、あっ」
立て続けにボロ切れのように蹴られ、跳ね飛ばされた。金のオーラに縛られ、意識も同時に刻まれて、一気に気力と体力が奪われる。支配下(ロダ)に居ると思い込んだ支配者の驕り、そう嗤われても当然だと臍を噛みながら、
「それはどうだかな」
にんまり笑ったギヌアの顔を見上げた、それが最後の意識だった。
そこからいつ気がついて、どこをどうしてセレドまで辿りついたのか、なぜギヌアはアシャを屠らなかったのか。思念とオーラで空間に道を開く宙道(シノイ)は使えるような状態ではなかったはずだったが、それでもアシャはギヌアから逃れ切ったのだ。
「あの時はいい様だったな、アシャ」
ギヌアは嘲った。
「ラズーンの第一後継者ともあろうものが、第二後継者にまんまとしてやられるとは」
「そういうお前こそ、あそこまで俺を追い詰めておきながら、仕留め損なったのは最大の過ちだ」
アシャは嘲笑を返した。
「詰めの甘さは、どこまで行っても二番手でしかない証拠だな」
ギヌアが唇を歪める。
「我が身可愛さにこそこそ隠れていた男に言えるものか、重責から逃げたくせに」
「『太皇(スーグ)』に既に許しを得た」
ギヌアの嘲りを、アシャは突き放した。
「俺はただの視察官(オペ)として生きる。ラズーンを継ぐよりこちらの方が性に合う。それほど力が欲しいなら、ラズーンはお前が継げば」
「それが気に食わないのさ」
ギヌアが目を細めて遮った。
「なまじ力があるからと、小賢しい謙遜ぶったことを。私を哀れんででもいるのか」
歪めた唇から刺々しい声を吐き捨てる。
「『太皇(スーグ)』は今でもお前をお気に入りだ」
「それで『運命(リマイン)』に降りたのか」
ぴくり、とギヌアは額をひきつらせた。
「関係がない」
冷ややかな声で続ける。
「ラズーンの二百年祭を見ているうちに愚かしさが見えてきたのだ。既にラズーンは過去の遺物、現世を治めるに相応しいものではない。我等が力は充分に熟した。お前もそれを知り尽くしただろう、ラズーンのアシャ」
沈黙が満ちた。
再びゆっくりとギヌアの馬が進み始める。受けてアシャも静かに馬を進ませる。距離をはかり、間合いを見る二人の間に見えない火花が激しく散る。
「『運命(リマイン)』に来い、アシャ」
ふいに、ぽつりとギヌアが吐いた。
「嫌だと言ったら」
冷たくアシャが返す。
「ラズーンの先は見えている」
ギヌアが応じる。
「ラズーンの欠陥が太古生物を復活させ、この世界を二百年ごとに危機に陥れるというのに、人はまだ自らで世界を成り立たせることができない」
だが、我等『運命(リマイン)』なら。
「人よりずっと、世界の後継者に相応しい」
「まだわからん」
「世界をこの街のように、全てを廃墟にしたいのか」
「決してさせん」
再び沈黙がその場を支配する。
カッ。
鋭い蹄の音をたてて、ギヌアが馬を止めた。
同じくアシャも、相手を睨んだまま、手綱を絞る。
「…よかろう」
ギヌアが睨み返しながら唸った。
「私達は永久に交わらない」
「おそらく、な」
殺気を込めてアシャは応じた。
と、どうしたのか、いきなり、くくっ、とギヌアが喉の奥で嗤った。意地悪く冷たい視線でアシャを見やる。
「あの娘、ユーノとか言ったか、あれが同じように答えるかな」
「どういうことだ」
相手の瞳を見据えたまま、アシャは尋ねる。
「あの娘は『銀の王族』にしては珍しい。視察官(オペ)の剣を覚え、銀のオーラを持つ。仕込めば、あの精神力、なまじの視察官(オペ)より心強い味方となろう」
「……」
「ましてや、ラズーンの意味を知ったなら……選択をし直そうという気にもなるのではないか?」
アシャはなお無言を保った。
「それに、まだ月獣(ハーン)を使った理由がわからぬようだな」
ギヌアが薄く笑みを広げた。
「月獣(ハーン)は確かに心優しき動物だ。だが、あのもの達の『優しさ』は、己を憐れみ愛しむための優しさだ。人から害を受ける己を抱き締めているだけの……それは『人』が強大すぎて憎むことさえ恐ろしいためだ。……だが、もし、その『人』が自分達より弱ければどうだ?」
「…まさか」
「顔色が変わったな、アシャ」
くつくつ、とギヌアは嗤った。
「その通りだ。あの娘は今無防備だ。己を守る術一つなく、月獣(ハーン)の中へ叩き込まれるとしたら? 自分を殺すだけの優しさは容易に反転する。それが他者に向けられた時、しかも自分を追い込んだ存在に向けられた時、残虐さは比類ないものになるだろうな?」
ぎりっ、とアシャの歯が鳴った。
三度、互いの隙を狙い合う闘いが始まる。
(ユーノ)
アシャも月獣(ハーン)を知っている。
人が居なければ生きていけない。そのくせ、人に近づくことはない。人を永遠の加害者とし、自らを永遠の被害者とする、そういう形で互いに寄り添い仲間を保ち、生きるエネルギーを得る。言わば、人を仮想の敵とする幻想に寄生して存在するもの達。
(ユーノが、そこに叩き込まれたら)
まっすぐで鮮烈で、自らの運命を自ら負う、あの誇りが輝けば輝くほど。
「加えてここ数日、我等はさんざん月獣(ハーン)を狩った。獲物は毎回なぶり殺しにして群れに放り込んでやっている」
なに、奴らの恐れる幻とやらを実現してみたに過ぎないがな。
ギヌアは冷たい嗤い声を響かせて続けた。
「臆病で自分達が一番哀れだと思い込んでいる月獣(ハーン)が、加害者である我等と同じ『人』である、『お前のユーノ』に対してどんな態度を取るか、想像はつくな? それに、あの娘は心の中に哀しみを抱えている」
真紅の瞳が楽しげに揺れた。
「月獣(ハーン)は見逃しはしないだろう。心と肉体を傷めつけられた人間というものは、たやすく己の意志を持たなくなる………そうなれば、『運命(リマイン)』は喜んで彼女を歓迎する」
「ユーノはただの娘じゃない」
「ただの娘じゃないさ。他のどんな娘よりも優しい、が故に強い娘、なのだろう? その娘が、か弱い月獣(ハーン)相手に全力で闘うかね?」
(いつも強くて、だからこそ優しい)
揺らがない、怯まない、諦めない、ただひたすらな、あの魂が、仲間を失い打ち萎れているように見える美しい動物、しかも自分が圧倒できるとわかっている相手を倒すことを選べるか?
(いや)
そんなことができるなら、セレドで一人闘い続けてはいなかっただろう。
(ユーノ…!)
胸の中で呻きが漏れる。そんな手を打たれれば、ユーノは、いや、ユーノだからこそ闘えない。
(今すぐに護りに駆けつけたい)
だが、目の前の男が背中を見せられる相手ではないこともわかっている。
それが自分が放置してきた問題そのものであることも。
「ユーノだけではない。イルファとかいう大男も、今頃は次々と襲うカザド兵に手こずっているはずだ。レスファートとかいうチビもな。心象が見えるがために、辛い地獄を覗いているだろうよ……そして、お前は、私が始末する」
ギヌアは剣を引き抜いた。視察官(オペ)が持つ短剣だ。
「この剣があるおかげで、『運命(リマイン)』にも君臨しやすかった」
ふざけたように言いながら、短剣をかざした。
「かくして、お前達は死に、『運命(リマイン)』統治の輝かしい世界が始まる……破滅と崩壊の世界が……真実の姿を具現する世界が。喜ばしいことだ」
凍りついていたアシャは眼を細めた。唇の両端だけを釣り上げる。
「ぬかせ」
吐いたことばは冷ややかだった。
(ならば、今、倒す)
ギヌア同様、短剣を抜くと金の光が先端まで包む。額の前にかざす。その光越しにギヌアを見たアシャは微笑を消した。
「ラズーンの第一正統後継者の意味を習ってから来るんだったな、坊や」
呼吸がじっくりと深くなる。剣に宿った黄金の光が眩さを増す。
「『俺の主』を追い詰めたのは失策だ。お前の命を万に一つも助ける筋合いはなくなった」
「世迷い事を…」
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