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9.生贄(2)
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「んなろくそ!」
「こなろくそ!」
「しつこいんだ!」
「てめえら!」
「きりがねえんだ!」
「芸もねえ!」
イルファは喚きながら、カザド兵をなぎ倒す。レスファートが連れ去られたのはこちらの方角、そう見当をつけてからの動きは早かった。たくましい体は汗びっしょりだが疲れたとは感じない。かえって、『運命(リマイン)』の手を借り、人を襲うだけの存在となっているはずのカザド兵が、イルファの勢いに押されてじりじりと後退しつつある。
「なにせ!」
「アシャに!」
「頼まれてっからな!」
一言毎に二人勘定でカザド兵を倒している。剣だけでは間に合わないので、片手に剣、片手にそのあたりで見つけた棒切れを振り回しているから、さしづめ人間水車というところ、当たればいいと思っているので、後のことなど気にしていない。致命傷にならなくとも、繰り返し殴っていればそのうち倒れるだろう、ぐらいの感覚だ。
「うおああああ!」
それでも進行が遅くてじれったくなり、喚きながら走り出す。
「どけどけどけええええ!」
雄叫びを上げて街路を突進していくと、さすがのカザド兵にもうろたえて道を開ける奴が出て来る始末だ。
「手応えがねえんだ! 手応えがあ!」
喚き散らしていたイルファは、前方に、黒尽くめの男とも女ともつかぬ異形の者を見てとり、ぴたりと止まった。
「あんたが『運命(リマイン)』だな」
不敵に笑って両刃の剣を一振りし、今までの汚れを払う。棒切れは投げ捨てて剣を構える。
「お手合わせ願おう」
相手は真紅の瞳に嘲りを浮かべて黒剣を取り出した。
(こいつぁ、ひょっとすると、やべえかも)
べろっと上唇を舐め、ゆっくり構え直して、イルファは『運命(リマイン)』に対峙した。
「………」
長い間合いだ。身動きできない。痺れを切らして剣を振り上げかけたが、とっさに思い直した。ユーノほどの腕が半死半生となる相手、舐めてかからない方がいい。
長期戦の構えを見たカザド兵が数人、横から斬り掛かってきた。
「たあっ!」
「へっ」
受け止める衝撃を楽しんで、イルファはにやりと笑い、撥ね返す刀でもう一方を斬った。アシャの剣の見よう見まね、予想外にうまくいったのに気を良くして、もう一人を狙ったがこれは失敗、体がのめって大きな隙ができる。
それを見逃さず突っ込んできた『運命(リマイン)』の黒剣を、イルファはあわやのところで受け止めた。
ギリッ、ギリッ、と剣同士が音をたて、刃と気力を磨り減らし合う。『運命(リマイン)』は見かけ以上に力があった。すぐに守勢にまわる羽目になる。
「ちちちっ」
黒剣がイルファの頬に掠り傷を作った。生温かい血が伝っていく。ぐいぐいと押さえつけられ、顔も体も汗にまみれてくる。
対する『運命(リマイン)』の目にはまだ余裕がある。ほくそ笑むような薄気味悪い表情が浮かんでいる。
「笑えば誰でも可愛いってもんじゃ……ねえんだよ」
憎まれ口を叩きながらも、イルファは次第に焦り出した。このまま押さえ込まれればひとたまりもない。
ギリッと再び剣が鳴った次の瞬間、突然『運命(リマイン)』が飛び離れた。
「あ、このっ!」
一気に体勢が崩れたイルファをわっとカザド兵が取り囲む。
「うごごご」
しばらくはその中で身動き取れなかったイルファだったが、むずっと一人のカザド兵の足を掴んだかと見る間に、そいつを思い切り振り回した。
「どうだああああ!」
「ぎゃっ!」
「げっ!」
「ぐわっ!」
「わははは! ざまあみろ!」
たちまちそいつにぶつかって跳ね飛ぶ奴が出て、イルファは豪快な笑い声を上げて立ち上がった。まとわりつくカザド兵を剣を薙いで追い払い、正面に、腰に手を当て戦況を見守っていたらしい『運命(リマイン)』を認めて大声で呼ばわる。
「はっ! 『運命(リマイン)』ともあろうものが、カザド兵を使わなきゃ、俺一人の相手もできねえのかよ! 情けねえ、それじゃあ、世界なんかてめえの思い通りにならねえよ!」
イルファのことばは口からでませだったが、これは著しく『運命(リマイン)』を傷つけたらしい。むっとした顔で、再びイルファに向かってくる。
「よっ! それでこそ!」
ガキッ!
さっきよりもより金属的な音がした。またも押されかけたイルファは、片目をつぶりながら低く唸った。
「オトコだぜ……最も、どっちか……よくわかんねえがな」
ギッ…キン!
二人同時に飛び離れる。三度噛み合い、火花を散らす二本の剣。
「なあ……いと暗き…運命の手って……あんた達かい?」
「我らは…リマインだ。運命さえ……我らの手にある」
細いキイキイ声が答えた。
「ってことは、アシャはやっぱり」
ガシッ!
黒剣を撥ねたとたんに跳ね返され、イルファは後ろへ飛びすさった。すぐに戦線へ戻ろうとして、ずぶっという鈍い音とともに顔を強張らせる。
「て、めえ」
殺気を込めて振り返るイルファの肩を、細身の剣が貫き通している。
仕留めたと思ったか、一瞬喜びに満ちたカザド兵の顔はすぐ蒼白になり、次の瞬間、剣で払われ胴を離れて転がった。
「あ、つ」
派手に動いた痛みに膝をつくイルファの後ろで、『運命(リマイン)』が黒剣を振り上げた。
「いやあああーっ!」
レスファートは絶叫した。街外れ、やはり見捨てられた廃屋で、椅子に縛りつけられたままもがいている。
「くっ…くっくっ…」
「逃れることはできないよ、坊や」
前にいるのは『運命(リマイン)』に取り憑かれた男達だ。心の内奥への接近方法を訓練されているのか、心象に過敏になっているレスファートの心に、欲望に汚れた感覚を容赦なく押しつけてくる。
それから何とか逃げようと,レスファートはもがき続けている。
「いや…やだ…」
溢れ出す涙を拭う手は後ろ手に縛り上げられている。瞳も開いてはいるものの、声が語る卑屈さと優越感の混じった表情は霞んで見えない。心にぴったりと寄せられる汚れた心象から逃れたいのに、逆に心の目を魅きつけられ、どうにもできない。人の心の醜さを、おぞましさを、これでもかこれでもかと『運命(リマイン)』は見せつけてくる。
(暗い……暗いふち…)
底知れぬ谷に降りて、なお暗い淵を見いだしたようなものだった。その深い淵には、何ともわからぬどろどろした魑魅魍魎が蠢き、触手を伸ばし、立ち竦むレスファートの足首に絡みつき、汚泥の中に引きずり込もうとする。
「あ…」
しゃくりあげたレスファートは、急いでその心象を消し去ろうとした。
心を遠ざける、遠くへ、もっと、遠くへ。
「そうはさせられねえんだよ」
背けた顎を、男が掴んで強引に前に向かせた。思わず目を見張るレスファートの心に、否応なしに腐臭を放つ暗黒の手をまとわりつかせる。
「うっ…」
唇を噛んで目を閉じたレスファートは、意識の暗闇に潜む影をより鮮やかに捉えてしまった。慌てて開けようとした目の上から目隠しをされる。
淵から、澱みを率いるものがじわりじわりと登ってくる。レスファートの足首に絡みついたものと同じ触手が、足を這い上がり、体にまとわりつき、手に巻きつき、首を狙う。感触を肌に感じて、レスファートは悲鳴を上げて身悶えた。
「いやああっ!」
「叫んでも誰も来ないよ。来れないさ。皆、あちらこちらで死んでいる」
耳元で囁かれた声に、レスファートの心の中の像が揺らめいた。
黒一色の世界に毒々しく濡れた紅が真上から広がる。ポトッとレスファートの額に一滴がしたたり、見る見る全身へと流れ落ちていく。
粘りつく闇、静まり返った廃屋の中、レスファートは紅に濡れて、その心を蝕まれている。
「ユーノ! …助けてよ、ユーノ…!」
一瞬、心象の力が弱まった。心の底に暖かな春の日差しを感じる。頬を伝う涙に溶け崩れそうで必死にその光にしがみついた。
(ユーノ…)
はあはあと息を喘がせるレスファートの目から目隠しが取り去られる。
「ほう…なかなか頑張るじゃないか、ガキのくせによ」
ぼんやりとした視界に、冷笑を浮かべた男の顔が揺れる。
レスファートは疲労困憊して頭を垂れた。アシャを呼んだための疲れも重なり、抵抗する力がなくなっていく。どこかが少しずつ麻痺し始めている。
「だが、お子様の時間はそろそろ終わりだ」
肩を掴まれ、砕かれるかと思うぐらいの痛みに、レスファートは顔を上げた。正面の男の目が光って、心に食い込んでくる。
深い淵に引きずられていく一つの人影…あれは?
(ユーノ!)
レスファートは声にならぬ絶叫を放った。
ユーノが触手に捕まっている。もがいているのに抜け出せない。
「や…めてよ…」
レスファートは涙を浮かべて男に懇願した。だが、男はにやりと笑って、なおも心象のユーノを深い淵に引きずり込み、両手両足を触手でばらばらの方向に引っ張り始める。
「やだ……ユーノを……どうするんだよ…」
レスファートは乾く喉に唾を飲み込んだ。
ぎりぎりと引っ張り続けられるユーノの顔が激痛に歪んでいる。心を逸らそうとしても、ユーノの心象はレスファートを釘付けにする。心の中で立ち竦むレスファートの前で、ユーノの腕が裂け、血が吹き出した。飛沫が頬を打つ。
「っっ!」
椅子で悶えていたレスファートはひくりと体を硬直させた。心象のユーノが動きを止めた次の一瞬、四肢を跳ねさせ千切れ飛ぶ姿が心の隅々まで犯し、視界全面に大写しになる。
「きゃあああああっっ!」
高く鋭い悲鳴を上げたレスファートの心の中で光が弾けた。
仰け反った瞳にはもう何も映らなかった。
カッと短剣の先から光った炎に、アシャは危うく飛び退いた。僅かなずれで、今までアシャの居た所が黒く焦げる。間髪入れず、アシャの短剣の先からも粒子のような光が走って、ギヌアを撃つ。
「う!」
右腕を押さえ、ギヌアは悔しげな目をアシャに向けた。
闘いはそろそろ頂点に達しようとしていた。チュニックが裂け、ほぼ腰布一枚の状態になっているアシャよりも、一見無傷に見えるギヌアの方が疲労している。肩で呼吸をしながらアシャを見返す目に余裕はない。
アシャは肩になだれる金色の髪を払い、紫の瞳で冷たくギヌアを見据えた。
「今度だけは許してやる。急いでいるからな」
身を翻し、背中を向けようとしたアシャの髪の一房が、背後からギヌアの短剣から放たれた光に断ち切られ、前へ流れて落ちた。
「どうあっても、死にたいようだな」
ゆっくり振り返って、アシャは目を細めた。ギヌアが呻くように、
「行かせはしない」
「焦らなくとも、この次会った時には必ず殺してやるものを」
「うるさい」
無言でアシャが突き出す短剣の先に、ぼうっと光球が出現した。それが辺りの光を吸い込んででもいるように、次第に大きくなっていく。
「言っておくが、俺は今、まともじゃない。制御はできないぞ」
(冷えた声だ)
いつかの夜に聞いたような、万年、地の底で暮らしていたかのような冷え冷えとした声。人の感情を失い、世界を破滅させる力を振り回す喜びに我を失った声。
(そこへ踏み込めば)
人じゃなくなる。
「…」
アシャは切なく眉を寄せる。
(それでも)
短剣の先で光が波打った。光球が拡大するにつれ、噴水は水を吹き上げなくなった。そのかわり、しゅうしゅうと掠れた音をたてて、辺りの水たまりから、噴水の口から、白い蒸気が立ちのぼり始める。
ビッ、ビシッ!
頑丈なはずの水盤の石にひびが入り砕けた。広場の端に居た馬達が怯えて逃げ去る。
(それでも、ユーノは)
失うわけにはいかない。
ナゼダ。
ひきつり歪んだギヌアの顔が物問いたげに凝視してくるのに、自分の顔から表情が消えるのがわかる。唇が勝手にことばを紡ぐ。
(ラズーンを救うかもしれない)
「俺が護ってきた」
(世界を救うかもしれない)
「たった一人の」
(俺の捨てた世界を)
『アシャ!』
草原の日差しに照らされて、風に髪を舞わせながら振り返って笑うユーノの顔に、ふいに胸が苦しくなった。
そうだ、いつからだろう、アシャはユーノに願いを託し始めている。自分が背負い切れなかった世界を、自分が手放した重荷を、全く違う場所で傷つきながらも逃げずに背負う、その強さと優しさに。
(俺が捨てた自分を)
スクッテクレルカモシレナイ。
「……たった、一人の」
失うわけにはいかないだろうが。
「悪かったな、相手が。『運命(リマイン)』の王?」
光球の熱とは逆に凍てついた心のままに、アシャは薄く微笑む。
「今ここでケリをつけてやろう」
ユーノの未来を害するものを屠るのは、ラズーンの正当後継者としても当然の仕事のはずだ。
(かまわない)
今ここで人を捨て、魔性の鬼となって、世界を支える娘を護り切る。
アシャは目を見開いた。邪悪な笑みに唇が開く。
短剣の光球がまさに今破裂しようとした時、きしるような暗い声が突然割って入った。
『この争い、今は私が預かろう』
「ミネルバ!」
いつの間に現れたのか、相変わらず優雅に白馬に跨がったミネルバがそこに居た。
『アシャ。早く行ってやるがよい。そなたのユーノが危ういぞ』
低く重い黄泉のからかいにもアシャは乗らなかった。じろりと冷たい目でギヌアをねめつける。
「こいつが…」
『ギヌア・ラズーンか。面白いものに出会うたのう』
「ミネルバ! 『運命(リマイン)』相手の狩りはできても、ラズーンの名を持つ私に歯向かうわけにはいくまい」
戦況有利と見て、ギヌアは声を張り上げた。ミネルバの骸骨面が白い歯の隙間から、ふふふ…と不気味な笑い声を漏らす。
『いかにも。しかし、「運命(リマイン)」に加担するものを狩るのも私の役目。それに、ユーノという娘には少々興味があってな。ここで死んでほしくはないのだ。そなたも、私の邪魔はすまい?』
ギヌアはぐっとことばを飲み、ミネルバを睨んだ。
『さ、行け、アシャ。あの娘とて長くはもつまい』
「感謝する、ミネルバ。この借りは必ず返す!」
馬を呼び寄せ、短剣をおさめたアシャはすぐに馬上に躍り上がった。
『そなたが娘一人にうろたえるを見るのは悪くない趣向じゃ』
黄泉の気配もこれほど暗くはないだろうという声で応じたミネルバが、広場を駆け抜けるアシャの背後で見る間に流れていった。
(ユーノが……しんで……しまった)
レスファートはぼんやりしている。
心の中は血糊でべっとり濡れている。中央に、まるで物のようにゴロゴロと転がされた死体がある。
心象のレスファートはその側に立ち竦み、目の前のものを拒否できないまま見つめている。
(ユーノが…)
現実のレスファートは、明かりも消えて薄暗くなった廃屋の中で、男達の酒盛りの肴として椅子に縛り付けられたまま、虚ろな目を見開いている。
「狂ったかな」
「かもしれねえな」
くすくすと男達が笑う。レスファートは反応できない。
心の内側の視界と、外側の視界が入り乱れ重なっている。
(ユーノが…)
(『レス!』)
ふいに心の中でユーノの声を聞いて、レスファートは体を震わせた。
(『私がそんなことで殺られると思ってるのか?』)
声は続いた。心象のレスファートは混乱し、混乱したまま、足元に転がる死体に手を伸ばした。
(『それは私じゃない!』)
声は厳しく叱責した。
(ユーノ…じゃない?)
(『偽物だよ、レスファート!』)
(『ユーノがこれぐらいで死ぬはずがない。確かめてみるんだ』)
ユーノの声と聞こえたのは、レスファートの心の遥か奥、生命の源から湧き出る声だった。その声は、今やはっきりとレスファートそのものの声で叫んでいた。
(『おまえが名を捧げた人だろう? その人が死んだからと言って、おまえはその人の亡骸も葬れないのか? さあ、死体に触れてみろ!』)
(なんだか、はんたいのこと…いってる…)
思いながらも、レスファートは死体に触れた。冷たさに身が竦む。顔をそっとこちらに向ける。ずるっとユーノの仮面が剥がれ落ちたように、そこには見知らぬ人間の顔があった。
(ユーノじゃない!)
「…じゃない」
溢れるような歓喜に呟いた。ぼろぼろと涙が零れ落ち始める。
だが、一旦は晴れ晴れとした笑みを浮かべたレスファートだが、涙はおさまらなかった。むしろ、より大きな涙の粒が零れ始める。
やがて、レスファートはそれまでとは違った呻きを上げ、瞬きした。
「ユーノじゃない……じゃないけど…」
(どうして、この人はこんな目にあわなくてはならないんだろう)
心象の中のレスファートも涙を零していた。
ポタリと死体の上に落ちた涙の粒が、広がり清めていくように、その部分だけ淡い光に輝く。ユーノを失わずに済んだから喜んでいいはずなのに、身代わりのように手酷く屠られてしまったひとが、レスファートの前に居る。
このものの命は一体誰が悲しんでくれるのだろう。
しゃくりあげ始めたレスファートに、男達がぎょっとした顔で彼を振り返る。
「おい…」
「どういうことだ」
「知るか、畜生め! しぶといガキだぜ!」
腰を上げ、新たな責め苦を加えようとした男は、いきなり華々しい喚き声とともに吹っ飛んだ扉に振り返った。
「てめえらあっ!」
もう一度、必死に薄く目を開けたレスファートの視界、砕けた木の扉を押しのけ、のっそりと姿を現したのはイルファ、右肩から流れた鮮血が応急手当で縛った布を染め、肌にも流れて一層殺気立って凄まじい。血走った目で部屋を見回し、椅子に縛られたレスファートに止まるや否や、ぐいと剥き出された。たちまち、鬼神も避けて通りそうな憤怒の顔で、大音声を張り上げる。
「よくも俺達を狙ってくれたな! お返しは倍以上にしてやるっ!」
右手は傷のせいでほとんど使えないものの、左手一歩進んで剣を振り回せば、怪力無双、人と言わず物と限らず、当たるを幸い粉砕していく。
男達はすっかり恐慌に陥り、悲鳴を上げて逃げ惑った。動けるものが負傷者を担ぎ、一人二人と消えていく。
やがて、部屋にイルファとレスファート以外誰もいなくなってしまうと、ようやくイルファは動きを止めた。太い息を吐いて床の組石の隙間に剣を突き立て、どさりと重い体を落とす。
「ふうっ…」
「イルファぁ」
「うむっ」
レスファートの声に、イルファが縛めを切った。レスファートは立ち上がり、イルファの側によろよろと腰を降ろす。
「大丈夫か、レス」
「…うん…」
弱々しく頷いてレスファートは涙で汚れた頬を擦った。その姿を、珍しく生真面目な安堵を浮かべて見つめ、イルファはのそりと立ち上がった。
「こうしてもいられねえな。さっき、カザド兵の一人を締め上げたら、アシャは沼地の方へ馬を飛ばしてったと吐きやがった」
「ユーノ!」
「ああ、おそらく、あいつもそこにいる」
イルファは、そっとレスファートの体を片手で抱き上げ、肩に乗せた。
「大丈夫だな」
こっくり無言でイルファは頷いた。心の奥底でまだ不安に揺れているものがあって、ユーノの無事な姿を見るまでは落ち着けなかった。
(生きてるよね、ユーノ。死んでないよね)
イルファに馬に乗せられ、レスファートはともすれば歪みそうになる視界に必死になって歯を食い縛る。
「はあっ!」
イルファの掛け声とともに、馬は砂埃と枯れ葉を巻き上げ、未だ開けぬ夜の中を沼地めざして走っていった。
「こなろくそ!」
「しつこいんだ!」
「てめえら!」
「きりがねえんだ!」
「芸もねえ!」
イルファは喚きながら、カザド兵をなぎ倒す。レスファートが連れ去られたのはこちらの方角、そう見当をつけてからの動きは早かった。たくましい体は汗びっしょりだが疲れたとは感じない。かえって、『運命(リマイン)』の手を借り、人を襲うだけの存在となっているはずのカザド兵が、イルファの勢いに押されてじりじりと後退しつつある。
「なにせ!」
「アシャに!」
「頼まれてっからな!」
一言毎に二人勘定でカザド兵を倒している。剣だけでは間に合わないので、片手に剣、片手にそのあたりで見つけた棒切れを振り回しているから、さしづめ人間水車というところ、当たればいいと思っているので、後のことなど気にしていない。致命傷にならなくとも、繰り返し殴っていればそのうち倒れるだろう、ぐらいの感覚だ。
「うおああああ!」
それでも進行が遅くてじれったくなり、喚きながら走り出す。
「どけどけどけええええ!」
雄叫びを上げて街路を突進していくと、さすがのカザド兵にもうろたえて道を開ける奴が出て来る始末だ。
「手応えがねえんだ! 手応えがあ!」
喚き散らしていたイルファは、前方に、黒尽くめの男とも女ともつかぬ異形の者を見てとり、ぴたりと止まった。
「あんたが『運命(リマイン)』だな」
不敵に笑って両刃の剣を一振りし、今までの汚れを払う。棒切れは投げ捨てて剣を構える。
「お手合わせ願おう」
相手は真紅の瞳に嘲りを浮かべて黒剣を取り出した。
(こいつぁ、ひょっとすると、やべえかも)
べろっと上唇を舐め、ゆっくり構え直して、イルファは『運命(リマイン)』に対峙した。
「………」
長い間合いだ。身動きできない。痺れを切らして剣を振り上げかけたが、とっさに思い直した。ユーノほどの腕が半死半生となる相手、舐めてかからない方がいい。
長期戦の構えを見たカザド兵が数人、横から斬り掛かってきた。
「たあっ!」
「へっ」
受け止める衝撃を楽しんで、イルファはにやりと笑い、撥ね返す刀でもう一方を斬った。アシャの剣の見よう見まね、予想外にうまくいったのに気を良くして、もう一人を狙ったがこれは失敗、体がのめって大きな隙ができる。
それを見逃さず突っ込んできた『運命(リマイン)』の黒剣を、イルファはあわやのところで受け止めた。
ギリッ、ギリッ、と剣同士が音をたて、刃と気力を磨り減らし合う。『運命(リマイン)』は見かけ以上に力があった。すぐに守勢にまわる羽目になる。
「ちちちっ」
黒剣がイルファの頬に掠り傷を作った。生温かい血が伝っていく。ぐいぐいと押さえつけられ、顔も体も汗にまみれてくる。
対する『運命(リマイン)』の目にはまだ余裕がある。ほくそ笑むような薄気味悪い表情が浮かんでいる。
「笑えば誰でも可愛いってもんじゃ……ねえんだよ」
憎まれ口を叩きながらも、イルファは次第に焦り出した。このまま押さえ込まれればひとたまりもない。
ギリッと再び剣が鳴った次の瞬間、突然『運命(リマイン)』が飛び離れた。
「あ、このっ!」
一気に体勢が崩れたイルファをわっとカザド兵が取り囲む。
「うごごご」
しばらくはその中で身動き取れなかったイルファだったが、むずっと一人のカザド兵の足を掴んだかと見る間に、そいつを思い切り振り回した。
「どうだああああ!」
「ぎゃっ!」
「げっ!」
「ぐわっ!」
「わははは! ざまあみろ!」
たちまちそいつにぶつかって跳ね飛ぶ奴が出て、イルファは豪快な笑い声を上げて立ち上がった。まとわりつくカザド兵を剣を薙いで追い払い、正面に、腰に手を当て戦況を見守っていたらしい『運命(リマイン)』を認めて大声で呼ばわる。
「はっ! 『運命(リマイン)』ともあろうものが、カザド兵を使わなきゃ、俺一人の相手もできねえのかよ! 情けねえ、それじゃあ、世界なんかてめえの思い通りにならねえよ!」
イルファのことばは口からでませだったが、これは著しく『運命(リマイン)』を傷つけたらしい。むっとした顔で、再びイルファに向かってくる。
「よっ! それでこそ!」
ガキッ!
さっきよりもより金属的な音がした。またも押されかけたイルファは、片目をつぶりながら低く唸った。
「オトコだぜ……最も、どっちか……よくわかんねえがな」
ギッ…キン!
二人同時に飛び離れる。三度噛み合い、火花を散らす二本の剣。
「なあ……いと暗き…運命の手って……あんた達かい?」
「我らは…リマインだ。運命さえ……我らの手にある」
細いキイキイ声が答えた。
「ってことは、アシャはやっぱり」
ガシッ!
黒剣を撥ねたとたんに跳ね返され、イルファは後ろへ飛びすさった。すぐに戦線へ戻ろうとして、ずぶっという鈍い音とともに顔を強張らせる。
「て、めえ」
殺気を込めて振り返るイルファの肩を、細身の剣が貫き通している。
仕留めたと思ったか、一瞬喜びに満ちたカザド兵の顔はすぐ蒼白になり、次の瞬間、剣で払われ胴を離れて転がった。
「あ、つ」
派手に動いた痛みに膝をつくイルファの後ろで、『運命(リマイン)』が黒剣を振り上げた。
「いやあああーっ!」
レスファートは絶叫した。街外れ、やはり見捨てられた廃屋で、椅子に縛りつけられたままもがいている。
「くっ…くっくっ…」
「逃れることはできないよ、坊や」
前にいるのは『運命(リマイン)』に取り憑かれた男達だ。心の内奥への接近方法を訓練されているのか、心象に過敏になっているレスファートの心に、欲望に汚れた感覚を容赦なく押しつけてくる。
それから何とか逃げようと,レスファートはもがき続けている。
「いや…やだ…」
溢れ出す涙を拭う手は後ろ手に縛り上げられている。瞳も開いてはいるものの、声が語る卑屈さと優越感の混じった表情は霞んで見えない。心にぴったりと寄せられる汚れた心象から逃れたいのに、逆に心の目を魅きつけられ、どうにもできない。人の心の醜さを、おぞましさを、これでもかこれでもかと『運命(リマイン)』は見せつけてくる。
(暗い……暗いふち…)
底知れぬ谷に降りて、なお暗い淵を見いだしたようなものだった。その深い淵には、何ともわからぬどろどろした魑魅魍魎が蠢き、触手を伸ばし、立ち竦むレスファートの足首に絡みつき、汚泥の中に引きずり込もうとする。
「あ…」
しゃくりあげたレスファートは、急いでその心象を消し去ろうとした。
心を遠ざける、遠くへ、もっと、遠くへ。
「そうはさせられねえんだよ」
背けた顎を、男が掴んで強引に前に向かせた。思わず目を見張るレスファートの心に、否応なしに腐臭を放つ暗黒の手をまとわりつかせる。
「うっ…」
唇を噛んで目を閉じたレスファートは、意識の暗闇に潜む影をより鮮やかに捉えてしまった。慌てて開けようとした目の上から目隠しをされる。
淵から、澱みを率いるものがじわりじわりと登ってくる。レスファートの足首に絡みついたものと同じ触手が、足を這い上がり、体にまとわりつき、手に巻きつき、首を狙う。感触を肌に感じて、レスファートは悲鳴を上げて身悶えた。
「いやああっ!」
「叫んでも誰も来ないよ。来れないさ。皆、あちらこちらで死んでいる」
耳元で囁かれた声に、レスファートの心の中の像が揺らめいた。
黒一色の世界に毒々しく濡れた紅が真上から広がる。ポトッとレスファートの額に一滴がしたたり、見る見る全身へと流れ落ちていく。
粘りつく闇、静まり返った廃屋の中、レスファートは紅に濡れて、その心を蝕まれている。
「ユーノ! …助けてよ、ユーノ…!」
一瞬、心象の力が弱まった。心の底に暖かな春の日差しを感じる。頬を伝う涙に溶け崩れそうで必死にその光にしがみついた。
(ユーノ…)
はあはあと息を喘がせるレスファートの目から目隠しが取り去られる。
「ほう…なかなか頑張るじゃないか、ガキのくせによ」
ぼんやりとした視界に、冷笑を浮かべた男の顔が揺れる。
レスファートは疲労困憊して頭を垂れた。アシャを呼んだための疲れも重なり、抵抗する力がなくなっていく。どこかが少しずつ麻痺し始めている。
「だが、お子様の時間はそろそろ終わりだ」
肩を掴まれ、砕かれるかと思うぐらいの痛みに、レスファートは顔を上げた。正面の男の目が光って、心に食い込んでくる。
深い淵に引きずられていく一つの人影…あれは?
(ユーノ!)
レスファートは声にならぬ絶叫を放った。
ユーノが触手に捕まっている。もがいているのに抜け出せない。
「や…めてよ…」
レスファートは涙を浮かべて男に懇願した。だが、男はにやりと笑って、なおも心象のユーノを深い淵に引きずり込み、両手両足を触手でばらばらの方向に引っ張り始める。
「やだ……ユーノを……どうするんだよ…」
レスファートは乾く喉に唾を飲み込んだ。
ぎりぎりと引っ張り続けられるユーノの顔が激痛に歪んでいる。心を逸らそうとしても、ユーノの心象はレスファートを釘付けにする。心の中で立ち竦むレスファートの前で、ユーノの腕が裂け、血が吹き出した。飛沫が頬を打つ。
「っっ!」
椅子で悶えていたレスファートはひくりと体を硬直させた。心象のユーノが動きを止めた次の一瞬、四肢を跳ねさせ千切れ飛ぶ姿が心の隅々まで犯し、視界全面に大写しになる。
「きゃあああああっっ!」
高く鋭い悲鳴を上げたレスファートの心の中で光が弾けた。
仰け反った瞳にはもう何も映らなかった。
カッと短剣の先から光った炎に、アシャは危うく飛び退いた。僅かなずれで、今までアシャの居た所が黒く焦げる。間髪入れず、アシャの短剣の先からも粒子のような光が走って、ギヌアを撃つ。
「う!」
右腕を押さえ、ギヌアは悔しげな目をアシャに向けた。
闘いはそろそろ頂点に達しようとしていた。チュニックが裂け、ほぼ腰布一枚の状態になっているアシャよりも、一見無傷に見えるギヌアの方が疲労している。肩で呼吸をしながらアシャを見返す目に余裕はない。
アシャは肩になだれる金色の髪を払い、紫の瞳で冷たくギヌアを見据えた。
「今度だけは許してやる。急いでいるからな」
身を翻し、背中を向けようとしたアシャの髪の一房が、背後からギヌアの短剣から放たれた光に断ち切られ、前へ流れて落ちた。
「どうあっても、死にたいようだな」
ゆっくり振り返って、アシャは目を細めた。ギヌアが呻くように、
「行かせはしない」
「焦らなくとも、この次会った時には必ず殺してやるものを」
「うるさい」
無言でアシャが突き出す短剣の先に、ぼうっと光球が出現した。それが辺りの光を吸い込んででもいるように、次第に大きくなっていく。
「言っておくが、俺は今、まともじゃない。制御はできないぞ」
(冷えた声だ)
いつかの夜に聞いたような、万年、地の底で暮らしていたかのような冷え冷えとした声。人の感情を失い、世界を破滅させる力を振り回す喜びに我を失った声。
(そこへ踏み込めば)
人じゃなくなる。
「…」
アシャは切なく眉を寄せる。
(それでも)
短剣の先で光が波打った。光球が拡大するにつれ、噴水は水を吹き上げなくなった。そのかわり、しゅうしゅうと掠れた音をたてて、辺りの水たまりから、噴水の口から、白い蒸気が立ちのぼり始める。
ビッ、ビシッ!
頑丈なはずの水盤の石にひびが入り砕けた。広場の端に居た馬達が怯えて逃げ去る。
(それでも、ユーノは)
失うわけにはいかない。
ナゼダ。
ひきつり歪んだギヌアの顔が物問いたげに凝視してくるのに、自分の顔から表情が消えるのがわかる。唇が勝手にことばを紡ぐ。
(ラズーンを救うかもしれない)
「俺が護ってきた」
(世界を救うかもしれない)
「たった一人の」
(俺の捨てた世界を)
『アシャ!』
草原の日差しに照らされて、風に髪を舞わせながら振り返って笑うユーノの顔に、ふいに胸が苦しくなった。
そうだ、いつからだろう、アシャはユーノに願いを託し始めている。自分が背負い切れなかった世界を、自分が手放した重荷を、全く違う場所で傷つきながらも逃げずに背負う、その強さと優しさに。
(俺が捨てた自分を)
スクッテクレルカモシレナイ。
「……たった、一人の」
失うわけにはいかないだろうが。
「悪かったな、相手が。『運命(リマイン)』の王?」
光球の熱とは逆に凍てついた心のままに、アシャは薄く微笑む。
「今ここでケリをつけてやろう」
ユーノの未来を害するものを屠るのは、ラズーンの正当後継者としても当然の仕事のはずだ。
(かまわない)
今ここで人を捨て、魔性の鬼となって、世界を支える娘を護り切る。
アシャは目を見開いた。邪悪な笑みに唇が開く。
短剣の光球がまさに今破裂しようとした時、きしるような暗い声が突然割って入った。
『この争い、今は私が預かろう』
「ミネルバ!」
いつの間に現れたのか、相変わらず優雅に白馬に跨がったミネルバがそこに居た。
『アシャ。早く行ってやるがよい。そなたのユーノが危ういぞ』
低く重い黄泉のからかいにもアシャは乗らなかった。じろりと冷たい目でギヌアをねめつける。
「こいつが…」
『ギヌア・ラズーンか。面白いものに出会うたのう』
「ミネルバ! 『運命(リマイン)』相手の狩りはできても、ラズーンの名を持つ私に歯向かうわけにはいくまい」
戦況有利と見て、ギヌアは声を張り上げた。ミネルバの骸骨面が白い歯の隙間から、ふふふ…と不気味な笑い声を漏らす。
『いかにも。しかし、「運命(リマイン)」に加担するものを狩るのも私の役目。それに、ユーノという娘には少々興味があってな。ここで死んでほしくはないのだ。そなたも、私の邪魔はすまい?』
ギヌアはぐっとことばを飲み、ミネルバを睨んだ。
『さ、行け、アシャ。あの娘とて長くはもつまい』
「感謝する、ミネルバ。この借りは必ず返す!」
馬を呼び寄せ、短剣をおさめたアシャはすぐに馬上に躍り上がった。
『そなたが娘一人にうろたえるを見るのは悪くない趣向じゃ』
黄泉の気配もこれほど暗くはないだろうという声で応じたミネルバが、広場を駆け抜けるアシャの背後で見る間に流れていった。
(ユーノが……しんで……しまった)
レスファートはぼんやりしている。
心の中は血糊でべっとり濡れている。中央に、まるで物のようにゴロゴロと転がされた死体がある。
心象のレスファートはその側に立ち竦み、目の前のものを拒否できないまま見つめている。
(ユーノが…)
現実のレスファートは、明かりも消えて薄暗くなった廃屋の中で、男達の酒盛りの肴として椅子に縛り付けられたまま、虚ろな目を見開いている。
「狂ったかな」
「かもしれねえな」
くすくすと男達が笑う。レスファートは反応できない。
心の内側の視界と、外側の視界が入り乱れ重なっている。
(ユーノが…)
(『レス!』)
ふいに心の中でユーノの声を聞いて、レスファートは体を震わせた。
(『私がそんなことで殺られると思ってるのか?』)
声は続いた。心象のレスファートは混乱し、混乱したまま、足元に転がる死体に手を伸ばした。
(『それは私じゃない!』)
声は厳しく叱責した。
(ユーノ…じゃない?)
(『偽物だよ、レスファート!』)
(『ユーノがこれぐらいで死ぬはずがない。確かめてみるんだ』)
ユーノの声と聞こえたのは、レスファートの心の遥か奥、生命の源から湧き出る声だった。その声は、今やはっきりとレスファートそのものの声で叫んでいた。
(『おまえが名を捧げた人だろう? その人が死んだからと言って、おまえはその人の亡骸も葬れないのか? さあ、死体に触れてみろ!』)
(なんだか、はんたいのこと…いってる…)
思いながらも、レスファートは死体に触れた。冷たさに身が竦む。顔をそっとこちらに向ける。ずるっとユーノの仮面が剥がれ落ちたように、そこには見知らぬ人間の顔があった。
(ユーノじゃない!)
「…じゃない」
溢れるような歓喜に呟いた。ぼろぼろと涙が零れ落ち始める。
だが、一旦は晴れ晴れとした笑みを浮かべたレスファートだが、涙はおさまらなかった。むしろ、より大きな涙の粒が零れ始める。
やがて、レスファートはそれまでとは違った呻きを上げ、瞬きした。
「ユーノじゃない……じゃないけど…」
(どうして、この人はこんな目にあわなくてはならないんだろう)
心象の中のレスファートも涙を零していた。
ポタリと死体の上に落ちた涙の粒が、広がり清めていくように、その部分だけ淡い光に輝く。ユーノを失わずに済んだから喜んでいいはずなのに、身代わりのように手酷く屠られてしまったひとが、レスファートの前に居る。
このものの命は一体誰が悲しんでくれるのだろう。
しゃくりあげ始めたレスファートに、男達がぎょっとした顔で彼を振り返る。
「おい…」
「どういうことだ」
「知るか、畜生め! しぶといガキだぜ!」
腰を上げ、新たな責め苦を加えようとした男は、いきなり華々しい喚き声とともに吹っ飛んだ扉に振り返った。
「てめえらあっ!」
もう一度、必死に薄く目を開けたレスファートの視界、砕けた木の扉を押しのけ、のっそりと姿を現したのはイルファ、右肩から流れた鮮血が応急手当で縛った布を染め、肌にも流れて一層殺気立って凄まじい。血走った目で部屋を見回し、椅子に縛られたレスファートに止まるや否や、ぐいと剥き出された。たちまち、鬼神も避けて通りそうな憤怒の顔で、大音声を張り上げる。
「よくも俺達を狙ってくれたな! お返しは倍以上にしてやるっ!」
右手は傷のせいでほとんど使えないものの、左手一歩進んで剣を振り回せば、怪力無双、人と言わず物と限らず、当たるを幸い粉砕していく。
男達はすっかり恐慌に陥り、悲鳴を上げて逃げ惑った。動けるものが負傷者を担ぎ、一人二人と消えていく。
やがて、部屋にイルファとレスファート以外誰もいなくなってしまうと、ようやくイルファは動きを止めた。太い息を吐いて床の組石の隙間に剣を突き立て、どさりと重い体を落とす。
「ふうっ…」
「イルファぁ」
「うむっ」
レスファートの声に、イルファが縛めを切った。レスファートは立ち上がり、イルファの側によろよろと腰を降ろす。
「大丈夫か、レス」
「…うん…」
弱々しく頷いてレスファートは涙で汚れた頬を擦った。その姿を、珍しく生真面目な安堵を浮かべて見つめ、イルファはのそりと立ち上がった。
「こうしてもいられねえな。さっき、カザド兵の一人を締め上げたら、アシャは沼地の方へ馬を飛ばしてったと吐きやがった」
「ユーノ!」
「ああ、おそらく、あいつもそこにいる」
イルファは、そっとレスファートの体を片手で抱き上げ、肩に乗せた。
「大丈夫だな」
こっくり無言でイルファは頷いた。心の奥底でまだ不安に揺れているものがあって、ユーノの無事な姿を見るまでは落ち着けなかった。
(生きてるよね、ユーノ。死んでないよね)
イルファに馬に乗せられ、レスファートはともすれば歪みそうになる視界に必死になって歯を食い縛る。
「はあっ!」
イルファの掛け声とともに、馬は砂埃と枯れ葉を巻き上げ、未だ開けぬ夜の中を沼地めざして走っていった。
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