『ラズーン』第二部

segakiyui

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11.『運命(リマイン)』狩り(1)

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「おら! さっさと歩け!」
 平原を一人、照りつける暑苦しい日差しの中をイルファは引っ立てられている。
 もっとも、周囲を囲む男達は微妙に覇気がなく、イルファを引っ立てているというよりはのし歩くイルファに渋々付き従っているような様子だ。
「俺が何をしたって言うんだ? ただ、道を歩いてただけじゃねえか」
 薄汚れてばさばさの髪をした丸腰のイルファは、ギロリと目を剥いて文句を言った。
「口答えするな! 『紅(あか)の塔』の下を通るには許しがいることぐらい、旅人なら知ってるだろうが!」
「知らねえから捕まってるんだろうが!」
「口の減らん奴だな! おとなしく歩け! それでなくとも暑いんだ!」
 怒鳴られこづかれて、イルファはのそりのそりと歩を進める。
 目の前に、赤茶色の石を積み上げた塔が次第次第に大きくなってくる。かつては、辺境区の象徴のイワイヅタの細く強いつると歯肉の薄い白い葉が彫られていたのだろうが、今それは跡形もなく削り取られていた。ささくれた表面は削られた跡そのままに、粗いごつごつした粒子を晒している。
 それは、この塔の所有者の変化の激しさをまざまざと見せつけるものだった。
「えらく荒れた城だな」
「ああ、荒れた城だ」
 イルファのことばに、からかい相手にされていた男は、そっけない、どこか寒々とした調子で応じた。
「以前はそうでもなかったんだがな…お前に言われてみると、確かに荒れた城だ」
「城主が変わったのか」
「まあな」
 つい答えた男ははたと我に返ったらしく、またイルファの体をきつくこづいた。
「ほんとに口の減らん奴だな!」
「それはさっき聞いた。それに、話したのはそっちじゃないか」
「もう話さん!」
 男はぐっと唇を引き締め、後はイルファを塔に連れ込むまで無言だった。

 イルファが連れ込まれた塔は、基底部に小さな入り口を持っていた。そこから内部の細い通路に階段が刻まれ、頂上まで続いているらしい。
(内部の造りは大体『白の塔』とおんなじだな)
 イルファはうんざりするほど長い、埃だらけの段々を汗だくになって上りながら考えた。
 石段や壁面のそこここが欠けたり崩れたり、あるいは何とも知れぬどす黒い物で汚れたりしているのが、修復もされずに放ったままになっている。外から見るより、中に入るとより一層荒れた気配の塔だ。
『城は主を語る』
 いつだったかレクスファ王が杯を手に話したことばを思い出した。
『城は主を語り、国を語るものだ。統治する者の居場所を見れば、何を望み、何を得ようとしているのか明らかだ』
 炎に照らされた力強い穏やかな笑顔。
(確かにそうかもしれんな)
 レクスファの白亜城は確かに造りとしても美しいが、何より手入れが行き届いていた。王がこまめに指示をすると言うよりは、住まう者関わる者が、その美しさを損なうまいと日々心を込めて手を入れていた。それは王への敬意であり、国を治める重責へのいたわりだった。
 しかし、『紅(あか)の塔』にそんなものはない。使い放題に使い、おそらくはいずれ捨て去られるだろう気配が満ちている。この城を見る限り、『運命(リマイン)』支配のその後に何が起こるか、簡単に想像がつく。
 人気がなくなり崩壊した黄金都市、キャサラン。太古生物が跳梁し、人間は明日の命を望むことしかできない。
 あれこそが『運命(リマイン)』が支配した後の世界というやつだろう。
『王の責務は人々の希望を背負うことだ』
 レクスファ王は杯を高く差し上げて頭を垂れて祈った。
『民が、未来は素晴しいと信じて生きられる場所を保てるように、我に力を貸したまえ』
 この先は全滅するしかないと思われた盗賊王との闘いの夜。
(いかん)
 旅に出てから感じたことのない淡い懐かしさが広がり、イルファは苦笑した。
(今回ばかりはやばいかもしれん)
 過去を振り返るなぞ、しかも自分が長年仕えた王を思い返すなぞ、終末期にありがちな感覚だ。
「ここだ」
 背中をこづきながら上ってきた男が少し息を切らせて、一つの扉の前でイルファを止めた。
 塔の半分ぐらいは登ってきただろうか。
 黒ずんだ金属の扉が無骨に前を遮っていた。表面にかつてあっただろう紋章の浮き彫りも、叩き潰されてでこぼこしたうねりにしか見えない。
 男はイルファの側を無防備に過ぎて扉に近寄る。その様を見ながらイルファは目を細める。
 剣を突きつけているという優越からか、猛々しさと相反するこの緩さ。
 イルファが反撃するなどとは思ってもいないのだ。旅人だと言うイルファのことばを信じていないように振舞いながら、その実旅人でしかあり得ないと考えているのは、自分達の力が圧倒的だという傲慢が底にあるせいだろう。
(突くならそれだな)
 攻められるとは考えていない、その甘さを崩せばいい。
 深く呼吸し、前を向く。
 男はイルファに背中を向けたまま、扉の中央に下がっている丸い輪を掴んで、気怠そうにゆっくりと扉に数回叩きつけた。
 ごぉん、ごぉん、ごぉん。
 重苦しい音が石の壁に跳ね返る。
 扉がきしみながら内側へと開かれた。
「王よ、この者が、さきほどの旅の者です」
 中は意外に広々としていた。
 正面に段をつけて高くしてある場所があり、柔らかな薄絹のような白い布が天上から垂れ下がって、その場所を囲んでいる。布の囲いの中に人影が動いたかと思うと、甲高い声が命じた。
「そこへ」
「はっ」
 男は雷に打たれたようにびくりと体を強張らせると、険しい顔でイルファを部屋に引き入れ、まるで正面の座から自分を守るようにイルファを前に押し出した。
 イルファの前でするすると布が左右に引かれていく。
 布で囲まれた空間には玉座があった。塔と同じ色味の石で造られた椅子に一人の人間が座っている。
「『運命(リマイン)』!」
 予想はしていたが、こうも眼前にはっきり見せつけられると息を呑む。
 そのイルファの反応に、相手は黙ったまま瞳を光らせた。
 白っぽい顔には真紅の瞳が鮮やかなほど輝いている。対照的な漆黒の豊かな髪は黒々と、肩へ胸元へと流れ落ちている。やはり男とも女とも言い切れない不思議な容貌の中で、嘲笑うように歪めた紅の唇が毒々しい。
「やっぱりここは、お前達の城になっちまった、ってことだな」
「随分ともののわかった『旅人』のようだな」
 赤い唇がなお歪められて、甲高い声が殺気を満たした。居丈高な調子で続ける。
「ならば、易々とここから出すわけにはいかぬな。地下の牢へ押し込めておけ」
「はっ」
 後ろにいた男がぐいとイルファの背中を突いた。
「かわいそうにな、妙なことを口走るからだ」
 全くかわいそうだとは思っていない口調で囁き、男は薄笑いをイルファに向ける。主の前でのこの無作法さ、統制がとれていないのがばればれだ。
 イルファはふてぶてしく笑い返して、玉座の相手に視線を投げる。
「後で泣きを見るぜ、『運命(リマイン)』」
 何をこしゃくな、そう言いたげに笑み返した相手が一瞬ふっと細い眉を寄せた。何か考え込む表情になったが、すぐに顎をしゃくってイルファを連れていくように命じる。
「ほら来い!」
 男は再び元来た階段の方へイルファを突いた。今度は一人でイルファを追い立ててくる。
 こづかれ追われながらどんどん階段を下りていく。一階でも止まらず、なお降りた薄暗い廊下の奥へ追いやられる。
「ようし、ここに入ってろ!」
 そこは小さな牢だった。イルファが入ると、低い天井も迫る壁もより一層縮んだように見える。かび臭い匂いのべっとりと絡みつくような湿気が体を包んでくる。ひょっとすると子ども用じゃないかと思える小さな石のベッドが一つ、壁の隅に穴が掘られ、異臭が漂ってくる。
「似合ってるぜ」
 連れてきた男は歯を剥き出してからかい、重そうな木の扉を閉めて去ろうとする。
 だが、彼がイルファに背中を向けた瞬間、イルファは相手の首に腕を巻き付けた。掌で声を封じ一気に絞め落とす。
 男は呻く間もなくずるずる崩れて足下に転がった。『運命(リマイン)』支配下(ロダ)ではなかったのだろう、気を失った姿はでろりと転がっているが溶けはしない。
「お前には門番よりもこっちが似合ってるぜ」
 男を牢に引きずり込み、服を脱がせて体を縛り上げ、口も塞いで床に転がした。周囲を見回し、溜め息をつく。
「まあ、まず計画通りって奴だ」
 男の服を隅の穴に放り込み、冷えた床に男の体を枕に寝転がる。
「むむんっ…」
 男が苦しそうに唸ったが、イルファの知ったことではない。後は夜が来るまでイルファの出番はない。
(こんな時は休むに限る)
 一つ大きなあくびをすると、イルファは間もなく眠り始めた。

「夜は好きです」
 テオ二世はすっかり暮れた外界を、澄んだ淡いグレイの目で見つめながら続けた。
「闇はある意味では優しいものですからね。見たくなければ何も見せない」
 ユーノの部屋で窓辺に寄りかかる少年王の顔には大人びた憂いが漂っていた。
 『紅(あか)の塔』襲撃にかかるまでの僅かな待ち時間を、彼はユーノと過ごすことに決めたらしい。部屋には窓際に仄暗い明かりが一つあるだけ、アシャは他の兵達と詳しい打ち合わせの真っ最中で、部屋にはユーノしかいない。
 ユーノはベッドに腰掛け、見るともなく、テオのプラチナブロンドが窓から入ってくる風に幻のように舞うのを見ていた。
「ミルバは……ぼくの前へ初めて現れた時、キャサラン中央区諸公の姫という触れ込みでした。物腰は上品、紅の瞳も宝石のように美しい……ぼくはそれと気づかない間に恋に落ちていたんです」
 テオは外の景色を見つめたまま、風に揺れる髪を軽く押さえた。
「ミルバもぼくを愛してくれ、ぼくらは婚約の儀を執り行い、彼女はぼくの城に住むことになりました。今思えば,その時こそ、全ての宿命の交差点だったのかも知れない」
 テオの声は遠く虚ろだ。もう決して帰ってこない、だからこそ一層鮮やかな思い出の日々を噛み締めている。
(宿命の交差点……)
 ユーノもまた、そのことばを噛み締める。
 もし、そのようなものがあるとしたら、彼女もアシャと出会ったあの瞬間をそう呼ぶのかも知れない。道に倒れていたアシャをカザドの刺客かと思って近寄った時、瞬きを繰り返して開いた眩い紫の瞳に捉えられたあの瞬間、宿命とやらは既に二人の行く末を未来の風に描いていたのかも知れない。
(決して結ばれることはないと……わかっている想いを………行き先のない祈りの先を……)
 風は次第に冷えてくる。
 テオの声がその温度を感じたように震えている。
「ミルバはすぐに城に溶け込みました。父も母も彼女を気に入り、そしてある日、突然全てが変わってしまったんです」
 テオは少し目を閉じた。
 やがて、歯の間から無理矢理ことばを押し出すように、
「辺境区の狩りに数人の共を連れて出た時のことでした。その日も変わりなく、お気をつけて、と見送られて……ぼくは何も気づかなかった。けれど、その間に、彼女は自分に従わない者は殺し、残った城の者全てを引き連れて『紅(あか)の塔』に移りました。そして、戸惑うぼくに宣告したんです。命を捧げて彼女に従えと。『白の塔』を放棄し、王子の地位を捨て、彼女に跪く奴隷の一人になるか、あるいは死ぬか、どちらかを選べと。……………前者をとるには、ぼくはあまりにも………王子としての教育を受け過ぎていました」
 テオの声は、寒さだけではなく、押さえかねた激情にも震えているように聞こえた。
「命を狙われ、たびたび殺されそうになり、家来は次々と減り………その都度、それらはミルバのせいなのだと自分に言い聞かせました。でも……」
 テオは髪から手を離して、部屋の中のユーノを振り返った。風が銀の髪を再び弄ぶ。それは激動の中に巻き込まれているテオの運命を表しているようにさえ見える。
「だめでした」
 ぽつりと囁いて、淡く苦笑した。
「おかしなことに、これほど手酷く裏切られておきながら、ミルバは、ぼくにとって、今もなお『誰よりも愛しい人(イ・ク・ラトール)』なのです」
「イ・ク・ラトール…」
 ユーノは聞き慣れないことばを繰り返した。
「この世に存在する全てのものより愛しい人…というような意味です。自分の命も心も犠牲にしても得たい人…ぼくにとって唯一無二の人、イワイヅタのように強く確かな、生きている手応えを与えてくれる女性……なのに、ぼくはその人と共に生きられない」
 テオの切なげな声は、ユーノにとっても親しいものだった。
 鮮やかで強くて愛しい一人の姿。
 その姿には目に見えない封印が為されている。そこには白い手が置かれている。レアナという名の、真っ白な美しい手が。
 ユーノがユーノである限り、彼女はアシャに近づけない。
 だから願う。
「誰よりも……護りたい…と」
「そうです」
 テオが目を細めた。
「あなたは女なのに、よくわかりますね」
「っ」
 ユーノはぎくりと体を強張らせた。窓辺のテオを凝視する。
「恋をしている者は敏感なものです」
 テオは曖昧に笑ってみせた。
「どうして、あなたが性別を偽っておられるのかはわからないけど、口外はしませんよ」
「…ありがとう」
 思わず小さく吐息をついた。
 性別を偽っているのは旅の安全のため、けれどその奥には、もう一つの意図があるのを自分でも気づいている。
(男だと思っていれば、男のように振舞っていれば、アシャは余計な気遣いをせずにすむ)
 そして、おそらく自分自身も、自分が男として振舞い続ければ、アシャとの距離も縮まらずに済む……これ以上アシャに魅かれてしまうことを食い止めることができる、かもしれない。
(無理そう、だけど)
 小さく続いた本音をユーノは目を閉じて聞かないふりをする。
「あなたの恋は、女性なのに男性のもののようですね」
 テオの声に意識を戻し目を開いた。
「愛しい人を『護りたい』と思われる」
「おかしい?」
 覗き込まれて本心を見抜かれそうで、思わず相手から目を逸らせた。
「いえ、でも」
 テオは微かに首を傾げた。
「女性は護られるものでしょう? 護られ愛され慈しまれるものではありませんか?」
「……」
 無邪気なテオのことばが胸に食い入った。
(それら全てを諦めなければならない者もいるんだ)
 叫びそうになったのは、きっとテオが優しいからだ。
(ほんとうは、わたし、だって)
 零れかけたことばを危うく呑み込み、すり替える。
「そう、なんだろうね」
 静かに答えて目を上げ、テオに笑ってみせた。
(慣れた痛み、慣れた芝居)
 何が真実かわからなくなるほどに。
 テオは瞬きをした。ふいにユーノの声の弱々しさに気づいた、そんな気配で口を噤む。と、何かを思いついた顔になって、そっと微笑んだ。
「…こんなときに、お頼みするのは心苦しいのですが」
 一瞬、テオのグレイの瞳の中に、今まで浮かばなかった激しいものが過った。窓辺を離れて近寄ってくる。
「ぼくの城のしきたりでは、生死をかけての戦に出かける時には、乙女の祝福を受けていくことになっています。そうすれば、必ず生きて帰って来れるという言い伝えなんです」
 テオの瞳が和らぎユーノを包む。怯えさせないようにと気遣うような足取りで、ユーノの前までやってきて、
「あなたの祝福を頂けないでしょうか」
「祝福?」
 ユーノは体を固くして立ち上がった。
「え、でも、あの、私、祝福の授けかたなんて、知らないん、だけど」
 口ごもりながら、必死にセレドでのあれこれを思い出す。戦う前の祝福? どこかの諸候がそんなことをねだっていただろうか? 思い出すのはレアナやセアラの姿ばかりなのが、一層情けない。
 緊張したユーノに、テオが笑みを深める。
「御手を頂けますか」
 滑らかな動作で膝を折り、ユーノの前で体を落として跪き、促すように見上げてきた。
「は、はい」
 慌てて左手を差し出すユーノに、くすりと笑って押し頂いた。引く間もなく彼女の手の甲に唇を押しつける。
「っ」
 温かな柔らかな感触が手の甲をついばんで、ユーノは震えた。とっさに引きかけた手を、相手が強く握りしめる。  
 動きを止めたユーノを、テオがしっかりと見上げた。
「あなたの祝福にかけて、必ず生きて戻ってきます」
 その目の光の強さに、ユーノははっとして唇を引き締めた。
 テオが生きて戻ると言うことは、誰よりも愛しいと想ったミルバや父母を殺すことでもある。その決意の全てを、ユーノの左手が今、受け止めている。
(怯んでる場合じゃない)
 幻であれ何であれ、今求められているのはユーノ自身、その存在が示す帰還への約束なのだ。
(揺らいじゃいけない)
 命を未来に繋ぐ力を少しでも与えられるなら。
「わかりました……どうぞ、ご無事で」
 背筋を伸ばして見返しつつ答えたユーノを、テオはまたどこか激しいものを満たした瞳で見つめた。
 やがて、わずかに頷いて立ち上がり、ユーノの手を優しく手放し、静かに部屋を出て行った。
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