『ラズーン』第二部

segakiyui

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12.『白の塔』の攻防(2)

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「くっ…」
 ぎりっ、とユーノの手元で剣が鳴った。
 のしかかってくる『運命(リマイン)』の赤い目がぎらつきながら、ユーノの心を射抜く。
 ずきずきと絶え間なく、同心円の波紋を描くように広がる痛みは、持ちこたえようとするユーノを、心からぐずぐず崩して形のないものに変えていきそうだ。
 遠くの方で新たに剣が触れ合う激しい音と怒号が響く。
「この野郎!」
 がらがらした喚き声が聞こえて、ユーノははっとした。
(イルファ?)
「スート! ネル! 来い!」
 テオ二世の聞いたことがない厳しい声も耳に届く。
(来て、くれた!)
 それほど待つまでもなく、ユーノが逃げ込んだ部屋になだれ込んで来て、ユーノを狩ろうと詰めていた『運命(リマイン)』や、その支配下(ロダ)の者達とたちまち乱戦状態になる。
(助かるかもしれない)
 今まで感じたことのない、淡い興奮が胸に広がる。
 思わずそちらをちらりと見た『運命(リマイン)』が両手で持っていた黒剣から片手を放した。隙あり、と一気に剣を押し戻そうとして体を起こす。
 だが次の一瞬、放した片手を引き戻した『運命(リマイン)』が、痛烈で的確な一撃をユーノの右脇腹に打ち込んだ。
「つうっっ!」
 視界が真昼の太陽のように灼ける。仰け反り崩れる体が止められない。
 テオが叫びながら敵を倒し、何とかユーノに近づこうとしているが、彼に倒せるのは『運命(リマイン)』支配下(ロダ)の人間のみ、ユーノの回りを幾重にも取り囲んでいる『運命(リマイン)』までは辿り着けないようだ。
「くぅ…っ」
 バルコニーの手すりに縋りつくように倒れ、ユーノはのろのろと目を上げた。下半身と周囲は流れた鮮血で染まり、『白の塔』の白い石と対比して鮮やかな紋様のようだ。天空高く駆け始めた太陽は、無惨な光景を一層はっきりと照らし出す。
(終わりか?)
 ついに、ユーノの旅はここで終わるのか。
(まだ、何もわからない、のに?)
「…っ、っ」
 よろり、とユーノが手すりが掴んで立ち上がるのを、『運命(リマイン)』は手を出すこともなく、ほくそ笑んで待っていた。背後の増援は小物と見切り、ユーノが立ち上がったところを再び打ちのめし、圧倒的な勝利を得ようとでも言うのか。
(く…そ…)
 ユーノはかさかさになった唇を噛んだ。
 体はぬめぬめと粘りつく熱さで覆われている。傷を押さえている左手を真っ赤に染めて、固まることさえ忘れたように、限りなく血が流れていく。
(暗いな)
 どんどん明るくなっているはずの空さえ、人の子の運命を指し示しているのか、どす黒く濁って見えた。
 ふわり、とユーノの片手が泳いだ。手すりにかけていた方の手、かろうじて短剣を握っていた手が、ついに力を失って支えられなくなった。傾いでいく視界で『運命(リマイン)』が大口を開いて嗤っている。
(おわり…)
 こんなにあっけなく、こんなに無力に。
(これが…おわり)
 絶望さえも遠くに感じるほど。
(……)
 恋しいただ一人の名前さえ、思い出せなくなるほどに。
「…あ…」
 今にも気を失おうとするユーノに耳に、突然はっきりと、誰のどんな声よりはっきりと、一つの声が響いた。
「ユーノ!」
「っ…」
 鮮やかな紅の光。
 体を貫く稲妻のような、その声。
(アシャ…)
 冷え固まろうとする意識が溶けた。視界が少し、戻ってくる。
 振り返れば、バルコニーの下に、その姿があった。
 灰色の世界に目を射るほど眩く煌めく黄金の髪。朝日に光をまき散らしながら、真下の地面に脚を踏ん張った相手が、両手を差し伸べて叫ぶ。
「飛び降りろ!」
(飛び…降りる…?)
 ぼんやりと心の中で繰り返す。華やかで美しい姿、それを眺める幸福だけに落ち込みそうな感覚が、少しずつことばの意味を読み取り始める。
(飛び………降り…る…)
 不意に、背中に風が当たった。振り向く前に、無防備な背中に向けて振り上げられた『運命(リマイン)』の剣の動きを感じる。
(!)
 かろうじて避けた体から髪一筋のところを黒剣の切っ先が打った。度重なる衝撃で限界に来ていたのだろう、打った場所から、ガララッと不気味な音をたてて手すりが崩れる。
「っ!」
 休む間もなく降ってきた『運命(リマイン)』の剣を、短剣を両手で支えて受け止める、傷ついた腹部が隙だらけで大きく開く、それを待っていたように『運命(リマイン)』の手が伸びてくる。その一撃をくらえば最後、ユーノの意識は体もろとも砕け散るに違いない。
 ふ、と。
 突然、ユーノの頭の中が空白になった。
 静かで透明な空間。
 遮るもののない渺々と白い世界。
 沈黙と、静謐。
 次の一瞬。
「……っっっ」
 いきなりすべての意識と感覚がその空白になった部分に注ぎ込まれ叩き込まれ、呑み込まれ、圧倒される。
 自分の顔が表情を消したのがわかった。脚がゆっくりと振り上がっていく。動かしているつもりがない。吸い寄せられる、あるべき場所へ、あるべき瞬間へ。しかも、それに目の前の『運命(リマイン)』が全く気づかない。視界に入っているはずなのに。これほど間近にいるのに気づかないはずがない、なのにやはり、その腹部へ爪先が滑らかに突き刺さるまで、ついに『運命(リマイン)』は気づかない。
「、っぐえっ!」
 声を吐いた『運命(リマイン)』の顔は驚愕に歪んでいる。思いもかけない衝撃に手から黒剣が抜け落ちると同時に、ユーノの短剣は動いている。まるでそれを予想していたかのように、落ちてくる剣の切っ先をこちらの剣の切っ先一カ所で払いのけるという離れ業、続く一動作で翻した刃を相手の胸に突き立てる、それさえも、まるで予め描かれた軌道を辿るように整然と。
「ぎぇあああああっ!」
 『運命(リマイン)』は耳を裂くような悲鳴を上げた。
「…え……?」
 瞬きしてユーノは我に返った。既に短剣を引き抜き、次の攻撃の構えに入っている自分、なのに『運命(リマイン)』はまだ、仰け反り崩れ落ちていっている最中だ。
(なに……?)
「っっ…」
 彼方に茫然としたテオの顔が見えた。表情が語っている、何が起きたのかわからない、と。
 明らかに追い詰められていた、明らかに生き残るのは不可能だった、明らかに全てはもう遅かった、なのに。
 なのに。
「!!!」
 周囲を囲んでいた『運命(リマイン)』が顔を強張らせ引き攣らせて一斉に引いた。その動きのただ中に、ようやく、今倒した『運命(リマイン)』の体がどさりと落ち、短剣に刺された部分から異臭を放つどす黒い煙を吹き上げる。
(生き残った…?)
 なぜ。
 ユーノもまた呆然とする。
(なぜ、生き残った?)
 なぜ、あの攻撃に対応出来た? なぜ、あんな露骨な反撃を『運命(リマイン)』は避けられなかった?
(まるで、見えなかったみたいに)
 でもあれほど近くにいたのに、そんなことがありえるのか?
(それとも)
 見えていても防げなかったのか?
(そういえば)
 アシャに教えてもらっていた時、どうしても対応出来ない攻撃があった。速さではない、鋭さではない、時には、それが来るとはっきり見えていても、どうしても防げなかった。あれをユーノは自分が竦んだのだと感じたけれど、アシャは奇妙な笑みを浮かべて、それには同意しなかった。
(今のと同じ?)
 反撃不可能な攻撃。
 そんなものがあるのだろうか。
「っ!」
 ぼんやりとした視線を囲む『運命(リマイン)』に向けると、その方向の『運命(リマイン)』が体を引く。別方向へ視線を転じると、そこでもまた。ぎらつく真紅の瞳が見据えて怯えているのは、短剣ではなく。
(私…?)
 なぜ。
「ユーノっ!」
 ばらついて混乱していたユーノの意識を、外から呼ばわるアシャの声が引き戻した。
(アシャ…)
 バルコニーにもたれかかりながら、のろのろと見下ろす。さっきよりもっと隙だらけの格好、なのに不思議と囲む『運命(リマイン)』の配置も、動きも、息づかいさえも全て読み取れた。今飛びかかられても、おそらくは一撃たりと外さない、そう『わかる』。
(なぜ)
 これは、何だ?
 強くなってきた朝風に髪が乱れて視界を遮る、迷いながら戸惑いながら瞬きを繰り返し、けれど、下でアシャが両手を広げて待っている、その光景だけがはっきりと見えた。
「あ…しゃ…」
 無意識に、微笑む。
(もう、大丈夫なんだ)
「ユーノ!」
 アシャの声が遠くなる。崩れたバルコニー、のめり込むように揺らいだ体が軽くなる。
(もう)
 甘い、吐息。
 もう、戦わなくていい。
 その思いを最後に意識が砕けた

「ユーノぉ!!!」
 落下してくるユーノに、レスファートの悲鳴とテオの意味をなさない喚き声が交錯した。
 短い舌打ちとともに、アシャは幻を残して走る。飛んでくれていない、崩れ落ちた、バルコニーからなお塔側に落ち込まれては命の保証がない。落下速度と位置を見誤らない自信はある、受け止める衝撃にも耐えてみせる、だが、紅の飛沫を散らして降り落ちる体を、どこまで無事に支えきれる。
「うぉおおおっ!」
 唇を突いた獣の吠え声が自分のものとは思えなかった。猛々しく怒りに満ちて、伸ばした腕にユーノが触れた瞬間に衝撃を吸い込み、抱きかかえて重量を地に逃がし、それでも足りずに激痛に叫ぶ。
「くぁああああっっ!」
 ずしん、と地鳴りがした。レスファートが小さな悲鳴を上げて体を浮かせる。降った体の重量にもげかけた腕を引き寄せる、血まみれの、ずたずたの、意識を失ってなお重くなった、それでも愛しくてかけがえないその体、二度と離さないと誓いながら、首筋に顔を埋めて胸に深く抱え込む。乱れる呼吸を必死に吐く。汗が幾筋も流れ落ちる。
「はっ…は…っ」
「ユーノ! アシャ!」
 駆け寄ってくるレスファートに喘ぎながら顔を上げた。
「…レス! 包帯!」
「はいっ!」
 おそらくはアシャの顔も血に汚れているだろう、けれどレスファートは怯む気配さえなかった。真っ白になった頬に涙をぼろぼろ零しながら、引き抜いた短剣でシャツの端を切り裂いて包帯を作っていく。
「ユーノ? ユーノ?」
 声をかけながら、抱きとめた両手に生暖かく広がるぬめりに顔をしかめる。
(呼吸はある)
 青ざめている、浅くて速い、けれどまだ息はしている。
「ユーノ!」
 意識はない、四肢を弛緩させ、完全に気を失っていて、触れてもぴくりとも動かない。
(傷はどうだ)
 腰を落とし、膝に抱え、チュニックを開き、溢れる血に傷を確かめ、次々と止血剤を塗りつけ接着剤を張りつけ包帯で固定していく。月獣(ハーン)の傷が抉られていた。刀傷は無数、打撲はあるが骨折はない。レスファートが巻いた包帯で少しは防御できたのだろう、汚れた傷が思ったより少ない。
(輸血が欲しい)
 栄養剤の点滴が欲しい。止血剤も追加したい。内蔵の傷も確認したい。今のままではユーノが意識を回復してくれないと判断しかねる。センサーが欲しい。安全に眠れるベッドと感染管理と失った体温を戻すための設備と。
「ちいっっ」
 ないものねだりをする自分の頭に嫌気がさして舌打ちする。
 かた、と緩んだユーノの手から短剣が落ちる。冷えてくる体を自分の衣服を脱いで包みながら、レスファートに命じる。
「拾っておいてくれ」
「うん」
 レスファートはこわごわ短剣を拾い上げた。柄の部分は赤黒く固まりかけた血で汚れている。強張った表情のまま、それを拭い始めたレスファートは、ふいに自分が流している涙に気づいたようだった。頬を擦り、涙を擦った布で短剣を拭き始める、まるで清めようとでもするように。
 それを見やってから、アシャは塔を見上げた。戦いは続いており、『運命(リマイン)』とやり合う叫びが響く。
(まだ始末がつかない)
 不愉快きわまりない、ユーノを早く休ませてやりたいのに。
「イルファ! テオ!」
 一気に片付けるしかない。
「『白の塔』から離れろ! ここを封じる!」
 アシャの声は獣の王者を思わせる荒々しさで響き渡った。理由を問う声はしなかった。たちまち『白の塔』の中で今までとは逆の騒ぎが起こった。脱出しようとするイルファ達と入り交じるように『運命(リマイン)』達が転がるように飛び出してくる。
(そうだ、慌てろ)
 アシャはそれを冷ややかに眺める。アシャがこの地を封じるという意味を知らない『運命(リマイン)』などいない。
「アシャ!」
「ユーノは大丈夫ですか!」
 イルファに続いて、顔のあちこちに傷を作ったテオが飛び出してきた。その前後に次々と仲間が走り出してくる。
「ネルは?」
 追いかけてきた敵を一太刀で倒したイルファの問いに、スートが首を振った。
「ゲルトもキートも、待たなくていい…っ」
 トラプが報告しながら、喘ぎつつ駆け寄ってくる。『運命(リマイン)』達はもうこちらに向かってこない。ひたすらに遠ざかる、大いなる災厄から逃れようとするように。
「逃すか」
 ユーノをそっと地面に横たえ、アシャは冷笑して立ち上がった。
「視察官(オペ)の任として」
「!」
 続けたことばに周囲が固まった。テオもイルファもぎょっとした顔で振り向いたが、それを無視して右の掌を『白の塔』に向ける。
 正確には、『白の塔』と、そこから逃げ出していく『運命(リマイン)』の一群に向けて、だが。
「この地をとどめる、アシャの名のもとに」
 ことばが途切れた瞬間、あたりとぼんやりと霞ませていた金色の膜がするすると『白の塔』を中心に凝縮し始めた。自分達のすぐ側をふわりと舞い上がるように通り抜けていく金の帳に、テオ達が驚いた顔で身を竦ませ、きょろきょろと見回す。
 膜の中に囲い込まれていく『運命(リマイン)』達の間に動揺が走った。膜が自らに向けて集まってくるのに、絶望的な唸り声が上がる。膜は集まり、濃く厚くなるにつれて、次第次第に輝きを増す。
「あ…ああっ」
「うわっ…」
 イルファ達が声をあげて顔を背けたほど激しい輝きになった膜は、『白の塔』を巻き締め、包み込み、金の炎で燃え上がらせていくようだ。ごうごうと唸る音の中に微かな悲鳴が交錯し、渦巻く巨大な光が天空へ向かって駆け上がっていく。
 一瞬のことか、それとも感じたより長い時間がたったのだろうか。
 光の膜はやがて、輝きを増した時と同じように徐々に眩さを失い始めた。次に正視できる状態になったときには、そこにはもう、ただ一人の『運命(リマイン)』の姿も、その死骸さえも見当たらなかった。
「す…ごい…」
 テオがようようことばを絞り出す。
「……こんなことができるなら、最初からやってくれれば助かったんだ……もっとも」
 俺達も一緒にきれいさっぱり消されてるか。
 イルファがうすら寒い声で呟く。
「この塔は封印された」
 静かに右手を降ろす。広範囲の出力、疲労も強いが、これだけ派手なことをやっていれば、好ましくない輩にアシャここにあり、と触れ回ったも同然、だがそれでもユーノを少しでも早く休ませてやりたい。
 再びそっとユーノを抱き上げる。何か言いたげなテオを振り返る。
 自分の顔に何が浮かんでいるのか、平穏な祈りでないことは確かだ。
「俺が解かない限り、未来永劫、何人たりともここに入ることはできない」
 国の一部を封じて済まなかったな、辺境の王。
「…いえ」
 謝ると、テオは僅かに目を伏せ、寒々しい顔で首を振った。
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